どうしてこの街を出ていかない?

島内 航

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全長8・5キロメートルもある長いトンネルを抜けると、いつの間にか外の景色のほうが暗くなっていた。遠くに見えていたヘッドライトの光が急に大きくなり、やがて通り過ぎていく。継人は1つやり過ごすたびに、心拍数が急上昇するのを感じた。
 車が隣に並ぶわずかな瞬間に見える横顔は、カップルからビジネスマン、お金持ちそうなミドルエイジに走り屋とさまざまだ。もっともいままではそんなことに気に留めたこともなかった。
ひょっとすると、純白のトップスを着たミディアムヘアの女が、不敵な笑みを浮かべてこちらの様子を窺っているかもしれない。そう考えると気が気でなかった。
とりあえずサービスエリアに入って、唐木から指摘されたようにSUVの内部を調べることにした。
座席の下やダッシュボードの中、工具箱やクーラーボックスの中などを順々に見ていく。そしてトランクルームの上板を持ち上げてスペアタイヤを覗き込むと、アルミホイールの内側の空間の下にガムテープで固定された2個目のGPS機器を発見した。
「くそっ」継人はそれを手に取るなり地面に叩きつけたくなる衝動に駆られたが、やめた。1個目のように闇雲に廃棄するのも何やら居心地が悪い。
とはいえ、こんな物をいつまでも持っていたくはなかった。警察に預かって貰うのがいいかもしれない。そう思って、施設の中の総合案内を訪ねたが、すでに営業時間外になっていた。しかたなくその小さな黒い物体を車載工具で機能停止になる程度に破壊して持ち帰ることにした。
 いつ取り付けられたのだろうか・・・。5日間の行程を回想してみる。いつもはわりと小まめにカギを掛けるほうだが、この間の日中はずっと30度を越える暑さで、エアコンは欠かせなかった。短い時間なら、アイドリングのまま車を離れた可能性もある。いくら暑いからといって、間違ってもエンジンを掛けっぱなしにしたまま施錠するためだけに、わざわざスマートキーに内蔵しているもう1つのキーでシリンダーを回すようなことはしない。そんな面倒をするくらいなら、エンジンを切るほうを選ぶに決まっている。
 あの女は5日間の運行状況を把握している。つまり停車した場所すべてが機会であり対象というわけだ。ただ、それが分かったところで今さらどうなるものでもない。
 とりあえず相手の眼を奪った。そのことが継人の心を少しだけ軽くした。
 芙美からの電話はまだないが、出来るだけ明るい側面を見るようにしよう。そう思ったが、あと1つだけ確認したい事がある。再びスマホを無線システムと連動させると、番号をタップして、ハンドルを握り、アクセルを踏んだ。
 1度目のコールで電話はつながった。
〈今朝ほどは、どうもありがとうございました。もう長野に着かれたのですか?〉
 田野倉克登の明瞭で気品のある声が車内に響く。
「いえ、まだ移動中です。あなたが病院に居られるという話は、警察の方から聞いています。早速対応していただいてありがとうございます」
〈とんでもない。最初は戸惑いましたが、夏美の寝顔を見て、私も覚悟が出来ました。たとえこのまま彼女が再び目を開けることがなくとも、ずっと側に付き添うつもりです〉
「是非、そうしてあげて下さい」
 もはや羨望も嫉妬もなく、純粋にそうあってほしいと継人は思った。
「じつは、1つ気になることがあって、それで電話させてもらったんです」
〈どうぞ。私で分かることでしたら〉
「先日お伺いしたときに、結婚式の写真があるとおっしゃっていましたが、その中に集合写真というか、ご親族が写っている写真はありませんでしたか?」
 すこし考え込むような間があって、田野倉は答えた。
〈おそらく1枚だけそんな写真があったような気がします。私の家族のほうは妹夫婦を入れて9人、高原家のほうは養母さんがすでに亡くなっていたので3人姉妹だけだったと思います。もしご必要なら、その写真を接写してチャットしますよ〉
「ぜひ、お願いします」
命を狙われているかもしれない相手の顔を確認したいから、とは言わなかった。
 ただ、元妻の病室のただならぬ様子を見て、まだ全てが終わったわけではないということは田野倉自身も理解しているはずだった。そして、それが高原文恵に対する警戒であることも。
〈その写真が撮られた当日のことをすこしお話しておいたほうがいいかもしれません。いったん掛け直します〉
「いえ、このままお話ください」
〈では、お言葉に甘えて〉と言って田野倉は続けた。
〈式を取り終えて、私の親族と高原家の姉たちとで会食をしたときの話です。2人と顔を合わせたのはその日が最初で最後になってしまいましたがね。面白いことに2人はまるで正反対でした。咲恵さんは陽気に笑いながら終始しゃべりっぱなしなのに対して、文恵さんのほうはテーブルをぼんやり見つめ、ひとり自分の世界に入っているようでした。特に印象的だったのは、その反応です。咲恵さんや私の親族の話には全く無反応なのに、夏美と私の話題になった時だけ顔を上げ、それが終わると、また元の世界に戻っていくんです。まるでそれ以外は聞くに値しないとでもいうような態度でした。その場がお互いに気を遣う状況であることを考えるとずいぶんと幼稚な気もしますが、じつは周りの話をすべて聞いたうえで、必要な情報以外をすべて切り捨てているように見えました。彼女が終始そんな様子だったので、私は帰り際に “いささか退屈だったかもしれませんね”と声を掛けたんです。すると彼女はそれには答えず、まるで少女のような無邪気な笑顔で “握手しましょ。同じ家族になれたんだから”と言って右手を差し出したんです。その手が、言葉とは裏腹にやけに冷たかったのを今でも覚えています〉
「なんていうか、彼女らしい話ですね」
〈そう、そう思いますよね〉
田野倉の声は、同意を得たことに嬉々としているように聞こえた。
〈冷徹な知性のなかに純粋さと狂気が同居しているような、いつも現実と虚構のあいだに身を置いているような、そんな不思議な人だったような気がします〉
「・・・・」
 継人は返す言葉がなかった。田野倉の分析はたぶん正しいのかもしれない。危ういと知りつつも抗し難い魅力があるのも何となく分かる。ただ、決して賛美すべき対象ではない。彼女は殺人者なのだ。
 そのことに気付いたのか、田野倉は話を戻した。
〈すいません。いささか不謹慎でした。これから1度家に戻ってアルバムをひっくり返してみます。場所は私でないと判らないので、しばらく時間をください〉
「お手数ですが、よろしくお願いします」
 通話が終わると、いつの間にか全行程の半分以上まで進んでいたのに気付いて、継人は驚いた。すでに長野のアパートまでは100キロメートルを切っている。
とはいえ、連休の最終日でこんなに遅くなったことはなかった。いつもは昼と夜の狭間で官能的なまでに美しい稜線を描く北アルプスの眺望も、いまや空と同じ色に塗り込まれて、底が見えない漆黒の闇のなかに落ちてしまったように見える。
自分もまた高原文恵のように、現実と虚構のあいだに身を置いているのか? でも、もしアバターならそれは自然なことかもしれないな、と継人は思った
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