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〈第二話〉 王家の手紙
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「それではギル、お嬢様をお願いします」
「ええ、わかりました。イザベラも気をつけて」
この日、屋敷内は騒然としていた。
ギルの出した指示で、まだ日も顔を出さない時間から使用人達は働き始めた。 もちろんイザベラもその使用人の中の一人だ。
しかし今朝の彼女は、いつもの落ち着いた淑女風の装いはどこか、頭までローブを被った姿だった。 もしいまアリスと出会ったとしても、これが自分の慕っているイザベラ先生だとは思いもしないだろう。
気をつけて、と送り出したギルに軽く相槌を打ったイザベラは、2~3メートル程の高さはある屋敷の外門を軽く飛び越え、走り出す。 次の仕事に取り掛かるため、ギルが屋敷のある方へ向き直したその僅かの間に、イザベラの姿は闇の中に消えていた。
「どうか、頼みましたよ……イザベラ」
緊張した面持ちで屋敷へと戻るギルの手中には、小さな封書が握られていた。
二羽の小鳥の紋章で封じられていたその手紙は、今から数時間前、眠りについたばかりの屋敷へ届けられたものだった。
二羽の小鳥は王家の紋章。 それが押されているだけでも、優先度の高い文書だということを、ギルは知っていた。
しかし昨晩送られてきたものは、赤色の封書だ。 通常、王家のカラーでもある白色の封筒しか使われないものが赤で届いたということは、なにか余程の緊急事態が起きた事を知らせるためなのだろう。
受け取ってすぐ開封し、中身を確認したギルの背中を、嫌な汗がつたっていくような感覚がした。
『一刻も早い帰国を望みます』
一行だけ記された文書の下には、手書きでカミラと付け加えられていた。
カミラとは先代国王の妻、前王貴妃の名だ。
公式な文書に国王のものではなく、前王貴妃の名が記される意味。 それはつまり──国に仕える者達を含めて、秘密裏に国王崩御を伝えるもの。 もしくはそれに準ずる何かが起こったのだと、ギルは悟った。
すぐに向かうべきか……答えは明白だった。
自分が今、ここを離れるわけにはいかない。 相手が国王でも国王でなかろうとも、私が仕えるのはただ一人、あのお方なのだから。
そうしてギルは、眠っていたイザベラを呼び起こすと、来た手紙と同じ紋章でシーリングを施した封書を持たせたのだった。
*****
「お嬢様、お目覚めですか?」
朝目覚めると、穏やかな声が廊下から聞こえてきた。 その声に部屋の主が応じたのを確認してから、扉が開かれる。
おはようございます、と扉の外で礼をするのは、正式な執事服を着たギルだった。 朝食の支度が整ったことを報告に来たのだ。
アリスが覚えている限り、十数年は欠かさず続けられている朝のやりとり。
毎回、目が覚めた後に扉を叩く音が聞こえるのだが、これはギル曰く『お目覚めになられたのは気配で分かります』らしい。
もしかして、毎朝部屋の前で様子を伺っているのかも? なんて想像すると、少しだけ怖くもある。
けれど、シャツやネクタイ、ジャケットはもちろん、トラウザーズに至るまでホコリや皺一つ見当たらないのは、さすがベテラン執事といったところだ。
まだ少し眠い目を擦りながら、ありがとうとアリスは応えた。
*****
「お嬢様。 本日の授業なのですが、今朝は先生の体調がすぐれないようですので、用心して授業はお休みにさせていただきたいと思うのですが……」
朝食を済ませ自室に戻る途中だったアリスに、ギルが伝える。
学校へ通っていないアリスは、週の半分以上、朝食を済ませた後でイザベラから個人授業を受けるのが日課だ。
個人授業と言っても、基本はダンスやピアノ、日常会話、手紙の書き方などといった教養的なものが中心なのだが。
屋敷以外の外部の人間と接触を持たないアリスにとって、イザベラとの勉強は一人で読書をするよりも有意義な時間に思っていた。
「イザベラ先生、大丈夫かな? 風邪? 今日は先週教わったダンスを見てもらう予定だったの」
もちろんイザベラは体調が悪いわけでも、風邪を引いたわけでもない。
しかし、今のアリスは『先生であるイザベラ』の姿しか知らない。
そんなお嬢様に全てを伝えるには早すぎる、とギルが判断した結果の嘘だった。 イザベラの正体をあかすこと……それはお嬢様自身のこと、出生について、そしてギルの秘密に至るまで、全てを告げなければならない事へ繋がっているのだから。
まだ早い、まだ早いと思いながら……でももうすぐ、必ずその時は来る。
あの手紙を手にした瞬間に、改めてギルは思い知らされたのだ。
「風邪……ではないでしょうが、少し体を休めればきっと大丈夫ですよ」
「それなら安心ね」
また次の授業で見てもらうから大丈夫、と言いながらも残念そうに部屋に戻っていく後ろ姿を見て、ギルは咄嗟にその腕を掴んでいた。
「わ、私でよろしければ代わりに授業を」
そう言いかけ、はっとする。
ダンスの授業なんて、果たして自分に務まるのか。
自信が無いわけではない。 むしろ、ダンスはイザベラからもお墨付きを貰うほどの腕前なのだが、相手がお嬢様というのが問題なのだ。
いくら執事でも、自分のようなものが、このように軽々しく触れてはならない存在なのだから。
もうしわけございません。と、白く細い腕から手を離すと、まずは腕を掴んでしまった事への謝罪をした。
「いえ……えっと、私が代わりにと思ったのですが、別の仕事があるのを失念しておりました」
それでは失礼します、と踵を返したギルが廊下の角を曲がろうとした時だった。
「じゃぁ、今晩広間で! ギルのお仕事が終わった後でいいから!」
嬉しそうなアリスの声が廊下に響き渡った。
慌てて振り返ったギルの目に、少し顔を赤らめながら、こちらを見てにっこりと微笑むお嬢様の姿が映る。
昔から変わらないあの無邪気な笑顔に、何度救われただろう。 厳しい訓練も勉強も、執事の仕事も、今こうして生きている事ですら、あの方なしではいられなかった。
その笑顔をいつまで見ていられるのだろうか。
いつまで同じ時間を過ごせるだろうか。
せめてもう少しだけ、時間が許す限り……
アリスを正面に向かい合うギルは、返事をする代わりに左手を自身の体の前に置き一礼をしてみせた。
*****
その頃イザベラは、既に目的地のすぐ側まで来ていた。
懐から封書を取り出した。 ギルに託された、あの王家の印が押された手紙だ。
手紙が無事に手元にあることを確認すると、またすぐにしまいこんだ。
「久しぶり……ね!」
背後に気配を察知したイザベラは、振り返ると同時に袖に隠し持ったナイフを数本投げつけ、後方へ素早く飛び退いた。
「ええ、わかりました。イザベラも気をつけて」
この日、屋敷内は騒然としていた。
ギルの出した指示で、まだ日も顔を出さない時間から使用人達は働き始めた。 もちろんイザベラもその使用人の中の一人だ。
しかし今朝の彼女は、いつもの落ち着いた淑女風の装いはどこか、頭までローブを被った姿だった。 もしいまアリスと出会ったとしても、これが自分の慕っているイザベラ先生だとは思いもしないだろう。
気をつけて、と送り出したギルに軽く相槌を打ったイザベラは、2~3メートル程の高さはある屋敷の外門を軽く飛び越え、走り出す。 次の仕事に取り掛かるため、ギルが屋敷のある方へ向き直したその僅かの間に、イザベラの姿は闇の中に消えていた。
「どうか、頼みましたよ……イザベラ」
緊張した面持ちで屋敷へと戻るギルの手中には、小さな封書が握られていた。
二羽の小鳥の紋章で封じられていたその手紙は、今から数時間前、眠りについたばかりの屋敷へ届けられたものだった。
二羽の小鳥は王家の紋章。 それが押されているだけでも、優先度の高い文書だということを、ギルは知っていた。
しかし昨晩送られてきたものは、赤色の封書だ。 通常、王家のカラーでもある白色の封筒しか使われないものが赤で届いたということは、なにか余程の緊急事態が起きた事を知らせるためなのだろう。
受け取ってすぐ開封し、中身を確認したギルの背中を、嫌な汗がつたっていくような感覚がした。
『一刻も早い帰国を望みます』
一行だけ記された文書の下には、手書きでカミラと付け加えられていた。
カミラとは先代国王の妻、前王貴妃の名だ。
公式な文書に国王のものではなく、前王貴妃の名が記される意味。 それはつまり──国に仕える者達を含めて、秘密裏に国王崩御を伝えるもの。 もしくはそれに準ずる何かが起こったのだと、ギルは悟った。
すぐに向かうべきか……答えは明白だった。
自分が今、ここを離れるわけにはいかない。 相手が国王でも国王でなかろうとも、私が仕えるのはただ一人、あのお方なのだから。
そうしてギルは、眠っていたイザベラを呼び起こすと、来た手紙と同じ紋章でシーリングを施した封書を持たせたのだった。
*****
「お嬢様、お目覚めですか?」
朝目覚めると、穏やかな声が廊下から聞こえてきた。 その声に部屋の主が応じたのを確認してから、扉が開かれる。
おはようございます、と扉の外で礼をするのは、正式な執事服を着たギルだった。 朝食の支度が整ったことを報告に来たのだ。
アリスが覚えている限り、十数年は欠かさず続けられている朝のやりとり。
毎回、目が覚めた後に扉を叩く音が聞こえるのだが、これはギル曰く『お目覚めになられたのは気配で分かります』らしい。
もしかして、毎朝部屋の前で様子を伺っているのかも? なんて想像すると、少しだけ怖くもある。
けれど、シャツやネクタイ、ジャケットはもちろん、トラウザーズに至るまでホコリや皺一つ見当たらないのは、さすがベテラン執事といったところだ。
まだ少し眠い目を擦りながら、ありがとうとアリスは応えた。
*****
「お嬢様。 本日の授業なのですが、今朝は先生の体調がすぐれないようですので、用心して授業はお休みにさせていただきたいと思うのですが……」
朝食を済ませ自室に戻る途中だったアリスに、ギルが伝える。
学校へ通っていないアリスは、週の半分以上、朝食を済ませた後でイザベラから個人授業を受けるのが日課だ。
個人授業と言っても、基本はダンスやピアノ、日常会話、手紙の書き方などといった教養的なものが中心なのだが。
屋敷以外の外部の人間と接触を持たないアリスにとって、イザベラとの勉強は一人で読書をするよりも有意義な時間に思っていた。
「イザベラ先生、大丈夫かな? 風邪? 今日は先週教わったダンスを見てもらう予定だったの」
もちろんイザベラは体調が悪いわけでも、風邪を引いたわけでもない。
しかし、今のアリスは『先生であるイザベラ』の姿しか知らない。
そんなお嬢様に全てを伝えるには早すぎる、とギルが判断した結果の嘘だった。 イザベラの正体をあかすこと……それはお嬢様自身のこと、出生について、そしてギルの秘密に至るまで、全てを告げなければならない事へ繋がっているのだから。
まだ早い、まだ早いと思いながら……でももうすぐ、必ずその時は来る。
あの手紙を手にした瞬間に、改めてギルは思い知らされたのだ。
「風邪……ではないでしょうが、少し体を休めればきっと大丈夫ですよ」
「それなら安心ね」
また次の授業で見てもらうから大丈夫、と言いながらも残念そうに部屋に戻っていく後ろ姿を見て、ギルは咄嗟にその腕を掴んでいた。
「わ、私でよろしければ代わりに授業を」
そう言いかけ、はっとする。
ダンスの授業なんて、果たして自分に務まるのか。
自信が無いわけではない。 むしろ、ダンスはイザベラからもお墨付きを貰うほどの腕前なのだが、相手がお嬢様というのが問題なのだ。
いくら執事でも、自分のようなものが、このように軽々しく触れてはならない存在なのだから。
もうしわけございません。と、白く細い腕から手を離すと、まずは腕を掴んでしまった事への謝罪をした。
「いえ……えっと、私が代わりにと思ったのですが、別の仕事があるのを失念しておりました」
それでは失礼します、と踵を返したギルが廊下の角を曲がろうとした時だった。
「じゃぁ、今晩広間で! ギルのお仕事が終わった後でいいから!」
嬉しそうなアリスの声が廊下に響き渡った。
慌てて振り返ったギルの目に、少し顔を赤らめながら、こちらを見てにっこりと微笑むお嬢様の姿が映る。
昔から変わらないあの無邪気な笑顔に、何度救われただろう。 厳しい訓練も勉強も、執事の仕事も、今こうして生きている事ですら、あの方なしではいられなかった。
その笑顔をいつまで見ていられるのだろうか。
いつまで同じ時間を過ごせるだろうか。
せめてもう少しだけ、時間が許す限り……
アリスを正面に向かい合うギルは、返事をする代わりに左手を自身の体の前に置き一礼をしてみせた。
*****
その頃イザベラは、既に目的地のすぐ側まで来ていた。
懐から封書を取り出した。 ギルに託された、あの王家の印が押された手紙だ。
手紙が無事に手元にあることを確認すると、またすぐにしまいこんだ。
「久しぶり……ね!」
背後に気配を察知したイザベラは、振り返ると同時に袖に隠し持ったナイフを数本投げつけ、後方へ素早く飛び退いた。
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