婚約破棄された薄幸令息、大公子の教育係になって今は幸せです

円堂幸

文字の大きさ
9 / 19

◇ 第九話

しおりを挟む
 昼食の後。入学式の準備がすべて終わり、余った時間は家族三人でのんびり過ごすことになった。庭園でお茶を楽しんで、今はローランの希望でかくれんぼをしている。

「大公殿下。見つけましたよ」
「もう見つかってしまったか……」

 鬼になっても、ベルクール大公を見つけるのは簡単だ。大きいので隠れられる場所が限られているし、ノエルならアルファのフェロモンを辿ればすぐに見つけられる。

 しかしローランを見つけるのはそう簡単にいかない。先ほどは低木の隙間に潜んでいて、気づかないまま何度も目の前を通り過ぎた挙句、鬼だったベルクール大公が降参することになったのだ。

「うーん……ローラン様、見つかりませんね」
「背が伸び始めたとはいえ、まだ小さいからね。また低木に隠れているのかな?」

 ベルクール大公にも手伝ってもらい、丸く選定された低木をひとつずつ覗きこんでみるが全然見つからない。

 一度使った手は使わないのか。そろそろ肌寒くなってくる時間なので自分も降参しようかと考えているうちに、ノエルはベルクール大公に頼みたいと思っていたことをふと思いだした。

「あっ。そういえば、大公殿下にお願いしたいことがあったのです」
「何かな?」
「よろしければ今晩、一緒に寝ていただけませんか?」
「……ん?」

 ノエルのお願いが予想外だったのか、ベルクール大公は少し間を置いた後で目を丸くした。

「喜んで、と言いたいところだが。明日は入学式があるだろう?」
「はい。なので早い時間に始めて、普段寝る時間には終わるようにと思うのですが……駄目でしょうか?」

 明日の朝、寝坊すると大変なことになるのはもちろん分かっている。しかしノエルは今日、どうしてもベルクール大公を誘いたいのだ。

 ノエルがじっと見つめると、ベルクール大公は観念したように目を伏せた。

「わかった。君のお願いとあらば、私もあまり遅くならないよう努めるよ」
「ありがとうございます……!」

 ベルクール大公が、自分のことをとても気に入ってくれている。そうわかったおかげで、ノエルは以前にもまして頼みごとをしやすくなったように感じていた。

 ローランのよき父に。そしてベルクール大公にとってよき婿になりたい。前向きな気持ちでノエルが空を見上げようとした瞬間、すぐそこに生えている立派な木の上で、枝の隙間に隠れているローランを発見した。

「あっ……ローラン様、見つけました!」
「やっと気づいたか。あんまり遅いから俺の存在を忘れているのかと思ったぞ?」
「そんな高いところにいらっしゃるとは思わず……って、おりられますか⁉」
「問題ない。ジョスラン父上、受け止めてください!」

 ローランがためらうことなく木から飛び降りると、ベルクール大公がなんなく受け止めた。ノエルがやったら大惨事になるところだ。

「かくれんぼはローランが一番上手だな」
「当然です。そんなことより、今日の夜はジョスラン父上も俺の部屋に来てくれることになったんですね」
「……ん?」
「そうなんです。昨日より一時間くらい早く朗読を始めて、普段寝る時間にはおしまいにしましょう」
「わかった! そうと決まれば遊んでやるのはここまでだ。俺はもてなしの準備をするのでな!」

 そう言ったかと思うと、ローランはベルクール大公の腕からぴょんと飛び降りて屋敷のほうに走り去っていく。その後ろ姿を、ノエルは微笑ましく思いながら目で追った。

「うふふ……ローラン様、大公殿下と一緒に寝られるのがすごく嬉しいみたいですね」
「……ああ。そういえば昨日の夜、本を読んであげたと言っていたね」
「はい。明日は入学式なので、朗読の後そのまま三人で寝れば、ローラン様の緊張が解けてよく眠れるのではないかと思うんです」
「なるほど。君は昨日からずっと、ローランのことを一番に考えていたんだね?」
「はい!」

 前に王立学院の初等部を見学に行った時、ローランは緊張であまり眠れなかったと言っていた。

 今回は入学式。しかも大勢の前で挨拶するとなればさらに緊張するだろう。それで今晩は何か、ローランの気が紛れるようなことをしたかったのだ。


   +++


 その日の夜。ノエルはうきうきした気分で寝支度を済ませ、本を持ってベルクール大公の部屋を訪ねた。扉の前に護衛が控えている。

「夜番ご苦労様です。大公殿下をお迎えにまいりました」
「中へどうぞ。婿様がいらしたら掛けてお待ちいただくよう仰せつかっております」
「そうですか……ではお邪魔します」

 扉を開けられて部屋に入ったが、ベルクール大公が見当たらない。掛けて待つようにとのことだったので、ノエルはとりあえずソファーに腰を下ろした。

 そのまましばらく待っていると、部屋の中にあったドアから侍従ふたりとベルクール大公が出てきた。入浴が終わったばかりのようで、濡れた髪から水が滴っている。

「ああ、ノエル君。長く待たせてしまったかな?」
「いえ! 今来たばかりです」
「それならよかった。すぐ着替え終わるから」
「は、はい……」

 返事をしつつも、ノエルはベルクール大公を直視できないでいた。襟のない薄手のシャツにガウンを羽織っているが、急いで出てきたらしくシャツのボタンがひとつも閉じられていない。これからローランと一緒に寝るというのに、部屋の中にベルクール大公のフェロモンが漂っているせいもあって顔が真っ赤になってしまいそうだ。

 ノエルができるだけフェロモンを吸い込まないよう努めている間に、侍従のひとりがベルクール大公の髪を拭き、もうひとりがシャツのボタンを閉め、あっという間に支度が終わった。役目を終えた侍従たちがいそいそと部屋を出ていく。

「お待たせ。遅くなってすまなかったね」
「い、いえ。では行きましょうか……!」

 声をかけられて顔をあげたが、ノエルはすぐにまた目を逸らした。普段はクラバットやネクタイをきっちりしめているベルクール大公が、シャツのボタンをふたつもあけている。

 たくましい首筋から鎖骨まで見えていることに戸惑ってしまい、ノエルはうつむいたままあとをついていった。しかしドアを開けたところで、ベルクール大公の歩みが止まった。

「おや? パトリックじゃないか」
「ああ、旦那様。まだお部屋にいらしてよかったです」

 鉢合わせたのはローランの専属侍従、パトリックだ。彼が言うには、ベルクール大公とノエルが来るのを待っているうちに、ローランが眠ってしまったらしい。

「約束したから起きているとおっしゃられたのですが、先程ぱたりとお休みになられまして」
「そうだったか……まあ緊張で寝つけないよりはよかったかな?」
「そうですね。明日の朝、ローラン様がお目覚めになったら約束は気にしないで、また今度にしましょうと伝えてください」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」

 ベルクール大公と一緒に寝られるのをはしゃいでいたので、朝起きたらローランは残念がるかもしれない。しかし緊張せず自然に眠れたのならそれが一番。三人で一緒に寝るのは明日でも明後日でもいいのだ。

「では大公殿下。私も失礼します」

 パトリックに続いてノエルも自分の部屋に戻ろうとすると、ベルクール大公に行く手を塞がれた。

「ちょっと待って。まだ寝るには早い時間だよね?」
「はい。何か私にご用事がおありで……」

 たずねようとして、ノエルは気づいた。家族三人で寝るはずが、ローランはもう寝てしまった。この後、普段寝る時間まで何の予定もない。そして目の前には、寝支度が整った婚約者がいる。

――ま、まさか、今から抱き潰……?

 ベルクール大公に言われたあれやこれやを思いだし、ノエルは急に逃げ出したい気持ちに駆られた。

 ヒートで苦しいわけでもないし、ベルクール大公もラット期を自制しているわけでもなさそうだ。番になるのはローランが学院生活に慣れてからのほうがいいとも言っていた。まだ心の準備がまったくできていないのに……

 半分泣きそうになっていると、ベルクール大公がノエルの肩にそっと手を置いた。

「せっかく時間ができたことだし。朗読の練習に付き合ってもらえないかな?」
「あっ……そういうご用事でしたか……」

 安堵すると同時に、ノエルは自分が想像していたことを恥ずかしく思った。ベルクール大公は大事な行事が控えている状況で、翌日に響くようなことをする人ではない。冷静に考えれば分かりそうなものなのに、つい焦ってしまった。

「ぜひご一緒したいです。私も次に読むところを練習したいので」
「ありがとう。昨日はどんなふうに読んだのかな?」
「ローラン様のベッドにお邪魔して、隣に座って読みました」
「では同じ環境で練習しよう。そのほうが本番でも上手くできるよね?」
「そうですね……!」

 ローランのために真面目に練習しようとするベルクール大公に、ノエルは感激しながらベッドに連れて行かれた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

婚約破棄されて追放された僕、実は森羅万象に愛される【寵愛者】でした。冷酷なはずの公爵様から、身も心も蕩けるほど溺愛されています

水凪しおん
BL
貧乏男爵家の三男アレンは、「魔力なし」を理由に婚約者である第二王子から婚約破棄を言い渡され、社交界の笑い者となる。家族からも見放され、全てを失った彼の元に舞い込んだのは、王国最強と謳われる『氷の貴公子』ルシウス公爵からの縁談だった。 「政略結婚」――そう割り切っていたアレンを待っていたのは、噂とはかけ離れたルシウスの異常なまでの甘やかしと、執着に満ちた熱い眼差しだった。 「君は私の至宝だ。誰にも傷つけさせはしない」 戸惑いながらも、その不器用で真っ直ぐな愛情に、アレンの凍てついた心は少しずつ溶かされていく。 そんな中、領地を襲った魔物の大群を前に、アレンは己に秘められた本当の力を解放する。それは、森羅万象の精霊に愛される【全属性の寵愛者】という、規格外のチート能力。 なぜ彼は、自分にこれほど執着するのか? その答えは、二人の魂を繋ぐ、遥か古代からの約束にあった――。 これは、どん底に突き落とされた心優しき少年が、魂の番である最強の騎士に見出され、世界一の愛と最強の力を手に入れる、甘く劇的なシンデレラストーリー。

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。

誉コウ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。 その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。 胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。 それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。 運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

処理中です...