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悪役聖女の末路
効率的な策謀【オルカ視点】
しおりを挟む二人の間に吐息すらも挟まず熱の籠もった口づけが長引く。
皇女との予期せぬ接触に最低だった気分が今では嘘のように晴れて、至福とも呼べるその時間はまるで尾ひれをつけるかのように名残を残して消えてしまった。
「……、っはぁ。あんまり慣れないのね。これ」
「その割には上達が早いようだけど?」
「貴方がリードしてくれるからよ。…私一人じゃ無理だわ」
少し息の上がったシルティナが軽口を叩く姿を見たのはいつぶりだろうか。そう思って遡ってみると、初めてのような気がしてならない。
大体僕の前では悲鳴か絶叫、哀願しか並べない彼女が初めて自分の腕の中で心を休めていてくれている。その事実は何とも甘美で重く負荷の掛かっていた頭は丸きりと霧が晴れたような気がした。
「ぁ、そうだ。オルカに渡したいものがあったのよ。ちょっと待ってて」
そう言うとその場から少し離れた机の引き出しを開け、その中から小さな箱を取り出して戻ってきた。
「この間サムクル王国の使節団から頂いた交易品で、オルカに似合う物を見つけたから。よければ受け取ってくれる?」
「片一個の…、耳飾り?」
箱の中に入っていたのは一つの長方形型の金があつらえた耳飾り。本来二つペアで着けるそれは、サムクル王国独自の製法なのか片耳にしか用意されていなかった。
「そう。気に入ってくれた?」
「シルティナが用意してくれただけでも、十分だよ」
「良ければ今私が着けてみてもいい? 本当にオルカに似合うか確認したいの」
「勿論。一度も針の通したことのない俺の耳を初めて刺すんだ。お手柔らかに頼むね」
「努力はしてみるわ」
世間の流行で耳飾りを着ける文化は知っていたが表向きに聖職者を語る自分が耳に針を通す日が来るとは思っても見なかったが、いざ開けてみるとシルティナの吐息が間近に聞こえて痛みなど感じる暇もなかった。
「はい。できたわ」
金の比重が左耳だけに乗り慣れるまで少し掛かりそうだが、特段派手でもなく神官服にも違和感のない装飾に十分気に入っている。
「あぁ、そうだ。もう一つオルカに頼みたいことがあったの」
何も今思い出したかのようにふと頬を緩めたシルティナはどうせ断れないと言わんばかりに一方的な言葉を続ける。
「もしグラニッツ公爵令嬢に出会う機会があれば彼女の着けている指輪を壊してほしいのよ」
「…どうして?」
「一応聖遺物なんだけど、前にオークションに行きたいと言ったことがあるでしょ? そのときに目を付けていたモノだったんだけど、私が手に入れ損なったモノを誰か他人の手に渡るのは気分が悪いの。このイヤリングを見つけた時丁度思い出したから、あくまでついででいいわ」
ついで、と言う割には本心が半分と言ったところか。とにかく物に執着するような人間じゃないシルティナがこんなことを言い出した訳を調べないわけにはいかない。
確かに数年前オークションに行きたいと言ったことがあったが、些細な悪戯心が煽ったあれをまだ根に持っているのか。
まぁ自分自身シルティナが一度でも望み手に渡る予定だった物が他人の手の中にあるというのは随分不快なものなので好都合ではあるが…。
「ふぅん……、分かった。シルティナがそれを望むなら、いいよ」
「ほんと? ありがとう。大好きオルカ」
ふわりと花が綻ぶように微笑み、僕の目元に口づけを落とすシルティナ。以前であれば考えられないような行動の数々が、その裏の思惑を事付けていた。
それでも追求する気になれないのは、その行為に怪訝さえ抱いているものの不思議と不快感を覚えないのはその手管の上手さゆえだろうか。
何かを企んでいるのは明らかなのに、自ら踊らされるのを良しとしている。自分の行動が思考に反映していないのだから滑稽ものだ。
嘘でもシルティナが自らに微笑みかけてくれるなら、優しく愛を紡いでくれるのならそれはそれで構わない。いずれ終わりのある嘘だと分かっていても、そう思ってしまうのだ…。
#####
何度目かの皇女との偶然の出会いを果たした後、日時を指定した手紙を送った。予めグラニッツ公爵令嬢の予定を把握した上で、これまた偶然の出会いを招くためだ。
最初は偶然が続くと一喜一憂していた皇女も慣れたのか今ではそんな異常な偶然に対してなんの疑問も抱いていないのだから操りやすくて此方としては助かることこの上ない。
どうせ意思を持ったところで役に立たない愚物ならいっそのこと完璧に操ることのできる人形のほうがまだマシだ。
皇都の中心街で時間になるまで適当に歩き回り、あたかも偶然休憩できるカフェに入ったようにすれば報告書で見た貴族令嬢の姿が見えた。
「あれ…? エディスっ?!」
「エルネ?! どうしてここに…、ってその人は」
「ぁ、えっと…。前に話した、ロンなの」
「ルナ、この方は…?」
「ぇっと、ロンはちょっと待っててください!」
何やらグラニッツ令嬢を連れて奥まで行った皇女。おそらく名前を伏せる様にと念を押しているのだろうか。全て知っている身としては面倒くさいことこの上ないな。
少し経って二人で戻ってきて、取り敢えず三人で席につくことになった。一応設定上はお互い顔も知らない同士なのだから間に挟まれた皇女はどうしていいのか焦っているようだ。
しかし突如としていたたまれなくなったのか席をガタッと立つ。
「あ、私注文してきますねっ。エディスとロンは此処で少し待っていてください」
グラニッツ令嬢が静止するものの足早に行ってしまった皇女を護衛が追いかける。一方此方は初対面の気まずさという空気はなく、一方的な警戒心を抱かれているのか。
それに、この既視感は何だ。グラニッツ令嬢から感じる、いつの日か感じ取ったことのある感覚。しかしそれを認めるのはどうにも癪だった。
店は繁盛しているのか皇女が戻るまで後十分以上は余裕があるだろう。どう本題を切り上げるか考えを巡らせていたが、この状況で先に口を開いたのはグラニッツ令嬢の方だった。
「それで、正体を隠してまでルナに近づく目的は何? オルカ・フィー・アデスタント」
「…おかしいですね。実に不思議です。私は貴方との面識は今日が初めてのはずだと記憶しているのですが」
正体が割れているのは想定内だったが、突如としてフルネームを呼ばれるのは気分が悪い。敬語もなく、ひたすらに此方への警戒と威嚇を向けている。
「質問に答えて」
「特に意味はありません。時が来たらいずれは名を明かすつもりでした」
淡々とした受け答え。嘘を織り交ぜずともこの程度の話術はできる。見たところ実践経験が低いのか、考えがすぐに表情に出ている所がまだまだ甘い。
「そうまでしてルナに近づいた理由は?」
「なぜそれを貴方に教えなければならないのでしょうか」
「私は彼女の友達だからよ。もしルナを不幸にするようなら、絶対に許さないわ」
一見固く決して折れないように見える意思も、その中身が意外と軽いことを令嬢には分からないのだろうか。端から見ればそれは高潔な最上級の『友愛』だろう。
だがそれも命を賭ける程ではない。令嬢は目の前に座る人間が自分を殺すと本気で考えはしないのか。まるで羽虫が殺してほしそうにわざわざ目の前を飛んでいるぐらいにしか映らない。
シルティナの頼みでなければこんな女と話を交える必要もなかったというのに、一体いつまでこの茶番を続けるのか。
「貴方の本性は知ってるわ。自分の欲を第一にする徹底した効率主義の人間。だから気になるのよ。貴方がそんな回りくどい方法を取る理由が…」
思っていた以上に自分のことを知る令嬢に、気色の悪さしか感じない。まるで自分が正しいと気取った様に、全てを知った気でいる愚鈍さ。
そもそもこうして上から言われる物言いには昔から殺したくなる。最近はシルティナのせいで我慢することが増えたが、前はよく死体の後処理に追われていたものだ。
しかし令嬢の言うことも一理ある。皇女に限った話ではなく、シルティナを欲するばかりに自分らしくない行動を取る奇怪さに、だ。
「…さぁ。私にも私の行動がよく分かりません。ただ素直になればいいだけなのに、なぜこうも遠回りしているのか」
「本気なのね…?」
「…私はずっと、本気ですよ。偽りなど誓ってありません」
解釈はどうであろうと構わない。例え令嬢が全くの勘違いをしていたとして、『誰を』とまでは言っていないのだから。
「あぁ、そうだ。私の正体を知っているのならば話は早いのですが、令嬢がつけている指輪を少し拝借させてもらっても宜しいでしょうか?」
「ごめんなさい、この指輪は婚約者から貰ったものだから」
「その指輪が聖遺物だったとしても、ですか?」
「知って、いたの…?」
「ある方から偶然聞いたのです。数百年前に盗難にあった聖遺物の指輪に似た指輪を令嬢がつけている、と。その情報の正確性を確かめるために、どうぞご協力願えますか?」
ぐっ…と押し黙った令嬢。この反応だと聖遺物だと言うのは知っていたようだが、今ここで糾弾する気はない。今日はあくまで指輪の破壊が目的だ。
「聖遺物は全て教会の管理化におかれると帝国も承認しています。そんな指輪が失われた。その重要性を帝国の公爵令嬢たる貴方が分からないはずがないでしょう。それともまさか、調べられて困ることでも…?」
「………いえ、どうぞ」
様々な策を巡らしたようだが、結局は指輪を渡した令嬢。その顔には焦りと不安が溢れている。こんな簡単に相手へ弱みを晒すような体たらくな人間が帝国の若き天才とは世も末だ。
指輪を調べる振りをしてその実指輪の容量を超える密度の神力を送り込む。そうすれば外傷も与えずに中身の機能だけを破壊することができるはずだ。
初めての試みと言えどある程度確実性はあったのでやはり問題なく指輪の破壊に成功した。
一応調べが済んだと言うように指輪を返し、聖遺物ではなかったと改めて謝罪する。令嬢の手に戻ったそれはもはや聖遺物ではないため、今後疑われることがあろうと問題はないだろう。
「貴重なお時間をありがとうございました。この件についての謝罪はまたいずれの機会にさせてください」
「ぇ…? あ、…はい。分かり、ました」
「敬語になっていますよ。どうぞ、先程のように気兼ねなくオルカとでもお呼びください」
「…分かったわ。オルカ大神官」
まだ怪訝(けげん)な視線を向ける令嬢だが、その影で皇女が聞き耳を立てているのは最初から気づいていた。こうすれば嫉妬でも何でもしてより依存気質になるだろう。
令嬢の言った通り、手っ取り早く効率的に。早くシルティナの腕の中に戻れるよう、手段を選ぶつもりなどさらさらないのだから…。
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