龍神様の神使

石動なつめ

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13 認識

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 氷月の屋敷に戻ると、雪花は立待から怪我の手当てを受けていた。
 首を絞められた痕以外にも、地面へ倒れた時に出来た擦り傷が少し出来ていたのだ。放っておいても大丈夫そうだが、立待から「駄目です」ときっぱり言われてしまったので、大人しく手当てをしてもらっている。
 その間にお互いの状況のすり合わせも行われていた。
 子ぎつねの妖を放っておけなかった事、忌み子の自分ならば殺されはしないだろうと考えた事。それらの事情を包み隠さず話すと、立待が少し怒ったように息を吐いた。

「……なるほど。大体の事情は分かりました。ですが軽率でしたね」
「申し訳ありません……」

 今思えば確かに軽率ではあったと雪花も思う。なので肩を落としていると、

「そう怒るな、立待。雪花が間に入らないと、あの妖のチビは危なかったと思うぞ」

 と氷月が言った。

「分かっております。ですが、それはそれ、これはこれです。氷月様が怒らないので怒っているのです」
「雪花が危ないと言って、俺よりも先に血相を変えて飛び出した癖に~」
「うっ」

 立待は言葉に詰まって動きを止めた。氷月がにやにやしながら立待を見ている。

「立待様……」
「…………ええ、そうですよ。心配でしたとも」

 立待は少し赤い顔でしばらく唸っていたが、やがて観念したようにそう言った。
 それから彼は雪花の顔に手をそっと当てて、

「あのような事をされて……さぞ辛かったでしょう」

 と悲痛な顔になった。本当にこの方は、心から自分の事を心配してくれているのだと伝わって来て、雪花は胸がきゅっとなる。
 こんなに心配をしてもらった事は、これまでの雪花の人生ではなかった。申し訳なさ以上に嬉しさで胸がいっぱいになって、雪花は「ありがとうございます」と微笑む。

「怒っていると言うか、甘やかしていると言うか」
「何か?」
「いーや、何でも。だが、無事で良かった。本当に大丈夫なんだな?」
「はい。氷月様と立待様が来てくださったから」
「そうか」

 氷月もそう言うと雪花の頭をぐりぐりと撫でる。どうもこの主従は、雪花を褒めたり何かしたりする時に、頭を撫でる癖があるようだ。自分も子供の括りなのだろうなぁと雪花は思っていると、ふと、あの男が言った言葉が頭の中に蘇った。

「あの、氷月様、立待様。質問をさせていただいても良いでしょうか?」
「ん? 何だ?」
「喜んでいただける抱かれ方って、あるのですか?」

 その瞬間、氷月と立待が盛大に咽た。

「げほげほ! お、お前、何を言い出して……」
「せ、雪花……?」
「いえ、あの。先ほどの人が言っていたのですが分からなくて……。それがもしお二人に喜んでいただける事なら学びたいなと」

 雪花は真面目な顔でそう言った。あの男が何を言っているのか雪花には分からなかった。けれども、もしそれが本当に氷月や立待を喜ばせる事であるならば知りたいと思ったのである。
 ――ただ、この辺りだいぶ、雪花と雪花以外の認識に乖離が生じているが。

「いや、まぁ、喜ぶと言うか……」
「先ほどのように、いつも抱き上げて運んでいただいておりますし。喜んでいただけるような抱かれ方があるのなら実践したいな、と……」
「ん?」
「え?」

 雪花の言葉に、氷月と立待が軽く首を傾げる。その反応を見て、雪花も「あれ?」と首を傾げた。

「……あ、あの。何か違う事を言ってしまったでしょうか?」
「…………」
「…………」

 恐る恐る聞く雪花に、ようやく先ほどの言葉の意味と意図を理解したらしい氷月と立待は、片手で顔を覆った。
 
「……ああ、そうだった。こいつ、屋敷に閉じ込められていたんだっけな。そりゃ分からんか。むしろよく手を出されなかったと言うべきか……」
「そうですね、氷月様。……その辺りの知識が雪花にないのは当然でしたか。失念しておりました」

 二人は何とも言えない顔になりながら、そんな話をしている。その様子を見ればさすがに雪花も、自分の発言がおかしい事は分かる。
 恩返しのつもりで言ったが、何やら動揺させるくらい微妙な内容だったらしく、雪花はあわあわと慌てた。

「申し訳ありません、あの、困らせるつもりはなかったのです」
「あ~、いや、まぁ俺達としては困りはせんのだけど。ちょっと際どい話題だったからな……」
「際どい……」
「……まぁ、その内落ち着いたら教えてやるよ。立待が」
「わ、私に振らないでください!」
「いや、だってさぁ……俺から言うのはちょっと……」
「こういう時だけ控えめにならないでくださいよ……」

 ごにょごにょと氷月と立待は何とも気まずそうに話している。
 ……この話題はもしかしたら、これからあまり触れない方が良いのかもしれない。とりあえず氷月か立待のどちらかがその内教えてくれるとの事なので、それまでは黙っていようと雪花は思った。



 ◇



 その日の晩。
 雪花が眠った後、立待は氷月に呼ばれ今日の出来事について話をしていた。

「――紫鬼の匂いですか?」
「ああ、そうだ。あの男から微かに感じた」

 氷月の言葉に立待は軽く目を見開いた。
 紫鬼と言うのは妖――その中でもとりわけ力の強い鬼人の名前だ。黒髪に紫色の瞳をした大柄な男で、昔から氷月に執着しては、あの手のこの手で負かそうと仕掛けてきていた。
 性格は粗暴で狡猾、快楽主義。とにかく何かにつけて相手を捻じ伏せようとして、これまでに立待もだいぶ痛い目に合わされてきた。

(あの鬼が、雪花に興味を示した……?)

 そう考えて、いや、違うなと立待は頭に浮かんだ考えを消す。
 紫鬼が執着しているのは氷月だ。雪花の事は多少の情報は入っているかもしれないが立待が知っている限りでは、雪花は紫鬼の好み・・ではない。紫鬼は噛み付けば噛み付き返すくらい、気が強く力も強い相手を好むのだ。その点からすると雪花はあの鬼の好みには程遠い。

(雪花は穏やかで大人しくて、受け身なところがありますから。もう少し自己主張をするようになっても良いとは思いますが……ああ、いえ。ま、まぁ、そんな所も私は好きですが)

 心の中でそんな事を思いつつ。
 だがしかし、それにしてはやはり少々妙である。

「あの人間に何かしらの術を掛けて、妖の子を捕まえさせた……まででしたら、わりといつも通りの事なのですが」
「そうだな。問題はあの男を雪花に襲い掛った事だ」

 雪花の容姿は女性とも見紛うほど、中性的で愛らしい容姿をしている。しかしだからと言って、あの状況で雪割村の人間が、忌み子と疎んでいる相手に劣情を抱くのは少々唐突過ぎる。

「氷月様へ捧げた生贄に、無体を働く理由がありません。気に入られていると思ったならばなおの事です」

 自分達が崇めている龍神が気に入っているのではと考えたのならば、それに手を出す事の愚かさに考えが及ばないのは不可解である。
 だからあの男の行動は紫鬼が、精神に作用する何かしらの術を掛けた事が原因だと考えて良いだろう。あの人間の理性や思考を弱くして、件の行為に及ばせたのだ。
 怯えた雪花の表情を思い出して、立待の胸に怒りの感情が沸き上がって来る。
 よくもあんな事をと思いつつ、それでも思考は冷静にこれまでの経験から紫鬼の意図を辿る。

「……雪花が私達の弱点になるかどうかを試した、でしょうか?」

 そうして考えて出て来た結論がこれだった。
 紫鬼にとって雪花は未知の要素だ。自分達にとって雪花はどういう存在なのか、どう扱えば自分の望む結果を導き出せるか。
 新しい玩具・・になりうるかどうかの実験をしたのではないだろうか。
 立待がそう言うと、氷月は軽く頷く。

「やはりそこか。……あいつは本当に面倒くさいな」

 氷月は嫌そうに顔を顰めて、手で後頭部をがしがしとかく。
 とにかく紫鬼という男は、氷月を困らせる事や嫌がる事をするのが大好きなのだ。そして氷月を挑発して自分自身へ怒りを向けさせる。強い感情を向けられるのがたまらなく興奮する、なんて事を口走っていたなと立待は思い出した。

「本当に厄介な相手に好かれましたね、氷月様」
「嬉しくないねぇ。好かれるなら雪花の方が何倍も良い」
「比べ物にならないですよ、それは」
「そりゃそうか」

 そう言って、ハァ、と氷月はため息を吐く。

「立待。しばらく雪花から離れるな。近い内にあいつは必ず手を出して来るはずだ」
「承知しました」

 氷月の命令に立待は胸に手を当てて応える。もちろん元よりそのつもりではいたが。

(本当はそんな事など起こらない方が良いのですが……)

 まぁ、無理だろう。そんな事を思いながら立待は空を見上げる。夜空に浮かぶ月には少し雲がかかっていた。
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