押しかけ淫魔とサラリーマン

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第1章

第13話

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 ここ数日でぐっと気温が下がり、街を歩く人々の服装も冬めいてきた。
 こんな日は鍋が食べたくなる。ちょうどそんなことを考えていると、ゼノから「今日は鍋!」というメッセージが届いて、亮介はいつもなら使わないテンション高めのスタンプを送信した。
 水炊きだろうか。寄せ鍋やキムチ鍋もいい。そんなことを考えながら意気揚々と足を踏み入れた自宅のリビングには、目を疑うような光景が広がっていた。

「ゼノが帰ってきてくれないもんだから、俺はもう寂しくて寂しくて……!」
「それで、お兄さんは家出したゼノさんを追いかけてきたんですね!」
「別に家出ってわけじゃねーし」

 彩乃とゼノ、そしてなぜかザベルの三人がテーブルを囲んで語り合っている。

「……どういう状況だ、これは」

 玄関のドアを開けた時点でやけに賑やかだとは思っていたが、まさかの顔ぶれに思考が停止してしまった。

「亮介! お疲れ様♡」
「あ、お兄ちゃん。おかえりー」
「ただいま……。お前はまた来てたのか」

 彩乃は最近こうして頻繁に亮介の家へやってきては、ゼノと仲睦まじげに喋っている。
 ゼノが淫魔であることや二人が交際していることは伏せてあるのだが、同居していることは伝えても問題ないだろうと亮介から説明したのだ。

「だってゼノさんが呼んでくれたんだもーん。ね、ゼノさん!」
「おう! だって鍋は人数多いほうが楽しいだろ?」

 それ以降、波長が合うのかやたらと仲良くなった二人はいつの間にか連絡先まで交換しており、亮介は謎の疎外感を感じている。

「それは構わんが……」

 そこまで言ってからゼノの耳元に顔を近付け、肩を竦めながらなるべく小さな声で問いかけた。

「なんでお兄さんも一緒なんだ」

 先日の対面で一旦は解決したものだと思っていただけに戸惑いを隠せない。
 すると亮介につられるようにして肩を竦めたゼノが、同じく小声でこっそりと答えた。

「知らねーよ! メシの準備してたらいきなり来たんだって」

 二人でひそひそと話す様子を不審に思ったらしいザベルが、すかさず「内緒話禁止! 兄ちゃんにも聞かせなさい」と割り込んでくる。

「てか兄ちゃん、こんなしょっちゅうオレんとこ来てて仕事は大丈夫なのかよ? また部下の奴らに怒られんじゃねーの?」

 隙あらばまとわりついてくるザベルを押し退けながらゼノが問いかけると、ザベルはあっけらかんと答えた。

「仕事? あー、平気平気! 居場所バレないようにしてあるから」
「ダメじゃねーか。あんま困らせてやるなよ……」
「だって寂しいんだもん! ゼノがいなきゃ兄ちゃんお仕事頑張れなーい」

 わざとらしくむくれてみせるザベルを、ゼノは「可愛くねーからやめろ」と一蹴する。
 珍しく厳しい態度のゼノを見ることができるという点では、ザベルの訪問もたまには悪くないかもしれない。

「お兄さんってば、本当にゼノさんのことが可愛くて仕方ないんですね! 兄弟愛、尊い……!」

 ゼノと亮介の関係を知らない彩乃は呑気に萌えているが、悠々自適な同棲生活が脅かされている二人は勘弁してくれという気持ちでいっぱいだ。

「ああ、しかもだ。ゼノの魅力は可愛さだけに留まらない!」
「あっ、それ分かります! ゼノさんって天真爛漫なのになんか色気があるし、料理上手なのもギャップ萌えっていうか……!」

 ザベルの言葉にすかさず反応した彩乃が、早口で興奮気味に身を乗り出す。

「そう、そうなんだよ! いやあ、兄と違って彩乃ちゃんは話が分かるな~」
「恐縮です! 乾杯しましょう、お兄さん!」
「それ俺のビールなんだが……」

 こうして始まった四人の騒がしい晩餐は、夜が更けるまで続いたのだった。

「それじゃあね、お兄ちゃん。ゼノさんも!」

 彩乃が玄関で手を振る。
 もう時間も遅いため、最寄り駅まではザベルが彩乃を送り届けてくれることになった。

「ああ、気を付けてな」
「また来いよ!」
「また来るよ、ゼノ~♡」

 上機嫌なザベルが、嫌がるゼノの頬にキスをする。

「兄ちゃんには言ってねーし! てか酒くせっ」

 ゼノはなかなか離れようとしないザベルの背中をぐいぐいと押して、半ば追い出すように見送ったのだった。

「はあ~。兄ちゃんのせいで疲れちまった」

 ため息をつきながら亮介を抱きしめたゼノが、亮介の頭に顎を乗せる。

「お疲れ様。お兄さんの気持ちも分かるんだがな……」

 ザベルは相当実力のある悪魔のようだし、その気になれば無理矢理に二人の仲を引き裂くこともそう難しくはないはずだ。
 にもかかわらずそれをしないということは、ザベルなりに「亮介と暮らしたい」というゼノの希望を尊重しようと頑張っているのだろう。
 その努力が伝わる分邪険に扱う気にはならないが、イチャつきたい盛りの二人にとってはやはり少し窮屈だった。
 

 翌日の朝。
 枕元に置いたゼノのスマホが電話の着信を知らせる。

「うお、めずらし」
「誰だ?」
「ほら」

 眠い目を擦りながら手探りで眼鏡をかけると、ゼノがこちらへ向けたスマホの画面には「フィオローザ」と表示されていた。たしかに珍しい。
 自慢話か健太のことでしか連絡を寄越さないフィオローザのことだ。今回の用件もそのどちらかだろう。

「はよー。どうしたんだ?」
『っ、健太が……!』

 しかし電話口から漏れ出したフィオローザの声は妙に切羽詰まっていて、ただごとではない雰囲気に二人で顔を見合せる。

「落ち着け。健太に何かあったのか?」

 フィオローザの話を聞いたところ、どうやら健太が風邪をひいてしまったらしい。おおかた最近の寒暖差にやられたのだろう。
 幸い症状はそれほど重くなく、本人も「大したことないから心配しないで」と言っているようだった。

「なるほどな。まあそれくらいならしっかり飯を食って寝れば……」
『そんなことは分かっている! だから私も食事を用意して健太に食べさせたんだ』

 フィオローザが亮介の言葉に被せてガミガミと怒鳴る。

『すべて平らげたので食欲はあるんだと安心していたが、それから急に健太の顔色が悪くなってきて……』
「はあ⁉ 全部食った⁉」

 フィオローザがそこまで言った瞬間、ゼノが信じられないといった顔で話を遮る。

『ああ。うまいと言ってな』
「お前のメシを⁉」
『だからそうだと言っているだろう』

 大袈裟に反応するゼノにフィオローザが苛ついた声で答える。

「そんなに驚くことか? あいつはけっこう食うほうだぞ」

 健太は元々よく食べる。多少体調が悪いくらいなら、出された料理を完食してもそれほどおかしくはないだろう。
 亮介がそう言うと、ゼノはまるで余命宣告をする医者のように思い詰めた表情で首を横に振った。

「こいつめちゃくちゃ料理音痴なんだよ。それも殺人級の……」

 ゼノいわく、その不味さはまさに悪魔的。
 一口食べれば強烈な吐き気が、二口食べれば原因不明の体調不良が襲いかかるらしい。いわんや完食をやというわけである。
 優しい健太のことだ。きっとフィオローザを傷つけまいと笑顔で平らげたのだろう。

「ちなみに昔オレが食った時は半日寝込んだぜ」
『や、やはり私のせいなのか……?』

 そんな食物兵器を作り出した張本人はというと、ゼノの話を聞いてすっかり落ち込んでしまったらしく、電話口から聞こえる声は今までにないほど弱々しかった。

「あー、お前今どこにいんの?」

 ゼノがたずねると、フィオローザは最寄りの薬局の名前を答えた。
 とにかく何か薬を飲ませなければと家を飛び出してきたはいいが、人間の薬のことがよく分からず途方に暮れてしまい、仕方なくゼノに電話をかけてきたというわけである。

『貴様らを頼るのは癪だが、その……』

 フィオローザは数秒沈黙したあと、絞り出すように言った。

『……助けてくれないか』
「ったく、しゃーねーなあ。なんとかしてやるよ。亮介が」
「なんで俺が」

 ゼノが「だってオレも詳しくねーもん」と唇を尖らせる。

「食あたり、なのかどうかはよく分からんが……。とにかく水を飲ませるのがいいだろうな」

 家にある食材だけでなぜそんな劇物のような料理が出来上がってしまうのか甚だ疑問ではあるが、フィオローザの料理が体調不良の原因なのであれば、一刻も早くそれを体内から排出する必要があるだろう。

「薬なら胃薬とか?」
「そうだな。あとは整腸剤あたりを飲ませておけばひとまず大丈夫なんじゃないか? お前の料理に人間界の薬が太刀打ちできるかは分からんが……」
『水と胃薬と整腸剤だな。ああ、それならついでにあの薬とこの薬も……』

 言いながらフィオローザがごそごそと棚を漁る音が電話越しに聞こえてくる。

「ストップ、ストップ」
『む、なぜ止める?』
「人間の薬には飲み合わせとか色々あるんだ。なんでもかんでも足せばいいってもんじゃない」

 この調子だと健太に食べさせた料理にも色々と余計なものを入れていそうだ。

「そうだ、ゼノ。お前が料理を教えてやればいいんじゃないか?」
「オレが?」

 我ながら名案をひらめいたかもしれない。
 本人は嫌がるだろうが、フィオローザの料理の腕が上がれば健太のためにもなるはずだ。

「お前の作る料理はうまいし、手際もいいだろう。それにこのままじゃいつか健太が死にかねん」
「た、たしかに……」
『なっ、私が貴様に教えを請うなど……!』

 案の定難色を示したフィオローザだったが、今回のことがあっただけに否定しきれないのだろう。プライドとの狭間で葛藤している。

「お前が料理できたら健太も喜ぶんじゃね? また今日みたいになっちまったら悲しいじゃん」
『……そうだな。健太のためなら……』
「よっし、そんじゃ明日さっそく練習するぞ!」
『分かった。それと、このことは健太には……』
「お、内緒にすんのか? びっくりさせてえもんなー!」
「いいじゃないか。披露するのが楽しみだな」

 あのフィオローザが自分のために何かを頑張ったとなれば、健太はきっと泣いて喜ぶだろう。それから褒めちぎって、でろでろに甘やかすに違いない。

『ああ。その……』

 何やら言いにくそうにフィオローザが口ごもる。

「ん? どした?」

 ゼノが続きを促すと、フィオローザは気を抜けばうっかり聞き逃してしまいそうなほど小さな声でこう言った。

『……ありがとう』
「えっ」

 小さいけれど、確かに聞こえた感謝の言葉に亮介たちが唖然としているうちに、電話は逃げるように切られてしまった。

「あいつが礼を言うなんて……」

 亮介が感心すると、隣でぽかんと口を開けていたゼノが「オレの幻聴かと思った」と呟く。

「あんなの昔じゃありえなかったぜ」

 どうやら、健太と出会ってフィオローザは随分と丸くなったようだ。

「健太さまさまだな」
「オレ逆に健太が怖ぇよ」

 しばらくして健太から送られてきた「お騒がせしました」というメッセージには、回復したらしい健太に涙目で抱きつくフィオローザの写真が添えられていて、亮介とゼノは笑いながら胸を撫で下ろしたのだった。
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