妹ばかり可愛がられた伯爵令嬢、妹の身代わりにされ残虐非道な冷血公爵の嫁となる

村咲

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エピローグ

トゥルーエンド(7) ※公爵視点

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 叫び声も枯れ果て、がくりと力を失くした伯爵を、ヴォルフは冷たく見下ろした。
 伯爵の目には、もうヴォルフの姿も見えていないらしい。
 ひたすら虚ろな目を地面に向け、ぶつぶつ恐怖を呟き続けている。

「シメオン、伯爵を別邸で落ち着かせてやれ」

 反応のない伯爵を無感情に見据えたまま、ヴォルフはシメオンにそう命じた。

「このまま発狂されたらかなわん。しばらくはゆっくり休んでもらう」

 なにせ伯爵には、これからアネッサの身代わりになってもらうのだ。
 アネッサ一人では受け止めきれない魔族の欲望を受け、苦しみ、傷ついてもらうからには、簡単に壊すわけにはいかない。
 狂いそうになれば手を止めるし、死にそうになれば治療もする。
 絶望してすべてを諦めることのないように、常にかすかな希望も用意するつもりだ。

 ――大切にしてやるさ。

 狂うことも、死ぬことも、逃げることも許さない。
 哀れな獲物を見つめたまま、彼はゆるりと目を細めた。


「……伯爵をお連れするのは承知いたしましたが」

 そんなヴォルフの横顔を見つめていたシメオンが、ふと思い出したように言った。

「そうなると、魔族の方はいかがいたしますか?」
「魔族?」

 思いがけない単語に、ヴォルフは眉をひそめた。
 すっかり忘れていたが、たしかにそんなものもいた気がする。
 領主として行方を追う手配こそはしたものの、森にいなかったと報告を受けてからは完全に意識の外だった。
 どうせもう、領内にいないと予想ができていたからだ。

 なぜなら――。

「魔族の性質上、アネッサ様のご家族を狙うことになるかと思いますが」

 魔族は血に執着する。
 アネッサを得られなかった魔族は、それに近しい血筋を探すはずだ。

 真っ先に狙うのは、近くにいた伯爵かアーシャのどちらかだ。
 だけど、アーシャはヴォルフの気配の濃い屋敷内におり、伯爵もまたヴォルフの魔法に囚われていた。
 あの程度の魔族では、二人に手を出そうなど、思いもしなかったに違いない。

 そうなると、狙うのはリヴィエール伯爵領に残った家族になる。
 おそらく魔族は、血の気配を辿って伯爵領に向かっている最中だろう。
 だからこそ、どうせ見つかるまいと無理に探そうとも思っていなかったのだ。

 だが、とヴォルフは考える。

 ――アネッサの家族。

「……母親と、弟だったか」

 父方の祖父母はすでに亡くなっており、叔父というのも未婚のまま戦死していたはずだ。
 あとは遠縁ばかりで、そこまでさかのぼるくらいなら、魔族も別の相手を探すだろう。

 ――アネッサの……血縁。

 母方にも彼女の親族はいるが――あまり関心が持てない。
 彼女の甘い血の香りは、どうみても父親譲りだ。
 だけど、その血を継ぐ人間は少ない。
 アネッサを除けば、アーシャとその弟のみで――。

「…………シメオン、アネッサの弟を守ってやれ」
「は……?」
「これを置いたら、すぐに伯爵領へ行け。魔族が見つけるより先に保護しろ」

 これ、と言いつつ、ヴォルフもシメオンも震える伯爵を見もしない。
 シメオンはヴォルフを見つめたまま、意外そうな顔をした。

「弟君を、ですか。それはまた……どうして」

 相手はアネッサの家族とはいえ、見ず知らずの相手だ。
 おまけにアネッサが家族と仲が悪いことを知っている。
 いくらヴォルフが人間らしく生きると決めたからと言って、シメオンを派遣してまで守ってやる義理はない。
 むしろ他領への干渉になるので、『普通の人間』なら控えるはずだ。

 だが――。

「どうして?」

 そう言いながら、ヴォルフの口元が緩い弧を描く。
 顔に浮かぶ微笑は冷たく、無機質で、人間離れしたおぞましさがあった。

 その表情のまま彼が告げるのは、実に残忍で、無情で――魔族らしい理由。

「アネッサの血筋を絶やすわけにはいかないだろう?」

 血に執着するのは、ヴォルフも同じこと。
 だからこそ、父である伯爵に目を付けたのだ。

 だが、伯爵は確実にアネッサよりも先に死ぬ。
 伯爵を失ったあと――ヴォルフの欲望は、どこに向かうだろうか?

「……新しく人を呼ばないのではなかったのですか?」
「念のためだ、念のため」

 呆れたようなシメオンの声に、ヴォルフは笑いながら肩を竦める。

 これでもヴォルフは、本気で魔族の欲望を抑えつもりでいるのだ。
 捕まえた伯爵も、できれば最終手段として、あまり役立てたいとは思っていない。
 だけどそれでも、万が一――どうしてもこの衝動が抑えきれなくなったとき、ヴォルフはどんな手段を取ってでもアネッサだけは守り抜く。
 これはそのための、いわば保険のようなものだ。

「念のためだが――――」

 ヴォルフの笑みが深まる。
 シメオンさえも思わず息を呑む表情に、彼自身気付いていない。

 考えるのは、リヴィエール伯爵家の現状だ。
 父親は罪人となり失踪。
 姉二人は家を離れた。
 残された母は、生活能力がなく浪費癖があると聞いている。

 親戚は遠縁ばかりで、付き合いのあった他の貴族家も、伯爵の態度からどんどん離れていった。
 そうでなくとも、罪人を輩出した家柄だ。
 今後、関わりを持とうと思う人間など現れないだろう。

 十歳の弟は、このままだと孤立したまま家ごと潰れることになる。

 ――それは、つまり。

「……後見人の座が空いているな?」

 通常は親類から出るべき後見人も、今の伯爵家ではやりたがる人間などいない。
 誰も、共倒れなどしたくはないのだ。

 だが、ヴォルフなら――王家の血を引く公爵家だ。
 簡単に倒れはしない。というよりも、公爵家が倒れるときは国が倒れるときに他ならない。

 ヴォルフを生み出した王家は、彼がどれほど危険かを理解している。
 だからこそヴォルフのしていることを知りつつも、見逃し続けてきたのだ。
 アネッサは不安な様子だったが――ヴォルフとしては、今さら罪の告白をしたところで、たいした沙汰は下らないとわかっていた。
 せいぜい謹慎か、いくらか金銭の支払いをさせられるかというところだ。

 当然、罪人を輩出した家に関わっても、いかに外聞が悪かろうが国が守り続けてくれる。

 それに今なら、妻の弟という大義名分もある。
 違和感なく、伯爵家の後ろ盾に収まることができるはずだ。

「成人して立派な当主になれるよう、俺が後見人になって支援してやろう。―――ああ、結婚して子を成すまで、きっちり面倒を見てやるさ」
「ヴォルフ様……」

 ほう、とシメオンがため息を吐く。
 見惚れるようにヴォルフを映して目を細め、彼は恭しく一礼した。

「ええ、ええ、ヴォルフ様。承知いたしました。仰せの通りにいたしましょう。弟君をお守りし、後見人の手配を進めます。それから――母君の方はいかがしますか?」

「母親?」

 シメオンの言葉に、ヴォルフはくっと喉を鳴らした。
 聞かずとも、答えなどわかっているだろうに。

「そんなもの――――いらないだろう?」

 底冷えのする瞳には、哀れみも愉悦すらもなく。
 ただただ路傍の石を踏むように、ヴォルフは一人の女を切り捨てた。
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