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しおりを挟む継人が帰省して3日目の朝、千賀子は自分の家に帰って行った。
今日を入れて、あと2日と半日。これがタイムリミットだった。芳田の協力はもはや当てにならない。これからは自力でどこまで近づいていけるか、手探りで進んでいくしかなかった。
継人は朝食を食べると、まず隣町の柿垣市立図書館に向かった。
父が9歳の頃の新聞記事を調べるためだ。対象の年度は昭和36年。かなり古い資料なので、閉架書庫の中にあることは予め確認済みだった。
職員に問い合わせると、2紙が閲覧可能ということだった。
「縮刷版とマイクロフィルム版のどちらにしますか?」と言われ、縮小印刷したものを1ヶ月ずつファイルにまとめた縮刷版を閲覧することにした。
最初から一語一句たりとも漏らすまいと真剣に見ていくと、1月にはジョン・F・ケネディが米国大統領に就任し、4月にはユーリイ・ガガーリンが人類初の有人宇宙飛行に成功、8月には東ドイツが国境線に東西冷戦の象徴であるベルリンの壁の建設を始める、といった歴史的なイベントが続いている。
そして8月26日、ついに“その”記事に辿り着いた。
《八月二十五日金曜日十二時ごろ、直井駅前の路上で、付近を通行していた直井小学校教諭・麻倉恵子さん(二十三)が野犬に襲われるという事件が発生した。恵子さんは全身を数箇所噛まれ、付近の病院に運ばれるも意識不明の重体。その後、日本国有鉄道の敷地内に逃げ込んだ野犬を、通報を受けた警察と、応援に駆けつけた地元の猟友会が追跡し、体胴長約百六十センチの大型雑種犬一頭を射殺駆除した。直井町教育委員会によると、この界隈は以前より立ち入り禁止区域とされていたが、防護柵などの安全対策が施されておらず、周辺地域の畑で農産物が荒らされる被害も報告されていることから、何らかの理由で野犬がこの敷地内に住み着いたのではないかと見ている》
継人は大きくため息をついた。
親父がずっと抱き続けてきた贖罪の気持ちとは、こういうことだったのか・・・。
記事の中には、落とし穴や3人の少年は一切登場しない。そればかりか、獣の姿をした憐れな動物がすべての罪を背負っている。
さらにファイルを捲った。翌週の火曜日、8月29日の記事だ。
《八月二十六日未明、野犬の被害にあった傷が原因で亡くなった直井小学校教諭・麻倉恵子さんの葬儀は、故人の実家である滋賀県湖岸町で二十八日、近親者のみで行なわれた。なお、十五日後にあたる九月十日午後一時より、直井小学校ならびに父兄及び児童の有志による「故人を偲ぶ会」が同小学校体育館にて執り行われる予定》
かなり違和感のある文章だ。
この記事を読むかぎり、先生は野犬に噛まれた傷がきっかけでウイルス感染して死に至ったようなニュアンスを受ける。
実際のところ、“狂犬病”は致死率100%といわれる恐ろしい感染症だ。ただ、丸一日も経たないうちに命を奪うほどの殺傷力があるとも思えない。この時代ならワクチンはもちろん、感染を防ぐ適切な処置もできたはずだ。
なにやら『野犬』という不衛生で凶暴なイメージを利用して、『狂犬病』というオカルトを呼び起こすように誘導しているようにさえ思える。
あるいはこの野犬が、獲物を狙う肉食獣のような的確さで本当に致命傷を与えたという可能性もなくはない。
しかし、あまりにも残酷ではあるが、母が言ったように数十本の竹槍が身体を貫いたと考えたほうがしっくり来るような気がした。
そして最後、九月十一日の記事を捲った。
まず驚いたのは、初めて麻倉恵子本人の遺影が大きく掲載されていることだ。
昭和36年当時、地方で起きた事件が全国で報道されることなど、注目度の高い誘拐や篭城などの劇場型犯罪を除いて、ほとんど無かったはずだ。ましてやこの事件は死亡事故という扱いになっている。『狂犬病』という意図的なミスリードに世間が過剰反応したとも思えない。
しかし、被害者の顔写真を見て納得した。
麻倉恵子の遺影は、当時の女優の誰かに似ているという形容を超えて、まさに神が創った奇跡と呼んでも大袈裟でないほどの清楚な美しさを湛えている。
記事にはこう綴られていた。
《九月十日日曜日午後一時、直井町の直井町立直井小学校に於いて、『麻倉先生を偲ぶ会』が行われ、麻倉さんが当時担任だった四年二組の児童とその父兄を始め、教職員や教育委員会、日本国有鉄道の関係者ほか約二百人が参列した。会場は深い悲しみと嗚咽に包まれ、其々が麻倉さんと最後のお別れをした。麻倉さんが晩年教鞭をとっていた同校の校長・稗田興三郎氏はこう弔辞を述べている。
「麻倉先生はまさに蓮の花のような人でした。その笑顔はいつも生徒たちを元気づけ、その言葉は生徒たちに希望を与え、その楚々とした美しい姿は周りにいる私たちすべてに光と勇気を与えてくれました。彼女は、まるで蓮の花がたった数日間で姿を消してしまうように、あっという間に天国に召されていきました。しかしながら、蓮は命の再生の象徴でもあります。彼女が残したたくさんの萌芽は私たちすべての心にいつまでも鮮やかな花を咲かせることでしょう」》
記事はここで終わっている。
継人はスマホを取り出して、『蓮』を調べた。蓮は夏の季語として使われるらしい。
校長が俳句を詠む人だったのかどうかは知らないが、この弔辞のなかには何らかの暗喩が隠されているような気がした。
『蓮』は泥の中で育ち、周りに決して汚されることなく水面に美しい花を咲かせる。そして校長は、その美しさを『光』と『勇気』に喩えた。
『光』は理解できる。では、『勇気』とは何か?
これは、麻倉先生が何らかの理由で立ち入り禁止区域に足を踏み入れたことを言っているのではないだろうか?
校長に真意を尋ねたいところだが、半世紀前ともなれば会える可能性は限りなく低そうだ。念のため次の年の夏まで調べてみたが、この事件に関する記述は一切無かった。
継人は図書館を出て、電話を掛けても差し支えないところまで歩いた。
会うべき人物は分かっていた。
昭和36年8月25日、あの現場にいた、生存する唯一の当事者、芳田の父親だ。
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