砕けた光の向こうに

とっくり

文字の大きさ
60 / 111

61

しおりを挟む
 夕刻の陽が傾き、王城の西塔に金の光が斜めに差し込んでいた。

 最上階の戦略会議室──扉が静かに開き、レオノーラ・イーグレットが姿を現す。きびきびとした足取りは普段通りだが、その瞳にはわずかに疲労の色が浮かんでいた。

「……お待たせしました」

 そう言って一礼する彼女に、アレクシスは無言で頷き、空いていた席を示す。その眼差しは、他の誰よりも長く、レオノーラの表情を見つめていた。

 彼女は任務を終えたばかりの軍人の顔をしている。だが、その下に、何か微かな翳りを感じるのは気のせいだろうか。

「どうだった? マティアスとの話は」

 アレクシスが問いかけると、レオノーラはゆっくりと腰を下ろし、一拍の沈黙を置いてから答えた。

「……彼は、曖昧なまま“否定”はしませんでした」

 会議室の空気が、わずかに引き締まる。

「否定しなかった……?」
 ディラン中将が低く呟き、腕を組み直す。

「ええ。“王女殿下の安寧が第一”と繰り返していましたが、どの国の安寧を指すのかには、明確な答えを返しませんでした。まるで、“それを明言する必要がない”とでも言いたげに」

 その言葉に、アレクシスの指先が机上の書類を無意識に掴む。

「……うまいな」
 副官ダリオが苦笑気味に言う。

「正面からの問いは避けて、個人的な願望にすり替える。まるで忠臣のように見せかけて、本心は決して晒さない。黒寄りの灰色──まさにその通りでしょう」

 アレクシスは口を閉ざし、組んだ手の上に顎を預ける。

 レオノーラの表情は、冷静で整っている。だが、そこにある目の色だけが──なにより雄弁だった。

(彼女は、心の奥で確信している)

 アレクシスはそう直感した。

 王女の傍に忠実を装って仕える男。だがその実、王城内の地下回廊を熟知し、機密区域にも立ち入れる立場にある。宰相府の軍需課との繋がり──そして、物資の改竄。

 “マティアス・シュトラール”。今、王国の脅威がもっとも濃縮された名だ。

「……“否定しなかった”というのは、自らの正義に揺るぎがない証でもある。己の行動に後ろ暗さがないと信じている者の目だった」

「それとも、“すでに動き出している”という自信の現れかもしれません」
 レオノーラが低く言い添える。

 アレクシスは立ち上がり、壁際の地図に向かう。指先で王都をなぞりながら、地下構造の図面へと視線を落とす。

「地下回廊の再調査は?」

「王宮工務課と近衛に命じて、再封鎖を進めています」
 ディランが即答する。
「ですが、構造を熟知している者がいれば、封鎖しても別経路を使われかねません」

「となると、“内部に複数の協力者”がいる前提で動くべきですね」
 ダリオが腕を組んだまま言う。

 アレクシスの視線が、ふと背後を振り返る。そこにいるレオノーラを、もう一度見た。

 静かな横顔。決して奢らず、だが怯まず──誰よりも現実を直視するその姿に、胸がざわめく。

 今この場にいる者たちの中で、誰よりも敵に近づいたのは彼女だった。危うさすら感じるほどに、敵の心へと踏み込んでいる。

(これ以上、レオに近づかせるのは……)

 だが同時に、彼女以外に任せられる者がいないのも事実だった。

「……問題は、リュシア王女が“どこまで知っているか”だ」

 レオノーラの言葉に、場が静まり返る。
 ディランは何も言わず、ダリオも唇を引き結んだまま。

 アレクシスは、拳を静かに握る。

(リュシアが無関係であればいい。だが……もし)

 言葉の続きを、誰もが口にできなかった。

 やがて、アレクシスがゆっくりと椅子を離れた。歩み寄り、レオノーラの真正面に立つ。

「──レオノーラ。次の手を託したい」

 レオノーラが瞬時に目を上げる。

「マティアスと、もう一度だけ接触してほしい。今度は、“彼の裏”を引き出すための一手として」

「……承知しました」

「だが、無理はするな。彼は剣の腕もある。迷いなく動ける男だ。もし何かあれば──」

「そのときは、討ちます」

 凛とした声だった。一切の逡巡もなかった。

 アレクシスは、その言葉に一瞬だけ目を細めた。胸の奥で、何かが軋む。

(どうして、こんなにも)

 彼女はいつだって、誰よりも先に決意する。誰にも縋らず、誰の助けも求めない。

 ──だが、自分だけは。

「……わかった。信じている」

 その言葉を、静かに告げた。

 夕陽が傾き、戦略会議室の窓に、金の光が差し込んでいた。
 その光の中で、レオノーラの髪がわずかに揺れた。

 アレクシスの視線は、レオノーラの横顔に、しばし留まり続けていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

旦那様、もう一度好きになってもいいですか?

バナナマヨネーズ
恋愛
貧乏男爵家の十三番目の子供として生まれたエクレールは、傭兵として生計を立てて暮らしていたはずだった。 ある日、嫌な夢から目を覚ますと、見知らぬイケメンの腕の中にいた。 驚愕するエクレールに、イケメンは胸を張って言ったのだ。 「エクレール、君は昨日、俺と結婚したんだ。そして、エクレール・ポワレから、エクレール・アインソフ辺境伯夫人となったんだ」 「…………。へぇ……。そうなんですかぁ………………。ってえ?! はあぁぁあああああああ!! わたしが結婚? 誰とですか?!」 「ラクレイス・アインソフ。この俺だ」 エクレールは、初めて会ったはずの好みの顔面を持つ、ラクレイスとの婚姻関係を告げられ困惑するも、なぜかその男に愛おしさを感じてしまうのだ。 この物語は、愛する人との未来を掴むため奮闘するエクレールと、愛する人の苦しみを知り、それでも共にいたいと願うラクレイスの夫婦の物語。

【本編完結済み】二人は常に手を繋ぐ

もも野はち助
恋愛
【あらすじ】6歳になると受けさせられる魔力測定で、微弱の初級魔法しか使えないと判定された子爵令嬢のロナリアは、魔法学園に入学出来ない事で落胆していた。すると母レナリアが気分転換にと、自分の親友宅へとロナリアを連れ出す。そこで出会った同年齢の伯爵家三男リュカスも魔法が使えないという判定を受け、酷く落ち込んでいた。そんな似た境遇の二人はお互いを慰め合っていると、ひょんなことからロナリアと接している時だけ、リュカスが上級魔法限定で使える事が分かり、二人は翌年7歳になると一緒に王立魔法学園に通える事となる。この物語は、そんな二人が手を繋ぎながら成長していくお話。 ※魔法設定有りですが、対人で使用する展開はございません。ですが魔獣にぶっ放してる時があります。 ★本編は16話完結済み★ 番外編は今後も更新を追加する可能性が高いですが、2024年2月現在は切りの良いところまで書きあげている為、作品を一度完結処理しております。 ※尚『小説家になろう』でも投稿している作品になります。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【完結】小動物系の待女が魔術師を魅了したら王宮の危機でした

仙桜可律
恋愛
フードすっぽり魔術師団長×愛され待女 第二王女殿下付きの侍女、リーゼロッテは17才の男爵令嬢。小柄なためか幼く見られるのを気にしている。 王宮で働く先輩たちは恋愛結婚が多い。リーゼは魔術師団のリューバー団長に憧れていた。誰も素顔を見たことはないけれど、そのミステリアスな感じがたまらないと姿を見かけては喜んでいた。 周囲はそんなリーゼをお子様扱いで半ば呆れていたけれど、あることをきっかけに二人は急接近。 ※エブリスタの過去作に加筆しました

この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして

四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。

【完結】深く青く消えゆく

ここ
恋愛
ミッシェルは騎士を目指している。魔法が得意なため、魔法騎士が第一希望だ。日々父親に男らしくあれ、と鍛えられている。ミッシェルは真っ青な長い髪をしていて、顔立ちはかなり可愛らしい。背も高くない。そのことをからかわれることもある。そういうときは親友レオが助けてくれる。ミッシェルは親友の彼が大好きだ。

婚約破棄から始まる恋~捕獲された地味令嬢は王子様に溺愛されています

きさらぎ
恋愛
テンネル侯爵家の嫡男エドガーに真実の愛を見つけたと言われ、ブルーバーグ侯爵家の令嬢フローラは婚約破棄された。フローラにはとても良い結婚条件だったのだが……しかし、これを機に結婚よりも大好きな研究に打ち込もうと思っていたら、ガーデンパーティーで新たな出会いが待っていた。一方、テンネル侯爵家はエドガー達のやらかしが重なり、気づいた時には―。 ※『婚約破棄された地味令嬢は、あっという間に王子様に捕獲されました。』(現在は非公開です)をタイトルを変更して改稿をしています。  お気に入り登録・しおり等読んで頂いている皆様申し訳ございません。こちらの方を読んで頂ければと思います。

ワイルド・プロポーズ

藤谷 郁
恋愛
北見瑤子。もうすぐ30歳。 総合ショッピングセンター『ウイステリア』財務部経理課主任。 生真面目で細かくて、その上、女の魅力ゼロ。男いらずの独身主義者と噂される枯れ女に、ある日突然見合い話が舞い込んだ。 私は決して独身主義者ではない。ただ、怖いだけ―― 見合い写真を開くと、理想どおりの男性が微笑んでいた。 ドキドキしながら、紳士で穏やかで優しそうな彼、嶺倉京史に会いに行くが…

処理中です...