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第二章
第一王子の訪問(ラーム伯爵令嬢問題)
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王都公爵邸応接室にて、愛猫にすり寄られて上機嫌にその赤毛の背を撫でる女がいた。
エリージェ・ソードルである。
この女、訪問してきた第一王子ルードリッヒ・ハイセルと対面にして座り、話を聞いていたのだが、その内容に少々不機嫌になっていた。
だが、王子に挨拶に来ただろう――愛娘の可愛らしさに、心が和んでいた。
「ねえエリー……」
視線を向けると、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが何故か顔をひきつらせながら続ける。
「何だか、エンカ――凄く大きくなったね」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルの後ろに控える彼の従者や護衛騎士もよく分からないが顔を強ばらせている。
それに対して、エリージェ・ソードルは頬を緩ませる。
「ええ、子供が育つのは早い――そう聞いていましたが、ここまでとは、思いも寄りませんでした」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「……育ちすぎだと思うんだけど」とかボソボソ言っていたが、エリージェ・ソードルの耳には入っていない。
ただただ、愛娘エンカの赤黒い斑の入ったその背を愛おしそうに撫でた。
エリージェ・ソードルの元に来た頃は、猫といってもまあ、納得できるほどの大きさだったエンカは、それから二年ほどですっかり大きくなった。
四足で立ってもその背は女の頭ぐらいで、二足で立てば、大柄な騎士ギド・ザクスですらその顔を遙かに見上げるほどになった。
本来で有れば、とてもではないが室内で飼える大きさではない。
だが、残念と言うべきかなんなのか、その桁違いの大きさを受け入れるだけの度量が公爵邸にはあった。
エンカという猫(?)が賢く、清潔だという事もある。
排泄もきちんと指定した場所でするし、物を無為に壊すこともない。
故に、侍女長シンディ・モリタを初めとする使用人も外に出すようにとはなかなか言えず、公爵邸には巨大な魔獣が闊歩するという残念な噂を否定することが出来ずにいた。
「え?
いや?
エリー、大丈夫なの?」
「何のことでしょう?」
「いや、手を――食べられてるみたいだけど……」
エリージェ・ソードルが視線を向けると、尻尾をユラユラと揺らしている愛猫エンカが、女の左手をパクリとくわえてモグモグとしていた。
エリージェ・ソードルは「ふふふ」と笑う。
「ああ、いつものことです。
わたくしの手はどうも美味しいみたいで、良くこうやって口に入れるんです」
「い、痛くないの?」
「甘噛みです。
痛くはありません。
ただ一応、わたくし以外の手は食べないようにと注意はしています」
「う、うん……。
そうなんだ……」
そこに、侍女ミーナ・ウォールを初めとする、侍女らが「失礼します!」と慌てて近寄ってきた。
そして、愛猫エンカの太い首を引っ張りながら「エンカ! ペッとしなさい! ペッ!」などと言っている。
(自身のお嬢様の手をペッと出させる。それっていかがなものかしら?)などと女がじっと見つめてるのも気づかないのか、侍女ミーナ・ウォールはようやく出した女の手を丁寧に拭いている。
そこに、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが恐る恐る訊ねてくる。
「ねえ、エリー。
それで、どうだろう?
許してくれるかな?」
その問いに、この女、苦い顔になる。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが言っているのは、ラーム伯爵邸での茶話会のことである。
エリージェ・ソードルはラーム伯爵家に対して、同じ曜日の同じ時間、同じ人間を集めて茶話会を開くように指示をしたのだが、曜日や時間はともかく、同じ人間という箇所で問題が発生した。
エリージェ・ソードルが”軽く”行ったあれこれに対して、参加していた令嬢は脅え、行きたくないと泣きわめいているとのことだった。
特に、”とても軽くであったが”扇子や”黒い霧”で折檻された令嬢などは部屋に引きこもり、寝台の中でガクガクと震えながら出てこないとのことだった。
ばかりか、恐怖のために毛が抜けて、頭部の一部に禿が出来た令嬢もいるとのこと。
そんな状態で、改めて茶話会などとても出来ないという話だった。
なので、ラーム伯爵家としては、ラーム伯爵令嬢のみで許して貰えないかとソードル公爵家に請うた。
だが、エリージェ・ソードルはそれをはねのけた。
効率を高きに置くこの女は、無駄足を踏ませるばかりか、茶話会のために用意した準備――参加者から話を聞く内容一覧が無駄になるなど、看過できなかった。
使いの者を”ふざけるな”と、叩き出した。
むろん、それを言いにきたのがラーム伯爵自身であれば、この女とてそこまではしなかっただろう。
色々とまあ、”調整”をしつつ、引くこともあったかもしれない。
ただ、肝心のラーム伯爵は二ヶ月ほどガラゴへと赴いている。
大した権限のない伯爵子息などの話など、聞く気など無かった。
一切の変更無く、その日を迎えるつもりでいた。
ところがである。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが訪問し、許して上げて欲しいと言いに来たのである。
エリージェ・ソードルが第一王子ルードリッヒ・ハイセルの背後にいる従者をギロリと睨む。
ラーム伯爵の次男が、縮こまり、震えていた。
そんな女に、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「エリー」と言う。
視線を戻すと、この女の愛する王子が、困ったように眉を寄せている。
十三歳になり、徐々に大人っぽくなってきていた。
背中まで伸びた黄金色の髪を後ろで縛り、細さが際だっていたその肩も、徐々にだがたくましくなっている。
ひょっとすると、”前回”の今頃よりも体つきはしっかりしているのかもしれない。
エリージェ・ソードルはそんな風に思った。
ただ、その白い肌には疲れが見えていた。
頭がさほど良くないこの女も、自身の婚約破棄宣言がこの王子の立場を悪くしていることに気づき始めていた。
むろん、この偉大な王子がそのために次期国王から外されるなどとは考えもしない。
ただ、苦労もかけさせているという引け目も、感じていた。
エリージェ・ソードルは一つ、ため息をついた。
そして、言う。
「まあ良いでしょう。
参加者に関しては、殿下の仰るとおりにします」
そして、ラーム伯爵子息を忌々しげに見ながら言う。
「ただし、日時と場所に関しては一切変えないから、そのように伝えなさい」
「畏まりました。
ありがとうございます」
ラーム伯爵子息は深々と頭を下げた。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「エリーありがとう」と嬉しそうに微笑むので、エリージェ・ソードルは少し恥ずかしくなり、「大した事ではありません」と視線をそらした。
そして、言う。
「殿下、お疲れではございませんか?
北東の要塞の件で何か問題がございましたか?」
エリージェ・ソードルの問いに、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように眉をハの字にする。
「問題というか、初めてのことが多いからね。
中々大変だよ」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは国王オリバーの命で、北東の都市ベラールの軍事要塞化の任に付いていた。
北方海に面するその都市は、元々、対ガラゴ王国の最前線に位置する要塞だった。
だが、前国王ヴィンツェ三世による融和政策のために、非武装化され――当然のように落とされた。
そこを拠点として動くガラゴ王国海軍船団により、一時期、オールマ王国は北方海での行動が完全に麻痺する事となった。
当時王太子であった国王オリバーが、エリージェ・ソードルの祖父マテウス・ルマ侯爵と北方を治めるミュラー伯爵を伴いなんとか奪還したが、それがなければ、オールマ王国は常に頭を押さえられながら過ごすような、窮屈な思いをしなければならなかっただろう。
そのこともあり、彼の地では前国王ヴィンツェ三世は大いに嫌われ、国王オリバーは非常に尊敬されている。
そのことが前国王ヴィンツェ三世に似ていると言われる第一王子ルードリッヒ・ハイセルが要塞を作る上での足かせとなっていた。
北方海の、特に海の男は気性が激しく、仲間内で固まる傾向がある。
余所者であり、唾棄すべき前国王に似ている、しかも成人すらしていない若造に対して、初めの内などは露骨に無視をするものすらいた。
自ら訪問し、必死に宥めて何とかのっそりと動く様になったが、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは心身ともに疲れていた。
エリージェ・ソードルである。
この女、訪問してきた第一王子ルードリッヒ・ハイセルと対面にして座り、話を聞いていたのだが、その内容に少々不機嫌になっていた。
だが、王子に挨拶に来ただろう――愛娘の可愛らしさに、心が和んでいた。
「ねえエリー……」
視線を向けると、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが何故か顔をひきつらせながら続ける。
「何だか、エンカ――凄く大きくなったね」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルの後ろに控える彼の従者や護衛騎士もよく分からないが顔を強ばらせている。
それに対して、エリージェ・ソードルは頬を緩ませる。
「ええ、子供が育つのは早い――そう聞いていましたが、ここまでとは、思いも寄りませんでした」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「……育ちすぎだと思うんだけど」とかボソボソ言っていたが、エリージェ・ソードルの耳には入っていない。
ただただ、愛娘エンカの赤黒い斑の入ったその背を愛おしそうに撫でた。
エリージェ・ソードルの元に来た頃は、猫といってもまあ、納得できるほどの大きさだったエンカは、それから二年ほどですっかり大きくなった。
四足で立ってもその背は女の頭ぐらいで、二足で立てば、大柄な騎士ギド・ザクスですらその顔を遙かに見上げるほどになった。
本来で有れば、とてもではないが室内で飼える大きさではない。
だが、残念と言うべきかなんなのか、その桁違いの大きさを受け入れるだけの度量が公爵邸にはあった。
エンカという猫(?)が賢く、清潔だという事もある。
排泄もきちんと指定した場所でするし、物を無為に壊すこともない。
故に、侍女長シンディ・モリタを初めとする使用人も外に出すようにとはなかなか言えず、公爵邸には巨大な魔獣が闊歩するという残念な噂を否定することが出来ずにいた。
「え?
いや?
エリー、大丈夫なの?」
「何のことでしょう?」
「いや、手を――食べられてるみたいだけど……」
エリージェ・ソードルが視線を向けると、尻尾をユラユラと揺らしている愛猫エンカが、女の左手をパクリとくわえてモグモグとしていた。
エリージェ・ソードルは「ふふふ」と笑う。
「ああ、いつものことです。
わたくしの手はどうも美味しいみたいで、良くこうやって口に入れるんです」
「い、痛くないの?」
「甘噛みです。
痛くはありません。
ただ一応、わたくし以外の手は食べないようにと注意はしています」
「う、うん……。
そうなんだ……」
そこに、侍女ミーナ・ウォールを初めとする、侍女らが「失礼します!」と慌てて近寄ってきた。
そして、愛猫エンカの太い首を引っ張りながら「エンカ! ペッとしなさい! ペッ!」などと言っている。
(自身のお嬢様の手をペッと出させる。それっていかがなものかしら?)などと女がじっと見つめてるのも気づかないのか、侍女ミーナ・ウォールはようやく出した女の手を丁寧に拭いている。
そこに、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが恐る恐る訊ねてくる。
「ねえ、エリー。
それで、どうだろう?
許してくれるかな?」
その問いに、この女、苦い顔になる。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが言っているのは、ラーム伯爵邸での茶話会のことである。
エリージェ・ソードルはラーム伯爵家に対して、同じ曜日の同じ時間、同じ人間を集めて茶話会を開くように指示をしたのだが、曜日や時間はともかく、同じ人間という箇所で問題が発生した。
エリージェ・ソードルが”軽く”行ったあれこれに対して、参加していた令嬢は脅え、行きたくないと泣きわめいているとのことだった。
特に、”とても軽くであったが”扇子や”黒い霧”で折檻された令嬢などは部屋に引きこもり、寝台の中でガクガクと震えながら出てこないとのことだった。
ばかりか、恐怖のために毛が抜けて、頭部の一部に禿が出来た令嬢もいるとのこと。
そんな状態で、改めて茶話会などとても出来ないという話だった。
なので、ラーム伯爵家としては、ラーム伯爵令嬢のみで許して貰えないかとソードル公爵家に請うた。
だが、エリージェ・ソードルはそれをはねのけた。
効率を高きに置くこの女は、無駄足を踏ませるばかりか、茶話会のために用意した準備――参加者から話を聞く内容一覧が無駄になるなど、看過できなかった。
使いの者を”ふざけるな”と、叩き出した。
むろん、それを言いにきたのがラーム伯爵自身であれば、この女とてそこまではしなかっただろう。
色々とまあ、”調整”をしつつ、引くこともあったかもしれない。
ただ、肝心のラーム伯爵は二ヶ月ほどガラゴへと赴いている。
大した権限のない伯爵子息などの話など、聞く気など無かった。
一切の変更無く、その日を迎えるつもりでいた。
ところがである。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが訪問し、許して上げて欲しいと言いに来たのである。
エリージェ・ソードルが第一王子ルードリッヒ・ハイセルの背後にいる従者をギロリと睨む。
ラーム伯爵の次男が、縮こまり、震えていた。
そんな女に、第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「エリー」と言う。
視線を戻すと、この女の愛する王子が、困ったように眉を寄せている。
十三歳になり、徐々に大人っぽくなってきていた。
背中まで伸びた黄金色の髪を後ろで縛り、細さが際だっていたその肩も、徐々にだがたくましくなっている。
ひょっとすると、”前回”の今頃よりも体つきはしっかりしているのかもしれない。
エリージェ・ソードルはそんな風に思った。
ただ、その白い肌には疲れが見えていた。
頭がさほど良くないこの女も、自身の婚約破棄宣言がこの王子の立場を悪くしていることに気づき始めていた。
むろん、この偉大な王子がそのために次期国王から外されるなどとは考えもしない。
ただ、苦労もかけさせているという引け目も、感じていた。
エリージェ・ソードルは一つ、ため息をついた。
そして、言う。
「まあ良いでしょう。
参加者に関しては、殿下の仰るとおりにします」
そして、ラーム伯爵子息を忌々しげに見ながら言う。
「ただし、日時と場所に関しては一切変えないから、そのように伝えなさい」
「畏まりました。
ありがとうございます」
ラーム伯爵子息は深々と頭を下げた。
第一王子ルードリッヒ・ハイセルが「エリーありがとう」と嬉しそうに微笑むので、エリージェ・ソードルは少し恥ずかしくなり、「大した事ではありません」と視線をそらした。
そして、言う。
「殿下、お疲れではございませんか?
北東の要塞の件で何か問題がございましたか?」
エリージェ・ソードルの問いに、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは困ったように眉をハの字にする。
「問題というか、初めてのことが多いからね。
中々大変だよ」
第一王子ルードリッヒ・ハイセルは国王オリバーの命で、北東の都市ベラールの軍事要塞化の任に付いていた。
北方海に面するその都市は、元々、対ガラゴ王国の最前線に位置する要塞だった。
だが、前国王ヴィンツェ三世による融和政策のために、非武装化され――当然のように落とされた。
そこを拠点として動くガラゴ王国海軍船団により、一時期、オールマ王国は北方海での行動が完全に麻痺する事となった。
当時王太子であった国王オリバーが、エリージェ・ソードルの祖父マテウス・ルマ侯爵と北方を治めるミュラー伯爵を伴いなんとか奪還したが、それがなければ、オールマ王国は常に頭を押さえられながら過ごすような、窮屈な思いをしなければならなかっただろう。
そのこともあり、彼の地では前国王ヴィンツェ三世は大いに嫌われ、国王オリバーは非常に尊敬されている。
そのことが前国王ヴィンツェ三世に似ていると言われる第一王子ルードリッヒ・ハイセルが要塞を作る上での足かせとなっていた。
北方海の、特に海の男は気性が激しく、仲間内で固まる傾向がある。
余所者であり、唾棄すべき前国王に似ている、しかも成人すらしていない若造に対して、初めの内などは露骨に無視をするものすらいた。
自ら訪問し、必死に宥めて何とかのっそりと動く様になったが、第一王子ルードリッヒ・ハイセルは心身ともに疲れていた。
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