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残念な令嬢
しおりを挟む「お嬢、奥様の前と今、ほんとに全く別人やなあ」
ドスドスとクエスタ家で改良した奇獣の足音が夜の森に響き渡る。
「知るか。無駄口叩くとお前も置いていくぞ、チコ」
ふん、と鼻を鳴らし、斜め後ろで伴走する従者にちらりと視線をやった。
そして手綱を握る手は時々口元に運ばれる。
ヴァレンシアが握りしめているのは干し肉のかたまりだった。
「いやいやいや。お嬢ひとりで帰したら俺、クビですぜ。母ちゃんと五人の子どもたちに袋叩きにされるわ」
平民出身のチコは小柄な男だが俊敏で戦闘能力が高く、ヴァレンシアについていける数少ない家来の一人だ。
王都から人目を避けてありえないルートを突き進み、本来なら宿場ごとに馬を替えても一週間かかるクエスタ領まで三日かからずにたどり着く神業は、ヴァレンシアと当主、そして精鋭の騎士たちにしか出来ない。
そもそもが。
こっそり改良した馬は北のオングリーと共同で高山の山羊及び爬虫類系魔獣を長い年月をかけて掛け合わせた特殊な仕様で、とにかく足が強く、時にはまっすぐな崖も難なく駆け降りる。
見た目はちょっと農耕馬よりの武骨な馬。
しかし王都で敢えて履かせている靴の中は馬の脚とは言えない形態。
ようは、魔改造奇獣だ。
ただしとんでもない道を突き進むからには騎乗者の安全無視で木の枝や岩に激突する恐れが十分あり、俊敏さと防御能力が必要とされ、現在ヴァレンシアの爆走についてこれるのは妻子の尻に敷かれるチコのみとなる。
「ああ、肉がうまい…」
肉をかみしめしみじみと呟くヴァレンシアを憐れみの視線を送りつつチコは呟く。
「ほんとにさあ。こんな台無しなご令嬢ってこの世にお嬢しかいないと思う」
ほぼ休みなしに爆走し続け二人が本宅に帰着したのは、ようよう夜が明ける頃だった。
「おかえりなさい、ヴァレンシア」
「ただいま、母さん」
館の入り口で数名の使用人たちと一緒に出迎えたのは、クエスタ領の執務の総責任者であるレアンドラだ。
次子を設けられないマルティナに代って一夜限りの妾となってヴァレンシアを産み、美し過ぎて王都に置いておけない嫡男のマリアーノの養育も行い、二人には『母さん』と呼ばれている。
あくまでも『母上』はマルティナで、レアンドラはただの乳母兼執務官。
それについては徹底されていた。
「早速だけど、私が話すよりソシモから直接経緯を聞いた方が早いと思うのだけど、良いかしら」
ヴァレンシアは一瞬軽く目を見開き、それからぱしぱしと瞬く。
ソシモはマリアーノの第一護衛騎士だ。
「それは構いませんが、生きていたのですか、ソシモは」
「あたりまえでしょう。死ねない呪いがかかっているのだから」
「呪いって言うかな…。まあ、呪いと言えば呪いか」
ゆっくりと頭を左右に傾け凝り固まった首を鳴らしながらぼやくヴァレンシアの耳元に、レアンドラは顔を近づけ声を低めて囁いた。
「高山鹿の丸焼きがそろそろ出来上がるころなのだけど…」
ぎんっとヴァレンシアの目が黄緑色に輝く。
「行きます。五分後に。ざっと泥を落としてすぐに」
「三十分。今の貴方はとんでもなく奇獣臭くて鼻が曲がりそうよ。せっかくの料理が台無しだわ」
「では、念入りにで、十五分」
緊急時というのに通常運転の母娘の会話に使用人たちは半笑いになるしかない。
「お嬢…」
チコは唇を尖らせ目を閉じ、左右に首を振った。
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