婚約破棄を乗り越えて、男爵令嬢は幸せを掴む

夢見楽土

文字の大きさ
1 / 6

1 貴族の義務

しおりを挟む
「エマ、ごめん。君とは結婚できない……」

 エマがアルベルトから婚約?を破棄されたのは、今から5年前。エマが13歳の時だった。

 エマは、帝国東部に小さな領地を有する男爵の長女。アルベルトは、皇帝の側近である宮中伯の長男。エマより1歳年上だった。

 アルベルトは、普段は帝都に住んでいたが、毎年夏の間、避暑のため帝国東部の別荘に滞在していた。その別荘が男爵家の館に近かったこともあり、エマとアルベルトは、幼い頃から、夏の間、毎日のように一緒に遊んでいた。

 アルベルトは華奢で小柄。体が弱いようだったが、とても優しい性格の少年だった。帝都仕込みの洗練された服装に、儚げで輝くような笑顔……エマはアルベルトのことが大好きだった。

 アルベルトも、エマに好意を持ってくれていたようだった。

 エマが7歳の夏。秋が近づき、アルベルトが帝都へ帰る前の日の夕暮れ。別荘の庭園の片隅で、エマは、アルベルトから綺麗な草花で編んだ指輪を貰ったのだ。

 花の指輪をエマの左手の薬指にめながら、アルベルトが緊張した面持ちで言った。

「これあげる。エマ……僕は、君のことが好きだ! 大人になったら結婚しよう!」

「あ、ありがとう! アルベルト……」

 エマは嬉しさのあまり泣いてしまった。アルベルトは心配そうな顔でエマに近づき、ハンカチでエマの涙を拭ってくれた。

 エマもアルベルトも、お互いにいずれ結婚すると信じていた。毎年、夏に逢えるのを心待ちにしていた。2人ともまだ幼く、貴族社会における結婚とは何かが分かっていなかった。


 † † †


 エマが13歳になった年の夏。エマが別荘を訪ねたところ、アルベルトから結婚は出来ないことを告げられたのだった。

「僕には許嫁がいるらしい。まだ会ったこともないんだけど。この一年、お父様にエマと結婚したいって何度もお願いしたんだけど、ダメだった。すでに決まった相手と結婚することが、僕の貴族としての義務らしい……ごめん、エマ」

 アルベルトが悲しそうな顔でうつむいた。声変わりが始まったばかりのかすれたその声は、悔しさと悲しさに震えていた。

「……気にしないで、アルベルト。私はアルベルトから好きって言って貰えただけで十分!」

 エマは笑顔で言った。本当は泣きたかったが、アルベルトをこれ以上悲しませたくないという気持ちが勝った。

 エマは、涙を必死にこらえながら、アルベルトの手を取り、アルベルトの体調に気をつけながら、小さい頃のように別荘の庭園を駆け回った。2人で日が暮れるまで思いっきり遊んだ。

 翌年の夏、アルベルトは別荘に来なかった。許嫁のいる別の避暑地へ行くことになったということだった。その翌年も同じだった。

 そして、エマがアルベルトと最後に会ってから5年の月日が流れた。

 18歳となったエマは、今でもアルベルトのことを想い続けていたが、エマにも「貴族の義務」を果たすときがやってきた。

 その夏、エマは、親の意向に従い、帝国でも数少ない大貴族、公爵の嫡男と婚約することになったのだった。


 † † †


「やっぱり公爵家ってスゴイのね……」

「エマ、そんなにキョロキョロしない!」

 帝都にある公爵家の館の豪華な応接室。ドレス姿で椅子に座ったエマが、高級そうな調度品を見回していると、エマの母からたしなめられた。

「ほら、公爵閣下がいらっしゃったわよ」

 エマの母が椅子から立ち上がった。エマの父とエマも慌てて立ち上がる。

 応接室の重厚な扉が開き、公爵夫妻とその長男が入ってきた。

「お待たせしました。今日も暑いですな。どうぞお掛けください」

 でっぷり太った公爵が汗をハンカチで拭きながらエマたちに声を掛けた。一同は席に着いた。

 やたら厚化粧の公爵夫人が、扇で顔をあおぎながら笑顔で言った。

「気候は良い東部地方の皆様には、この暑さがこたえるのではないですか?」

「確かに暑いですが、公爵家の皆様にお会い出来るのであれば、これくらいどうってことありません」

 エマの父が卑屈な笑顔で答えた。公爵夫人が扇で口元を隠しながら笑った。

「ほほほ、まあ確かに。男爵家の皆様にとっては、今回の婚約話、またとない機会ですものね」

 公爵夫人が再び笑った。エマの父が笑顔で何度も頭を下げる。その様子を見ながら、エマは内心ため息をついた。

 エマの男爵家は、田舎である帝国東部でも特に弱小の貴族だ。男爵領はエマの弟が継ぐ予定だが、その経営基盤は貧弱。今後のことを考えると、援助者が必要だった。

 そこで、エマの両親が、男爵領を援助してくれそうなエマの嫁ぎ先を探し回っていたところ、ようやくこの公爵家との婚約話にまで漕ぎ着けたのだった。

 エマとしては、領地のための政略結婚は貴族の義務であり仕方ないし、立場上、男爵家が下手したてに出ざるを得ないことも分かっていたが、婚約者となる公爵家の嫡男、ルドルフを一瞥して、内心改めてため息をついた。

 ルドルフはエマより5歳年上。長身でガッシリとした体つき。あらゆる存在を見下しているかのような自信満々な表情。

 エマは、ルドルフと会うのは今日が初めてだったが、どうもその表情が好きになれなかった。アルベルトも大貴族の子息だったが、こんな表情は決してしなかった。もっと優しい、相手を慈しむような表情だった。

「具体的な婚約式の日取りなどはこれから我々で話すとして……ルドルフ、エマさんと散歩でもしてきてはどうかな?」

 公爵がハンカチで汗を拭きながらルドルフに声を掛けた。

 ルドルフが公爵夫妻とエマの両親に会釈すると立ち上がった。無言のまま応接室のドアへと向かう。

 エマも慌てて立ち上がり、ルドルフの後を追った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「無能な妻」と蔑まれた令嬢は、離婚後に隣国の王子に溺愛されました。

腐ったバナナ
恋愛
公爵令嬢アリアンナは、魔力を持たないという理由で、夫である侯爵エドガーから無能な妻と蔑まれる日々を送っていた。 魔力至上主義の貴族社会で価値を見いだされないことに絶望したアリアンナは、ついに離婚を決断。 多額の慰謝料と引き換えに、無能な妻という足枷を捨て、自由な平民として辺境へと旅立つ。

【完結】ひとつだけ、ご褒美いただけますか?――没落令嬢、氷の王子にお願いしたら溺愛されました。

猫屋敷 むぎ
恋愛
没落伯爵家の娘の私、ノエル・カスティーユにとっては少し眩しすぎる学院の舞踏会で―― 私の願いは一瞬にして踏みにじられました。 母が苦労して買ってくれた唯一の白いドレスは赤ワインに染められ、 婚約者ジルベールは私を見下ろしてこう言ったのです。 「君は、僕に恥をかかせたいのかい?」 まさか――あの優しい彼が? そんなはずはない。そう信じていた私に、現実は冷たく突きつけられました。 子爵令嬢カトリーヌの冷笑と取り巻きの嘲笑。 でも、私には、味方など誰もいませんでした。 ただ一人、“氷の王子”カスパル殿下だけが。 白いハンカチを差し出し――その瞬間、止まっていた時間が静かに動き出したのです。 「……ひとつだけ、ご褒美いただけますか?」 やがて、勇気を振り絞って願った、小さな言葉。 それは、水底に沈んでいた私の人生をすくい上げ、 冷たい王子の心をそっと溶かしていく――最初の奇跡でした。 没落令嬢ノエルと、孤独な氷の王子カスパル。 これは、そんなじれじれなふたりが“本当の幸せを掴むまで”のお話です。 ※全10話+番外編・約2.5万字の短編。一気読みもどうぞ ※わんこが繋ぐ恋物語です ※因果応報ざまぁ。最後は甘く、後味スッキリ

いつの間にかの王太子妃候補

しろねこ。
恋愛
婚約者のいる王太子に恋をしてしまった。 遠くから見つめるだけ――それだけで良かったのに。 王太子の従者から渡されたのは、彼とのやり取りを行うための通信石。 「エリック様があなたとの意見交換をしたいそうです。誤解なさらずに、これは成績上位者だけと渡されるものです。ですがこの事は内密に……」 話す内容は他国の情勢や文化についてなど勉強についてだ。 話せるだけで十分幸せだった。 それなのに、いつの間にか王太子妃候補に上がってる。 あれ? わたくしが王太子妃候補? 婚約者は? こちらで書かれているキャラは他作品でも出ています(*´ω`*) アナザーワールド的に見てもらえれば嬉しいです。 短編です、ハピエンです(強調) 小説家になろうさん、カクヨムさんでも投稿してます。

今日だけは、溺愛してくださいませ旦那様

五条葵
恋愛
 借金を背負ってしまった実家を救うため、爵位を買ったばかりの新興商人に嫁いだ男爵令嬢レベッカ。世間では『買われた花嫁』などと揶揄されているが、夫となった人は優しく、レベッカは幸せだった。  そんな彼女の悩みは夫が紳士的すぎること。そのせいで、社交界に不仲説が流れているのだ。  レベッカは噂を払拭するため、とある夜会で夫とことさらに仲の良い姿を見せつけることにするが……  勘違い夫婦の一夜限り? の溺愛の結末をご覧あれ。  「小説家になろう」にも投稿しています。

「地味で無能」と捨てられた令嬢は、冷酷な【年上イケオジ公爵】に嫁ぎました〜今更私の価値に気づいた元王太子が後悔で顔面蒼白になっても今更遅い

腐ったバナナ
恋愛
伯爵令嬢クラウディアは、婚約者のアルバート王太子と妹リリアンに「地味で無能」と断罪され、公衆の面前で婚約破棄される。 お飾りの厄介払いとして押し付けられた嫁ぎ先は、「氷壁公爵」と恐れられる年上の冷酷な辺境伯アレクシス・グレイヴナー公爵だった。 当初は冷徹だった公爵は、クラウディアの才能と、過去の傷を癒やす温もりに触れ、その愛を「二度と失わない」と固く誓う。 彼の愛は、包容力と同時に、狂気的な独占欲を伴った「大人の愛」へと昇華していく。

王太子殿下の拗らせ婚約破棄は、婚約者に全部お見通しです

星乃朔夜
恋愛
王太子殿下が突然の“婚約破棄宣言”。 しかし公爵令嬢アリシアの返答は、殿下の想像の斜め上だった。 すれ違いからはじまる、恋に不器用な王太子と すべてお見通しの婚約者の、甘くて可愛い一幕。

婚約破棄されたのに、王太子殿下がバルコニーの下にいます

ちよこ
恋愛
「リリス・フォン・アイゼンシュタイン。君との婚約を破棄する」 王子による公開断罪。 悪役令嬢として破滅ルートを迎えたリリスは、ようやく自由を手に入れた……はずだった。 だが翌朝、屋敷のバルコニーの下に立っていたのは、断罪したはずの王太子。 花束を抱え、「おはよう」と微笑む彼は、毎朝訪れるようになり—— 「リリス、僕は君の全てが好きなんだ。」 そう語る彼は、狂愛をリリスに注ぎはじめる。 婚約破棄×悪役令嬢×ヤンデレ王子による、 テンプレから逸脱しまくるダークサイド・ラブコメディ!

私を選ばなかったくせに~推しの悪役令嬢になってしまったので、本物以上に悪役らしい振る舞いをして婚約破棄してやりますわ、ザマア~

あさぎかな@コミカライズ決定
恋愛
乙女ゲーム《時の思い出(クロノス・メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったクレハ。 「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時より甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。――どんな時だって、私を選ばなかったくせに」と言って化物になる悪役令嬢ルーシャの未来を変えるため、いちルーシャファンとして、婚約者であり全ての元凶とである第五王子ベルンハルト(放蕩者)に婚約破棄を求めるのだが――?

処理中です...