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第十三章
前回の女の魔術1
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”前回”のことだ。
ようやく、公爵領公爵邸を取り戻した頃の事、十一歳になったばかりのエリージェ・ソードルは苦悩していた。
前記にもある通り、公爵邸はほぼ城と言っても良いほどの堅牢さを誇っていた。
魔術対策も万全で、仮に城下が占領され完全に包囲されていても、少なくとも一年は籠城できるほどの兵糧等の蓄えもされていた。
だが、いくら強固な守りも内からの攻撃には脆く、たかだか百名あまりの騎士によって数日間占領されることとなった。
エリージェ・ソードルは思った。
もし、その時に自分がいたらどうなったのだろうかと。
運が”良ければ”刺し殺される程度で終わるだろうが、下手をすると捕らえられ人質となっていた可能性だってあった。
そうすると、第一王子の婚約者である自分は公爵家どころか王家にとっても不利益をもたらす存在になるのではないか?
そう思ってしまうのだ。
しかも、自分が仮に死んでしまっても、それはそれで問題があった。
ルマ家、リヴスリー家の後ろ盾がある自分ならともかく、弟マヌエル・ソードルにはそういった存在がいなかった。
だから、今の段階で自分が死ぬことは公爵家を揺るがせかねない事だった。
だから、現時点では死にたくない、そう思った。
女騎士ジェシー・レーマーや騎士リョウ・モリタなど護衛騎士を信じないわけでもなかった。
ただ、最悪自分の身ぐらいは自分で守れるぐらいにはなりたい。
本気で思った。
だから、エリージェ・ソードルはまず、武芸に手を出した。
だが、女の身では肉体的な限界が訪れることは分かり切っていたし、幼なじみオーメスト・リーヴスリーと比べるまでもなく、才能もなかった。
だから、次に魔術を学び始めた。
元々、オールマ王国の貴族は十一には魔術を学び始める。
だから、祖父マテウス・ルマから著名な魔術士を教師としてつけられた。
その名を、ヨアヒム・シュタインという。
魔術力学の権威であり、医療魔術にも精通する賢者だった。
エリージェ・ソードルは老博士ヨアヒム・シュタインから魔術の手ほどきを受けた。
魔術の才もなかった。
ただ、凡庸ながらもソードル家の為に必死に学ぼうとする女にほだされたのか、老博士ヨアヒム・シュタインは様々なことを教えてくれた。
その中で、興味深い話を聞くこととなる。
それは、エリージェ・ソードルが自身の魔力量に少し苛立っている様子を見せている時のことだった。
老博士ヨアヒム・シュタインは白髭を撫でつつ少ししゃがれた声で「エリージェ様、一つ問題を出しましょうか」と話し始めた。
「魔術師がもっとも魔力量を多くする時期はいつになると思われますか?」
エリージェ・ソードルは少し考えて答える。
「二十代から三十代でしょうか?」
それに、老博士ヨアヒム・シュタインは好好爺した笑みを浮かべ、首を横に振る。
「答えは老齢期、詰まる所、現在の儂ぐらいですな」
「そうなのですか?」と目を丸くする女に、老博士ヨアヒム・シュタインは悪戯が成功したかの様に笑いながら頷く。
「もちろん、魔術を行使する場合、詠唱や思考等が必要になりますから、一概に老いぼれが良いとは言えませんが、単純な魔力量であれば、爺様、婆様の方が良いのですじゃ」
そこまで言うと、老博士ヨアヒム・シュタインはにっこりと微笑みながら言う。
「その理由については、また次回にしましょうかのう。
エリージェ様、少し考えてみてくだされ。
そうですな、人の体には常に一定量の魔力が循環している――その辺りを取っ掛かりにしてみると良いですぞ」
ところがである。
老博士ヨアヒム・シュタインは帰宅後、焼き菓子パンを喉に詰まらせてこの世を去ってしまう。
エリージェ・ソードルは頭を抱えた。
現在、もっとも知りたかったことが分かる好機だったのに、その答えを抱えて老博士ヨアヒム・シュタインは逝ってしまったのだから当然のことだった。
老博士ヨアヒム・シュタインの弟子にも答えを聞いてみたのだが、どうやら博士の研究途中の内容だったらしく、むしろ、「どんなことを言ってましたか!?」とすごい勢いで訊ね返されてしまった。
因みに、老博士ヨアヒム・シュタインの答えは魔術を使用した分、魔力量が増える、というものだった。
人の体にはそれぞれ決まった分の魔力が循環している。
それを、魔術の行使で使用すると損なわれる。
すると、体はそれを補おうと魔力を生み出す。
それが刺激となり、徐々に体内にある保有魔力量が大きくなる。
まだ、理論上の話であったが、老博士ヨアヒム・シュタインは発表前のそれを特別に話してあげようとしていたのだ。
だが、エリージェ・ソードルはそのことを知らない。
故に、と言うべきか、当たり前の様に間違った答えを導き出す。
『常に一定量の魔力が循環している』の『常に』と『循環している』に注目し、年を取れば魔力が増える。
つまり、魔力の循環、その回数を重ねるごとに魔力量が増えるのでは?
そう考えたのだ。
そして、この女、自身が出したとんちんかんな答えを(これが正解なのでは?)と確信してしまった。
そこからの行動は早い。
循環の回転を速くするために、エリージェ・ソードルはまず、魔力循環不整症の治療で使用する魔術を学ぶ。
その魔術は魔力循環を整える為のものだが、エリージェ・ソードルは循環速度を速めるために行った。
これは、医療魔術師が知ったら、ひっくり返るだろう暴挙だ。
それこそ、命の保証はされないだろう。
だが、不幸なことに老博士ヨアヒム・シュタインの後任は決まっていない状態での事なので、誰からも指摘されなかった。
むろん、流石のこの女も、一気に加速させようとは思わなかった。
そもそも、人為的に魔力循環不整症を起こさせるようなものである。
体に負担がかかり、頭痛や倦怠感などが”多少”あった。
なので少しずつ、少しずつ、循環速度を上げていった。
初めは手すきの時間に行っていたが、徐々に増やしていき、執務で頭を悩ませる時は多少遅くするが、食事や読書、湯浴みや庭園の散策などの時間は加速させた。
そのうちコツが掴めてきたのか、意識せずとも循環速度を上げられるようになり、最終的には睡眠時も加速させるまでに至った。
その結果、この女は膨大な魔力量を誇るようになった。
それが、魔力循環回数を増やしたおかげか、そのために繰り返された循環速度を上げるための魔術の回数のためか、それとも両方なのか、この女には分からないし、興味もない。
ただ、現実として、オールマ王国屈指の魔力量を保持するに至ったのだった。
凡庸と言っていい初期魔力、その数十倍にまで保有魔力量を膨らませたエリージェ・ソードルは、次にその用途に思案した。
初め、一般的な結界魔術を学んだ。
ただ、結界魔術とは詠唱し、位置を確定した後に広げる膜で敵の攻撃を防ぐものである。
エリージェ・ソードルの馬鹿げた魔力を持ってすれば、最強の威力として名高い爆裂魔術、その直撃すら防ぎきることは出来る。
ただ、問題が三つほどあった。
魔力の膜、魔膜結界は一度固定すると位置を移動することが出来ないこと。
また、女の魔力を持ってしても四方に張ることは叶わず、一辺からの攻撃しか受ける事が出来ないこと。
さらに、結界の維持に随時詠唱する必要があり、それ以外の行動がほとんど出来なくなる事だ。
役割を振り分ける軍での運用であれば、三つの問題はそこまで気にする必要は無かったのかもしれない。
ただ、エリージェ・ソードルが求めた、自身の身を絶対に守るという意味では……少々物足りなく思った。
エリージェ・ソードルとしては、常に自分を守り、ついでに言えば詠唱がいらないものが良かった。
そこで目に付けたのが、ソードル家の血統魔術とも言える秘術、表層硬化である。
表層硬化――拳を金属のように固めるその魔術は、殴れば大金槌が振るわれたように顔面が砕け、それを掲げれば振り下ろされた刃を受け止めることが出来る。
そのこともあり、ソードル家の当主の中には戦場に武具を身につけず出る者もいたという。
エリージェ・ソードルはその逸話を聞かされていたので、それを使えばよいと思ったのである。
ところで、表層硬化はソードル公爵を継ぐ者にのみに伝えられた。
実際はソードル家の血を強く受け継ぐ黒い魔力持ちしかまともに扱えないものであったが、それでも大っぴらにするわけにも行かず、ソードル公爵が後継者と認めた者のみこれを習った。
ただ、我が子を失い公爵に返り咲いていたエリージェ・ソードルの曾祖父は父ルーベ・ソードルのほかに、忠臣であるジン・モリタにもその技のやり方を伝えている。
これは、自身の主君を己のせいで死なせてしまったと罪悪感に押し潰されそうになっているジン・モリタに託すことで、命の無駄遣いをさせないようにという気遣いと、馬鹿な孫がうっかり忘れをした時の保険の意味があったのだが……。
それが、エリージェ・ソードルに伝わる前に、三人とも死んでしまった。
その事もあり、エリージェ・ソードルは公爵家を継ぐもののみ閲覧できる禁書、そこに書かれている文章でそれを学んだ。
この女、エリージェ・ソードルは頭はさほど良くない。
せいぜい、そこらのご令嬢程度だ。
しかも、多忙のために焦っていたこともある。
故にと言うべきか、この女、またしても曲解する。
本来は拳を固定する魔術で有りながら、拳を固める事に注目し、
(これ、全身を固定化すれば無敵じゃ無いかしら)
などと思ってしまった。
表層硬化は肉体の表面を固定化する魔術である。
なので、内部は固まることは無い。
とは言え、関節を固めれば動くことが出来ない。
目を固めれば瞬きも出来ないし、下手をすれば視界が固定される。
どころか、胸や喉を固めれば呼吸を阻害する。
最悪の場合、呼吸困難で死ぬ。
だが、その辺りをまるで思いつきもしないエリージェ・ソードルは、無防備にも胸部から全身に行き渡るように固定化をさせてしまった。
胸部から腹部や喉元に広がるように硬化が始まるにつれて呼吸が苦しくなり、流石のこの女もその危険性に気づいた。
アワアワと焦り、魔術を中断させようとする。
幸運な事に、と言うべきか、この女には魔術的な才能がなかった。
なので、現象の発現自体は遅かった。
ただ、表層硬化は唱えてしまったので、取り消すことが出来ない。
正確には、発動を外に払って発散する方法も有るにはあるのだが……。
慌てる女は現象を右手に移そうと左手で手首を掴みながら必死に念じた。
非常に力業であったが、この女にはそれが出来るほどの魔力があった。
危うい所であったが、表層硬化の発現を右手に移すことに成功したのである。
ただ、しばらくの間、右手が使えなくなってしまった。
女の馬鹿げた魔力で固めてしまったので、魔術が解けるのに時間がかかってしまったのだ。
しばらくは、食事をするにも侍女に手伝って貰わざる得なかった。
ただ、問題はそれだけではなかった。
無我夢中だったこともあり、女の右手、右腕、右肩まで完全に固まってしまい、正面を向くと右側の顔を手のひらで隠す形のまま止まってしまった。
人差し指と中指が開かれているので、その隙間から前を覗くことが出来るのだが……。
その姿勢が当時流行っていた歌劇『闇落ち令嬢の復讐』の主人公、そのチラシに描かれた怪しげな少女の格好そのままだったのだ。
もちろん、執務で忙しくしているエリージェ・ソードルはそんな歌劇など知らない。
忙しくて、自身の姿を気にする時間もない。
だが、それを見聞きした事のある者達は、女を見る度に無性に――笑えてきた。
女の顔が無駄に整っていることも災いしたのだろう、考えないように必死になっても『闇落ち令嬢』にしか見えなくなってしまった。
もちろん、高貴なる主を前にして当人を笑うことなど出来ない。
まして、真剣な表情で働いている主を前に笑うことなど出来るはずがない。
だが、人は不思議なことに、笑ってはいけない場面では、よりいっそう笑えてくるものだ。
女騎士ジェシー・レーマーを初めとする騎士や侍女等は、自身の腹筋力を試されることとなった。
そして、エリージェ・ソードルから離れた個室に集まると、『お嬢様が……闇落ちされた!』などと爆笑するのであった。
ようやく、公爵領公爵邸を取り戻した頃の事、十一歳になったばかりのエリージェ・ソードルは苦悩していた。
前記にもある通り、公爵邸はほぼ城と言っても良いほどの堅牢さを誇っていた。
魔術対策も万全で、仮に城下が占領され完全に包囲されていても、少なくとも一年は籠城できるほどの兵糧等の蓄えもされていた。
だが、いくら強固な守りも内からの攻撃には脆く、たかだか百名あまりの騎士によって数日間占領されることとなった。
エリージェ・ソードルは思った。
もし、その時に自分がいたらどうなったのだろうかと。
運が”良ければ”刺し殺される程度で終わるだろうが、下手をすると捕らえられ人質となっていた可能性だってあった。
そうすると、第一王子の婚約者である自分は公爵家どころか王家にとっても不利益をもたらす存在になるのではないか?
そう思ってしまうのだ。
しかも、自分が仮に死んでしまっても、それはそれで問題があった。
ルマ家、リヴスリー家の後ろ盾がある自分ならともかく、弟マヌエル・ソードルにはそういった存在がいなかった。
だから、今の段階で自分が死ぬことは公爵家を揺るがせかねない事だった。
だから、現時点では死にたくない、そう思った。
女騎士ジェシー・レーマーや騎士リョウ・モリタなど護衛騎士を信じないわけでもなかった。
ただ、最悪自分の身ぐらいは自分で守れるぐらいにはなりたい。
本気で思った。
だから、エリージェ・ソードルはまず、武芸に手を出した。
だが、女の身では肉体的な限界が訪れることは分かり切っていたし、幼なじみオーメスト・リーヴスリーと比べるまでもなく、才能もなかった。
だから、次に魔術を学び始めた。
元々、オールマ王国の貴族は十一には魔術を学び始める。
だから、祖父マテウス・ルマから著名な魔術士を教師としてつけられた。
その名を、ヨアヒム・シュタインという。
魔術力学の権威であり、医療魔術にも精通する賢者だった。
エリージェ・ソードルは老博士ヨアヒム・シュタインから魔術の手ほどきを受けた。
魔術の才もなかった。
ただ、凡庸ながらもソードル家の為に必死に学ぼうとする女にほだされたのか、老博士ヨアヒム・シュタインは様々なことを教えてくれた。
その中で、興味深い話を聞くこととなる。
それは、エリージェ・ソードルが自身の魔力量に少し苛立っている様子を見せている時のことだった。
老博士ヨアヒム・シュタインは白髭を撫でつつ少ししゃがれた声で「エリージェ様、一つ問題を出しましょうか」と話し始めた。
「魔術師がもっとも魔力量を多くする時期はいつになると思われますか?」
エリージェ・ソードルは少し考えて答える。
「二十代から三十代でしょうか?」
それに、老博士ヨアヒム・シュタインは好好爺した笑みを浮かべ、首を横に振る。
「答えは老齢期、詰まる所、現在の儂ぐらいですな」
「そうなのですか?」と目を丸くする女に、老博士ヨアヒム・シュタインは悪戯が成功したかの様に笑いながら頷く。
「もちろん、魔術を行使する場合、詠唱や思考等が必要になりますから、一概に老いぼれが良いとは言えませんが、単純な魔力量であれば、爺様、婆様の方が良いのですじゃ」
そこまで言うと、老博士ヨアヒム・シュタインはにっこりと微笑みながら言う。
「その理由については、また次回にしましょうかのう。
エリージェ様、少し考えてみてくだされ。
そうですな、人の体には常に一定量の魔力が循環している――その辺りを取っ掛かりにしてみると良いですぞ」
ところがである。
老博士ヨアヒム・シュタインは帰宅後、焼き菓子パンを喉に詰まらせてこの世を去ってしまう。
エリージェ・ソードルは頭を抱えた。
現在、もっとも知りたかったことが分かる好機だったのに、その答えを抱えて老博士ヨアヒム・シュタインは逝ってしまったのだから当然のことだった。
老博士ヨアヒム・シュタインの弟子にも答えを聞いてみたのだが、どうやら博士の研究途中の内容だったらしく、むしろ、「どんなことを言ってましたか!?」とすごい勢いで訊ね返されてしまった。
因みに、老博士ヨアヒム・シュタインの答えは魔術を使用した分、魔力量が増える、というものだった。
人の体にはそれぞれ決まった分の魔力が循環している。
それを、魔術の行使で使用すると損なわれる。
すると、体はそれを補おうと魔力を生み出す。
それが刺激となり、徐々に体内にある保有魔力量が大きくなる。
まだ、理論上の話であったが、老博士ヨアヒム・シュタインは発表前のそれを特別に話してあげようとしていたのだ。
だが、エリージェ・ソードルはそのことを知らない。
故に、と言うべきか、当たり前の様に間違った答えを導き出す。
『常に一定量の魔力が循環している』の『常に』と『循環している』に注目し、年を取れば魔力が増える。
つまり、魔力の循環、その回数を重ねるごとに魔力量が増えるのでは?
そう考えたのだ。
そして、この女、自身が出したとんちんかんな答えを(これが正解なのでは?)と確信してしまった。
そこからの行動は早い。
循環の回転を速くするために、エリージェ・ソードルはまず、魔力循環不整症の治療で使用する魔術を学ぶ。
その魔術は魔力循環を整える為のものだが、エリージェ・ソードルは循環速度を速めるために行った。
これは、医療魔術師が知ったら、ひっくり返るだろう暴挙だ。
それこそ、命の保証はされないだろう。
だが、不幸なことに老博士ヨアヒム・シュタインの後任は決まっていない状態での事なので、誰からも指摘されなかった。
むろん、流石のこの女も、一気に加速させようとは思わなかった。
そもそも、人為的に魔力循環不整症を起こさせるようなものである。
体に負担がかかり、頭痛や倦怠感などが”多少”あった。
なので少しずつ、少しずつ、循環速度を上げていった。
初めは手すきの時間に行っていたが、徐々に増やしていき、執務で頭を悩ませる時は多少遅くするが、食事や読書、湯浴みや庭園の散策などの時間は加速させた。
そのうちコツが掴めてきたのか、意識せずとも循環速度を上げられるようになり、最終的には睡眠時も加速させるまでに至った。
その結果、この女は膨大な魔力量を誇るようになった。
それが、魔力循環回数を増やしたおかげか、そのために繰り返された循環速度を上げるための魔術の回数のためか、それとも両方なのか、この女には分からないし、興味もない。
ただ、現実として、オールマ王国屈指の魔力量を保持するに至ったのだった。
凡庸と言っていい初期魔力、その数十倍にまで保有魔力量を膨らませたエリージェ・ソードルは、次にその用途に思案した。
初め、一般的な結界魔術を学んだ。
ただ、結界魔術とは詠唱し、位置を確定した後に広げる膜で敵の攻撃を防ぐものである。
エリージェ・ソードルの馬鹿げた魔力を持ってすれば、最強の威力として名高い爆裂魔術、その直撃すら防ぎきることは出来る。
ただ、問題が三つほどあった。
魔力の膜、魔膜結界は一度固定すると位置を移動することが出来ないこと。
また、女の魔力を持ってしても四方に張ることは叶わず、一辺からの攻撃しか受ける事が出来ないこと。
さらに、結界の維持に随時詠唱する必要があり、それ以外の行動がほとんど出来なくなる事だ。
役割を振り分ける軍での運用であれば、三つの問題はそこまで気にする必要は無かったのかもしれない。
ただ、エリージェ・ソードルが求めた、自身の身を絶対に守るという意味では……少々物足りなく思った。
エリージェ・ソードルとしては、常に自分を守り、ついでに言えば詠唱がいらないものが良かった。
そこで目に付けたのが、ソードル家の血統魔術とも言える秘術、表層硬化である。
表層硬化――拳を金属のように固めるその魔術は、殴れば大金槌が振るわれたように顔面が砕け、それを掲げれば振り下ろされた刃を受け止めることが出来る。
そのこともあり、ソードル家の当主の中には戦場に武具を身につけず出る者もいたという。
エリージェ・ソードルはその逸話を聞かされていたので、それを使えばよいと思ったのである。
ところで、表層硬化はソードル公爵を継ぐ者にのみに伝えられた。
実際はソードル家の血を強く受け継ぐ黒い魔力持ちしかまともに扱えないものであったが、それでも大っぴらにするわけにも行かず、ソードル公爵が後継者と認めた者のみこれを習った。
ただ、我が子を失い公爵に返り咲いていたエリージェ・ソードルの曾祖父は父ルーベ・ソードルのほかに、忠臣であるジン・モリタにもその技のやり方を伝えている。
これは、自身の主君を己のせいで死なせてしまったと罪悪感に押し潰されそうになっているジン・モリタに託すことで、命の無駄遣いをさせないようにという気遣いと、馬鹿な孫がうっかり忘れをした時の保険の意味があったのだが……。
それが、エリージェ・ソードルに伝わる前に、三人とも死んでしまった。
その事もあり、エリージェ・ソードルは公爵家を継ぐもののみ閲覧できる禁書、そこに書かれている文章でそれを学んだ。
この女、エリージェ・ソードルは頭はさほど良くない。
せいぜい、そこらのご令嬢程度だ。
しかも、多忙のために焦っていたこともある。
故にと言うべきか、この女、またしても曲解する。
本来は拳を固定する魔術で有りながら、拳を固める事に注目し、
(これ、全身を固定化すれば無敵じゃ無いかしら)
などと思ってしまった。
表層硬化は肉体の表面を固定化する魔術である。
なので、内部は固まることは無い。
とは言え、関節を固めれば動くことが出来ない。
目を固めれば瞬きも出来ないし、下手をすれば視界が固定される。
どころか、胸や喉を固めれば呼吸を阻害する。
最悪の場合、呼吸困難で死ぬ。
だが、その辺りをまるで思いつきもしないエリージェ・ソードルは、無防備にも胸部から全身に行き渡るように固定化をさせてしまった。
胸部から腹部や喉元に広がるように硬化が始まるにつれて呼吸が苦しくなり、流石のこの女もその危険性に気づいた。
アワアワと焦り、魔術を中断させようとする。
幸運な事に、と言うべきか、この女には魔術的な才能がなかった。
なので、現象の発現自体は遅かった。
ただ、表層硬化は唱えてしまったので、取り消すことが出来ない。
正確には、発動を外に払って発散する方法も有るにはあるのだが……。
慌てる女は現象を右手に移そうと左手で手首を掴みながら必死に念じた。
非常に力業であったが、この女にはそれが出来るほどの魔力があった。
危うい所であったが、表層硬化の発現を右手に移すことに成功したのである。
ただ、しばらくの間、右手が使えなくなってしまった。
女の馬鹿げた魔力で固めてしまったので、魔術が解けるのに時間がかかってしまったのだ。
しばらくは、食事をするにも侍女に手伝って貰わざる得なかった。
ただ、問題はそれだけではなかった。
無我夢中だったこともあり、女の右手、右腕、右肩まで完全に固まってしまい、正面を向くと右側の顔を手のひらで隠す形のまま止まってしまった。
人差し指と中指が開かれているので、その隙間から前を覗くことが出来るのだが……。
その姿勢が当時流行っていた歌劇『闇落ち令嬢の復讐』の主人公、そのチラシに描かれた怪しげな少女の格好そのままだったのだ。
もちろん、執務で忙しくしているエリージェ・ソードルはそんな歌劇など知らない。
忙しくて、自身の姿を気にする時間もない。
だが、それを見聞きした事のある者達は、女を見る度に無性に――笑えてきた。
女の顔が無駄に整っていることも災いしたのだろう、考えないように必死になっても『闇落ち令嬢』にしか見えなくなってしまった。
もちろん、高貴なる主を前にして当人を笑うことなど出来ない。
まして、真剣な表情で働いている主を前に笑うことなど出来るはずがない。
だが、人は不思議なことに、笑ってはいけない場面では、よりいっそう笑えてくるものだ。
女騎士ジェシー・レーマーを初めとする騎士や侍女等は、自身の腹筋力を試されることとなった。
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