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テレーゼ第二王女殿下の婚約が公に発表された。
第一王女殿下に先んずる婚姻に疑問を呈する声もあったが、大公令息に望まれての縁に、大方はこの婚姻を歓迎し祝福した。
婚約発表が為された直後から、テレーゼの下には祝いの品々や文が届けられ、それらの管理をするクリスティナ達も忙しくなった。
日々贈られてくる花籠にテレーゼの私室は四方の壁を占拠されて、花の香りは噎せ返る程である。
「なんだか凄い事になっているね。」
この日、テレーゼの私室を訪れたフレデリックが、花で埋め尽くされたその様子に驚いた風に言う。
幼い頃には互いの私室を兄姉妹達で行き来する事も多かった。その頃は未だ第二王子が生まれる前であったから、末姫のテレーゼは兄と姉に可愛がられて、私室で絵本を読んでもらうといった姿も頻繁に見られた。
しかし、フレデリックが立太子してからはそんな機会も減ってきて、執務を受け持つ兄と姉の足が遠退いて久しい。
だから、多忙なフレデリックがテレーゼの私室を訪問するのは久しぶりの事であった。
「テレーゼ。元気が無いと聞いたが。」
「お兄様。」
可憐な姫が眉根を下げると大きな瞳に幼さが戻って、ついつい手を差し伸べたくなる。
「どうしたんだい?私の姫がそんな憂いた顔をして。」
だから、フレデリックが両の手でテレーゼの頬を包み、可憐なその顔を覗き込んでしまう気持ちもよく分かる。
「お兄様、私、」
公に発表する前に、テレーゼにはこの婚約が知らされていた。
その日からテレーゼは塞ぎがちで、元々おっとりと大人しい姫であったのが、最近は私室を出る事も減ってしまった。
それは、突然齎された婚約であった事に加えて、婚姻までの期間が極端に短い事も原因であると思われた。
婚姻まで残された期間は一年にも満たない。
初秋に持ち込まれた婚約は、来春の婚姻が既に決まっており、僅か半年後にはテレーゼは大公家に嫁ぐ事となっている。
王族に生まれた姫君に大公妃の教育は不要であると言うことなのか、その仔細は明かにされていないが、異例中の異例である超速の婚姻を訝しむ者も確かにいる。
まるで追い出す様なお輿入れであるな。
誰がそんな不敬な事を言ったのか定かではないが、そう思われても仕方の無い話なのであった。
「テレーゼ。お前は請われて嫁ぐのだ。こんな幸福は無かろう。大公令息はお前より少しばかり年上ではあるが、凛々しく聡明な男だ。必ずお前を幸せにしてくれる。何も憂う心配は無いんだよ。」
フレデリックは、幼子を言い含める様に、テレーゼの瞳を見つめて優しく諭す。
「それともテレーゼ。心に想う男がいるのかい?」
その言葉にテレーゼが黙り込む。見つめる兄の視線から逃れる様に目を伏せた。
「恋心を捨てろとは言わない。けれどもテレーゼ。お前は王族だ。その意味を違えてはいけないよ。お前程の可憐な姫が何処に求められても不思議は無い。そうして見目良く能力のある男に求められたのだ。それを幸運と理解せねばならないのだよ。」
フレデリックの説得は続く。
「大公領は我が国に隣接している。気候も穏やかで公国は豊かだ。難しい問題を抱えている訳でもなければ、この婚姻に無理矢理な条件を付けて来た訳でも無い。」
「何より公国には側妃制度が無い。」
その言葉にテレーゼが僅かに反応したのが分かった。
「お前は唯一人の妻として、永遠に愛されるのだよ。」
留め(とどめ)の言葉に、テレーゼは何も言い返す事は無かった。そうして漸く
「解っております。お兄様。」
そう答えたのであった。
去り際、フレデリックは侍女頭に視線を送った。
侍女頭はそれを受けてフレデリック一行の後に付いた。しかしその直前に
「クリスティナ、貴女も。」
クリスティナに帯同を命じた。
侍女達に背を擦られて慰められるテレーゼを後ろに、クリスティナは音を立てずに一行の最後尾を追った。
フレデリックの執務室は人払いがされて、侍女頭とクリスティナ、そしてアランが残された。ローレンは本日非番となっている。
「あれを宜しく頼むよ。」
あれ、とはテレーゼの事であろうか。
「本懐を忘れてもらっては困るからね。」
ああ、フレデリックは王太子として話しているのだ。温度の低い物言いを疑問に感じたクリスティナはそう納得した。
今、フレデリックには妹想いの兄の顔は一切見えない。
「育ちきらぬ内に外へ出すのは忍びないが仕方あるまい。あと半年。あれには自覚を持って励んでもらいたい。ふらふらと余所見をするのは終いにしてもらわねば。」
冷静を超えて冷たくも感じる言葉である。
しかし、侍女頭もアランもそれを当然と受け止めているらしく、侍女頭は小さく頷いている。
「クリスティナ。」
突然名を呼ばれて、はっと前を見直す。
「あれの側に侍る侍女は君が一番長い。あれも君には姉の様に気安くいられるようであるし。」
フレデリックの言葉の温度に違和感を拭えないまま話は続く。
「あれの様子を私に報告してくれ。内々の事だから、その際にはアランが君に連絡をする。分かったね?」
一瞬、フレデリックの横に侍るアランと目が合った。
「過ちが有っては困るんだよ。」
フレデリックは全てを知っている。
その上で王女の心の弱さを知り尽くして、王女が道を踏み外さぬ様見張る事を命じているのだ。
どんな手が王女に差し伸べられても、クリスティナは王女にその手を取らせてはならないのだ。
第一王女殿下に先んずる婚姻に疑問を呈する声もあったが、大公令息に望まれての縁に、大方はこの婚姻を歓迎し祝福した。
婚約発表が為された直後から、テレーゼの下には祝いの品々や文が届けられ、それらの管理をするクリスティナ達も忙しくなった。
日々贈られてくる花籠にテレーゼの私室は四方の壁を占拠されて、花の香りは噎せ返る程である。
「なんだか凄い事になっているね。」
この日、テレーゼの私室を訪れたフレデリックが、花で埋め尽くされたその様子に驚いた風に言う。
幼い頃には互いの私室を兄姉妹達で行き来する事も多かった。その頃は未だ第二王子が生まれる前であったから、末姫のテレーゼは兄と姉に可愛がられて、私室で絵本を読んでもらうといった姿も頻繁に見られた。
しかし、フレデリックが立太子してからはそんな機会も減ってきて、執務を受け持つ兄と姉の足が遠退いて久しい。
だから、多忙なフレデリックがテレーゼの私室を訪問するのは久しぶりの事であった。
「テレーゼ。元気が無いと聞いたが。」
「お兄様。」
可憐な姫が眉根を下げると大きな瞳に幼さが戻って、ついつい手を差し伸べたくなる。
「どうしたんだい?私の姫がそんな憂いた顔をして。」
だから、フレデリックが両の手でテレーゼの頬を包み、可憐なその顔を覗き込んでしまう気持ちもよく分かる。
「お兄様、私、」
公に発表する前に、テレーゼにはこの婚約が知らされていた。
その日からテレーゼは塞ぎがちで、元々おっとりと大人しい姫であったのが、最近は私室を出る事も減ってしまった。
それは、突然齎された婚約であった事に加えて、婚姻までの期間が極端に短い事も原因であると思われた。
婚姻まで残された期間は一年にも満たない。
初秋に持ち込まれた婚約は、来春の婚姻が既に決まっており、僅か半年後にはテレーゼは大公家に嫁ぐ事となっている。
王族に生まれた姫君に大公妃の教育は不要であると言うことなのか、その仔細は明かにされていないが、異例中の異例である超速の婚姻を訝しむ者も確かにいる。
まるで追い出す様なお輿入れであるな。
誰がそんな不敬な事を言ったのか定かではないが、そう思われても仕方の無い話なのであった。
「テレーゼ。お前は請われて嫁ぐのだ。こんな幸福は無かろう。大公令息はお前より少しばかり年上ではあるが、凛々しく聡明な男だ。必ずお前を幸せにしてくれる。何も憂う心配は無いんだよ。」
フレデリックは、幼子を言い含める様に、テレーゼの瞳を見つめて優しく諭す。
「それともテレーゼ。心に想う男がいるのかい?」
その言葉にテレーゼが黙り込む。見つめる兄の視線から逃れる様に目を伏せた。
「恋心を捨てろとは言わない。けれどもテレーゼ。お前は王族だ。その意味を違えてはいけないよ。お前程の可憐な姫が何処に求められても不思議は無い。そうして見目良く能力のある男に求められたのだ。それを幸運と理解せねばならないのだよ。」
フレデリックの説得は続く。
「大公領は我が国に隣接している。気候も穏やかで公国は豊かだ。難しい問題を抱えている訳でもなければ、この婚姻に無理矢理な条件を付けて来た訳でも無い。」
「何より公国には側妃制度が無い。」
その言葉にテレーゼが僅かに反応したのが分かった。
「お前は唯一人の妻として、永遠に愛されるのだよ。」
留め(とどめ)の言葉に、テレーゼは何も言い返す事は無かった。そうして漸く
「解っております。お兄様。」
そう答えたのであった。
去り際、フレデリックは侍女頭に視線を送った。
侍女頭はそれを受けてフレデリック一行の後に付いた。しかしその直前に
「クリスティナ、貴女も。」
クリスティナに帯同を命じた。
侍女達に背を擦られて慰められるテレーゼを後ろに、クリスティナは音を立てずに一行の最後尾を追った。
フレデリックの執務室は人払いがされて、侍女頭とクリスティナ、そしてアランが残された。ローレンは本日非番となっている。
「あれを宜しく頼むよ。」
あれ、とはテレーゼの事であろうか。
「本懐を忘れてもらっては困るからね。」
ああ、フレデリックは王太子として話しているのだ。温度の低い物言いを疑問に感じたクリスティナはそう納得した。
今、フレデリックには妹想いの兄の顔は一切見えない。
「育ちきらぬ内に外へ出すのは忍びないが仕方あるまい。あと半年。あれには自覚を持って励んでもらいたい。ふらふらと余所見をするのは終いにしてもらわねば。」
冷静を超えて冷たくも感じる言葉である。
しかし、侍女頭もアランもそれを当然と受け止めているらしく、侍女頭は小さく頷いている。
「クリスティナ。」
突然名を呼ばれて、はっと前を見直す。
「あれの側に侍る侍女は君が一番長い。あれも君には姉の様に気安くいられるようであるし。」
フレデリックの言葉の温度に違和感を拭えないまま話は続く。
「あれの様子を私に報告してくれ。内々の事だから、その際にはアランが君に連絡をする。分かったね?」
一瞬、フレデリックの横に侍るアランと目が合った。
「過ちが有っては困るんだよ。」
フレデリックは全てを知っている。
その上で王女の心の弱さを知り尽くして、王女が道を踏み外さぬ様見張る事を命じているのだ。
どんな手が王女に差し伸べられても、クリスティナは王女にその手を取らせてはならないのだ。
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