どうしてこの街を出ていかない?

島内 航

文字の大きさ
29 / 38

28

しおりを挟む
 継人は身支度を済ませてもう1度503号室の前まで来たが、ごま塩頭の刑事は軽く首を振った。
「まだ・・・ですか」継人はため息をついた。残念さと安堵が入り混じった、複雑な気持ちだった。「ところで、唐木さんは?」
「先に駐車場に行って待っとるっちゅう伝言がありましたわ。たしか直井高校の近くにあなたの車が乗り捨てられとる筈やと」
「そういえば、そうでした」継人は恥ずかしそうに頭を掻いた。車を放置していたことなどすっかり忘れていた。今日この町を離れるというのに。
 病室の外から目をやると、カーテンから白いシーツが覗いているのが見える。
 最後にもう1度、高原夏美の姿をこの目に焼き付けておきたい。そう思ったが、できなかった。ボールは田野倉氏に預けた。しかもそれは元々そこにあったものだ。
 溢れる想いを振り切って、継人は病院の建物を出た。走ったわけでもないのに、喉がやたらと痛かった。
「すいません。送っていただいて」
「勘違いしてもらっちゃ困る。オレはタクシーの運転手やない。たまたま行き先が一緒だっただけや」軽トラックのやかましいエンジンの回転音に負けないぐらいの大声で、唐木は言った。
「直井高校の事務長は大丈夫だったんですか?」
「手足に炎症が残った程度で、ピンピンしとったらしい。あんたと同じように麻酔を打たれたまま転がされて、ついさっき目を覚ましたとこや。聞いたところやと、随分とつまらん男やっちゅう話やで」
「つまらん男?」
 継人は数日前に直井高校に訪問したときのことを思い出した。『髪を噛む少女』の寄贈先を尋ねたとき、ヒステリックに反応した、あの事務職員のことなのだろうか?
「きのうの夜、直井町でお盆恒例の花火大会があったんやが、直井高校の校舎は町一番の高台で、しかもその屋上は絶好の鑑賞ポイントやったらしい。じつはこの屋上は数年前に生徒の飛び降り自殺があってずっと使用禁止になっとったが、この男はそれをいいことに毎年この特等席を独り占めにしとったわけや。そんな曰くつきの場所に暗いとこで独りでおられる神経も理解できんがな。ところが、今回は独りやなかった」
「高原文恵ですね」
「たぶんな。この男に相手の様子を聞いたら、あんたが言っとった服装の特徴とも一致した。それにしても署の連中が呆れたんは、現場にはビールの空き缶とおつまみ、男もんのスラックスとパンツ、そして使用済みのコンドームまで転がっとったってことや。しかも、やっこさんはイチモツを晒したまま手足を縛られとったらしい。そのどさくさで、まんまとカードと鍵を盗まれたって訳や」
「はあ・・・」それ以上言葉が出なかった。
 軽トラックは松宮神社の脇の急勾配の坂を息も絶え絶えに登りきった。校内の正門の前には、2人の警察官が学校関係者以外の立ち入りを規制している。
「あんた、車はどこに駐めたんや?」
唐木は、警察官が手招きしているのを見て、入り口の手前でいったん止まった。
「弓道場のほうです。いえ、ここで構いません。歩いて直ぐのところですから」
「いや、そっちに行こう。検証が終わって報道の車が入って来とる。いま行けば揉みくちゃにされるで」
そう言うと、唐木は校舎をやり過して再び軽トラックに鞭を打った。
 以前インターハイ出場で名を馳せた弓道部も、今日はお休みらしい。建物の直ぐ脇に駐めたので通報されないかと心配だったが、SUVは昨晩と何の変わりもなくそこにあった。
「いろいろありがとうございました」
「まあ気をつけてな。高原文恵は必ず捕まる。いまはネット社会や。あっちに行ってもすぐ分かるやろ」
「あっ、ちょっと待ってください」継人はSUVのドアを開けて、ダッシュボードの中から2通の手紙を取り出した。「この5日間で、私の実家に直接投函されていたものです。この事件に関係している誰かから送られてきたものかもしれません」
 唐木は首を振りながら中身を読んだ。「隠してるのはこれだけかね、探偵さん」
「そのハンチング帽に誓って」
「ふん」と鼻を鳴らすと、唐木は挨拶代わりに2度ほどハザードランプを点滅させて、ゆっくりと坂を下りて行った。
継人はその様子を見送ると、SUVに乗り込んで母に電話を入れようとした、が止めた。ここから実家までは車でわずか数分の距離だ。どういうわけか、母に連絡をするときはいつもギリギリになってしまう。
 家に着くと、案の定、母は開口一番に言った。
「ぜんぜん連絡もせんで、どこ行っとったの?」
 一語一句違わず予想通りだったので、継人はあらかじめ用意した言葉で返した。「ちょっと無茶し過ぎて、さっきまで寝とったんやわ」
「アホやな」母はその意味をあえて詮索しなかった。「そんなんで、長い距離運転して帰って大丈夫なんか?」
「大丈夫やて」継人はホッとした。無茶をしたのは事実だが、どんな無茶かと聞かれても答えようがない。
「もう1回、墓参りしてから帰ろうと思う」
「めずらしいこと言うんやね。あんなの1回行けばええって、いつも言っとったのに」
「今回は、ちょっとそんな気分なんや」
「ふぅ~ん。まあええわ。冷蔵庫にチーズブッセが入っとるから、忘れたらあかんで」
「分かっとるわ」
少しずつ日常が戻っていく。もうこの数日の出来事を話すような雰囲気は完全に無くなっていた。
「おはぎを作った残りがあるから、食べていきや」母は小皿をテーブルに置いた。
「ありがと」継人は2個を冷たい麦茶と一緒に胃に流し込むと、大きく息を吐いた。
「なあ、ところで親父って幸せだったんやろうか?」
「私みたいな奥さんがおるのに不幸なわけないやろ」
「いや、そうやなくて」
「さあ、それは私もよう分からん。あんまり顔に出さん人やったから。でも、嬉しそうな顔しとる時は、大抵あんたの話をしとる時やったわ」
 母は何かを思い出したように笑顔になった。継人はその横顔を見て胸が一杯になった。“父と向き合えなかった”という田野倉氏の言葉が頭を過ぎる。何のことはない。訳知り顔で聞いていた自分自身も、親父のことなど何も分かっていなかったのだ。そして母のことも。
「じゃあ、正月にまた来るわ」そう言って、継人は実家を後にした。
 墓参りに向かう途中、例の脅迫文のことを思い出した。母は何も言わなかったが、あの後はもう届いてなかったのだろうか?
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

処理中です...