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第十八章
対価の裏側
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エリージェ・ソードルは言う。
「あなたの気持ち、よく分かったわ。
ただ、既に決まった判決を覆すのは、それ相応に大変なのよ」
ほぼ、この女の胸三寸の癖にそのような事を言う。
それに対して、ダヴィド・トーン商会長は頷いて見せた。
「もちろん存じております。
わたしとしても相応の対価を用意させて頂きます」
「対価?
一応聞いておくけど、それは如何ほどなのかしら?」
興味なさげに閉じた扇子で肩を叩きつつ訊ねると、ダヴィド・トーン商会長は目に力を入れながら答える。
「我が商会、その全てを差し上げます」
トーン商会といえば、ダヴィド・トーン商会長が立ち上げた新鋭の商会で、商会価値はそれこそ、金貨十万枚にはなる。
因みにオールマ王国では金貨千枚を超えると、基本的にオールマ魔硬貨という王国が信用を担保している魔石硬貨で取引するのが一般的である。
一つあたり、金貨千枚に相当する。
平民どころか、そこらの貴族すら実物を見た事がないそれが百個も並ぶのは凄まじい絵面であろう。
だが、この表情を余り変えぬ女が、心底嫌そうな顔をする。
「いや、いらないわよ。
そんな面倒なもの」
「っ!?」
自分が人生をかけて築き上げた商会の譲渡、それがまさか、そこまでにべもなくあしらわれるとは思ってもいなかったのだろう、ダヴィド・トーン商会長は少し目を見開いた。
だが、流石と言うべきか、動揺をすぐさま隠し、続ける。
「商会そのものが不要であれば、売却もこちらで行いますが」
エリージェ・ソードルはうんざりしたように背もたれにもたれかかり、掌を閉じた扇子で叩いた。
「ちょっと、止めて頂戴!
ホルンバハの事でわたくし、”そういうの”には関わりたくないの」
ホルンバハとは、下らない理由で反乱計画をでっち上げた愚かな商会の事で、この女、その後始末に幾度となく頭を痛めていた。
”前回”も”今回”もだ。
なので、自分が商会を手に入れる事は元より、それが別の人間に移る事によるゴタゴタなど、はっきり言って関わり合いになりたくない。
それが、偽らざる本音であった。
ダヴィド・トーン商会長は一瞬息を飲むように言葉を詰まらせたが、話を続ける。
「そういうことであれば、わたしの持つ商会以外の資産、そちらをお譲りするというのはいかがでしょうか?」
エリージェ・ソードルは、この女にしては珍しく疲れたように大きく溜息を吐いた。
「デシャ商会長は優秀ね。
大商人ミシェル・デシャはわたくしの欲しい物を提示してくれたわ」
「っ!?
それは……」
流石のダヴィド・トーン商会長も、他国の商人と比較されてのその評価に顔色を変える。
エリージェ・ソードルはそんな様子を冷めた目で見ながら言う。
「あなた、自分の資産を流出させてどうするの?
商会に何かあった時、何がそれを補填するの」
エリージェ・ソードルは資金が欲しい。
それは、この公爵領を安定させるため、弟マヌエル・ソードルが継いだ時に苦労させないため、様々な事業に必要だからである。
それなのに、資金を受け取るために問題の種を撒く。
この女に言わせれば、本末転倒である。
その点、大商人ミシェル・デシャは見事だったと、エリージェ・ソードルは思っている。
ホルンバハのブルク分を綺麗に収めてくれた。
他の部分も分かりやすく資料をまとめてくれた。
甘芋の件は、まあ……”あれ”だったが、とにかく、この女を悩ませていた問題を取り除いてくれた。
なので、この女の評価はかなり高くなっていた。
この女、そこであることを閃いた。
「わたくしとしては、あなたの商会など貰っても運営できないし、それが他に売却されることにより領内がゴタツくことも回避したいのよ。
分かるかしら?
わたくしが一番求めているのは領の安定なの」
ダヴィド・トーン商会長ははっとした顔で頷く。
「公爵代行様のお立場も考えず、愚かな事を申しました。
申し訳ございません」
エリージェ・ソードルは頷く。
「それを踏まえて、あなたがわたくしに何かをしたい――そう思うなら、一つあるわ」
「恐れながら、教えていただくことは可能でしょうか?」
「いいでしょう。
今、わたくしを悩ませているのは、公爵領の流通網の整備よ。
特に旧ホルンバハのものね、デシャ商会の尽力でブルク周りは落ち着きを取り戻しているけど……」
「なるほど、他の部分は公爵家が未だに対応されていると聞きます」
「デシャはフレコの商会よ。
我が国で影響力を持たれたくないわ。
特に流通に関しては、ね。
だから、ホルンバハの売却時にブルクより王国側のものに関しては省かせたわ。
その部分を現在は公爵家の役人が対応しているの。
その辺りは、あなたの耳にも入っているのではないかしら?」
女の問いに、ダヴィド・トーン商会長は「はい、聞き及んでおります」と肯定する。
エリージェ・ソードルは少し、身を乗り出して言う。
「わたくし、その部分の為に領営商会を作ろうと思っているの」
「領営商会、ですか?
公爵家が商会を運営する、そういう認識で間違っていませんか?」
「間違っていないわ。
売却って手もあるけど、売った先に問題があるとお金は入ってきても、公爵領として考えたら問題を抱える可能性があるじゃない」
「なるほど、その視点は商人では持ち得ないものですね」
商人であれば手放してしまえば関係が無くなるものも、領主にとっては誰の手にあっても領内にあるものは、問題が発生すれば対処しなくてはならない。
特に、大きな商会など潰れてしまえば、”前回”ホルンバハ商会同様、領にとっても大打撃になりかねない。
エリージェ・ソードルは続ける。
「わたくし、少なくとも公爵領を次代の公爵に引き継ぐまでは、領営商会として流通を落ち着かせようと思うの。
そうね、十年から十五年ぐらいかしら。
その後、売却するのか続けるのかは、次代の公爵に決めて貰おうと思うの。
そこでよ」
エリージェ・ソードルはダヴィド・トーン商会長に閉じた扇子を向けた。
「あなたには顧問として、領営商会を支えて欲しいの。
もちろん、無報酬でね」
「わたしが、顧問ですか?」
「ええ、そうよ。
雇い主は公爵家で、派遣という形が良いわね。
あと、何か問題が発生したら、損失分はあなたの商会が補填、利益が出たら全て領営商会のもの。
そういう形でどうかしら?
別に沢山稼ぐ必要は無いわ。
今まで程度に、問題無く、運営できていれば良いのよ。
商会まるごと譲渡したり、売却したりするよりはマシでしょう?
あ、魔石鉱山であなたの息子が死んでも、続けて貰うから、そのつもりで。
どうかしら?」
「その様な事……よろしいのですか?
自分で言うのも何ですが、わたしは反逆者の父親です。
そのような形であれ、流通に関わらせてしまって」
動揺するダヴィド・トーン商会長に対して、この女、はっきりと言う。
「構わないわよ。
本当に申し訳ないと思っているのであれば、必死になって纏めてくれると信じているから。
もちろん、わたくしの意にそぐわないようなら……」
漆黒の瞳が剣呑に光る。
「望み通り、あなたを商会もろとも潰してあげるわ」
「っ!?
か、畏まりました……。
公爵代行様の”ご慈悲”に答えられるよう、誠心誠意、働かせて頂きます!」
エリージェ・ソードルは、ダヴィド・トーン商会長が言う”ご慈悲”という言葉に、思わず小首を捻りそうになる。
だが、このいい加減な女は了解が得られたのなら良いかと、鷹揚に頷き「しっかりやりなさい」と念を押すのであった。
――
公爵邸執務室にて
「お嬢様はぁぁぁ!
本当に、お嬢様はぁぁぁ!」
と顔を真っ赤にしながら怒る従者の声を、執務机に座りながら両耳に指を入れる事で防ぐ女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、先ほどまでダヴィド・トーン商会長に家令マサジ・モリタも含めて領営商会について大枠の打合せをしていたのだが、それも終わり、執務室に戻ると従者ザンドラ・フクリュウに凄まじい剣幕で怒られる事となったのだ。
「わたし何度も言いましたよね!
勝手に決めてはいけないって!
なのに何故、独断するんですか!」
エリージェ・ソードルは無表情のまま両指を少し外し、言う。
「仕方がないわよ。
話の流れで思い付いたんだもの。
中断して相談する訳にはいかないでしょう?」
そして、さっと指を戻す。
それを追うように、従者ザンドラ・フクリュウの大声が響く。
「平民なんて待たせれば良いではありませんか!
お嬢様が勝手に中座して無礼に当たるのは、王族か大貴族ぐらいで、そもそも普段、平民相手にそんな事気にする方ですか!?」
そんな従者に、家令マサジ・モリタがこの男性にしては珍しく、少し焦った顔で言う。
「ザンドラ止めないか!
お嬢様相手に、口が過ぎるぞ!」
それに対して、従者ザンドラ・フクリュウは目を尖らせながら言い返す。
「家令!
家令はマガドの件を忘れてしまったのですか!?
これぐらいはっきりと伝えておかないと、お嬢様の場合、知らない間に他国とか攻め込みかねませんよ!」
「いや、流石にそこまでは……」
「絶対にです!
この方は必要と判断したら、あっという間ですよ!」
「もう分かったから!
わたくしが悪かったから、ザンドラ」
降伏するように、エリージェ・ソードルは両手を挙げる。
そして、訊ねる。
「で、実際の所はどうなの?
悪くは無いと思うけど……」
「悪くはありません、悪くはありませんけど――」
まだ言い足りないといった感じの従者ザンドラ・フクリュウの肩を、家令マサジ・モリタが叩く。
そして、普段の彼らしい落ち着いた口調で言う。
「もちろん、定期的な監視は必要となりますが、良い手だとは思います。
方向性は我々主導、実務は商人主動、短期的には問題ないかと。
将来的には売却をお考えでしょうか?」
「それについては、基本、マヌエルが継いだら考えさせるわ。
売り時だってあるでしょうし。
もちろん、わたくしの代で良い話があれば考えるわ」
「畏まりました。
それについては、トーン商会長とも共有しておきます」
エリージェ・ソードルは少し、眉を寄せる。
「トーン商会長は駄目よ。
普通の仕事は出来るかもしれないけど、大きな仕事は任せられないわ」
家令マサジ・モリタは片眉を少し上げた。
そして、言う。
「確かに、冷静さを欠いていたのは否めませんが、あれはあれで機を見るに敏な商人だと評価出来ます。
彼の失敗は、今までお嬢様にお会いしていなかった事でしょう」
「そうなの?」
「はい、お嬢様。
彼がトーン商会を交渉の席にまるごと乗せたのは、息子への想いもあったでしょうが、それより大きいのは、あの商会が彼の手に有る限り、どちらにしても破綻するからです」
「どういうこと?」
エリージェ・ソードルが小首を捻ると、家令マサジ・モリタは続ける。
「商売は信用が命です。
まして、トーン商会は、彼の会長が立ち上げた新興の商会です。
現在、かなり大きくなりましたが、やはり目新しく、将来性があるから注目されている部分は否めません。
そんな商会の長の息子が、恐れ多くも公爵家に牙を剥いたと知られたら……。
今後への期待どころか、巻き沿いを避けるように、人は一気に離れていきます」
「なるほど、だから判決が出る前にわたくしに渡そうとしたのね」
「それが最善と判断したのでしょう。
そのままお嬢様が受け取ってくだされば、そのまま破綻するよりは、少なくとも従業員などの関係者は助かりますので。
まさか、お嬢様にいらないと言われるとは思っていなかったので、予定が大幅にずれてしまったようですが……」
普通、トーン商会ほどの大商会を受け取って欲しいと言われたら、多少の問題があっても一考ぐらいはするものだ。
ダヴィド・トーン商会長はそれを取っ掛りとして上手く誘導しようと思ったのだろうが……。
彼の悲劇は、相手が非常識な言動を平気でするエリージェ・ソードルだったことだろう。
「じゃあ、わたくしが断ったから、困る事になるのかしら?」
エリージェ・ソードルの問いに、従者ザンドラ・フクリュウが首を横に振る。
「お嬢様が彼の商会長を、結果的に助ける事になりました」
「どういうこと?」
女の問いに従者ザンドラ・フクリュウが苦笑する。
「お嬢様が商会長を領営商会の顧問にされたことにより、トーン商会の信用が担保される事になりましたので」
「ああ」
本来、罰として与えたものが、結果として、公爵家直営の仕事を受け持つほど、信任を受けている――そう、受け取れる状況になったのだ。
であれば、トーン商会の取引先も、様子見をするだろう。
従者ザンドラ・フクリュウが眉を寄せながら言う。
「お嬢様、結果的にトーン商会を助け、お嬢様がお望みになった領の安定が成される事となりました。
ただ、このことはあくまで”たまたま”上手く転がっただけです。
今後は絶対に相談をお忘れにならないようにしてください」
そんな苦言にこの女、「分かったわよ」と右手を振るのだった。
「あなたの気持ち、よく分かったわ。
ただ、既に決まった判決を覆すのは、それ相応に大変なのよ」
ほぼ、この女の胸三寸の癖にそのような事を言う。
それに対して、ダヴィド・トーン商会長は頷いて見せた。
「もちろん存じております。
わたしとしても相応の対価を用意させて頂きます」
「対価?
一応聞いておくけど、それは如何ほどなのかしら?」
興味なさげに閉じた扇子で肩を叩きつつ訊ねると、ダヴィド・トーン商会長は目に力を入れながら答える。
「我が商会、その全てを差し上げます」
トーン商会といえば、ダヴィド・トーン商会長が立ち上げた新鋭の商会で、商会価値はそれこそ、金貨十万枚にはなる。
因みにオールマ王国では金貨千枚を超えると、基本的にオールマ魔硬貨という王国が信用を担保している魔石硬貨で取引するのが一般的である。
一つあたり、金貨千枚に相当する。
平民どころか、そこらの貴族すら実物を見た事がないそれが百個も並ぶのは凄まじい絵面であろう。
だが、この表情を余り変えぬ女が、心底嫌そうな顔をする。
「いや、いらないわよ。
そんな面倒なもの」
「っ!?」
自分が人生をかけて築き上げた商会の譲渡、それがまさか、そこまでにべもなくあしらわれるとは思ってもいなかったのだろう、ダヴィド・トーン商会長は少し目を見開いた。
だが、流石と言うべきか、動揺をすぐさま隠し、続ける。
「商会そのものが不要であれば、売却もこちらで行いますが」
エリージェ・ソードルはうんざりしたように背もたれにもたれかかり、掌を閉じた扇子で叩いた。
「ちょっと、止めて頂戴!
ホルンバハの事でわたくし、”そういうの”には関わりたくないの」
ホルンバハとは、下らない理由で反乱計画をでっち上げた愚かな商会の事で、この女、その後始末に幾度となく頭を痛めていた。
”前回”も”今回”もだ。
なので、自分が商会を手に入れる事は元より、それが別の人間に移る事によるゴタゴタなど、はっきり言って関わり合いになりたくない。
それが、偽らざる本音であった。
ダヴィド・トーン商会長は一瞬息を飲むように言葉を詰まらせたが、話を続ける。
「そういうことであれば、わたしの持つ商会以外の資産、そちらをお譲りするというのはいかがでしょうか?」
エリージェ・ソードルは、この女にしては珍しく疲れたように大きく溜息を吐いた。
「デシャ商会長は優秀ね。
大商人ミシェル・デシャはわたくしの欲しい物を提示してくれたわ」
「っ!?
それは……」
流石のダヴィド・トーン商会長も、他国の商人と比較されてのその評価に顔色を変える。
エリージェ・ソードルはそんな様子を冷めた目で見ながら言う。
「あなた、自分の資産を流出させてどうするの?
商会に何かあった時、何がそれを補填するの」
エリージェ・ソードルは資金が欲しい。
それは、この公爵領を安定させるため、弟マヌエル・ソードルが継いだ時に苦労させないため、様々な事業に必要だからである。
それなのに、資金を受け取るために問題の種を撒く。
この女に言わせれば、本末転倒である。
その点、大商人ミシェル・デシャは見事だったと、エリージェ・ソードルは思っている。
ホルンバハのブルク分を綺麗に収めてくれた。
他の部分も分かりやすく資料をまとめてくれた。
甘芋の件は、まあ……”あれ”だったが、とにかく、この女を悩ませていた問題を取り除いてくれた。
なので、この女の評価はかなり高くなっていた。
この女、そこであることを閃いた。
「わたくしとしては、あなたの商会など貰っても運営できないし、それが他に売却されることにより領内がゴタツくことも回避したいのよ。
分かるかしら?
わたくしが一番求めているのは領の安定なの」
ダヴィド・トーン商会長ははっとした顔で頷く。
「公爵代行様のお立場も考えず、愚かな事を申しました。
申し訳ございません」
エリージェ・ソードルは頷く。
「それを踏まえて、あなたがわたくしに何かをしたい――そう思うなら、一つあるわ」
「恐れながら、教えていただくことは可能でしょうか?」
「いいでしょう。
今、わたくしを悩ませているのは、公爵領の流通網の整備よ。
特に旧ホルンバハのものね、デシャ商会の尽力でブルク周りは落ち着きを取り戻しているけど……」
「なるほど、他の部分は公爵家が未だに対応されていると聞きます」
「デシャはフレコの商会よ。
我が国で影響力を持たれたくないわ。
特に流通に関しては、ね。
だから、ホルンバハの売却時にブルクより王国側のものに関しては省かせたわ。
その部分を現在は公爵家の役人が対応しているの。
その辺りは、あなたの耳にも入っているのではないかしら?」
女の問いに、ダヴィド・トーン商会長は「はい、聞き及んでおります」と肯定する。
エリージェ・ソードルは少し、身を乗り出して言う。
「わたくし、その部分の為に領営商会を作ろうと思っているの」
「領営商会、ですか?
公爵家が商会を運営する、そういう認識で間違っていませんか?」
「間違っていないわ。
売却って手もあるけど、売った先に問題があるとお金は入ってきても、公爵領として考えたら問題を抱える可能性があるじゃない」
「なるほど、その視点は商人では持ち得ないものですね」
商人であれば手放してしまえば関係が無くなるものも、領主にとっては誰の手にあっても領内にあるものは、問題が発生すれば対処しなくてはならない。
特に、大きな商会など潰れてしまえば、”前回”ホルンバハ商会同様、領にとっても大打撃になりかねない。
エリージェ・ソードルは続ける。
「わたくし、少なくとも公爵領を次代の公爵に引き継ぐまでは、領営商会として流通を落ち着かせようと思うの。
そうね、十年から十五年ぐらいかしら。
その後、売却するのか続けるのかは、次代の公爵に決めて貰おうと思うの。
そこでよ」
エリージェ・ソードルはダヴィド・トーン商会長に閉じた扇子を向けた。
「あなたには顧問として、領営商会を支えて欲しいの。
もちろん、無報酬でね」
「わたしが、顧問ですか?」
「ええ、そうよ。
雇い主は公爵家で、派遣という形が良いわね。
あと、何か問題が発生したら、損失分はあなたの商会が補填、利益が出たら全て領営商会のもの。
そういう形でどうかしら?
別に沢山稼ぐ必要は無いわ。
今まで程度に、問題無く、運営できていれば良いのよ。
商会まるごと譲渡したり、売却したりするよりはマシでしょう?
あ、魔石鉱山であなたの息子が死んでも、続けて貰うから、そのつもりで。
どうかしら?」
「その様な事……よろしいのですか?
自分で言うのも何ですが、わたしは反逆者の父親です。
そのような形であれ、流通に関わらせてしまって」
動揺するダヴィド・トーン商会長に対して、この女、はっきりと言う。
「構わないわよ。
本当に申し訳ないと思っているのであれば、必死になって纏めてくれると信じているから。
もちろん、わたくしの意にそぐわないようなら……」
漆黒の瞳が剣呑に光る。
「望み通り、あなたを商会もろとも潰してあげるわ」
「っ!?
か、畏まりました……。
公爵代行様の”ご慈悲”に答えられるよう、誠心誠意、働かせて頂きます!」
エリージェ・ソードルは、ダヴィド・トーン商会長が言う”ご慈悲”という言葉に、思わず小首を捻りそうになる。
だが、このいい加減な女は了解が得られたのなら良いかと、鷹揚に頷き「しっかりやりなさい」と念を押すのであった。
――
公爵邸執務室にて
「お嬢様はぁぁぁ!
本当に、お嬢様はぁぁぁ!」
と顔を真っ赤にしながら怒る従者の声を、執務机に座りながら両耳に指を入れる事で防ぐ女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、先ほどまでダヴィド・トーン商会長に家令マサジ・モリタも含めて領営商会について大枠の打合せをしていたのだが、それも終わり、執務室に戻ると従者ザンドラ・フクリュウに凄まじい剣幕で怒られる事となったのだ。
「わたし何度も言いましたよね!
勝手に決めてはいけないって!
なのに何故、独断するんですか!」
エリージェ・ソードルは無表情のまま両指を少し外し、言う。
「仕方がないわよ。
話の流れで思い付いたんだもの。
中断して相談する訳にはいかないでしょう?」
そして、さっと指を戻す。
それを追うように、従者ザンドラ・フクリュウの大声が響く。
「平民なんて待たせれば良いではありませんか!
お嬢様が勝手に中座して無礼に当たるのは、王族か大貴族ぐらいで、そもそも普段、平民相手にそんな事気にする方ですか!?」
そんな従者に、家令マサジ・モリタがこの男性にしては珍しく、少し焦った顔で言う。
「ザンドラ止めないか!
お嬢様相手に、口が過ぎるぞ!」
それに対して、従者ザンドラ・フクリュウは目を尖らせながら言い返す。
「家令!
家令はマガドの件を忘れてしまったのですか!?
これぐらいはっきりと伝えておかないと、お嬢様の場合、知らない間に他国とか攻め込みかねませんよ!」
「いや、流石にそこまでは……」
「絶対にです!
この方は必要と判断したら、あっという間ですよ!」
「もう分かったから!
わたくしが悪かったから、ザンドラ」
降伏するように、エリージェ・ソードルは両手を挙げる。
そして、訊ねる。
「で、実際の所はどうなの?
悪くは無いと思うけど……」
「悪くはありません、悪くはありませんけど――」
まだ言い足りないといった感じの従者ザンドラ・フクリュウの肩を、家令マサジ・モリタが叩く。
そして、普段の彼らしい落ち着いた口調で言う。
「もちろん、定期的な監視は必要となりますが、良い手だとは思います。
方向性は我々主導、実務は商人主動、短期的には問題ないかと。
将来的には売却をお考えでしょうか?」
「それについては、基本、マヌエルが継いだら考えさせるわ。
売り時だってあるでしょうし。
もちろん、わたくしの代で良い話があれば考えるわ」
「畏まりました。
それについては、トーン商会長とも共有しておきます」
エリージェ・ソードルは少し、眉を寄せる。
「トーン商会長は駄目よ。
普通の仕事は出来るかもしれないけど、大きな仕事は任せられないわ」
家令マサジ・モリタは片眉を少し上げた。
そして、言う。
「確かに、冷静さを欠いていたのは否めませんが、あれはあれで機を見るに敏な商人だと評価出来ます。
彼の失敗は、今までお嬢様にお会いしていなかった事でしょう」
「そうなの?」
「はい、お嬢様。
彼がトーン商会を交渉の席にまるごと乗せたのは、息子への想いもあったでしょうが、それより大きいのは、あの商会が彼の手に有る限り、どちらにしても破綻するからです」
「どういうこと?」
エリージェ・ソードルが小首を捻ると、家令マサジ・モリタは続ける。
「商売は信用が命です。
まして、トーン商会は、彼の会長が立ち上げた新興の商会です。
現在、かなり大きくなりましたが、やはり目新しく、将来性があるから注目されている部分は否めません。
そんな商会の長の息子が、恐れ多くも公爵家に牙を剥いたと知られたら……。
今後への期待どころか、巻き沿いを避けるように、人は一気に離れていきます」
「なるほど、だから判決が出る前にわたくしに渡そうとしたのね」
「それが最善と判断したのでしょう。
そのままお嬢様が受け取ってくだされば、そのまま破綻するよりは、少なくとも従業員などの関係者は助かりますので。
まさか、お嬢様にいらないと言われるとは思っていなかったので、予定が大幅にずれてしまったようですが……」
普通、トーン商会ほどの大商会を受け取って欲しいと言われたら、多少の問題があっても一考ぐらいはするものだ。
ダヴィド・トーン商会長はそれを取っ掛りとして上手く誘導しようと思ったのだろうが……。
彼の悲劇は、相手が非常識な言動を平気でするエリージェ・ソードルだったことだろう。
「じゃあ、わたくしが断ったから、困る事になるのかしら?」
エリージェ・ソードルの問いに、従者ザンドラ・フクリュウが首を横に振る。
「お嬢様が彼の商会長を、結果的に助ける事になりました」
「どういうこと?」
女の問いに従者ザンドラ・フクリュウが苦笑する。
「お嬢様が商会長を領営商会の顧問にされたことにより、トーン商会の信用が担保される事になりましたので」
「ああ」
本来、罰として与えたものが、結果として、公爵家直営の仕事を受け持つほど、信任を受けている――そう、受け取れる状況になったのだ。
であれば、トーン商会の取引先も、様子見をするだろう。
従者ザンドラ・フクリュウが眉を寄せながら言う。
「お嬢様、結果的にトーン商会を助け、お嬢様がお望みになった領の安定が成される事となりました。
ただ、このことはあくまで”たまたま”上手く転がっただけです。
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そして、隣には――かつての仲間たちがいる。
捨てられた聖女が、仲間と共に辺境を立て直す。
これは、そんな私の第二の人生の物語。
蔑ろにされましたが実は聖女でした ー できない、やめておけ、あなたには無理という言葉は全て覆させていただきます! ー
みーしゃ
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生まれつきMPが1しかないカテリーナは、義母や義妹たちからイジメられ、ないがしろにされた生活を送っていた。しかし、本をきっかけに女神への信仰と勉強を始め、イケメンで優秀な兄の力も借りて、宮廷大学への入学を目指す。
魔法が使えなくても、何かできる事はあるはず。
人生を変え、自分にできることを探すため、カテリーナの挑戦が始まる。
そして、カテリーナの行動により、周囲の認識は彼女を聖女へと変えていくのだった。
物語は、後期ビザンツ帝国時代に似た、魔物や魔法が存在する異世界です。だんだんと逆ハーレムな展開になっていきます。
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
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バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
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