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#54、 良心と実利
しおりを挟む「これ、お預かりしていた譜面ですわ。
遅くなって申し訳ありません。
水上の音楽の組曲をお返しいたしますわ」
「ああ……。でも、わたしは演奏しませんし、イルマラさんが持っていてくださった方が音楽も喜びますわ」
「いけませんわ。Eボックスを我が物顔にしていたことを、ブランシュお兄様にあんなにきつく叱られてしまいましたもの。
これはきちんとお返ししておきたいの。
あ、それから編曲が済んだオーケストラ用の楽譜は今清書させていますわ。
書きあがったらお届けしますわね。
楽譜に名前が載るなんて、ナナエさんは王家の誇りですわ」
「えっ……!?」
「なにを驚かれていらっしゃるの? 楽譜に名を残すというのは貴族の歴史に名を残すのと同じこと。
ナナエさん、これからも新しい音楽をおつくりになったときは、わたくしに最初に聞かせて下さらなければだめよ。
わたくしが第一愛好者、ファンナンバー一番なのですから」
(う、うわーっ……。天国にいる偉大なる音楽家の皆様、本当に本当にごめんなさい、ごめんなさい、お許しください……!)
楽譜を受け取ったはいいものの、背徳心から持つ手が震え出しそうだ。
(……だめだ、とてもじゃないけど、これを持っていられない。
……ライスに返そう)
返すといっても、結局この世界での作者は奈々江には変わりないのだが、どうしても手元に置いておく気分になれない。
奈々江はイルマラの部屋を後にしたその足で、ブランシュの執務室を訪ねた。
ラリッサとメローナが楽譜を持ってくれようとしたが、罪の意識が高まってか、どういうわけか自分で直接ライスに手渡さなければならないような強迫観念にとらわれていた。
「これからライスのところへ行きたい?
しかし、俺は今陛下に呼ばれたところでな……、え、どうしても?
何をそんなに急ぐ必要があるのだ? 急ぐから急ぐといわれても……。
しかたない、パロット、いや、エベレストを貸してやるから、お前ひとりでいって来い」
「それは構いませんが、ナナエ殿下、セレンディアス殿に頼まれては?」
「セレンディアスには今お使いを頼んでいるのです」
「お使いってなあ、セレンディアスは俺の従者だぞ。それをお前の魔法の勉強のために貸してやっているだけだ」
(あ、そうだった。セレンディアスのこともちゃんとしておかなきゃだよね)
「物のついでのようになってしまって恐縮なのですが、お兄様、セレンディアスをわたしに下さい」
「は? お前、グランディア王国から連れてくるときにいらないといっていたではないか」
「あのときはそうでしたが、今は違います。
今のセレンディアスはわたしの勉強のためにも、研究のためにも必要不可欠な存在です。
それに、セレンディアスもそれを望んでいます」
「しかし、セレンディアスの魔力は国家を占うほどの量だぞ。
お前にその責任が持てるのか」
(それをいわれると、いずれグランディア王国に連れて行きますとはここでは言えないけど……。
でも、セレンディアスを引き受けるためなら、今はそうだと答えるしかない)
「はい、セレンディアスのことはわたしが全ての責任を持ちます」
「しかしなあ」
「お兄様、素直に聞いていただけないなら、カードを使いますわよ」
「カード?」
「ライスに会うためには今もわたしのお供でなければ行けませんよね?」
「そ、それは……」
「それに、あんなに頑張ってふたりの仲を取り持ったんですから、ご褒美を下さってもいいじゃありませんか」
「ごほうび!?」
ブランシュがぐむっと妙な音で喉を鳴らした。
「お、お前、いつの間にそんな交渉術を……」
「セレンディアスのことはそれだけ本気なんです」
「……くっ、わ、わかった……」
(よしっ、やったね!)
喜ぶ奈々江にブランシュがずいと顔を寄せてきた。
「お前、まさかとおもうが、セレンディアスに懸想しているのではあるまいな?」
(は? ……あれ、まさかわたしがグレナンデスに会いたいって言ったこと、ブランシュの中でなかったことになっているの?)
奈々江の真顔に、ブランシュが気色ばむ。
「まさか、ず、図星なのか!?」
「……いえ、それはありませんけど……」
「けど……? けど、なんだっ!?」
「なんでもありませんわ。それでは」
「ちょっ、ちょっと待て!」
「これからわたしはライスのところへ、お兄様は陛下のところへ行かなくてはならないのですよ。わたし(気分的に)とても急いでおりますの」
こちらの都合は心の中だけで付け足した。
一刻も早く楽譜を手放してしまいたいのだ。
ブランシュが困ったようにこぶしを額にやった。
「し、しかし、セレンディアスをお前付きの従者とすると、クレア様のご負担が……」
(えっ、またお金!?)
エベレストが恐れながらと前置きして口を出す。
「ブランシュ殿下、その件は私からナナエ殿下にお伝えしておきます。
パロット、陛下をお待たせしてはならない。ブランシュ殿下をお連れせよ。
ナナエ殿下、さあ準備いたしましょう」
もごもごと歯切れの悪いブランシュがパロットらと部屋を出ていった。
エベレストがブランシュの代理として、神官長にむかってスモークグラムを焚く。
それからまもなく、エベレストの手の水晶玉に返事が戻ってきた。
「神官長からの許可が参りました。
では、ナナエ殿下、ブロンズファルコンを羽根を……。
楽譜は侍女に持たせてはいかがですか?」
「大丈夫、持てるわ」
楽譜を抱える見えない手元にラリッサから羽根を渡してもらった。
「風待たず 逢わんとぞ行く ファルコンか 我も命惜しむことあらんや」
いつもの呪文で、ロカマディオール修道院へひとっとびだ。
つくなり、ラリッサとメローナが横に立ち、ブルームーンラビットのケープをかけてくれた。
修道院の前にはいつもと同じ格好でフェリペがたたずんでいた。
「ごきげんよう、フェリペさん」
「ナナエ皇女殿下、ご機嫌麗しく存じます。
ライスを今呼びに行かせておりますから、聖礼拝堂でお待ちください。
その間粗茶ですが、心を込めてお入れいたしますので、おくつろぎください」
(あら、急にサービスがよくなった……?)
顔に出ていたのか、フェリペが苦笑して見せた。
「ロカマディオール修道院で女性を接待することはめったにありませんでしたので、こちらもいろいろと行き届かず、これまで不作法いたしましたことお許しください」
(あ、そういうこと……)
「ありがたい心遣いですわ」
言葉通り、フェリペは聖礼拝堂の戸口でトレーを受け取り、奈々江の前に熱い紅茶を差し出した。
「修道院の厨房からですと、どうしてもここまで運ぶのにお湯が冷めてしまいまして。
聖礼拝堂の裏手に小さな炊事場を作らせました」
「わざわざ……。ありがとうございます、フェリペさん」
「神官長のご指示でございます」
「わたしがお礼を申し上げていたと伝えてください」
「はい」
お茶を飲んでくつろいでいると、息を切らせたライスがやってきた。
「ナナエ殿下、お待たせいたしました」
やってきたライスは髪が乱れ、袖口には土がついていた。
「ライス……、仕事の途中だったの?」
「はい。今はじめて農作業というものをやっています。手の平の皮がむけてしまいました。
農夫というのは大変な仕事でございますね。やってみるまで知りませんでした」
手の平を見せてもらうと、鍬を握るときに当たるのであろう指の下あたりが皮向けて血がにじんでいる。
爪の間にも土が残っていた。
今まで農具など手にしたことのないきれいな手の無残な姿がそこにある。
ひょっとしてマイラがこれを見たら、卒倒しているかもしれない。
「わたしの魔法陣が効いてないの……?」
「魔法陣は夜寝るときに身に着けております。とても役に立っております」
「いつも身に着けていてくれなきゃ、いざというとき役に立たないわ」
ライスが困ったように笑った。
「お気づかいはありがたいのですが、同じ農作業をしても、私だけ汗もかかず、手も汚れず、ローブに砂ぼこりひとつついていないというのは、いささか奇妙に映りまして。
さぼっていないのにさぼっているように思われてしまうのは癪といいますか、損なのでございます」
集団作業の中ではいたしかたないことだ。
だが、元王子がなれない農作業とは、とてもではないがマイラには報告できそうにないと奈々江は内心で思った。
息を整えるように深呼吸したライスがつぶやいた。
「ああ、よい香りですね。久しぶりに紅茶の香りをかぎました」
久しぶり、ということは修道院の食事には紅茶も出ないのだろうか。
奈々江はフェリペのほうを向いた。
フェリペがやや頭を下げていう。
「紅茶は第五階以上の修道士にしか認められておりませんので」
(え……あ、そういうこと……。
でも、わたしに出してくれるのに、ライスには出してくれないのね……。
ライスは修道院に帰属しているから、お客さんじゃないもんね……。
でも、目の前に紅茶があるのに飲めないなんてかわいそうだわ)
思わず、じいっとフェリペを見つめる。
(ちょっとくらい、ルールを曲げてくれたりしない?
ライスは作業の途中で急いできたから、きっと喉が乾いていると思うのよ?)
太陽のエレスチャル効果百パーセントで見つめていたお陰で、フェリペも意図を察したらしい。
困ったように手を組み替えて、どうしようかと悩んでいる。
ライスが笑った。
「ナナエ殿下、こんなことでお力を行使するのはおやめください。
ブラザー・フェリペがお困りになっておられます」
「まだなにもいってないわ」
「殿下のまなざしは、命令しているのと同じことでございますから。
それに申し訳ございませんが、今は神官長に認められるために頑張っているので、規則やぶりはしたくないのです。
バイオリンの所持は認めていただけましたが、演奏は日曜日だけなのです。
一週間がんばらないと、次の日曜バイオリンをただただ見つめるだけになってしまいます」
「そうなの。厳しいのね」
聞けば、食事にも多少の階級差があるらしい。
ごく簡単にいえば、第五階以上か以下かによる貴族と平民の違いだ。
平民は白湯のところ、貴族には紅茶。
味付けは平民は塩だけ、貴族にはわずかながらコショウが許されているという。
それからごくまれに甘いものや酒類がふるまわれるそうなのだが、この分配は当然のように貴族が優先になる。
(本当に少しの差でもつけたがるのね。浮世を離れても、僕たち特権階級ですって感じ?)
これが修道院の外ならどうということもないが、閉ざされた空間で限られた物資を分け合っているのだから、あながち些細なことともいい切れないだろう。
「ライス、なにか食べたいものはない? 実は、マイラ様から何度も聞いて来てといわれて困っているの」
「さきほどお話ししましたが、食の戒律はとても厳しいのですよ。
差し入れて頂いても食べることはできません」
「それって、修道士のみなさん全員にもれなく差し入れしてもだめなの?」
「……王妃陛下がお考えになりそうなことですね。
では、こうお答えください。神官長がお好きなものが喜ばれるのでは、と」
「わかった、そうお伝えしてみる」
それで、と前置きをしてライスが尋ねる。
「今日はどのような御用向きですか?」
「あ、そうよね。ええと、まずはEボックスの件から話しておくわね」
「はい」
「両陛下のお祝いにEボックスを送ることはやめにしたの。
贈り物はオーケストラだけにしたわ。
試作品を含めてすべてのEボックスは分解して、ツイファー教授が処分して下さることになったの」
「さようでございますか。ご英断だと存じます」
「だから、ごめんね。せっかくいろいろとアドバイスしてくれたのに。
披露したオーケストラの音楽も、持って来られなくなってしまったわ」
「それは構いません。
それより、ナナエ殿下の残念なお気持ちお察しいたします」
奈々江はいったんうつむいて息を吐いた。
今も、ばらばらに分解された試作品の数々のパーツのことを思い出すと気がめいる。
奈々江は顔を上げてフェリペのほうを見た。
「フェリペさんもせっかく楽しみにしてくれていたのに、約束を守れなくてごめんなさい」
「い、いえ、私のことはお気になさらずに」
まさか自分のほうにむけられるとは思わなかったフェリペが首を横に大きく振った。
紅茶のカップをつまんで、ゆっくり一口飲んで心を落ち着かせる。
気を取りなおして、奈々江はそばに置いておいた楽譜を手に取った。
「それともうひとつ。これ、ライスにもらってもらえないかと思って。
といっても、書いてくれたのはライスだから半分ライスのものなんだけど」
「え、組曲水上の音楽、これをですか?」
「ええ。わたしが持っていても自分では演奏しないから。
上手な人に弾いてもらった方が音楽も、楽譜も喜ぶと思うの」
「これは、まぎれもない傑作ですよ。それに半分が私のものだなんて大きな誤りです。
この組曲は初めの一音から最後の一音まで、すっかりナナエ殿下が作ったものです」
(うう、だから、違うんだって……)
奈々江は苦い気持ちを押し隠して、楽譜を差し出した。
「わたしが持っていてもただ無駄になってしまうだけだから。
とにかく、わたしは持って帰らないわ」
「そんな、どうしてですか。こんなすばらしい音楽を、なぜ簡単に人に預けてしまうのですか?」
「か、簡単じゃないよ。
ライスみたいに音楽が好きな人に預けたいの。
始めはイルマラさんにと思ったけれど、ブランシュお兄様に怒られるからって受け取ってもらえなくて。
ライスが受け取ってくれなかったら困るの。
わたしを助けると思ってもらってくれない?」
「ナナエ殿下……、正直殿下のいっていることが私にはよくわかりません。
でも、これを預けて下さるというのなら、私は喜んでこの組曲を我が血肉に宿し、天上に捧ぐ調べにして見せます」
「う、うん! ぜひ、そうして!」
ライスが嬉々として受け取ってくれたので、奈々江はようやく肩の荷が下りた気がした。
ふーっと息をつきながら、紅茶を口にしていると、視界の先に見えていたフェリペが突然姿を消した。
見れば、フェリペは膝をつき、その場で頭を垂れていた。
「恐れながら、恐れながら申し上げます、ナナエ皇女殿下……!」
一同の視線がフェリペの頭の上に注がれた。
「ライスに授けし水上の音楽、どうかわたしにも拝謁する許可をいただけないでしょうか?」
「え……」
「修道士として修行を積んでまいりましたが、我が人生は音楽と共にあり、今も片ときも頭を離れることはありません。
ナナエ殿下があの日ここでこの組曲を完成されたとき、私の心は震え、体中を新しい血が巡りくるようでした。
あの日から私はこの組曲に取りつかれているのです!
どうか、私にこの譜面をもって音楽を学ぶ機会をお授け下さい!」
今まで落ち着いた物腰と穏やかさをまとっていたフェリペがとうとうと熱い思いを述べたことに、奈々江は面を食らっていた。
思わずライスを見ると、ライスは意外にも冷静にそれを見つめている。
(……そっか、ふたりは音楽の話とかしているのかな。だったら、驚かなくても当然か)
「ええと、ライスはどう思う?」
はっとしてライスがこちらを向いた。
「私はナナエ殿下のご意向に従うのみです。
とはいえ、今日お預かりしたこの楽譜もいったんは神官長にお預けすることになりますので、いずれにしてもわたしがこの楽譜を手元に置けるかどうかは、神官長次第です」
次にフェリペを見た。
「それって、やろうとおもえばフェリペさんが楽譜を横取りできるっていうこと?」
フェリペがさっと顔を上げて首を横に振った。
「そのような不埒なことは考えておりません……!
ただ、私はこの音楽を学び、私なりにオーケストラ用に編曲してみたいと思ったのです。
以前お話申し上げた通り、私はかつて音楽を生業としていました。
昔取った杵柄とでも申しますか、この譜面の完成を拝見した日から、私の心はその思いでいっぱいなのでございます。
神官長にはこの楽譜の所有をライスに許していただける様、切に進言致します。
それが叶わなかったらば、楽譜はナナエ殿下に必ずお返しいたします」
(え、いや、返してもらったら意味ないんだけど……)
もう一度ライスを見た。
「どうする、ライス? わたしとしては、ライスが嫌ならやめておきたいし、ライスがフェリペさんのいうことが嫌じゃないならそれでもいいかなと思うけど」
フェリペがライスを見上げる。
本当に音楽が好きなのだろう。
その表情には切なるものがにじんでいる。
ライスが小さく息を吐いた。
「構いません。ブラザー・フェリペにはなにかと目をかけて頂いておりますし、音楽への造詣が深いことは少し話しただけでもわかりました。しかし正直なところ、ナナエ殿下の音楽を台無しにされたら、と危惧をしております」
(はは……、それなら一番台無しにしているの多分わたしの気がする……)
フェリペが一度口をきつく結んだ。
「ライスのいうことはまさに。
ナナエ殿下、もしも私の書いた編曲がお気に召さなかったらば、どうぞ私の両手をお取りください。
二度と楽器もペンも持たないと誓います」
(えーっ、そんなこと求めてないよ! 自分に厳しいすぎない!?)
フェリペがあまりに真剣な顔なので、苦笑いさえできない。
しれっとライスが言う。
「当然です」
(ちょっと~っ! なんでこういうときだけ王族の威厳かもしちゃうかなぁ!?)
「そ、それはやり過ぎですわ、フェリペさん。
両手がなかったらスプーンを持つこともできなくなってしまいますもの。
でも、その心意気を信じてみることにいたしましょう」
「あ、ありがとう存じます!」
(ふ、ふう~……。楽譜渡しに来ただけなのに、冷や汗かいちゃったよ~……)
用事が済んだので、奈々江はお茶を飲み干してから暇を告げた。
ライスとフェリペに見送られ、ブルーノ城に戻ると、エベレストが口を開く。
「セレンディアス殿の件ですが」
「あ、はい」
エベレストは簡単に、王家のお金の配分について説明してくれた。
「国家予算のうち王家に分配された予算は、陛下を頂点に主に陛下の采配で割り振られます。
今回問題となってくるのは、ナナエ殿下がセレンディアス殿を自らの手元に置くのに誰がどれくらいの金額を払うのかということです。
ちなみに金額は、おおよそ私の二倍ほどだとお考え下さい」
「えっ、エベレスト様より多いんですか!?」
「セレンディアス殿の手元に入る金額は私より少ないと思いますが、セレンディアス殿は帰化したばかりで、住まいをこちらが面倒を見なければなりませんし、現在のところ教育や食事、衣服についてなどもこちらから提供しています。そのかわり、ナナエ殿下の要望、すなわちエレンデュラ王国の求めに応じて魔力を供出し、国家の魔法技術の繁栄に協力をしています」
「それで……」
「さらに、セレンディアス殿をグランディア王国から譲り受けた際に支払った資金への補てんも含まれます。一番比重が大きいのはこれですね」
「な、なるほど……、それで二倍」
「ナナエ様はクレア第三王妃陛下の庇護下に置かれておりますから、この金額がクレア陛下の予算分にかかってまいります。
もともとクレア陛下は政治に参加することも影響力を持つことも望まれておりませんでしたから、最低限の予算しか割り振られておりません。
クレア陛下には個人的な資産もあまりないと聞いておりますし、兄上を頼りにされるのにも限度があろうかと存じます。
クレア陛下ご自身が国王陛下に予算の割り増しを申し出ることもできますが、ユーディリア第二王妃陛下を刺激するのは、クレア陛下がもっとも気にするところです」
「ええ、ふたりの仲は良くないみたいですね……。
それって、わたしが陛下にお願いしても同じことですよね?」
「はい、結局入るところは一緒ですから」
「う、うう~……」
聞けば聞くほどに、この世界のこの国での自分の立場の弱さが身に染みる。
(課金が無限に無料の無双だなんていったの、どこの誰!)
奈々江の脳裏に無精ひげの上司の顔がちらついた。
「楽譜をお売りになったらいかがですか?」
「え?」
エベレストが眼鏡を押し上げた。
「先ほどから考えておりましたが、それが一番早く最も確実だと思いますが」
(え……、あ、そうか……。
え、そんなの考えてもみなかったよ……。自分の曲じゃないし。
でも、確かにこんなに喜ばれるなら、きっと音楽お金になる……。いや、でも!)
奈々江の頭は混乱する。
(だって人の曲だよ!? それも、偉大なる音楽の神様たちが作り上げたものだよ!?
勝手に売って、わたしがお金稼ぎしていいの!?)
さらに奈々江の脳内議論が重なる。
(え、え? でも待って? ここって、夢の中だよね、私の夢の中だよね?
わたし以外誰も知らないなら、売っても犯罪にならないよね?
この世界の中なら、咎められない……そう、だよね?)
顎に手を当ててみる。
(そうだよ、なにが問題なの?
夢の中でわたしが人の曲を売ってお金を稼いだからって、現実の著作権法に触れたりしないよね?
そ、そうじゃん!
なんか、今まではすっごい悪いことしてるみたいな気がしちゃったけど、ここは現実世界じゃないだもんね……)
奈々江は顔を上げて、エベレストを見た。
「そ、そうですよね。考えていませんでしたけど、確かにそうですね」
「そうでございますよ。祝賀会が終われば、きっと組曲の楽譜は飛ぶように売れます」
(なんだ……! お金問題、あっさり解決!
……そ、そうとわかっていても、なんとなく良心が咎める気がするけど……)
エベレストが教えてくれた。
「ちなみに、新譜の相場は金貨百枚から七十枚というところですね。
普及するにつれて価格は下落していきますが、新譜一曲でセレンディアス殿を雇う一年分から半年分くらいにはなろうかと存じます」
「売ります!」
現金な声が部屋に響いた。
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