どうしてこの街を出ていかない?

島内 航

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 芳田国秋が受話器を取ったのは、息子のサッカーの試合の観戦に行く準備をしている最中だった。
 店を休業にするつもりで留守番電話にしておいたが、案の定、ボタンが赤く点滅している。たぶん数分前にも電話してきたのだろう。修理依頼はいつもそうだ。たまたま電話に出られなくても、お客にはわざと避けているように捉える人もいる。時間をおかずに3回以上かかってくるケースも少なくない。
「はい芳田商店です」
〈あっ、お忙しいところ申し訳ありません〉
通話先の男は、半信半疑のような声で言った。たぶんネットの情報サイトか何かを見て電話してきたのだろう。ニュアンスで分かる。普通のお客ならこういう物言いはしない。
〈国秋さんですか?〉
「はい、そうですが」当たりだ。芳田は鼻を鳴らした。どうせまた企業家セミナーかなんかの勧誘だろう。
〈栗村継人と申します〉
「栗村・・・さん」ちょっと待て、俺の知ってる栗村は・・・。
〈15年ぶりだから無理も無いか?〉
「ツグジか?」芳田は大声になった。
 継人をもじってツグジ。この名前が出た時点で、時間はあっという間に15年前に巻き戻った。
 幼稚園からの幼馴染みで、小中高まで一緒だったにも拘らず不思議なことに1度も同じクラスになった事がなかったという唯一の友人。距離を縮めずとも分かり合えるソウルフレンドのような存在。それは15年経った今でもなんら変わりなかった。
「どうしたんだ、おまえさん。元気か?」
〈まあ・・・な。じつは今日、そっちに帰ろうかと思う〉
「お盆休みか。たしか長野にいるって聞いたが」
〈あっ、ああ。もう10年になるかな〉
〈そっちで10分でもいいんだけど、会えないかな?〉
「1日でもいいぞ。急な修理が飛び込んで来なきゃな」
〈ありがとう。そっちに着いたら連絡する〉
 そう言うと、継人は自分の携帯番号を伝えて通話を切った。すぐに芳田からワン切りが入り、登録した。
 用件は会うまで何も聞かない。この絶妙な距離感が芳田のいいところだ。もっとも、何かの用事で忙しそうな雰囲気ではあったが。
 とにかくここまでは順調だ。
 まずSNSを使って、実家を離れる前に出会った同級生の名前を思いつくまま打ち込み、高原夏美本人と繋がってないかをチェックする。女性は結婚して姓が変わっている可能性が高いのか、殆どヒットしなかったので除外。問題は誰が地元に残っているかだ。顔が広く、家業を継いでいればなおいい。
 そう考えると、該当する人間はひとりしか思いつかなかった。芳田国秋。設備業者・芳田商店の社長。あとは職業別・地域別のサイトを覗けば電話番号が分かる。いい時代になったものだ。かつて探偵が足で調べていた情報が、手のひらのボタン操作で簡単に手に入るのだから。
 それにしても、おれは何をやっているんだろう?
継人はスマホの画面を睨んだまま思った。芙美から壊れたドライヤーを預かり、“ごみ捨てついでに散歩してくる”と言うと、また神社に戻って来てしまった。
 あの手紙を見つけてまだ1時間も経たないのに、この連休中に高原夏美に会えるかも知れないと勝手に妄想して、すでに行動を開始している。
 相手はすでに誰かと結婚し、知らない土地で子供達と幸せに暮らしているかも知れないのに。それに、芙美に対する背徳感もある。出張を口実に妻以外の女と逢瀬を重ねる昼ドラの主人公のような後ろめたさ。
 でも、あの手紙を見てしまった以上、自分の心に区切りを付けないと気持ちが悪くて、もとの日常に戻れない気がした。
継人はひとり頷いた。高原夏美に会うことが叶わないならそれでもいい。どこでどうしているのかが分かりさえすれば、あとは想像で補完すればいい。
これは裏切りなんかじゃない。過去と決別し、現実と向き合うための重要なプロセスなのだ。
 継人はスマホをポケットに押し込み、アパートに向かって歩き出した。
「これから行こうと思う」
「これからって、今日ってこと?」芙美は目を丸くした。
「だから、今日を含めて4泊。戻る日はいつも通り」
「きょう出発するって言ってくれたら、ちゃんと洗濯しておいたのに」継人がフローリングの上に無造作に積み上げた柄物のシャツを引っ張り出すのを見て、芙美は憮然とした。「あんまりヨレヨレな格好で行かないでね。わたしがだらしないみたいに思われるんだから」
「こういうのは一度着ちゃえばピンと張るもんなんだよ」
「どうだか」
 芙美は呆れて背を向けたが、出発を早めた理由を聞かなかったのは継人にはありがたかった。口実を考えてはいたが、嘘を付くのはあまり気持ちのいいものではない。
「何かあったら連絡するよ」
「お姉さんによろしくね」
 着替えだけですでに満杯に膨れ上がったボストンバックに、洗面道具と読みかけの文庫本とタブレット端末を押し込んで、継人は玄関を出た。
 荷物ひとつで帰省するのは久しぶりだった。ひとりで乗るSUVの座席とラゲッジスペースは、いつもより広く感じられる。
 後部ドアを閉めると同時に、クーラーボックスを積み忘れたことに気がついた。帰省するときはいつも、高速に乗る前に道の駅で野沢菜漬けを10袋買って、保冷剤とともに入れておくことになっている。1人暮らしの母がいつも世話になっている近隣に配るためだ。
 部屋に取って返そうと一旦車を離れると、エントランスでまた向かいの込山今日子に会った。
「先程は有り難うございました」爆発現場から出てきたような髪の毛は幾分整えられ、隣人は継人にペコリと頭を下げた。「ご実家に帰省されるんですか?」
「そう、ですが」継人は一瞬口ごもった。たぶんさっきと違う服に着替えてきたからそう思ったのだろう。
「だったら、1つお願いがあるんです」込山今日子は目を輝かせた。起きぬけの時とは違って敬語になっているのが妙に気持ちが悪い。
「ぼくは、あなたが思っているほどゴミの分別には詳しくないですよ」
「あははは。そうじゃないんです。お正月に帰省されたとき、芙美さんからチーズブッセを何個か分けてもらったんですけど、完全にハマっちゃって。もしその店に寄られるようなら、わたしの分を10個ほど買ってきてもらえないかなぁ、なんて」
 キョトンとした顔の継人を見て、彼女は慌ててもう一言付け加えた。
「も、もちろんお金は払います。お手間代も含めて」
「いいですよ」継人はにっこり笑った。「でも、お金は要りません。ぼくもあの店のファンなんで」
「ありがとうございます!」
 込山今日子が感激のあまりに抱きついてきそうな勢いだったので、継人は思わず後ずさった。
「楽しみにしていてください。じゃあ」
継人はそれだけ言って階段を駆け上がった。変わった娘だ。でも、芙美とは結構気が合うということらしい。
 玄関のドアを開けると、芙美がクーラーボックスを持って立っていた。
「これ、でしょ」
「ありがとう」焦っているのを見透かされた?
継人は、バツの悪さが顔に出ないようにして受け取ると、再び玄関を出た。「じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
 芙美はめずらしく手を振って送り出してくれた。
 荷物を手渡して両手が自由になったからなのか、妙な違和感を抱きつつ継人は車に向かった。結婚3年目とはいえ、芙美にはこういう茶目っ気もたまにはある。
不思議だったのは、なぜ急ぐのかを一切訊こうとしなかったことだ。これもまた3年目だからということなのだろうか
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