砕けた光の向こうに

とっくり

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 さらに
 三年の月日が経ちーー


 王都の春は、花の香と政のざわめきが混ざり合っていた。

 昼下がりの謁見の間。高窓から差し込む陽光が磨かれた石床に反射し、荘厳な空気を照らし出している。
 その中に、アレクシス・パルマ王国第三王子は静かに立っていた。玉座の間には王と側近たちが並び、空気は張り詰めている。

「アレクシス。グランゼル王国から、正式な縁談の申し出が届いた」

 第一王子のレオンハルトの声音は、いつも通り低く落ち着いていた。だが、その一言で空気が一変する。

「……グランゼル、ですか」

 アレクシスは反射的に問い返した。自分でも意外なほどだった。

「本来であれば、国内の政略的安定を図るためにも、ノイシュタット侯爵家の令嬢エリーゼが有力な婚約候補となっていたはずだが……」

 レオンハルトは、国王に代わり政務を担う立場らしく、落ち着いた口調でそう告げた。

「現在、我が国とグランゼル王国は緊張関係にある。そのような状況下において、和平の象徴として提示されたのが、リュシア王女との縁談だ。王女はすでに交渉のために滞在しており、その縁談が正式に提案された」

 リュシア――その名には聞き覚えがあった。

 和平交渉の象徴として来訪している王女。まだ顔を合わせたことはなかったが、聡明で礼儀正しく、美貌の誉れも高いと聞いている。

「これはお前にとっても大きな転機だ。たとえ王にはならずとも、隣国との懸け橋となる立場は重要になる」
「……はい」

 アレクシスは静かに応じた。だが、その視線は玉座の絨毯の上に落ちたままだった。

 彼は十八歳。王子として生まれた以上、いつか政略に使われることも覚悟していたはずだった。
 だが現実にそれが訪れた今、胸の奥には名状しがたい重さがのしかかっていた。

(リュシア王女との婚姻……)

 彼女の顔も声も知らない。ただ、国の未来のために、自分が差し出されようとしていることだけははっきりと理解できた。

 謁見が終わり、重く威厳ある扉が閉じられる。
 広い廊下を一人歩きながら、アレクシスは深く息を吐いた。

「……なぜ、今なんだよ……」

 思わず漏れた独り言。
 その瞬間、脳裏に浮かんだのは、陽光の中で剣を交わす日々――

 土にまみれ、汗を拭いながら笑っていた、あの少女。

 レオノーラ。

 なぜか、真っ先に彼女の顔が浮かぶ。無意識のうちに、呼び寄せられるように。

(……俺は、あいつに……)

 言葉にならない思いが、胸の内側で渦を巻いていた。



 その日の夕刻。訓練場では、いつものように剣の音が響いていた。

 だが、アレクシスの動きにはいつもの冴えがなかった。木剣が空を裂くたびに、どこか間延びした音が響く。

「おい、集中してないだろ」

 鋭い一撃の後、レオノーラが眉をひそめて声をかけた。

「うるさい……してる」

 反射的に返したが、明らかに様子がおかしい。

「どうかしたのか?」

 その声は、いつになく柔らかかった。
 アレクシスは、思わず言いかけ――しかし、口を閉ざした。

(言ったら、何かが変わってしまう気がして……)

「……ちょっと、考えごと」
「ふうん。考えるのは結構だが、今は剣に集中しろ」

 言いながら、レオノーラは目の奥で笑っていた。
 変わらぬまなざし――剣士として、仲間として、今この瞬間に全力を注ぐ姿勢。

 アレクシスはその視線にただ頷いた。

 夕陽に染まる空の下、剣が再び打ち合わされる。
 だが、アレクシスの胸の奥では、何かが音を立てて揺れていた。

 鍛錬を終え、水を飲みながら並んで腰を下ろしたとき、レオノーラがふいに口を開いた。

「……アレク。話があるんだ」
「ん?」

 アレクシスは木剣を膝に置き、彼女を見た。

 レオノーラの瞳は真っ直ぐだった。炎のような意思を宿した、あのまなざし。

「初陣が決まったんだ。明後日、出陣する」

 その言葉に、心臓がひとつ跳ねた。

「……初陣?」
「ああ。グランゼルとの国境での小競り合いの鎮圧任務。父の命令で、軍に所属して動くことになった。正式に軍人として」

 彼女の声は静かだったが、決意に満ちていた。

 アレクシスは、言葉を失った。

 彼女が軍人になることは、ずっと前からわかっていたはずだった。
 けれど、「出陣」という言葉は、あまりに現実味を帯びていて――胸がきしんだ。

「危ない任務なのか?」

 思わず出たその言葉に、レオノーラは小さく微笑んだ。

「問題ない。ディラン中将がついてるし、私ももう子どもじゃないしな」

(いや、子どもじゃないどころか……)

 アレクシスの視線は、ふと彼女の姿に落ちた。

 短く切られていた漆黒の髪は、今は肩まで伸びていて、一つに束ねている。凛とした横顔。しなやかに鍛えられた体。
 そして――少女ではなく、一人の戦士としての彼女が、そこにいた。

「……無茶は、するなよ」
「当たり前だ。ちゃんと戻るよ」

 ようやく絞り出すように言った彼に、レオノーラは軽く笑った。



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