個性派家族の愛し方 アルファとオメガとゆっくり息子

ゆあ

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個性派家族の愛し方 アルファとオメガとゆっくり息子

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 凪は、左手の指輪を眺めていた。流線型を描くプラチナが、月の尾をまるく閉じ込めた形をしている。
「飽きないな」
 彼氏の二階堂にかいどう啓一郎けいいちろうが、からかいながら体にかぶさってくる。その重みさえも愛おしい。
「今は余韻に浸っていたいんです。卒論を出してすぐに入籍できたんですから、しばらく浮かれたっていいでしょう」
 凪はそう返した。くすくすと二人の笑い声が重なる。啓一郎は、「研究室のやつら、驚くだろうな」と悪戯っぽく言った。凪は四月になれば大学院に進学する。毎日顔を合わせる研究室の仲間たちには、ひやかされるかもしれない。大学院生同士の学生結婚という特権を得て、しばらくは新婚気分が楽しめそうだった。
 本郷三丁目駅から徒歩数分の大学に入った凪は、大学三年生の授業で、大学院の先輩の啓一郎と出会った。ティーチング・アシスタントとして授業の一部を担当していた啓一郎を初めて見たときは、男らしい体のラインと、並行眉の犬顔、はきはきと物を言うさわやかな姿に、ずいぶんな男前が大学院にいるのだな、と失礼な印象を持った。彼の論文指導は的確で、凪がまじめにこつこつ練ったレポートも、細部まで読み込んでは褒めてくれた。
 啓一郎の専門は防災学、および災害関連死だった。さまざまな自然災害と隣り合わせで暮らしている日本人として、啓一郎が行っている研究は、とても価値あるものだと凪は思った。凪は心から啓一郎を尊敬するとともに、教えを乞うていくうち、自身も同じ道を目指すようになっていった。
 彼の背を追い、凪は啓一郎の研究室の門戸を叩いた。
 そこからは無限の、知的で、かけがえのない時間のやりとりがあった。彼は研究室でも、学外でも、議論に付き合ってくれた。ふたりは飽くことなく語りあった。彼と防災学の話をしていると、この勉学をするために自分は大学に来たのだと気高い気持ちになれ、自分がひとかどの人物になったような気がした。
 啓一郎は背が高く、映画俳優のようなはっきりした顔立ちだった。そのままにしていると近寄りがたい威圧感があったが、凪とふたりで出かけるときは、上野動物園で延々と好きな動物について語り合ってくれたり、弁天堂の出店のチョコバナナが大好きだったりと、少年のように無邪気でかわいらしい一面がたくさんあった。凪から惚れて、啓一郎に交際を申し込んだ。
 ふたりには、変わったつながりがあった。
 凪はオメガ、啓一郎はアルファだった。
 オメガ、アルファとは、男女の性別に加えた第二の性別だ。第二性はバース性と呼ばれ、アルファ、ベータ、オメガの三種類に分けられる。それぞれが異なる生殖的特徴と社会的位置づけを持つ。
 まずアルファは、すべてのバース性の頂点に立つものたちだ。非常に希少なバース性で、優れた才能と身体能力を持ち、財界や芸能界、政治界の多くをアルファが占めている。男女ともに意中の相手を妊娠させる身体的特徴を持つ。アルファの人々は横のつながりが強く、独自のコミュニティを築いている。
 ベータは、一般的な男女の性別といってよい。バース性のほとんどがベータであり、人口の大多数を構成している。
 最後にオメガと呼ばれる、アルファと同じく希少なバース性がある。オメガは繁殖に特化した性質を持っており、男女関係なく子宮をもち、妊娠可能である。ヒートという繁殖期間があり、フェロモンをばらまいてアルファやベータを誘惑してしまうため、昔から差別され、嫌悪されてきた。現代ではオメガの人権にさまざまな配慮がされているが、まだオメガ関連の暴力事故は絶えておらず、危うい性別だといえよう。現代にいたるまで、オメガ・ライヴズ・マターなど、オメガが戦ってきた人権運動は数知れない。
 オメガである凪にとって、アルファは遠い存在だった。アルファが華やかに活躍しているニュースなどは、凪にとっては動物番組を見るようなものだった。まるで別の生き物のように感じていたため、アルファたちがどれだけ華やかな道を歩んでいるのをみても、うらやましいとも思わなかった。そんな凪の前に、啓一郎が現れた。
 凪にとって啓一郎は初めての恋人だった。だから、啓一郎との付き合いが標準的なものなのかどうか、凪にはわからない。
 けれど凪は、啓一郎の恋人になれて、世界の色彩が鮮やかに感じられるようになった。啓一郎はオメガへの偏見がなく、凪の意見を尊重してくれた。啓一郎から大切にされるうち、凪自身も、アルファやオメガであることとは無関係に、自分の意志には価値があるのだと信じられるようになった。ずっと啓一郎との時間を重ねていくほどに、この人しか理解者はいないと凪は思った。オメガとしての平凡な人生を歩んでいたら、とつぜん啓一郎の人生につかまえられ、ふりまわされ、光の森に放り出されたようだった。自分もアルファに意見を言ってもいいのだ、これから好きな道を選んでもいいのだと、啓一郎と議論をしていると感じられた。これまでオメガとして受けてきた差別の全てが、夜明けに変わるのだと、凪はわくわくした。恋はこういうふうに始まるのだと知った。
 凪は啓一郎のすべてが好きだった。生命力が強いところ。糸目の自分と違って目力が強く、太陽のような凛々しい眼差しをしているところ。ちょっと天然なところ。刈り上げた短髪に、平行眉も。直情的で、声が大きいところ。告白のときも、「つきあってくれ」と大きい声がカフェに響いた。そのことを可愛かったなあと思いだすごとに、凪は笑みがこぼれた。この人がいれば、世界は完璧だと思った。
 啓一郎は、嘘をつかない男だった。周りからも、そう信頼されていた。
 凪も付き合ううちにそれを実感した。啓一郎は、おべっかが使えない、世界をまっすぐに、前向きに見ている人なのだと。彼の純真さにあこがれもしたし、尊敬もした。
 彼に出会ってから、凪の夢は、啓一郎のプロジェクトグループに入って、ノーベル賞を目指すことになった。大学生なのだから、これくらいの夢は見たってかまわないだろう、と凪は思った。こと、オメガである自分にとって、こんなに輝かしい展望を持てることは、虹色の空から幸運の雨が降ってくるように奇跡的なことだった。
 凪の舞台装置はそろっていた。ワンシーズンに一本、論文を仕上げることのできる尊い体力もあるし、信頼できる啓一郎というパートナーも得た。研究に打ち込むのにうってつけの大学という環境にも身を置いている。
 これから啓一郎とともにすごす生活に、胸の高まりが止まらなかった。なにもかもうまくいくと信じていた。




 いま、凪は毎日、祈るように生活している。
 息子が、人と違う行動をしてしまわないか。啓一郎の機嫌を損ねてしまわないか。そして自分が、うまく、親であれるか。

「二階堂さん」
 苗字を呼ばれ、はっと目が覚めた。子供の肩を抱いたまま、待ち時間に寝てしまったらしい。息子の春樹は、隣で真剣に手遊びをしていた。
 結婚して二階堂の姓になってからもう三年以上たつというのに、まだ耳慣れないときがある。
 春樹を連れ、相談席に着く。ここを訪れるのも何度目になるだろう。春樹が生まれてから三年間、今は月に二度ずつの訪問に落ち着いているが、毎日のように通い詰めていた時期もあった。
 すべては息子の「特性」のためだ。
 保健師の佐藤さんが、こちらを安心させるように笑い、口を開いた。
「前回、二階堂さんは春樹くんを一時的に休園させて、ご自身も休職されるご判断をされましたが……その後、いかがですか?」
 凪は、意を決して答えた。
「もう手続きは済ませました。先週から僕は休職して、昨日から春樹は休園に入っています。僕たちには考える時間が必要ですから」
 そうですよね、と佐藤さんは、凪に向かって、あたたかく頷く。よくご決断されましたね、ここまで忍耐強く頑張ってこられましたと、何度も肯定してくれた。
 凪は緊張して、襟元を右手で撫でた。襟足が長く、指に絡まった。うなじを隠すために襟足を長くする、既婚オメガ用の髪型にしていた。つがいをもったオメガはうなじを隠す、その暗黙の了解がお歯黒みたいだなと、凪は思っている。
 息子は三歳、もうすぐ幼稚園だ。保健所の紹介で、療育施設に転園するという選択肢もあった。それでも凪は、休息の道を選んだ。
「いただいた資料も一通り目を通したのですが」と凪は言う。「この数年で、どれだけ頑張っても状況が良くならないという経験をしてしまったので、子供も自分もいったん休ませたいと思うんです。小学校に上がるまでは」
 わかりました、と佐藤さんは応じた。保健所の受付カウンターには、あらゆる案内資料が積まれているが、そのすべては凪が一度、場合によっては二度以上目を通し、読み飽きたものだった。様々な道を検討した結果、凪はこの結論を出した。
「次回のご相談のご予約をされますか?」
「いえ、すこし考えます。またお電話して予約します」
 わかりました、と佐藤さんは微笑み、「いつでもご連絡くださいね。お電話でもご相談に乗れますから。こちらからも定期的にご連絡しますね」と、力を込めて言ってくれた。その言葉と気遣いだけで、凪には充分だった。
 話している間、春樹はずっと別のほうを向いていた。
 
 ゆるい坂道を下りながら、家へ向かう。春樹はお気に入りの地球型ボールをコロコロと道路に転がしては、先回りして捕まえている。
 春樹の、ぱっつん前髪のマッシュルームへアが風になびく。襟元から覗く首は、透き通るように真っ白で細い。
 春樹がこちらに駆け寄ってきた。彼はいつも不安そうな眼差しをしている。
「おかいもの?」
「昨日お買い物したばっかりだから、今日は大丈夫だよ」
 春樹は足元の道路の割れ目を靴でなぞっていた。
「ほいくえん、いかないの?」
「うん、しばらくはお家でパパと2人だよ」
「……パパとふたり」
 目線は合わなかったが、春樹がホッとしている気がして、凪も安心した。
「問題はお父さんだよね。今日どうやって話そうかなぁ……」
 凪は歩道の途中でしゃがみ込む。「帰りたくないなぁ……」とこぼしたら、しゃがんだ凪と同じ目線の春樹が「ダメだよ。おうち、かえらないとダメ」と注意してくる。
「だよね……」
 凪はため息をつき、頬に手を当てて、引っ張るように撫で上げた。憂鬱で仕方なかった。 

「本当に二人とも辞めたのか」
 夜の食卓、夫の啓一郎の出した声は、テレビの音量よりも大きく響いた。
 凪が落ち着いて「辞めたのではなく、休みました。前々から相談はしていましたよ」と答えると、啓一郎は唸った。
「相談はされていたが、休んでる間どうするつもりなんだ」
「どうもしませんよ。これまでが頑張りすぎてたんです」
 月曜日の献立、グラタンを口に運びながら、凪は言った。
「春樹も疲れています。しばらく休んでから次のことを考えます」
 凪はそっと、春樹の頭を撫でた。春樹からは、お風呂に入ったばかりの石けんの香りがした。
 春樹は黙ったまま、スプーンでグラタンをつついている。
 啓一郎は息子を見やり、さわやかな笑顔で語りかけた。
「いいか、春樹。仲間はずれなら、俺だって小学生のときにされたことがある。俺のほうが彼らより優秀だったからだ。だが学力の合う中学に入ってからは、信頼できる仲間もたくさんできた。それまでの時間は下積みだ。努力を続けなければ」
 啓一郎は自分のこぶしを握りしめて、春樹に向けてみせた。
 それを見て、凪は苦笑いをする。
 啓一郎は自他ともに認める努力家だ。高学歴で仕事もでき、自信家だ。博士課程修了後、即アカデミックポストに就けた運のいい男だ。災害研究という立場上、国や企業からも潤沢な資金をもらって研究をしているため、収入も安定している。だから凪たちに相談なく、なんでも自分で決めてしまう。意見だって一方的だ。
 凪は春樹の肩を軽く撫でながら、春樹の代わりに啓一郎に言葉を選んだ。
「でも、毎日行くところで居場所がないっていうのは、小さい子にはあまりにもしんどいですよ。はずされているのは春樹なのに、いつもこっちのせいみたいにされるんです。他の園に移っても同じことが繰り返されるなら、ちょっと頑張れないですよ」
「ひとりぐらいは味方してくれる子もいるだろう。なあ春樹、前に仲良かったアキラくんやタケシくんはどうなんだ」
「……いまは、誰もいません。数ヶ月前から、春樹の癖をからかってマネしてきていたのは、アキラくんとタケシくんです。息子が、人間関係そのものを怖がるようになってしまう前に、一度立て直したほうがいいと思います」
「いじめなんてのは、弱いやつがすることだ。そんなやつは叩きのめして」と啓一郎は、手のひらを、もういっぽうの拳で打った。「こっちは正面から堂々としていればいいんだ。ちょっと人と変わっていたって、積極的に人助けをしたりすれば、みんな気持ちを返してくれる、そういうものだ」
 沈黙が落ちる。春樹は咀嚼をやめて、所在なさげにうつむいている。
 数秒おいて、ふと思い出したように啓一郎が言った。
「そういえば、今回の被災地への派遣は、家族も連れて行っていいそうだ」
 啓一郎の専門は防災学および災害関連死であるため、たびたび政府など公的機関と連携をとり、被災地に調査へ行っている。
「どうだ、二人とも気持ちの切り替えに、一緒にきてみないか」
「あいにくですが、僕は春樹の面倒をゆっくりみてあげたいと思っていますので」
「子供を連れてきてもいい調査だと毎回伝えているだろう。どうしたんだ、結婚してから付き合いが悪くなって。研究室の懇親会にも顔を出さなくなったじゃないか」
「…………」
 啓一郎が他人事かのように春樹を扱う様子に、誰の子供を育てているのかと、凪は反論しそうになった。まるで春樹の世話は、凪ひとりに責任があるかのようだ。
 啓一郎のほうこそ、早めに帰ってきてほしいと何度言っても、夜遅くまで研究室の付き合いに顔を出している。帰宅しても「すまんすまん」と悪びれず、「最高の議論ができた、次の仕事にも繋がったよ」とにこにこしているので、こちらとしても強く言えない。元々後輩であったから、彼の研究の価値をわかっているのもあって、凪はあまり指摘できないでいた。
「春樹、いつかお父さんの仕事場にくるといい。被災地には、もっと大変な子供もたくさんいるんだぞ」
 啓一郎の心無い言葉に、思わず凪はかっとなった。
「それはちがいます。春樹のつらさは春樹のものです。ほかの誰かが大変だからといって、春樹の気持ちが楽になるものではありません」
「……すまない」
 気まずそうに口を閉じた啓一郎だが、黙々と食事をしているうち、「今日のグラタンは鶏ひき肉と根菜か。鶏もいいが、俺は豚ひき肉の脂身が好きだ」と、感想を述べてきた。
「食事はぜんぶ僕が作っているんですから、あまりそういうこと言わないでくださると」
 凪がいさめると、啓一郎がむっとした表情で唇を尖らせる。
「俺だって何もしていないというわけではないぞ。このあいだはカレーを作った」
「そうですね……」
 確かに、一ヶ月半前に作ってくれた。凝ったカレーを。
 啓一郎はかなり頑張ってくれたらしい。料理本から調べたそのカレーは、本格的な味で、あらゆるスパイスの効いた、異国情緒に満ちたものだった。
 偏食のある春樹は、そのカレーを三口くらいしか食べなかった。それでも食べただけ頑張ったと、凪は褒めた。カレーを作った鍋の あとの片付けも、凪がおこなった。啓一郎がネット通販で買った沢山のスパイスの残りが、食糧庫を圧迫している。
 凪がカレーのことを思い出して黙っていると、不服と捉えられたらしい。啓一郎が眉を顰めた。
「俺は味の好みも伝えちゃいけないのか?」
「いえ、大丈夫ですよ。次回から善処しますので」
 ぴり、と三人のあいだに緊張がはしる。平坦に返したつもりだったが、啓一郎は気分を損ねたようだ。「外で食べてくる」と席を立って、部屋から出ていってしまった。
 玄関のドアが閉まる音を聞きながら、春樹は、無言で食事をじっと見つめ、雰囲気を壊さないように口をもぐもぐと動かし続けていた。なんで健気なのだろう。凪は、息子に気を使わせている自分たちの不甲斐なさに腹が立った。
 啓一郎はお酒でも飲んでくるのだろうから、帰るのは深夜になるだろう。
 彼が残した食事は、明日の自分の朝ごはんにしようと、疲れた頭で考えた。
 家庭内の空気は、全ての音が出ないクラリネットみたいに間が抜けている。




 保育園の休園にいたるまでには、何か一つの決定的な出来事があったわけではなかった。とにかく、毎日の困りごとの積み重ねだった。
 リビングに飾られているフォトウェディングの写真には、将来をまったく憂いてない、凪と啓一郎の満面の笑顔と、二人の真っ白のタキシードが映っていて、懐かしくも眩しい。結婚したころとは、環境も心持も変わってしまっていた。
 凪は、結婚後すぐに妊娠がわかった。卒論提出後の、ヒートのときにできた子だった。妊娠判明が合格したあとだったため、凪は学業と子供を天秤にかけたが、子供と自身の体調を取り、大学院への進学を諦めた。防災学は、調査のため地方へ足を運ぶことも多く、身体的負荷の高い分野だったからだ。
 啓一郎も、そして指導教授も、凪がいなくなることを非常に惜しんでくれ、思いとどまるよう声をかけてくれた。その気持ちはとても有難かった。しかし凪は、育児のため、道を断念するほかなかった。
 
  産まれた春樹は、ゼロ歳の時点で、なにかが違っていた。目でものを追いかける動作がなかった。 名前を呼んでも反応せず、あやしてもあまり笑ってくれず、抱っこを嫌がって泣くことさえあった。一歳を過ぎても、同年代の子を真似したり、一緒に遊ぶことが少なく、一人で黙々と遊んでいた。どうってことのない順序に固執し、少しでもいつもと違うことがあると混乱した。思い通りにならないと、頻繁に癇癪を起こした。友達同士のルールがわからず、冗談や、曖昧な表現が理解できなかった。
 同じ食事にすると安心するので、凪は一週間の食事メニューをローテンションで固定した。月曜日はグラタン、火曜日はミートスパゲティ、水曜日はポトフ、木曜日は肉じゃが……。服も同様に、曜日ごとに決まったものを着せた。そうしないと春樹は落ち着いてくれなかった。
 春樹はいつも不安そうにしていた。パニックを起こして、自分を必死になだめようと、ぬいぐるみを床に打ち付けたり、自分の腕を噛んだり、髪の毛を抜いたりするのが、凪には見ていて痛々しかった。自傷をやめさせようとしても、それ以外に自分の怒りをどこにぶつけたらいいか、春樹にはよくわからないようだった。
 凪は、息子がひとと違うかもしれない、ということを、かいつまんだエピソードを強調して夫に話した。
 夫の反応は予想外だった。「この子は人と違う、なら天才かもしれない。ギフテッドかもしれない」と喜ばれた。春樹は特別かもしれない、だから凪が考えるほど気にする必要はないのだ、ただ奇異な行動は矯正しなければと、啓一郎は方向性のおかしい教育に走った。たとえば、英語や数学の知育グッズを大量に買い込んで与えたり、二歳からのリトルスイミングを習わせてみたり、ピアノやバイオリン、バレエの教室を見学させてみたり。
 春樹はそのすべてに興味を示さなかった。頑張れば何とかなる、努力は必ず報われる──そんな啓一郎の神話は、もろくも崩れた。
 凪のなかで、輝く太陽のようだった啓一郎が、昔はこの人に着いていきさえすれば大丈夫だと思わせてくれた啓一郎の姿が、曇った瞬間だった。息子の特性が明らかになってからは、凪は夫の行動にも頭を悩ませる羽目になった。双方の両親も離れたところに住んでいるため、頼ることもできなかった。
 検診で相談すると、やはりこの状況は気にしたほうがいいといわれ、一歳で保健所につながった。保健所からの「特性グレーの可能性あり、様子見」との診断結果を伝えると、啓一郎は困惑して、「よくなっていくかもしれない、天才とは遅咲きなものだ、俺もそうだった。特性があっても成功している人はいる」と、前向きな姿勢を崩さなかった。春樹に向き合っているのではなく、啓一郎自身がそう思いたいから、そう言っているようだった。
 啓一郎は、その後もあれこれと民間療法を試そうとしたり、声援を送り続けたりしていたようだが、春樹との心の通じなさに疲れてしまったのか、いつのまにか、なにもしなくなっていった。

 春樹が二歳の時に、凪は、オメガ雇用枠の求人を見つけ、経理の仕事に就いた。
 オメガ雇用枠とは、大手企業を中心に一定率のオメガの雇用が義務付けられている制度だ。配慮としてオメガ休暇という制度があり、ヒート中および前後一日は、給料は出ない代わりに、欠勤とは扱われない。ヒート休暇が取れつつ、一般の社員と仕事を対等に評価してもらえるのは、オメガにとってメリットだった。
 ようやく世界のSDGsに、オメガの人権が組み込まれつつあった。よりオメガの人権に配慮した、サステナブルな、働きやすい職場づくりが社会で奨励されてきていた。会社との間で何かトラブルがあれば、オメガの労連が間に入ってくれるようになった。
 ダイバーシティに理解のある会社であるうえ、凪が面接で「二歳の子供がいる」と言ったら、意外にも歓迎された。オメガの性と生殖に関する健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス・ライツ)は、いまや国際社会でも優先課題とされていた。子どもを持ったオメガが社会から排除されることなく働ける環境──それは、先進企業の象徴とされ、誇りともなりつつあった。その流れに、凪は運よく乗りかかった。

 働きだした凪は、春樹を保育園に預けた。
 あえて療育施設ではなく、普通の園を選んだのは、どちらにしても子供が行きたくないとぐずることは目に見えていたから、より一般的な社会性を身につけたほうがこの子のためになるだろうという、今思えば浅はかな判断からだった。のちにそれは勘違いだったと思い知ることになるが。
 凪は、常に気を張っていた。自分がしっかりしなければ。この家族を回していかなければ、と。
 啓一郎の給料だけでも、贅沢をしなければ生活が成り立つ。なぜ、わざわざ働くのかときかれたら、それは、働いていないと自分が消えてなくなりそうだったからだった。
 生まれてから二年間、専業主夫をやっていたが、特性のある息子と二十四時間一緒にいることに、二年で限界を迎えてしまった。進学を諦めてから、凪は日に日に社会との接点が薄れ、人間関係も狭くなっていった。日々の育児での戦いに疲れ、自分の存在意義を見失ってしまっていた。
 もちろん、お金も大切だった。けれど、凪は子供を愛するために、自分のために、働くことを選んだ。
 子供を預けることができると、自分以外の大人が子供を一緒に見てくれ、成長について一緒に考えてくれる。その事実が、何よりの救いだった。登園のたびに胸をなでおろした。

 そのころ凪は、最も強力で副作用の強い抑制剤の服用を始めた。結婚して以来、凪と啓一郎は、ヒート中は別のベッドで生活をしていたが、それでもお互いの生理的な影響が避けられなかったため、凪はより強い薬を選ぶ決断をした。血栓のリスクが高まること、ふらつきなどの副作用が強く出るなどのデメリットがあったが、自分の健康をかえりみている場合ではなかった。春樹を幸せにするため、生活に集中するために、ヒートに煩わされている場合ではなく、ましてや二人目以降を妊娠するわけにはいかなかった。
 ふらつきをごまかしながら、「もっと強い薬をお願いします。なにがあっても、いま、妊娠している場合ではないんです」と凪は医者に頼んだが、それ以上はいけない、とたしなめられるばかりだった。 
 自分では、自身の精神で肉体を動かしているつもりなのに、ヒートや出産という身体性に、意思を凌駕されることが、凪には悔しかった。オメガのことわりに抵抗しようと、凪は抗った。どれだけ努力を積み上げても、自分の性から逃げられないのがオメガだと、世間からみなされていることにも、たまったものではないという思いがあった。
 副作用は本当にひどいものだったが、薬のかいがあって、凪のヒートはずいぶん軽く、フェロモンの薄いものとなった。ヒート中であっても、啓一郎がまったく気づかないほどに。

 働き始めた凪は、しかし、保育園から呼び出されることがとにかく多く、困った。春樹のこだわりのつよい特性が強く出すぎてしまって、お友達とけんかをしてしまったり、自分の夢想の世界に入ってしまって、いつまでもお片付けができなかったりしたからだ。食事の好き嫌いも多かった。お遊戯会では、なにをすればよいか春樹には情報量が多すぎてわからず、壇上で立ち尽くしたまま動けなくなってしまっていた。興奮すると周りのことが見えなくなってしまい、先生の呼びかけが届かず、道路に飛びだしそうになったこともあった。自分の世界に入ってしまって、先生が質問をしたり指示をしてくれても、従ってくれないこともあった。家でも外でも同じ筆記用具を使いたがるため、保育園にお願いして、色鉛筆やクレヨンなどの家からの持ち込みを許可してもらっていた。
 お友達に迷惑をかけてしまうことが多かったため、凪は父母会で、勇気を出して伝えた。「自分の息子は特性グレーなんです」と。すると向けられたのは、あからさまな言葉ではなかった。ただ、「ああ……」という、低く息を飲むような音と、オメガらしい外見の凪を見て、何かを察してしまったかのような、憐憫の眼差しだった。
 その反応は、凪を、みじめで悔しく、言い表しようのない気持ちにさせた。けれど、自分を憐れんでいる場合ではなかった。息子の居場所を造らなければいけないのだから……そう自分に言い聞かせて、凪は必死に他の親御さんたちに頭を下げた。

 保育園ではなく、初手で療育を選べなかったのは、凪自身の弱さだった。早い段階から療育に行ってしまったら、もう特性が確定になってしまうのではと、凪には怖くて思い切れなかった。しかしその結果、保育園に迷惑をかける形になってしまったことを、凪は後悔していた。
 最終的には、「他の子への配慮」として、春樹だけが一人離れた席で給食を食べさせられるようになった。保育園の判断を責める気はなかった。先生たちは、できる限りの善意で対応してくれていた。けれど、まだ幼いのにひとりぼっちでご飯を食べている春樹の姿を想像すると、胸がしめつけられた。
 こんなに小さな体なのに、それでも誰かの邪魔になってしまうことを思うと、春樹が可哀想だった。自分がこの子をその環境に置いてしまったのだ、と凪は自らを責めた。
 春樹の言葉の成長はゆっくりだった。表情のバリエーションも少なく、情緒の成長も遅かった。家庭の中で彼と接しているときはわからなくても、保育園に行くと、他の子たちとの違いがはっきりと感じられ、凪は現実を思い知らされた。
 保育園の同い年の子達がたくさん喋り、笑い、遊んでいるのを見るたび、凪は胸の奥がひりつくように痛んだ。発達がしっかりしている子たちは、春樹とこんなに違うのかと思わされるたび、凪はいたたまれない気持ちになった。
 けれど、絶望しきることもできなかった。このままずっと頑張っていれば、いつからか状況が改善されるんじゃないか、春樹もいつか、すっかりなんともなくなるんじゃないか……けれど、その願いは叶わなかった。日々、出口のない暗闇を走っているような気分だった。
 春樹が孤立し、癇癪を起したり、そのせいでいじめられることを毎日聞くうち、世間に対する申し訳なさで、凪の声は結婚前の半分くらいの音量になってしまった。うしろめたさと罪悪感で、産前より体重が十キロ近くも減った。凪は限界だった。

 そういったギリギリの日々が続いた結果、春樹が三歳になったとき、凪は一度、休息を決めた。
 会社に状況を相談し、仕事は休職することにした。子どもの事情を話したとき、凪が想像していたよりも、会社の対応はあっさりとしていた。仕事の引継ぎも、マニュアルが整備されている凪の会社では、一ヶ月もせずに淡々と終わった。良心的な対応をしてもらえたにも関わらず、凪は、自分の居場所が、あっというまに、どこにもなくなったような気がした。
 会社からは、「人手が足りないから、他の人を雇うかもしれませんが、大丈夫ですか」と、遠回しに、戻ってきたときに席があるかどうかわからないような言い方をされた。休職が明けたら、また職探しをしなければいけないかもしれないと、凪の気分は重くなった。

 凪は何度も想像してしまう。未来のことを。息子が大人になって、凪が老いて、あるいは死んで、息子がひとりで外出にも行けなくなったときのことを。
 想像のなかで大人になった春樹の姿は、風が吹けば笑顔が翳ってしまいそうな、細く美しい青年だ。彼は途方に暮れて、駅の前で困っている。どの路線も同じに見え、自分で切符を買うことができない。混乱し、頭を抱えて声をあげる。誰も彼を助けない。凪も、もうそこにはいない。息子は自分の頭を叩くなどの自傷行為をする。何かにとりつかれたように。
 凪は、せめて彼のコートにでも魂を取りつかせて、彼の背中を撫でてあげたいと思う。けれど、それすら叶わない。いなくなった親は、無力だ。
 そんな光景を思い浮かべるたびに、凪は打ちひしがれた。この想像を本当のことにしてはならないと、未来を憂うたび、春樹をなんとか守らなくては、と決意を新たにした。
 
 凪と春樹が休息を選んだ、その週末のことだった。
 啓一郎から、「どこかに出かけよう、遊園地でもどうだ」と提案された。凪には、特に遊園地に行きたいという願望はなかったが、ちょうど家で親子ともどもゆっくり過ごし始めた時期だったので、啓一郎の申し出に素直に応じた。
 啓一郎は、常に「正解」を選ぼうとする人だった。親子で出かけるなら遊園地や動物園、誕生日ならバラの花やアクセサリー、というように、世間一般でこれなら間違いないという選択肢をとる。良く言えば誠実、悪く言えば少しだけ古い。
 凪が自分の着替えを済ませたころ、春樹が「きょうりゅうのついたのがいい」と昨日着たばかりの洗濯かごにある服を着たがった。凪が春意をなだめたり説得したりと、対応に苦戦していたら、自室から降りてきた啓一郎が、凪の服装を見つめて言った。
「おまえは昔っから休日のパパみたいな私服をしていたが、なんというか、年月を経た今になって、ようやく格好が年齢に見合ってきたな」
 凪がもともと老けている格好をしていた、とでも言いたげな啓一郎の言葉にかちんときて、凪は言い返す。
「あなたは昔っから変わらずキメキメの派手な装いですね。白ジャケットとか着ないでしょう、ふつうのひとは」
 啓一郎が驚いたように、「いいだろう白ジャケット。褒めたのになんだその言い方は」と被害者ぶるので、「褒めてないでしょうさっきのは。だいたい、今の僕は実際、休日のパパなんですから、そういう服で合っているでしょう」というと、啓一郎は「だからそういったじゃないか」と返してくる。さきほどの啓一郎の発言は、凪にはそんな肯定的な意味には聞こえなかった。まったく、啓一郎が一言余計なのか、言い方に根本的に難があるのか、会話があちこちでぶつかりがちだ、と凪は辟易した。

 日本最古の遊園地と言われる、浅草の歴史ある遊園地に、凪たち三人は訪れた。空はまばゆいほどの快晴で、陽射しには柔らかな温もりがあった。
 啓一郎は最初からフルスロットルで、元気よく凪たちを引率していた。仕事の資料のようにしっかりした一日のしおりを作ったらしく、到着時に配布されたそのパンフレットの分厚さはスマホを超えていた。啓一郎は分単位で予定を決め、遊具に乗る順番にもこだわっていた。ほんの少しでもスケジュールが押すと、この日の楽しさが損なわれてしまうとでも言いたげな緊張感を漂わせていた。もちろん、それは厚意だった。春樹になるべくたくさんの体験をさせようという親心なのだ。けれど啓一郎が必死になるほど、当の春樹は、あまりついていけていないようだった。
 アトラクションにたどり着くまでにも、啓一郎は春樹にかけっこを促して、先回りして走ってくる春樹の動画を撮ったりと、はしゃいでいた。
 昼食時、時間内に食事を食べきれなかった春樹に対し、焦りからか啓一郎は不機嫌になってしまった。春樹はいつ怒られるのかとびくびくしてご飯を食べ、緊張から長時間お手洗いに行った。お手洗いについていった凪は、春樹が「おそいのこわい、おとうさん、おこる」と泣きそうになっているのを見て、頭が痛くなった。啓一郎が善意から空回っているように見えて、凪には苦しかった。春樹の小さな背を追いながら、あちこちでこまごまとフォローをするのが、凪には精いっぱいだった。

 日が陰ってきて、遊園地内の家族の姿もまばらになってきたころ、啓一郎が腕時計を見ながら言った。
「乗り物はあと一つというところだな。春樹はどこに行きたい?」
 啓一郎の問いに、春樹はしばらく迷って、何度かつっかえてながら言葉を選び、やがて観覧車を指さした。
「観覧車か。パニックが起きるかもしれないと避けていたんだが、大丈夫か? 高くて怖くないか」
 凪が春樹の代わりに答える。
「大丈夫、春樹は高いところ大好きですよ」
 啓一郎は困惑した顔をして、それは知らなかったな、とつぶやいていた。
 待機列に三十分ほど並び、三人でサファイアブルーのゴンドラに乗った。観覧車がゆっくりと、静かに空へ昇っていく。ゴンドラから見下ろす景色は美しかった。夕暮れの光が反射して、遊園地を幻想的に照らしていた。春樹は息もつけない様子で、窓に張り付き、じっと下を見ていた。一生懸命ゴンドラの下を見おろす春樹が、瞳に夕陽を反射させたその横顔は、天使の絵画みたいに美しかった。
 ふと横を見ると、啓一郎と目が合った。啓一郎はじっと凪を見つめ、口元だけで笑顔を見せた。睫毛が夕暮れ色に染まっていた。その表情は、かつて凪が初めて彼に惹かれた頃の、あの面影を思い出させた。
 凪は照れくさくて、軽く笑みを返し、すぐに春樹に目を向けた。
 静かな時間だった。

 観覧車を降りて、まだ余韻を引きずったまま、春樹はうっとりとした顔で空を見上げていた。そのとき、啓一郎から声がかかった。
「凪、少しいいか。春樹も」
 啓一郎に誘導され、観覧車がよく見える遊園地のはずれ、人気のない場所まで移動する。
 ほかの家族は、閉園のアナウンスを聞いて、楽しかったねと言いあいながら出口に向かっていく。何の話だろうと思っていると、啓一郎が凪たちに向かい、道路に片膝をついた。結婚を乞うように。
「凪、俺と離婚してくれないか」
 啓一郎ははっきりとそう言った。背景の観覧車が夕陽に透けて、遊園地がオレンジ色の水の中のような雰囲気に包まれていた。啓一郎の発言と、美しい景色が不釣り合いだった。
 逆光になった啓一郎の表情は、よく見えなかった。
「毎朝毎晩、春樹が泣き、おまえがいらいらする。俺は助けようとするがまったく的外れで、より事態は悪化する。おまえたちは被害者だ、だから俺はいつも加害者になる。俺には今の家が安心できないんだ。精神的な居場所がない。お前たちに、敵のような目で見られるのが、もう耐えられないんだ」
 切なく苦しそうな声でそう言うと、啓一郎は慎重に体を上げた。せめて春樹を精神的に圧迫しないようにか、その目は凪だけに向けられていた。
「養育費はもちろん、一般的な離婚よりも多く出す。おまえがひとりで子育てをせず、ベビーシッターなんかもいつでも頼めるように。俺は父親にふさわしくなかった、俺が未熟だった。俺が全部悪い、そうなんだ、その通りだ。それでいいから、離婚してくれないか」
 凪はとっさに反応できず、夢のなかのように、意識がぼんやりしていた。啓一郎は「驚かせて、すまない。俺はおまえたちを家まで送ってから、ビジネスホテルにしばらく泊まる。お互いになるべくフェアな弁護士も見繕ってある。何も心配しなくていい、また改めて連絡するさ」と言った。
凪がようやく「そんな、急に」と漏らしても、啓一郎は「急じゃない。急じゃないんだ」と寂し気につぶやいた。暗にずっと離婚を考えていたのだと諭された。
 三人は無言でタクシー乗り場に向かい、啓一郎はお土産を車に積みだした。眠そうな春樹を抱き起して、チャイルドシートに留めてくれさえした。凪は放心した状態のまま、車に乗り込んだ。タクシーの発進を、啓一郎が見送ってくれているのを、バックミラーで確認したあと、凪は車のシートに全体重を預け、脱力した。
 春樹からは、「おとうさん、どこいくの」「りこん、なに?」と言葉少なに訊かれた。凪は放心しながら、「お父さんね、ホテル行くって。離婚はまだ考え中だから気にしなくていいよ」と力なく答えた。
 凪は糸の切れた風船のような気持ちだった。思考が宙に浮かび、どこにも着地できず、彷徨っていた。短期間に多くのことが起こりすぎて、脳が理解を拒んでいた。
 あんなに複雑な感情を抱いていた相手なのに、いざむこうから手を離されたら、こんなに頼りない気持ちになるなんて。結局自分は安全圏から文句を言っていただけなのか。いや、そうではないと断言できる、息子の発育の困難さがあった。せめて、離婚を決める前に、啓一郎が考えを共有してくれればよかった。一筋縄ではいかないことを理解し、末永く子供を見ていける気力が夫にあれば……でも結局、そうはならなかったのだ。
 

「つまり」と保健師の佐藤さんが慎重に口を開いた。「現在はご主人がビジネスホテルに泊まっていて、別居状態だということですね」
「はい。僕もまだ混乱していて……」
 しおらしく凪は答えたが、冷静な自分もいるのを感じていた。両親が憎みあっている家庭なんて、あのまま続いていくはずはなかったのだ。お互い空気が悪いまま春樹の前で話し続けてきたことも、ずっと春樹に面前DVをしてしまっていたのかもしれない、だとしたら取り返しがつかない。それでも自分は、心理的に息子に寄り添ってくれない夫に、愛想良くすることができなかった。こうなってしまったのは自分のせいだ。
 凪は啓一郎を腫物扱いしてしまっていたことを反省していた。凪は自分のことを責めてばかりいたから、啓一郎も孤独だということに気づくことができなかった。それでも心のどこかで、こんな日が来ることを予感していたかもしれない。啓一郎を歓迎しない我が家の雰囲気が、仕事で忙しい彼を包む愛の家庭でなかったことは明らかだった。けれど凪は、自分がどうすればいのかがわからなかった。子供の問題にはそのつど対処療法をするしかなく、凪ばかりが面倒をみて、啓一郎の対応はおざなりになってきたことは事実だ。どうすればこの事態を回避できただろう。
 佐藤さんは、これまでの春樹のカルテのようなものを改めて見返し、なにやらメモをしていた。なんの作業をしているのか訊く直前に、彼女は顔を上げた。
「二階堂さん。一度、医師のお話を受けてみませんか」
「それは……いよいよ息子に診断をつけるということですか?」
 恐怖のあまり口を開くと、佐藤さんは首を振った。
「いえ、ご主人様についてです。私は保健師ですから、この場では判断できないことですので。そうですね、本日、十四時から医師の診察が空いておりますから、そこで詳しいお話をいかがですか」
 春樹は我関せずで、手元のぬいぐるみに夢中だ。凪からではなく、保健所から啓一郎に連絡をしてくれるらしい。混乱したまま、凪は佐藤さんの指示に、自身の行動をゆだねた。

 コンビニで軽食を食べて時間をつぶしたのち、区の保健所の相談室に案内される。
 ぐずる春樹をうさぎのぬいぐるみであやしながら待っていると、時間ぴったりに、金髪の女性の医師が入室してきた。
 医師は凪たちにリラックスするように伝えると、カルテを見て、言葉を選びながら話し出した。
「こんにちは、二階堂さん。まず特性というものは、グラデーションであって、白黒つけにくいものなんです」
 そう医師は言って、凪を見つめた。
「知的機能と適応機能の両面を見ていかなければいけません。つまり、どれくらいの知能があるかと同時に、どれくらい周囲の環境に対応できるか、の両方を見る必要があるということです。ゆえに、高い知能を持っているひとでも、特性を持っていることがあります」
 凪は困惑した。これまでの春樹の検診で言われてきたことと同じだったからだ。医師は一体何を伝えたいのだろう。
「はい、それは理解しておりますが」と凪が言うと、医師は優しく話し出した。
「成人以降に、特性の問題が顕在化することもあるんです。それまではなんとかなっていたけれど、結婚や就職、子供ができたことをきっかけに、特性としての困難さが生じるといったぐあいに。子供ができたことで、特性を秘めたパートナーさんが、人が変わったようになってしまった、と感じるご家族も珍しくないんです」
 医師は片手を膝に置いた。
「率直に申し上げます。息子さんに表れているのとは、また違う形で、ご主人様にも、同様の特性のグレーゾーンが潜んでいる可能性があります」
 凪は、目の前のガラスが、ぱしんと音を立てて割れるような感覚がした。告げられた言葉が信じられなかった。
 凪は凍えるような心地で言った。
「夫は息子とは違い、社交的なのですが……」
「息子さんのように、ひとりを好む特性のかたもいますが、積極的に人に絡んでいくかたもいますよ。会社を立ち上げたり、人の上に立つ職業についたり。彼らの仕事への一途さ、自分だけの道を追求できる強さなどは、仕事の有能さに繋がるものですから。けれど、そうした『対外的な強さ』と、『家庭内での脆さ』は両立するんです。一途すぎる仕事への集中、細かすぎるルーティン、感情の読み取りのズレ。それらが家庭では困難さとして現れる場合もあります」
 凪はどうすればよいかわからなかった。でも、でも、と消え入りそうな声で抗議をくりかえす。
「夫はアルファなんです。アルファなのに、そんな特性があるなんて」
「アルファ、オメガ、ベータに特性の有無は関係ありません。すべての社会層、性別、人種で、特性を持つ人は存在します。社会的に成功している特性の持ち主の方もたくさんいますよ。特性があるからこそ、その能力で成功している方もいます」
 まだ信じられないでいる凪を諭すように、医師は人差し指を立てた。
「大人の発達障害、という概念があります」
 医師は言った。現代とは違い、昔は子供の特性が今ほどは診断されやすくなかったこと。昔は「ちょっと変わっている」で済まされていたことが、今では診断につながるケースもあること。子供のころにはあまり気に留められなくても、大人になってからその特性があらわになったり、隠しきれなくなったりするパターンがあること。
 大人になるまで現れにくい例としては、特性を持った人が社会に適応していくにあたり、自身の弱点をカモフラージュするのがうまくなっていくパターンを挙げられた。特性を持つひとが、意識的、無意識的に、自分から出てしまう特性らしいふるまいを隠し、社会に適応するために多大な努力をする。それが啓一郎のように、見えにくい特性の持ち主になる可能性があること。 
「ご本人が社会に適応していて、何にも困っていないのであれば、厳密には特性ではないと言えます。ですが、仕事がうまくいっていても、ご家庭内で特性が強く出て、大きな問題が起こる方もいます。今回のご離婚のお話のように。そうなってくると、やはり特性グレーであると診断できる可能性もあります」
 一気に説明すると、医師は控えめに微笑んだ。
「ご離婚を止める権利は我々にはありません。ですが、もし悲しみと諦めによってご離婚を選ばれるのならば、その前にお手伝いできることがあるかもしれないということです」

 保健師の佐藤さんからは、凪たちへの話とは別に、保健所のほうから啓一郎に電話をし、啓一郎の医師の診察の約束を取り付けた、と聞かされた。
 啓一郎がホテルでの別居生活を続ける間、啓一郎の実家から彼の母子手帳を送ってもらい、本人が次週の診察を受けるまでに、さらに一週間かかった。
 診断を受けた日の夕方、啓一郎から連絡があった。「一度家に帰る」と。 
 凪自身は、医師のカウンセリングから丸一週間経ってみると、色んなことが腑に落ちてきていた。肩の荷が降りたというのはこういう感じなのか、と思った。 不安で押しつぶされそうだった心が、すこし軽くなっていた。
 医師には、「彼に日常生活で不得意なことはありませんでしたか。親しい人だけには見える、彼の言動の癖のようなものです。心当たりはありませんか」と訊かれた。
 凪にはいくつか思い当たるふしがあった。たとえば、服の好み。春樹の服へのこだわりは把握していたが、思えば啓一郎も、垢ぬけているとはいえ、一週間ほとんど同じ格好をしていた。服選びに割く思考の量を減らすためだときいていたが、かえりみれば、こだわりの一種かもしれない。
 また、春樹の偏食には神経を配っていた凪だったが、啓一郎が毎食、大学で同じ学食を食べていることは、これまで気に留めていなかった。摂取カロリーをコントロールしたいのだと啓一郎は話していて、ミニマリスト的な思考なのかと凪は思っていたが、それも特性の表れだったのかもしれない。
 それに、春樹も啓一郎も、「凪の小言を、命令や文句のように受け取ってしまう」ところがある。こうしてほしいという要求が伝わりづらく、指摘すると機嫌を損ねてしまうのだ。内容よりも、凪に嫌なことを言われたという印象が強くなってしまうらしく、言ったことがなかなか相手の頭に入ってくれない。くどくどと色々と説明しても意味がなく、直近のお願いしか聞いてくれないところも、春樹と啓一郎の共通点だ。
 考えてみれば、春樹には当てはまらないなと思って気に留めていなかった特性のうち、啓一郎に当てはまるものもあった。突然、場違いな発言をしてしまうことだ。春樹への体育会的な物言いもそうだし、「被災地の人のほうが大変」といったような、春樹の気持ちに寄り添えない発言も、そうだ。ふだんはそんなことはないのに、記念日やプレゼントがむやみに派手というのも、特性のひとつであるらしい。先日、ひざまずいて離婚を乞われたこともそうだが、啓一郎は、記念日に百本のバラをくれたり、ダイアモンドの指輪をくれたりしていた。そういったきらびやかなプレゼントは、結婚式では嬉しいけれど、日常ではちょっと求めていないのだけれど……と凪は思っていた。豪華なプレゼントよりも、もっと感情的に寄り添ってほしかった。
 医師は、「旦那さんも苦しんでいますから」と啓一郎のことをフォローし、彼を責めないよう凪に言い含めた。
 今回の診断は、凪にとっては、これまで信じてきた啓一郎の印象のようなものが、掃除機で一気に吸われてしまったみたいに、一瞬で取り払われてしまったように感じられた。ずっと違和感を抱いていた。けれど、それが症状であると名付けられた瞬間に、すべてが一本の糸で結ばれてしまった。
 結婚後に夫と噛み合わなくなったとは思っていたが、まさか息子と同じ特性だとは、夢にも思わなかった。
 啓一郎が、ただ「自分をわかってほしい」と願っていたのだとしたら。それに気づけなかった自分に対する、後悔や罪悪感があった。まだ間に合うだろうか。ふたりでまた、関係を築いていけるだろうか。

 啓一郎は気まずそうに帰ってきた。
 彼の目の下にはうっすらクマがあり、いつもきれいに剃られていた無精ひげが伸びていた。容姿に気をつかう彼が、今まで見たことのないほど憔悴していた。
 啓一郎は玄関で、目をあわせないままこういった。
「俺は、おまえたちが俺を見る目が、どんどん険しくなっていくことに耐えられなくて」小さく息を飲み込み、言葉を継ぐ。「日に日に俺の頭がおかしいかのように思えて、おまえとあんなにあんなに信頼しあっていたのに、俺を見る目が、毎日冷めていって、怖かった。俺が家に帰ってくると、おまえたちは緊張する。注意深く俺を見て、言葉を選んで、怯えて。俺はおまえたちの穏やかな世界に飛び込んだ肉食獣みたいだった。できればおまえたちに、俺の存在に怯えないでほしい。そう思う一心だ」
 啓一郎の切実な祈りが込められた言葉だった。
 本来であれば、凪は、おかえりと啓一郎を抱きしめてあげたかったが、まだお互いの距離感がわからず、ぐっとこらえた。
 春樹を抱いて、啓一郎をリビングに招く。彼はコートハンガーに上着をつるすと、慎重にリビングに入ってきた。
啓一郎はムスっとした顔で、「誓って浮気はしていないからな」とつぶやいた。「自分のことで手いっぱいで、そんな暇があるわけがないのはわかってくれるな」
 凪はすこしおどろいて、「三年夫婦をしていればわかります。あなたは正直者ですから」とこたえた。自分との生活にまだ愛情はあると思ってくれていたことが意外で、ふいに心を揺らされた。ここ数年は、人の心がわからない人だと思っていたからだ。
 黙って春樹を撫でていると、啓一郎は椅子に座って足を組み、こちらに向かった。
「さて、俺が受けた診断はこうだ。俺は性格への出かたが違うだけで、春樹と同じ特性があるかもしれず、はっきりとした診断はまだ出ていないが、グラデーション層にいる可能性があると。しかも職場では問題なくできるが、家庭で問題が出てしまう、珍しい性質だと。俺が、おまえと息子とうまくいかず、離婚という判断をしてしまったのも、俺の特性のせいかもしれないと」
 啓一郎はつづけた。担当医師に言われて、実家から母子手帳をもらってきて、幼少期の生活も診断されたこと。彼はやんちゃな子であったこと、自分の世界にこもりがちであり、自分の興味がある話ばかりするという認識は、周囲からもされていたと。これらは特性の一部である可能性があるとのこと。
 そこまで言うと、啓一郎は「職場ではおかしいなんていわれたことがなかったが、凪は俺を見てどう思う」と訊ねた。
「いえ……言われたあとで考えてみたら、多少は心当たりがありましたが、僕もまだ診断がうまく飲み込めていないです。僕はびっくりしたんですけど、啓一郎さんは驚かないんですか」
 そう尋ねると、啓一郎は答えた。
「途方もなく驚いた。まさかアルファである俺が、とな。俺なりの努力をして、仕事に反映してきたさまざまな行動も、突然『特性』だと言われて納得いかない気持ちでいっぱいだ。理不尽だと怒りも沸いた。だが、的を得ている指摘もいくつかあった。だから、言われた診断を受けて、家庭環境をもう一度よくできるように試してみる価値はあると思った。以上だ」
 啓一郎はネクタイを緩め、椅子にもたれかかるようにして、嘆息した。
「なんにせよ、俺自身は手詰まりなんだ。この生活を再構築できるならなんでもやるさ」
 その言葉は、凪にとっては大きな安心につながった。啓一郎が前向きに家族関係を改善しようとしてくれることは、ありがたく受け止めようと、凪は思った。

「食事はまだ用意していないんだよな?」という啓一郎の発言により、凪たちは家から五分ほどのところにあるファミレスに移動した。
 啓一郎はメニューを息子に見せてやりながら、
「それにしても、家庭に特性グレーが二人もいたなんてな」
 と、小さな声でつぶやいた。その言葉には滲むような戸惑いと悔しさがあった。
 俺が気付かないところで迷惑をかけていただろう、と詫びるように告げてきたので、「そんなことはありません」と凪は、そんなことがあるのに否定した。ここで肯定したら、夫が自信をなくして、目の前からいなくなってしまいそうな気がしたからだ。
 啓一郎がハンバーグを、凪がサバ定食を選ぶ間、息子はずっとメニューを見て「うーん、んー」と悩んでいた。そして「これ!」と言って、啓一郎と同じハンバーグを指さした。
 凪と啓一郎は顔を見合わせた。春樹には偏食があり、保育園でも家でも、ハンバーグはほとんど手をつけない食べ物の一つだったからだ。
「本当に大丈夫? シチューにしない?」
 そう凪は言ったが、春樹は「これ」と自信満々にハンバーグを差している。
 運ばれてきたハンバーグは、デミグラスとトマトソースが混ざった、王道スタイルのものだ。肉厚のパティから、じゅうじゅうと湯気が立ちのぼっている。
 凪と啓一郎は固唾を飲んで見守った。春樹は一口食べ、美味しそうにほっぺたをモチモチと動かし、二口目、三口目と続けた。
「信じられない」と啓一郎が言った。
 凪も、頑固なはずの息子の行動に、
「え、なんで。お家での味付けが嫌だっただけってこと?」
 と驚いた。
 猫型ロボットが凪たちにも食事を運んでくるが、それどころではない。春樹は、「おいしい」とふくふくほっぺで何度も言いながら、ハンバーグ定食を完食した。
 その春樹の姿は、三人の関係に、新しい始まりを告げてくれたような気がした。

 翌日。
「いろいろありましたが、とりあえずしばらくの間はよろしくお願いいたします。これからのことは、順次考えていきましょう……」
 昨晩の凪の消極的な発言のもと、ふたたび二階堂家で三人の生活が始まった。
 啓一郎は朝六時きっかりにランニングへ出ていき、六時五十分にシャワーを浴びる。啓一郎と春樹の特性は、毎日ぴったり同じ時間通りに、同じ行動をする性質があるのだ。
 凪が昨日のうちに回しておいた洗濯物を取りこむ際に、洗面所で啓一郎とバッタリ会い、「あ、おはよう……」とお互い気まずそうに挨拶をした。
 七時になると、春樹が目を覚ます。春樹は目覚まし時計に逆らったことがなく、ぱちりと目覚める、寝起きには手のかからない子だ。啓一郎もそうなので、凪はそんな二人を尊敬している。
 朝の食事は、きっちり計量カップで測ったグラノーラだ。夫は追加でプロテインを。食のこだわりが強い二人との話し合いの結果、この献立に落ち着いていた。
 啓一郎は七時二十分に髭剃りなどの身だしなみを整え、七時半に仕事へ行く。
 以前なら、ここから、凪たちも春樹のお着換えや身だしなみなど、朝の戦争のような準備を経て、七時四十五分ごろ園に向かい、八時ちょうどに園に着く。はずだった、今までは。
 保育園を休園した今は、その必要はない。啓一郎を見送ったあとは、凪と春樹の二人の時間だ。
 これからの問題は山積みなのに、肉体的にはようやく解放されたような気が、凪にはしていた。朝、保育園に行くのにバタバタ騒ぎ、息子を急かして自己嫌悪になりながら園にかよっていた先日までの生活が、遠い日のようだ。
 いまは急ぐ必要もなく、春樹とゆっくりご飯を食べられる。息子の食べこぼしを、笑いながらぬぐってやれる。あれだけ毎日、春樹を焦らせて泣かせてしまっていたから、その必要がなくなったというだけで、とても穏やかな気持ちだ。叱られる息子はもちろん傷ついていただろうが、叱るほうである自分にもストレスがたまっていたのだと改めて思う。
 
 家にあるおもちゃは、春樹が何度も選びなおして残した、大好きなものばかりだ。凪が止めなければ、春樹は永遠に遊んでいる。
 凪は、働いていたころはめったにできなかったベッドパッドの洗濯や、シンク周りの掃除をした。洗濯物の回る音を聞きながら、昼食の仕込みをする、静かな生活の喜びにひたる。穏やかな午前だった。
  春樹は、お気に入りのふかふかのボアのパジャマに身を包んで、何百回と読んですりきれた大好きな絵本を読んでいる。頭を撫でてあげると嬉しそうにこっちを見上げたので、わきをくすぐったら笑い転げた。
 春樹がお昼寝を始めるころ、凪は啓一郎との今後について考えた。
 これまでは、暗に凪の意図を示そうとして失敗したり、文句を飲み込んでしまったことで、相手に遠慮して本音が言えなかったり、言っても無駄だと思って気持ちを押し込めていた。
 けれど、啓一郎が離婚を申し出たときに、彼の悲痛な胸のうちや、孤独感を知った。自分のことを、なにもできない無力な人間だと思っていたのは、凪だけではなかったのか、という救いの気持ちも生まれた。
 何を言っても無駄だと思っていた自分自身こそ、家族のことを諦めてしまっていたのだと凪は気づいた。一番守りたいのは家族なのに。もっと、家族の時間を大事にしたい。そう凪は、静かに決意した。

 しかし、そんな凪の思惑に対し、その日の夕食のあと、啓一郎はあっさりと水を差してきた。
「悪いんだが、今週の金土日と、また被災地に行くことになった。うまくいけば、いい科研費が取れそうなんだ。よろしく頼む」
 せっかく良い気分だったのに、横やりをいれられた。凪は真顔になり、憤りに襲われた。
 離婚騒動をのりこえて、せっかく家族三人がまたそろって、春樹が落ち着いてきた頃なのに。また週末もワンオペか。
 どこまでいっても啓一郎とは分かり合えないんだろうか。自分がそもそも啓一郎に恋をしなければ、結婚を、妊娠を早まってしまったからなのか、なにがなんだかわからなくなった。大事なことを話したと思っていたのは凪だけで、啓一郎は、なあなあにしておけば元通りになって、春樹もそのうち変わると思っているのだろうか。
 後ろ向きになることばかりを考えていたら、みぞおちがきゅうっと奥底から絞られる感覚になった。怒りをうまく言葉にできなくて、これでは涙が出てしまうと思い、凪は慌てて洗面所に駆け込んだ。洗面台に手をついたとたん、涙が溢れてきた。
 なぜこんなことで傷つくほど弱いのか。
 自分のことが大嫌いだ、なんでこうなるんだろう。口をふさいで嗚咽を堪えていると、背後からぬっと啓一郎が姿を現した。
 洗面台の鏡越しに目があう。
 どうやらたまたま食後に歯を磨きにきたらしく、本当に悪びれもなく、凪の泣き顔を見たのは予想外という顔をしている。
「……なんですか」
 凪はとりつくろうのもばかばかしくなって、そのまま鼻をすする。
「いや、大丈夫か……?」
 思い当たるふしがないといったように口ごもり、なにごとか思案げにした啓一郎は、直後ぱっと笑った。
「あ。酒あるけど飲むか?」

「あーっ! 酔いました!」
 かんっ、と音をさせ、凪がコップを置く。
「その酔いっぷりの速さ、結婚前と変わらないな」
 啓一郎があきれ顔で言った。啓一郎が被災地で購入してきた、石川県の被災蔵元へ還元する復興応援酒を、凪は一升瓶の半分ほども飲んでいた。見た目にそぐわず、啓一郎よりも凪の方が酒に強いのだ。
 凪はうろんな目で啓一郎をにらんだ。
「別れようとか言ったり毎週のように出張したり、なんなんですかあなたは。春樹という天使が目に入らないのですか」
「入るとも。春樹は目に入れても痛くないが、仕事と研究なんだ、仕方ないじゃないか」
「態度がでかい!」啓一郎の口調に腹が立ち、凪は一蹴した。「この仕事人間、自分のことしか目に入らない、思い込みが激しくて一直線、他人の感情を想像しづらい、変わる気がないというその態度。そういうあなたの性格が、こんなにややこしい状況を招いたことをお忘れですか」
「それは、すまない」啓一郎は潔く頭を下げた。「俺は家庭では想像以上にできることのない人間だったらしい」
 その迷いのない言葉に、凪は言葉を詰まらせた。あまり離婚のことを掘り返しても、啓一郎も苦しんでいたのだし……そう思い、「こうならなければあなたの特性もわからなかったかもしれないので、それはもういいんです」と凪は返した。
「あなたは言動が極端なんですよ。喧嘩や口論をして勝てとか、春樹の性格にあわないことばかりアドバイスしたり。離婚が俎上に乗った直後で、生活のためになんでもやるというのなら、もっと態度で示していただいてもいいのでは? せめてもうすこし家事育児に貢献していただかないと」
 啓一郎は困った顔で「どの家事をするべきなのかわからない」というが、凪がすかさず「いつも言ってるじゃありませんか」と返す。啓一郎はかぶりをふった。
「いや、より具体的に言ってもらえないとわからない。俺は自分ができていると思っても、皿の洗い方すら、おまえに溜息をつかれるからな。仕事みたいな具体性の高いものならできるんだが、こういう家のことみたいな曖昧なものだと、コツがつかめないんだ。いやまあ、俺が、稼ぐことこそ家族への貢献だと思い込んでいたせいで家事に慣れていないのもあるな」
 そう言い、啓一郎は目を伏せた。
「うちは父親が仕事人間で、子供のころあまりかまってもらえなかったから、俺は息子にとってとっつきやすい親になりたいと思って、自分がしてほしいように絡んでいたんだがな。俺が春樹になにかを教えようとしても、から回っているような気がする」
 同じ特性なのにな、と啓一郎は呟き、言葉をつづけた。自分はこれまでこの自身の性格のおかげで、競争に勝ち抜き、研究の道を選び、成功してきたと。結婚や家庭に対してであっても、そういう方面の努力をしてきたつもりであったと。
 凪は、啓一郎がおかれてきた家庭環境を想った。だが、母親が専業主婦の家庭だったから家事のいろはがわからない、というのは、いまどきの夫婦としては考えを改めてほしいところだ。
「僕はあなたに食事を作っていただきたいんです。特別な休暇でなくても、週に二回ほど、買い出しと料理と配膳と後片付けを、すべて含めて自主的にやっていただきたいのですが。内容も、普通のごはんで」
「初耳だ。おまえは俺に一度も食事を作れと言ったことはなかっただろう」
「そうですね。それは僕が作るべきだと思いこんでいて、これまで言わなかったからです。でも違いました。僕はあなたの愛を疑うほどフラストレーションを溜めてしまった。ですから、これからはお願いいたします」
 啓一郎はしばらくうなったのち、「せめて最初は店屋物でもいいか」と答えた。
「俺には家庭料理の素地がない。ここから腕を磨くとなれば、相当な時間がかかるだろうし、まずい料理で嫌な思いもさせるだろう。多少、値は張るが、店屋物は俺にとってもっとも効率がいい。俺の料理ならまずくて食べられないこともあるかもしれないが、外注する料理ならそんなこともないだろう。凪や春樹へのデメリットも少ない」
 それに、と啓一郎は続けた。
「俺はもともと、家庭の食事が凪の手作りである必要も、あまりないと思っていたんだ。いっそ宅食でも頼むか?」
「宅食ですか……」
 悪くないかもしれない、と凪は思った。なにせハンバーグは、家のではなくファミレスのならば、春樹は食べられたのだから。栄養のためと思って、凪は知らず知らずのうちに薄味の食事にしすぎていたのかもしれない。
 啓一郎だけではなく、凪も自身の考えを改める必要があるだろう。そう思いながら、もうひとくち、日本酒を飲んだ。
「あるべき子育てにこだわりすぎないことも、春樹を取り巻く環境を楽にできるひとつの道かもしれませんね」
 言葉にしてみると、いくらかすっきりとした。ちょうどよく酔っただけでなく、緊張していた胸のつかえがすこし取れた気がする。
「話し合う時間がとれてよかったです。こうやって夫婦の会話が噛み合うこともあまりなかったですし。こまめに感情の共有をしないといけないと思いました」
「定期的に一緒に酒を飲むか?」
「そうですね。夫婦の時間とまでは言いませんが、日常的な話し合いの時間はとってほしいかもしれません」
 凪は啓一郎のコップにもお酒を注ぎながら、ふと思い返した。
「そういえば、妊娠してからずっと一緒に飲んでいなかったような気がしますね。付き合っているときはよく飲んでいたのに」
「それは、そういう雰囲気にならなかったからだろう。酒を飲むと、俺が必ずおまえに手を出したくなるから」
「え、いまも手を出したいんですか?」
 驚いた凪に対し、啓一郎は少し考えて「まあな」と悪びれずに言った。
「そうですか……」
 凪は妙にどぎまぎした。恥ずかしげもなくこういうことをいうひとなのだ、啓一郎は。特性上、春樹はなかなか目線があわないが、啓一郎はこちらが困るほどまっすぐ見つめてくるタイプだ。こういうときでも。
「真剣に話し合っているときにそんな。この脳直男……」
「む。なんだと、この糸目め」
「朴念仁。平行眉。ナルシスト」
「なんだと。なよやか」
「それは悪口になるんですか?」
 軽口を叩きあっていたら、寝室の扉が動いた。春樹が寝ぼけまなこで現れる。
「けんか?」
 春樹が言うので、凪たちは顔を見合わせて、「違うよ」と言いあった。
 春樹のからだが船をこぎ、とろとろと眠りの入り口にいるのを、凪は抱き寄せて、背中を撫でてやった。春樹のからだは、生まれたての猫の、やわらかいお腹のようなあたたかさだった。
「僕は、あなたのことをよく知らないまま結婚したのかもしれません」
 そう凪はつぶやいた。すると啓一郎もうなずいた。
「言われると俺もそうだ。おまえが家庭に入ることは、俺の強制ではなく、おまえが自分で選んだものだとばかり思っていたし、働きたいと言われた時も予想外だった」
 もっとよく話し合う機会があればよかった、と凪は思った。どんな子供時代だったのか、どんな家庭を望んでいたのか、どんなふうに子供を育てたいのか。
 これから話し合うべきことは山のようにあるなと、なんだかおかしくなって、凪はくすりと笑った。
「僕はあなたがうらやましいです。子育てを僕に任せて研究をしているあなたが。僕だって進学したかったし、研究者になりたかったです」
 そう言うと、啓一郎はまっすぐ凪を見返した。
「そうなのか。おまえが大学院への進学をあきらめた当時、俺は、妊娠したからといって、おまえがあっさり大学院をやめてしまったのが不思議だったんだ。まさか、子育てがこんなに大変だとは思わなかったからな。もし春樹に療育が合えば、いまの仕事を辞めて、おまえが研究に戻ってくるのも、俺は大賛成だ。俺たちは家族だけで問題をなんとかしようとしていたが、もっと福祉に頼ってみてもいいんじゃないか」
 凪はうなずいた。
「啓一郎さん、療育に一緒にかよってくれますか。お仕事があっても、週に何日かは一緒に行ってくれませんか」
ああ、と啓一郎は口元をゆるめた。
「講義や研究会の時間はずらせないが、自分で研究に充てていた時間を融通する。帰宅してから集中することにして、夕方に春樹との時間を取ろう。一日のスケジュールを臨機応変に変えるのは苦手なんだが、春樹のためだ。やってみよう」
 ちいさな一歩かもしれない。けれど、これは家族としての再出発だ。凪は嬉しくなった。

 行くと決めた療育センターは、東上野にある、やや古びた建物だった。
 入り口近くの看板には、カラフルな広報ポスターや子供たちの泥遊びの写真などが飾ってある。啓一郎が、「いい雰囲気のところじゃないか」と顔をほころばせた。
 凪がインターフォンを押そうとしたとき、内側から引き戸が音を立てて開いた。
「いらっしゃい! 二階堂さんね。待ってたわ」
 現れた女性は、春樹ににっこりと笑いかけた。ミルクティー色の茶髪で、ゆるりとしたシャツを羽織った、気構えのない服装をしている。
 女性が差し出した名刺には、「療育センター長・角田のぞみ」と書かれていた。
 療育センターのなかは、春樹が通っていた保育園よりも広々としたところだった。黄みがかった白熱灯の光が天井から降りそそぎ、開放的なプレイエリアには、笑い声とおもちゃの音が混じって響いていた。いくつかの部屋はすべて開け放たれており、何人かの子供が笑いながら扉を出入りしていた。
 角田さんは、センターの時間割や、施設内の遊具について説明をすると、こう言った。
「行動分析学では、成長や発達には、環境を整えることがほとんどすべてだと考えます。子供は、より環境の影響を受けやすいですが、環境によってその子が適切な行動ができるようになれば、もはや特性でも困りごとでもありません。これからは、子供の視点に立っていきましょう」
 そう言うと角田さんは、一人でおもちゃをいじっていた春樹に「いい子で待てたね」と言った。
「お父さんがた、春樹くんがこうして、大人が話しているあいだに待てるのはすごいことですよ。待ってくれていることが、この子にとってはすごく長い時間かもしれません。ぜひ『待てたね』と言ってあげてください」
 あたたかい言葉に凪はうれしくなって、「待てたね。すごいね」と春樹に声をかけた。思いがけず褒められた春樹は、照れくさそうに、けれどうれしそうに凪にすりよった。
 角田さんは、ひとり遊びは必ずしも問題行動ではないのだと言った。自分の周りの世界が情報であふれているなか、情報の順位付けが未熟な子供にとって、すべてをシャットアウトして一人でいるのが、安全な環境なのかもしれないのだと。
 凪には思い当たることがあった。
「先生が言ったことに、思わずフリーズしてしまって動けないことが、前の園ではよくあったみたいで」
 そう相談すると、角田さんは「指示が多すぎて、よくわからないのかもしれないね」と言った。凪は、自分も特性を意識してひとつずつ伝えるようにしているのだと言ったのだが、角田さんは、「ひとつずつ言われてるときでも、まだ情報量が多いのかも」と指摘する。周りの音や声が、過剰に響いてしまっているのかもしれない。そう伝えられた。

 帰宅後、はじめての療育について啓一郎と話し合うなかで、凪は啓一郎に、情報量の多さについて相談した。
 すると啓一郎が、「俺も春樹と同じだ」と言って、解決策を提案してくれた。彼が自室から持ってきたのは、ノイズキャンセリング機能のついたデジタル耳栓だ。
 啓一郎には、エアコンの音や電車の音、テレビの音、ほかの人の喋る音が、すべてノイズになるため、研究に集中したいときは、その耳栓を使っているらしい。
 試しに啓一郎から耳栓を借りて、春樹につけてみると、春樹の目がぱちりと輝いた。
「パパのこえ、いっぱいきこえる」
 嬉しそうに満開の笑顔で言われ、凪はおもわず春樹を抱きしめた。
 さっそく春樹用にも、デジタル耳栓を購入した。

 耳栓のおかげで、春樹はすこしずつ変わっていった。電車などの移動でも泣かなくなり、呼びかければ、こちらを見てお話を聞こうとする姿勢になってくれるようにもなった。どれだけ世界の雑音が彼を邪魔していたのだろうと思うと、凪は、まだまだ春樹の立場には立てていないなと反省するばかりだった。

 啓一郎とは話し合いの末、週に三度は残業をせず、まっすぐ研究室から帰ってきてもらうという約束を交わした。かなり難しそうな顔をしていたが、いまが肝心なのだからと凪が真剣に伝えると、しぶしぶではありながらも折れてくれた。くわえて、療育センターへ春樹を一緒に迎えに行ってもらいたいとも伝えた。
 凪のなかでは、これまでの夫婦関係に生じていた遠慮が、ようやく剥がれてきている実感があった。啓一郎に頼むときには、具体的な指示が有効だとも、だんだん分かってきた。
「春樹と公園に行って、一時間、ブランコと滑り台で遊んできてください」
そう頼めば、啓一郎はその通りにしてくれるし、
「週に一回でいいので、お風呂掃除をしてください」
 といえば、風呂掃除にはどんな洗剤が必要なのか、排水溝掃除ではどこを見るべきなのか、ちゃんと調べてくれる。啓一郎は「不思議と、任せられた仕事は凝ってみようという気になる」と言いながら、排水溝をぴかぴかに磨きあげてくれた。やはり根は真面目なひとなのだ。
 任せる前、凪は、春樹が啓一郎とふたりで遊んだり、過ごしてもらうのは、緊張してしまうかもしれないと心配していた。けれど、いざやってもらってみたら、春樹は素直に啓一郎のいうことを聞いてくれているらしい。啓一郎にとっても、自分に役割ができると、主体的に育児に参加しようと思えるらしい。おままごとやかくれんぼ、鉄棒や砂場遊びまで、積極的に春樹と楽しんでくれている。
 啓一郎は「これで前より少しでも仲良くなれると思うと、うれしくなるな」と笑みをこぼしていた。
 春樹も、啓一郎と遊んだ日のことを、誇らしげに語る。
「お父さんと、てつぼうしたの。すなで、おしろもつくった」「スーパーで、チョコかってもらった」
きらきらと嬉しそうに話してくる春樹の様子が嬉しくて、凪から啓一郎に「春樹も喜んでましたよ」と言うと、「本当か? やったかいがあった」と啓一郎は、慣れない育児にへろへろになりながら、「ああ、春樹は可愛いな」と照れくさそうにこぼしてくれるようになった。
 家族が一緒に笑える時間が、増えていく。それは何にもかえがたいくらい、うれしい変化だった。

 療育センターには、さまざまなプログラムがあった。テーブルゲームでは「ルールを守るにはどうしたらよいか」を、ボール遊びや卓球では「負けたときにも癇癪をおこさず周りと仲良くできるか」を、先生のおはなしを聞く時間には「退屈していても我慢できるか」を学べるようにと、どのプログラムもそれぞれの目的をもって作られている。
 全国の児童発達支援事業所は、十年前から約四倍に増加している。それだけ、特性を持つ子どもたちが、早い段階で発見されるようになったということだ。そして同時に、彼らの居場所が切実に求められているのだ、と凪は実感した。
 春樹に効果的だったのは、予定の見える化だった。スケジュールを表にして、視覚的にわかりやすく生活の見通しを立ててあげる。そうすることで、今なにをしなければいけないのかということに気づけるほか、やりたい遊びも「あとでできるよ」と確認できる。先がわかるということが、春樹にとっても大きな安心に繋がったらしく、以前のように、むやみに駄々をこねることが減った。
 また、春樹がまだうまくできない行動に対しても、辛抱づよく肯定してあげることが大事だと、凪は気づいた。はじめての遊びでも「挑戦できたね、頑張れたね」とひとつひとつ言ってあげるのだ。はじめてのことは誰でも不安だけれど、春樹に「パパと一緒にすると初めてのことでも楽しいかも、前より上手くできるかも」と感じてもらえることが、親子のつながりに結び付くのだと、療育に通っていて教えられた。
 療育に通って二週間ほどで、角田さんに「もう何人か友達ができたみたいですよ」と言われたときには、前の保育園でのトラウマもあいまって、心から安心した。ひとりじゃなくてよかった。春樹がひとりじゃなくてよかった。くりかえし、そう思った。保育園時代の孤立やからかいの記憶が、凪の中で深い影を落としていたぶん、春樹に友達ができたことは、ひとすじの光のような希望に見えた。
 集団生活は春樹にはもう難しいのかとすら思っていたけれど、関わりかたが違うだけでこんなにも春樹自身の反応が変わるのだなと、凪はうれしくなった。ようやく春樹が居場所を見つけたことに、静かに胸をなでおろした。

 春樹が違う道に慣れてくれるために、凪たちは毎日、ほんのすこしずつ順路を変えて歩いてみるようにしていた。知らない道を通ってみると、きれいに手入れされているお庭に出会うことができたり、小さなお店を発見したり、かわいいお花が生えていたりと、心をあたためてくれる発見がある。
 啓一郎を連れて道を変えてみたときは楽しかった。
 凪が「この道にしましょうか。通ってみたかったんです。春樹とも何度も前を通って予習したんです、ね、春樹」といった道は、緑がからみあって天井ができている細い裏道だった。植樹がご趣味の、ご近所さんたちの裏通りだ。
啓一郎が顔を青くして「虫が落ちてきたらどうするんだ」と言ったので、「取ればいいでしょう。道を変えてみるのは、あなたの訓練でもあるんですよ」と返したら、わかってると苦虫を嚙み潰したように言われた。
 いざその道を進んでみると、春樹だけではなく、啓一郎までぎくしゃくとしはじめた。
「ずっと脳内にエラー表示が出てるような状態なんだが」
 啓一郎が言ったとたん、彼の目のあたりに、どこかの庭木の枝が触れた。
「うわ」
 珍しく啓一郎が声を挙げ、身をすくめる。
「も、もどろう、いつもの道の方が安全だから」
「大丈夫ですよ、ちゃんとマップアプリでも推奨されてましたし」
「マップアプリの事故も頻繁にあるぞ」
「住宅街ですし、そんなことめったに起こりませんよ」
「エラーが溜まっているんだ、もうすぐ爆発する」
「実況しないでくださいちょっと、」
 そう言いあっていたら、ぱっと視界が開き、目の前になじんだ道が現れた。暗闇のなかから一気に陽がさしたような気分だ。
「わあ、よかった」と凪が言うと、春樹も「よかったねえ」と安心した声を出した。ふりむくと、戦場から帰還した兵士のような面持ちの啓一郎がいた。その肩に、なにか小さなものが乗っている。
「あっ、肩に虫」
 指摘すると、啓一郎が「わっ」と慌てた声を挙げた。その虫は、つかまえようとする啓一郎の指をかいくぐって、ひらひらとひまわり色の羽を揺らめかせながら飛んでいった。
「ちょうちょ!」
 春樹が嬉しそうに叫んだ。ひらめいていくモンキチョウは、平和の象徴のようだった。
「いつもと違う道だったね。違う道でも、大丈夫だったね」
 そう凪が言ってあげると、春樹は花がほころぶように「だいじょうぶだった」と笑った。その日のことは、宝物のように覚えている。
 楽しいねと声をかけてあげることの重要性を実感したこともさることながら、啓一郎が小さな蝶に驚いた声を挙げていたところが可愛かった。著名な教授と真っ向から議論をしあう頼もしい姿ばかり見ていたから、知らない道をこわがり、小さな蝶に慌てふためく啓一郎が新鮮で、愛おしかった。こんな一面もあるんだ、そう思えることが、なんだか嬉しかった。

 家事を担ってくれるようになった啓一郎は、ある夜、ふとつぶやいた。
「俺は、自分が持つ家族像を更新するのに抵抗があったんだな」
 リビングのやわらかな灯りの下、日本酒を飲みながら、彼はぽつぽつと言葉を継いでいく。
「父親は仕事、母親が育児。そういう役割分担が、一番うまくいくと思いこんでいた。春樹の性格や発達が、自分の生きづらさと重なる部分もあって、共感できることもあったが、俺なりのやりかたを主張すると、凪の常識にいさめられてきたから、自分と子供は、もうあまりかかわってはいけないのかと思っていた」
 啓一郎は、療育というきっかけがあって、春樹とかかわるようになってから、自分が家庭に参加してもいいのだと、ようやく思えるようになったという。
「俺は昔から、こうしなければという、自分を監督するような超自我が強くて、自分を型にはめてきたから、息苦しい幼少期だったよ。父親が転勤族であまり家にいなくて、教育に厳しい母親と二人で生活してきた。常に『正しい道』が求められる家庭で、自分の生きにくさを、誰にも気づかれないように、努力で覆い隠すようになっていたんだ」
 啓一郎は、自身の人生をそう振り返った。語られる過去に、凪はそっと耳を傾けた。
 特性があっても、啓一郎のように勉強やコミュニケーションの能力が高いと、親からかけられる期待も大きく、大変なことも多かっただろう、と凪は思った。啓一郎はよくできる子として扱われ、胸の奥底に抱えた困難には、誰も気づかなかったのだろう。
 啓一郎は、「春樹を見てると、共感することはたくさんあるんだ」と言った。
「子供のころ、スポーツの暗黙の了解がわからなくてな。サッカーで、味方と連携せずに一人でシュートを決めて、得点したのに、なぜか責められて……何が悪いのかわからなかったりした。同級生にも悪いことをした。春樹とも似た困りごとかもしれないな」
 と悔やむように言ったり、
「俺は体内時計が正確すぎて、いつでも大体いま何時か分かるんだ。だが、子供のとき自慢したら、ロボットのようだとからかわれた。それ以来、恥ずかしくて周りに言うのをやめたんだ」というエピソードを話してくれたりした。
 自分の心の傷を、かすかに見せてくれた啓一郎に対し、凪はふいにこみあげるものがあった。信頼されているとも感じた。
「会いたいです、子供の頃の、あなたに」
 凪は心の底からそう思った。会って、伝えてあげたい。あなたのせいではないですよ、あなたは悪くないですよ、よく頑張りましたね、と抱きすくめてあげたかった。
 今日も頑張って普通のふりをした、そんな家族が目の前にいることを、凪は大切に、忘れないようにしようと思った。

 春樹は、療育の職員さんやお友達との遊びを経て、癇癪をおこさず我慢することが、本当に上手になっていった。怒りが膨らむ前にその場を離れて、ひとりで静かにする時間をとったりと、三歳にして気持ちの切り替えがうまくなった。
 春樹に余裕ができると、それをそばでみている凪にも、自然と余裕ができた。さらに、啓一郎が家事をやってくれるようになると、家庭内の風通しがぐんと良くなり、夫婦の口論が目にみえて減った。
 療育がはじまって、春樹自身にも自信がついたのか、なにかとひとりでやりたがることも増えていった。凪は、着替えや食事など、春樹ひとりでもできることは、積極的にやってもらうようにした。凪が見守ってあげると春樹も満足そうにしているし、自分の力だけで何かをやり遂げられたときの春樹の表情は、いつも誇らしげだった。
 こうして日々を重ねるうちに、凪はようやく気づきはじめていた。すべてを、特性のある相手に合わせようとしなくてもいいのだ、と。最初から完璧な関係をと思うのではなく、お互いにねぎらう所を増やしていく。苦手な部分は補い合い、得意なことは相手に任せる。そんなふうにして、支え合いのバランスを整えていけばいいのだと。
「これをしてくれて、ありがとう」と啓一郎に言えることが増えるたび、夫婦としてのつながりが、目に見えない糸のように強まっていくのを凪は感じていた。
 療育のおかげで、ずいぶん息がしやすくなった。ひとつ心が軽くなると、その安心が鎖のように次々とつながり、生活全体がふわりとやわらかくなっていくのだった。

 春樹のお迎えに行ったある日、「まだあそぶ」と言われた。凪は、友達と楽しそうにボール遊びをする春樹を、嬉しく眺めた。
 センターの職員さんたちは、必要なときにだけ手助けや参加をするようにして、子供たちを見守っている。その姿勢に、凪はいつも安堵を覚える。
「二階堂さん、ほら。神経を鎮めるお茶。ハーブティーだからカフェインレスですよ」
 そう声をかけてくれたのは、センター長の角田さんだった。
 可愛らしい花柄とうさぎが描かれたティーカップを受け取ると、たっぷりとはちみつ色のお茶が注がれていた。
「ありがとうございます。いただきます」
 ひとくち飲むと、カモミールの香りが、ふんわりと凪の口内をあたためてくれた。
「疲れに効きそうな感じがします」
 微笑みながらそう言うと、角田さんもにこやかに笑った。
「特性のある子に付き合ってると、頭も体も疲れますよね。当然のことです」
でも楽しい時もい~っぱいあるでしょ、と茶目っ気たっぷりに角田さんは言った。「だから自分の心と向きあう時間を大事にね」
 角田さんは、毎日こんなにも多くの「違い」を抱えた子どもたちと関わっているのに、どうしてこんなにも明るくいられるのだろう。凪は、ただただ尊敬するばかりだった。
 療育に来ている子たちの親も、心なしか肩の力を抜いているように見える。ここでは、子供が普通じゃなくても、誰も責めたり、焦ったりしない。どこまでも、ゆるやかに受け入れる空気が流れている。
 自分だけではないのだ、大変な思いをしているのも、窮屈な思いをしているのも。そう凪は思った。
「ここは同じ状況の人がいて落ち着くでしょ」角田さんが机の上のキャンディをつまみながら言った。「ひとりで抱え込む親御さんが多いから。子供の特性を、自分の遺伝のせいだと思うとか」
 一瞬、息が止まった。心のなかを覗かれたのかと思った。
「どんな特性も、もちろん遺伝も可能性があるけど、その特性になる本当のわけは、はっきりとはわかっていないの。誰のせいでもないのよ。原因を探しても、見つからないの」
 だから自分や家族を責めるよりも、対応策を探していったほうがいいのだ、と角田さんは続けた。性格の問題でもないし、本人の努力不足でもないし、しつけのせいで発症するのでもない。特性とは、複雑なものなのだと。
 凪には彼女のいうことがよくわかった。だれにでも起こりうるのに、「なんでこの子が」と思ってしまう。理由がほしいのだ。けれど、特性があることに理由はない。
 保育園を休園するまで、どこまで走っても先が見えず、時が止まっているような気持ちだった。春樹の特性には気を配っていたが、成長に寄り添えていたかどうか定かではない。
 怖かった。「普通」のレールを外れてしまうのが。
 けれど、こうやって一歩踏み出してみればどうだろう。きちんとした行政機関の手を借りるだけで、こんなにも生活が変わるのだ。
 角田さんがこちらを向いてほほえんだ。
「このまえ旦那さんが春樹くんを迎えにきたとき、子供と外出するのも、ご飯食べてもらうのも、ひとつひとつが本当に重労働ですねって、妻はすごいですねって言ってましたよ」
 その言葉を聞いた瞬間、凪の胸にあたたかい何かがこみ上げてきた。啓一郎が、自分の育児をほめてくれる日がくるなんて思いもしなかった。心が震えた。

 寒さのなかにも、ほっと一息つけるようなあたたかい日が何度か続くと、上野にも春が訪れた。
 上野公園では、桜が満開だった。空をふんわりと包むように、ちいさな花の命が、つらなって咲いている。
 人波のなか、啓一郎が春樹を両腕で抱きあげ、桜の近くまで持ち上げる。風が吹くと、花びらがきらきらと小魚のうろこのようにさざめいた。ちら、と散った一枚の花びらが、春樹の頬にとまる。春樹は小さな瞳いっぱいに、桜の海を映していた。
 舞う桜のなか、啓一郎は優しい眼差しで春樹を見つめながら、ぽつりとつぶやいた。「凪、おまえが努力家で」と啓一郎は、笑みを浮かべた。「あそこまで努力家で、家や子供のことを俺が丸ごと投げても泣き言をいわずにいてくれたのは、ほとんど奇跡に近かったんだなと思った。こうして生活をあらためて、一緒にすごすようになって、おまえが春樹にどれだけのことをしてくれていたか、ようやくわかった」
 夜でも明るい上野の空は、陽が落ちるにつれて、ピンクから濃い紫色に染まっていく。陽が落ちるとともに、遊歩道にならんだランタンに灯りがつき、人々が歓声を挙げた。夕焼けに浮かびあがる夜桜が美しい。
「凪が毎日、自分を抱きしめてくれて、大好きだよって言ってくれたって春樹がいうんだ。春樹のなかは、おまえの愛でいっぱいだった」
 啓一郎は、まぶしいものを見るように目を細め、凪に笑いかけた。春の風が吹き抜けていく。肌がひやりと体の周りをめぐって、気持ち良い。
「おまえが俺を好きになってくれたときのことを思い出した。研究室をバラバラに出て、赤門で待ち合わせして帰って、俺の家でえろいことして、毎日話して話して、喧嘩みたいな議論になったときでも、議論はあくまで人格とは別っていうお互いの了解があって、ただ新鮮な議論を続けて二人でいる夜が、どこまでも自由に広がっていくような気がした。何日何晩いても全然足りないくらい、起きてる間も寝てる間も隣にいてくれることがうれしくて、このままずっと一緒にいられる人は他にいないって、この人しかいないって思って結婚したことも、なんだか遠い昔みたいに思っていたが、俺たちはたった三年で大人になったわけじゃなかったんだな。研究者なんて、ほとんど食べていくのが精一杯だからおまえにはきっと苦労をかけるぞっていった俺にも毅然として、私だってそうです、毎日卵かけご飯でもいいじゃないですが、あなたがいればいいじゃないですかって言ってくれたおまえが、ずっと本当はそのときのままのおまえが、ひとりで春樹を育ててくれていたんだな」
 あたたかい、春の夜の空気が、家族をつつむ。
「あのとき確かに、おまえに愛されていたことを思い出した」啓一郎は照れたように、はにかんだ。「今も愛してくれているか?」
「そうじゃなきゃ、泣きませんよ」
 凪は、あふれてくる涙をふりきるように、せいいっぱい笑った。まばたきをすると、風景が涙で薄くにじんだ。歩道には転々と白い花びらが散っていて、歩くのがもったいないほどだった。

 その晩、凪は体が熱く、腫れぼったくなるような感覚がして目を覚ました。
 ベッドから抜けだすと、ぞくぞくと体の奥底からこみあげるようなくすぐったさを感じる。
 ほうほうのていでリビングに移動する。体温計をあててみると、熱が出ているようだ。
 体が震える。
 三年間、凪が薬で無理矢理おさえてきた熱の予感がする。
 カバンにしまっていた抑制剤を飲み、白湯をわかした。息遣いが荒くなり、頬に血がのぼるのがわかる。ほどなくして、服の下から押し出すように、性器がゆるやかに膨らみはじめた。
 早鐘のように心臓がうるさい。体の内側から甘く痺れがはしる。
 抑制剤を飲んでもなかなか効かなくて、耐えきれずリビングのソファに倒れ込むように横になる。つらくて、思わず「けいいちろうさん」と舌ったらずな呼び声が唇から溢れた。
「凪」
 望んでいた声がして、凪はゆるくかぶりをふって声の方向を向いた。啓一郎が立っている。
「もしかして、ヒートか」
 そう啓一郎に言われて、かっと羞恥心で体が熱くなった。
 強力な抑制剤のおかげで、ここ三年は来たことがなかったのに。
「おまえの起きる物音がしたあと、百合の花束みたいな、独特の甘い香りがした。結婚前のように」
 つらいだろう、と啓一郎は凪の肩に触れた。
 そんな優しい接触だけでも、どくんと大きく心臓が鳴る。
 啓一郎とお互い信頼しあうようになり、心の溝が埋まっていたことも、急にヒートがきたことと関係があるかもしれない。春樹が生まれてからしばらくはスキンシップもなかったが、最近はまたすこし距離が近くなっていた。
 啓一郎に支えられながら、凪は、もうひとくち、白湯を飲んだ。しかし、体の奥底から湧き上がるような、もどかしい性的衝動が抑えられない。全身にまとわりつくように、濃厚な快楽が皮膚の内側から凪をなぞる。苦しくて、大きく息を吐いた。
「大丈夫か」
 肩を抱かれて、体がかたむくままに、凪は啓一郎にしなだれかかった。
 甘酸っぱく、切ない気持ちになる。啓一郎を見ると、ヒートに当てられて、彼の頬も蒸気していた。ヒートの甘い香りに啓一郎が興奮していて、けれど理性をたもちながら心配をしてくれているのがわかる。お互い、伴侶の体に触れたいと思い、同時に触れてもらいたいと思っている。
「してもいいか」
 待ち焦がれていた言葉に、けれど凪は、思わず顔を横に振った。なぜだと傷ついたように啓一郎に訊かれ、凪は、胸が切なく締め付けられるような感覚に耐えながら、とつとつと話した。
「してしまっていいのか、わからないんです。春樹の特性がわかってから、僕はずっと、春樹のことが、なにもかも僕がオメガなせいなんじゃないかと、僕の遺伝で大変な思いをさせてしまったんじゃないかとずっと思っていて、僕のせいで春樹が不幸になってしまうんじゃないかと、怖くて不安でたまらなくて、それでずっと、ヒートをむりやり抑えていて」
 凪の瞳に涙がにじんだ。自尊心が掻き乱されて、自分を消してしまいたくなる。
「怖くて、子宮なんて、ヒートなんて、なくなってしまえばいいと思いました。こんなこと、一生黙っているつもりだったんです」
 消え入りそうな声でそう言った。肩が震える。
 息を殺していたら、こめかみのあたりに優しく口づけが落とされた。
「おまえのせいで不幸だなんて、誰が言ったんだ。春樹は我が家にきた天使だ。俺にとって、地球の真ん中みたいなものだ。いま、春樹はあんなにのびのびとしていて、楽しそうに生きている。俺だって、自分にとって、おまえと春樹の存在がどれだけ大きかったか、ようやく気付いた。こんなに可愛いと思えるなんてと困るくらい、春樹もおまえも愛おしく思えているのは、おまえのおかげだ。感謝こそすれ、責めるわけがない。それでヒートを無理に止めていたのならば、申し訳ないと思うばかりだ」
 啓一郎は、あたたかく大きな掌で凪を抱きしめた。
「凪、愛している」
 心が、あたたかく、やさしい力で包まれる感覚がした。凪は泣き笑いのような表情になって、啓一郎に鼻先をすりよせた。「愛している」と、ずっと、また、付き合っていたころのように言われたかった。啓一郎のその言葉を待ち焦がれていた。
 肩口から顔をあげると、至近距離で瞳がかち合った。互いに吸い寄せられるように、深く口づけあう。
 啓一郎のごつごつとした両手が凪の両頬をなぞった。強い瞳が凪を見つめている。
「抱くぞ」
 低く男らしい声で、短くそう言われ、その久しぶりの熱っぽさに肌があわだった。
「はい」
 そう答えるなり、啓一郎からキスの雨が降ってきた。
 とろけそうになった。これまでの自分の葛藤が、自分を責める気持ちが、すべて許されたような気がした。官能的な感覚に翻弄されるように、凪は身をよじった。
 ソファのうえの凪の体にのしかかってくる啓一郎の重みが、凪の体をたしかに、今ここにつなぎとめてくれるようで、安心した。
 うなじに、啓一郎の歯の感触がする。首の裏側には、啓一郎とつがいになったときに噛まれた痕がくっきりと残っている。
 啓一郎は、自らのかつての噛み痕を確かめるように、何度も舌を這わせ、甘噛みした。所有欲のあらわれのようなその愛撫に、凪は心をときめかせた。
 服越しに、啓一郎の指が、熱を持った凪の下腹部の蕾に這わせられた。指を押しあてられた秘部が、きゅんと甘く締まった。行為を連想させられるように、とんとんと何度も突かれ、穴から蜜液があふれる。
 会陰全体を何度も啓一郎の指が往復し、秘部を押され、陰部の狭間がうるんでたまらない。何度も甘イキを繰り返し、凪は小さく啼いた。恥部が暴かれる感覚に、腰が勝手に前後してしまう。
 啓一郎のてのひらが、凪の体の形をたしかめるように撫であげ、凪の胸の飾りに触れた。
 快感によって硬さをもった乳首が、啓一郎の爪でかりかりとはじくようにつまびかれる。
「あ、ぁっ……」
 抑えきれず漏れた喘ぎも、啓一郎の唇に吸いとられる。
 たっぷりと唇を吸われると、ちゅっと可愛らしい音とともに顔が離された。
 パジャマと下履きを手早く脱がされると、濡れた足の谷間が外気にさらされる。膝裏に手を入れてぐっと広げられると、ひらかれた穴から内腿に愛液が流れた。
 誘うように啓一郎の頭を掻き抱くと、啓一郎が自らの下穿きをずらし、男根を秘部に押しつけた。
 くちゅん、と濡れた音とともに、陰茎が淫道に入ってくる。自らのなかが押し広げられる、久しぶりの感覚に、凪は息をつめた。秘部を出入りするその肉の熱さに、凪の体も追い立てられるように熱があがっていく。
 腸の奥、子宮の入り口に、啓一郎の熱が当たる。自分の体の輪郭を内側からなぞられる感覚に、凪は身をすくめた。
 凪は、春樹の特性が明らかになったとき、自分は子供を抱えて、もう誰とも愛し合うことなく死んでいくのだと思った。孤独だった体の奥に、ふたたび愛のあかしを感じることができるのが、うれしかった。啓一郎は、凪自身が否定していた体を慈しんでくれている。そのことが、凪の快楽を掻き立てた。
 雄を抜き差しされる。たくましく、しなやかな啓一郎の背中を凪の指先がすべった。啓一郎が欲情してくれて、こうして抱きすくめられていることが、なにより相手に受け入れられているようで、凪は心が満たされた。この人肌のあたたかさを、長く忘れていた。
「好きです……啓一郎さん……っ、愛して……ます……」
 自分の言葉に、自分で興奮した。本能だけじゃなく、自分の意志で啓一郎を求めた。
 蜂蜜のような甘い愛撫で全身がとろける。
 敏感な箇所を一気に責められ、凪は腰をくねらせた。何度も強い快感の波が全身をつらぬき、体の奥にあたたかい精液の放射を感じた。つられるように凪も白濁を放った。
 啓一郎とのセックスは、凪の人生に意味をあたえてくれる、優しいものだった。
 付き合っていたころに手をつないでいたときのきらめきや、互いを激しく求めあうぎらぎらとした灼熱のようなセックスとはすこし違う、家族としての信頼感を回復してくれるような、あたたかくて癒される、ひだまりのような交合だった。
 終わったあと、凪と啓一郎は、どちらからともなく笑いあった。啓一郎の笑顔は、久しぶりの行為に恥じらう凪の心をあたたかく照らしてくれた。
 体全体が弛緩して、心がやわらかく、ふわふわした。こんな気持ちにさせてくれる啓一郎との愛のあかしとして、春樹が生まれてきてくれたことを、改めて幸せだと感じた。

「今回の被災地派遣も、研究員の家族同伴が可能らしい。俺が費用を出す形で、もしよければ二人とも来てくれないか?」
 いつもの啓一郎の言葉に、乗ってみる気になったのは、ふたたび啓一郎とのあいだに愛情を感じるようになったからでもあり、かつて自身も専攻していた災害学の、現在の状況へと目を向ける余裕ができたからでもあった。
 凪たち一家は、週末、石川県輪島市を訪れた。まだ震災の爪痕がなまなましい地域だ。
 能登半島を襲った、最大震度七の地震。被災地では各所で道路が寸断し、被災者の救助に被害を及ぼしたほか、津波によって甚大な被害がもたらされた。地震による火災で、輪島市の朝市は焼失した。
 土砂崩れ、断水、道路割れ——秋に豪雨が重なったこともあり、仮設住宅の避難者は二百人を超えた。
 居住地付近では、ずっと積み上げられていた廃材が、今になってようやく片づけられたという。しかし、解体見込みの建物のうち、まだ約半数が残されている。すべての公費解体は、まだ先だ。
 啓一郎と凪たちは、仮設住宅を訪れ、避難しているかたがたの話を聞いた。どの人も、行政の力を借りながら、なんとか前を向こうと暮らしていた。
 やはりもう一度同じ場所に家を建てたい、住み慣れたところに家族と戻りたいという人もいれば、もう帰ってこないと決めた家庭も多く、石川県全体の人口も減ったという。
 地震による犠牲者のうち、三百人を超えるひとが災害関連死として認定されている。
 避難生活のなかでさまざまな負荷がかかり、亡くなってしまうことを、災害関連死とよぶ。啓一郎が現在、研究している分野だ。
 被災後の生活の不安や、避難所や仮設住宅での不便な暮らしに、ストレスをためてしまうことから、災害関連死は地震発生からしばらく経っても増え続けるものだ。一年後に認定されることもある。能登半島地震でも、二百人を超えるかたが、いまも災害関連死の認定を待っている。
 人は、歩くことや話すことが減ったり、活動量が少なくなると体力が低下してしまい、肺炎や心筋梗塞で亡くなりやすい。避難所に身を寄せたにもかかわらず、断水が続き、トイレが汚れていることから、便秘や脱水症状、高血圧など持病の悪化につながったひとが何人もいた。避難所で、床同然のところに寝ていた人が低体温症になってしまい、そこから体が弱ることもあった。日常生活が失われたことで、認知症が進行し、筋力が低下して動くことが難しくなったひともいた。
 啓一郎は仮設住宅に住んでいるかたがたの住居をまわり、ひとりひとり手を取ってこう言っていた。
「ひとりで頑張らないでください。もう十分頑張っていますから」
 啓一郎のその言葉に、凪も心を打たれた。
 凪が春樹のことでひとりで頑張っているとき、本当は啓一郎にこう言ってほしかったのだ、と凪は思った。けれど、家族との付き合いかたや、春樹の特性について、啓一郎はよくわかっていなかっただけなのだ。啓一郎は、本当はとてもやさしい人なのだ。
 啓一郎は災害関連死について、こう言っていた。
「被災をしてしまうと、周囲が大変ななかで、自分のしんどさを訴えにくい。だから、被災者が自分では『大丈夫、大丈夫』といっていても、支援するこちらは『大丈夫ではないかもしれない』という意識で対応しなければいけない。誰かが気付けば、災害関連死の防止につながっていく」
 石川のひとびとはたくさんの不安をかかえながら、日常を取り戻そうと生活を立て直していた。我慢強く、たくましく。
 仮設住宅に避難しているひとのなかに、娘を亡くした年配の女性がいた。娘さんには呼吸器系の疾患があった。そのことから、避難所で十分な体勢をとって過ごすこともままならず、最後は食べ物を飲み込む力も弱まり、衰弱し、気管支炎で亡くなってしまったそうだ。
 それでも女性は、娘さんの骨壺を撫でながらこう言っていた。
「亡くなって改めて思ったの。この子じゃなきゃ。やっぱりうちにはこの子じゃなきゃ、この子だったからよかったって。この子のおかげで知れたことがたくさんあるの。今は感謝しかないのよ」
 凪はその女性の言葉に、強く胸を打たれるように共感し、涙した。お気持ちお察しします、おつらかったですねと何度も言った。春樹は不思議そうに凪を見ていた。
 この子じゃなきゃ、この人だから、愛している。一緒にいたいと思う。凪が春樹に、あるいは啓一郎に、ずっと思っていたことだ。
 春樹が産まれたときに、確かに思った。「あなたを待っていた」と。その原始的な喜びから離れて、春樹の目先の困り事ばかりに目を向けすぎて、凪は、自分で問題を抱え込みすぎていた。明日のことはわからないのに、明日のことばかり気にしていた。
 その日の晩は、地元の人たちが集まる、復興したばかりの居酒屋で夕食をとった。啓一郎の研究グループのメンバーには、凪が進学を志していたころの知人も数人いて、あたたかいひとときとなった。
 宿泊所へ戻る帰り道、眠った春樹を抱きながら、凪は啓一郎に声をかけた。
「あなたがこれまで、仕事にかかりきりになっていた理由は、今回の滞在で身に染みてわかったような気がします。この仕事のやりがいは、むかし研究をしたいと望んだ僕自身も、理解していたことですから。あなたはなぜ仕事ばかりでわかってくれないんだろうと、感情的になってしまったこともありましたが、僕は日々のことに必死で、忘れていたかもしれません。あなたが尊い研究者だということを」
 凪は、啓一郎の左手に、自分の手を重ねた。銀色の結婚指輪がふれあい、カチリと音を立てた。
「お願いします。僕たち、夫婦としてやり直しましょう」
「それは俺のセリフだろう」
 驚いたように啓一郎が言うと、凪は表情をゆるめた。
「いいえ、僕から言いたかったんです。あなたの離婚宣言からこんなに頑張ってきたのに、ちゃんと返事をしていませんでしたから。僕は、あなたとやり直したい」
 啓一郎は「もちろんだ」と凪の肩を強く抱いた。春樹を腕に抱え、三人、寄り添いあって夜道を歩いた。




 翌年の春、凪は晴れて大学院修士課程に合格し、社会人と学生の二足のわらじを履くことになった。入学したのは、啓一郎と同じ、防災学の研究室だ。
 凪は、研究に戻りたいという気持ちを持ってからは、自分が、夫の妻であり、子の親であるというだけでなくて、第三の居場所を求めていた、ということをはっきりと自覚した。自分が何者であるかは、凪にとって、自尊心を形成するうえで重要なファクターだったのだ。生活に追われ、自分の意志をないがしろにしてしまっていたから、かつて、あそこまで精神的に追い詰められたのだと思う。
 自分が結婚を機に諦めなければならなかった、進学という夢に、啓一郎が被災地に連れて行ってくれたことで触れることができ、自分のなかの興味や好奇心が驚くほど刺激された。凪は、啓一郎に相談しながら、ふたたび災害学を志した。
 会社には、パートタイムの労働形態に切り替えてもらった。春樹には週五で療育に行ってもらい、凪は授業のある日のみ大学に通う。週末は夫婦かわりばんこに春樹をみるほか、託児サービスも使うようになった。
 以前の凪の、専業主夫型の生活からは、大きく環境が変化した。ずっと家にいて、子供を見ているのが親の愛情だと凪は思っていたけれど、そうとは限らなかった。春樹はもう友達の手を取って、親の知らない社会に向かって、走り出したばかりだ。
 家族という単位は、個人同士のつながりだ。家族に向ける顔と、外に向ける顔は別で、それは春樹でもそうだった。春樹は徐々に自他の境界線をもつようになって、家では見せない療育での、ちょっぴりやんちゃで、楽しそうな顔ができてきた。
 療育へ通うようになって、春樹はみるみる元気になっていった。陽だまりのような笑顔で、毎日嬉しそうに、今日遊んだ話をしてくる。つたなかった言葉も、毎日語彙が増えていく。いつも不安そうだった表情が、健全な自己肯定感に裏打ちされて、明るくなってきていた。ノイズキャンセリングの耳栓は、今は着けずに、持ち歩くだけで安心できるようになった。
 凪にとっても、春樹が成長の兆しを見せてくれると、「すごい、天才だ!」と思える親バカ心が出てきた。凪にはそれが嬉しかった。今までずっと、他の子よりも成長が遅れていることの心配ばかりしていたからだ。子育てをしていてこんなに明るい気持ちになれるとは、ほんのすこし前までは想像もできなかった。
 啓一郎も春樹も、別人になったわけではないし、なることもない。あいかわらず啓一郎は根性論に走りがちだし、そのたびに凪が軌道修正をする役になっている。啓一郎がそういう性格なのは、かつて生きづらさを抱えた彼が、頑張って努力をしてきた結果なのだと、いまは凪も受け止められている。すくなくとも前のように、意見がぶつかって喧嘩別れが続き、家庭内がゆるい絶望で満たされることはない。啓一郎、凪、春樹という三人の家族が、誰も欠けることなく幸せになる、そのひとつの目標のために、お互い譲り合い協力しあえるチームになったのだ。こんなに心強いことはない。
 凪としては、春樹との時間だけでなく、啓一郎との時間が増えたことが本当にうれしかった。春樹を優しく見つめながらご飯を食べさせてあげている啓一郎の姿には、心強さを覚えた。歓声をあげながら走る春樹を抱き上げ、啓一郎が大きく体をぐるぐると回すと、ますます春樹はきゃらきゃらと笑いころげた。春樹が寝静まったあとは、ゆっくり夫婦の時間をとって、学生時代のように研究の話をしたり、愛しあったりした。そんな幸せなことばかりが生活の中心になっていって、凪にとっては夢みたいだった。
 今はもう、特別に話し合いの時間をもうけなくても、啓一郎も凪も、仕事と春樹との生活を、自然に両立することができるようになっていた。
 三人は、その日あったことを話しあい、体をよじって笑い、楽しさをわかちあい、ともに眠った。
凪たちは共同体だった。家族というあたたかい、ひとつのかたまりだった。
 春樹とふたり、孤立していたときのことを、凪はときおり思い出す。あのときよりもずっと、周りに頼れる先が増えた、と思う。あれこれともがいていたけれど、やっぱり、完全な親になんてなれないのだ。大事なのは、周りに相談する先を見つけること。そして、春樹の成長をとことん待つこと、信じること。誰かと比較するのはもうやめようと、凪は思った。失敗しても笑って許せるような環境のなかにいれることが、いまは泣きそうなくらいに嬉しかった。
 日常のちいさなことを幸せだと思い、今日はラッキーだと思える日が増えた。
 うまくいかなかった日のことも、幸せと感じた日のことも、どれもきっと、ずっと先まで忘れないだろうと、凪は思った。
 春樹はもうひとりじゃない。凪は、周りのひとたちの、目には見えないあたたかい繋がりや、情報交換をしあってお互い精一杯生きている姿に救われた。これから春樹が見る世界が、すこしでもやさしさに満ちているものであるよう願った。
 春樹が産まれる前に、啓一郎と、春樹の名前を考えていたときのことを思い出した。すべてが始まり芽吹く時期である「春」と、人生を打ち立て、木がすくすくと生い茂っていくような姿を現す「樹」。どちらも成長を意味する単語だ。希望を込めて、凪と啓一郎は、その名前を選んだ。
 新緑の下を、春樹と啓一郎と並んで歩く。春樹の手足は、若葉のようにのびやかに成長していく。
 凪は大きく伸びをする。縮まっていた空気が、はーっと体を通っていく。
 自分の人生や生活を語るのに、こんなに使い古された言葉ばかりを使うのかと、凪はおかしく思った。でもこの言葉たちが、最も正確で、感情的に近いものになったのだ。そのことが、凪には不思議だった。
 啓一郎がいま子供のそばに居てくれる、そのことへの感謝と比類のなさを想う。
 啓一郎が好きだ。
 そのことが凪には幸せなのだ。

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