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第43話 全力
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丸く暗い闇の中で、私という意識は眺めていた。
幾千幾万の感覚の窓。視覚、嗅覚、触覚、聴覚、味覚、直覚等々、様々な受動器官が受け取った情報が私の中に入ってくる。
膨大で膨大で膨大で、しかし、今の私にとっては走馬燈のような通り過ぎていく刹那だった。
半径数キロメートルの円形の大地を、上に乗る樹海もろとも呑み込んで間欠泉のように吹き上げる。
はるか上空まで上がった土は風に乗り、更に数十キロの範囲に広がって落ちた。落ちた土は血となって深く広く染み入り染め上げ、瞬きする間に窓の数が今の数千倍にまで膨れ上がる。
窓の一つが、嫌悪を拾った。
『あ~、君もこっち側なんだねぇ~』
音の源を数千の視覚が探り、すぐにローブ姿のハイエルフを見つけた。
直覚が生命の危険を告げるのを握りつぶし、わずかに残った知性で『琥人』の名を憎々しいハイエルフに紐づける。更に滅ぼすべき敵、仇と情報を付加し、足場となる大地を全て私の血液へと作り変える。
池というより、沼というより、湖というより、小さな血の海。
直径十数キロ、深さ一キロの地獄に落とされては、大抵の生物は岸に辿り着く前に溺れて死ぬ。
だが、琥人は笑っていた。
溺れることなく、沈むことなく、慌てることなく、当たり前のように水面の上で立ち続ける。更に私がどこにいるのかわかっているかのように、視覚の一つに向かって『バンッ!』と銃を撃つマネをした。
無性にイラつく。
私は血の海から触手の刃を生やした。
二、四、十六、二百五十六、六万五千五百三十六、四十二億九千四百九十六万七千二百九十六――――数えるのが面倒になった所で、片端から琥人に差し向ける。
リザの千翼を超える高密度斬撃。
避ける、防ぐ、捌く、斬り払う……如何なる防御も無意味に帰す圧倒的物量だ。これを前に無事でいられそうな奴は記憶の中に無く、向けられた小さな掌を悲哀で以って押し潰す。
『はい、残念』
掌が一回転して円を描くと、刃の全てはその円を通過できずに逸れてしまった。
一刃も琥人を裂く事が出来ず、私の心が憤る。
細かすぎて逸らしやすいなら、纏めて叩きつければ良い。今度は分けた刃を全て一本に束ねて纏め、都一つ掬える大きさの拳を作る。
影が樹海の端まで届く高さを頂点に、思い切り遠心力を乗せて弧を描かせ叩きつけた。
巨体が動く余波で大気がうねり、衝突の衝撃が血と樹の海を弾いて飛沫を上げる。
確かな手ごたえが感じられ、やったと心が歓喜に震える。
直後、警鐘を鳴らし続ける直覚が特大級の異常を知らせた。
『なかなかやるじゃん。新入りと思って加減しない方が良いかな?』
視覚の窓を集め、状況を確認する。
拳から見たら微生物サイズの人型が、指一本で拳を止めていた。周囲も足場も吹き飛ばされて跡形もないのに、打撃と衝撃のダメージは見られず、ローブにも破れはおろか解れすらない。
在り得ない。
一体何をどうすればそうなる?
魔術でも神術でも、この規模の攻撃は防ぎようがない。単純な超大質量による物理攻撃をどうこう出来る術など、世界の理の枠を超えている。
――――『理』?
『あ、気付いた? じゃ、今度はこっちから行くよぉ~』
琥人は止めていた指を離し、デコピンで拳の表面を軽く叩いた。
拳を構成する血が支配下から離れ、感覚の窓の三分の一が減る。残る視覚で確認すると、叩かれた巨腕は血同士の連結を解かれて、文字通り霧散していた。
『次はこっちかな?』
直下の血の海を指差され、走る怖気に同化した全てを引かせて集める。
体積が多いとただの的だ。
この手の相手には巨大で強大より、小型で収束の方が良い。私は急激な引き戻しで崩れる地形を気にせず構わず、再び人型へと形を変える。
広大な地と血が一か所に集まり、幻想的だった樹海は地肌が露出した崖と巨大なクレーターに変わり果てた。
その中心で、私は私に戻る。
形が纏まり、心が開き、知が集って精神が戻る。
冷えた理性は到底勝てないと答えを出した。
対して、沸騰した本能が、構いやしないと怒りを叫ぶ。
「どうでも、良いっ!」
感覚を研ぎ澄まし、集中を増し、一足で琥人のすぐ横に寄る。
楽しそうな目が私をしっかり追っていた。
握った拳を顔面に叩きこもうとして、唐突に視界の上下が逆転する。単に逆さまにされただけで、混乱も困惑も今は必要ない。
そこに的があるなら殴るだけだ。
「ぉおおおっつ!」
左の頬に拳が刺さる。
足の踏ん張りはないが、吸収した大質量と速度で十二分の威力はある。ゴキッともメキッとも音はせず、僅かな手応えを残して私の腕は振り抜かれた。
「まともに食らったら死ねそうだねぇ~」
「っ!?」
背中から抱きしめられ、全身の細胞が嘔吐感に震える。
私は怨嗟と拒絶を刃に変え、触れている肌という肌から隙間なく突き出した。
今度は刺した感覚がしっかり伝わる。やっとドルトマの無念が果たせたかと思い、背後の針鼠を振り返って確認――――?
「……は?」
そこに在ったのは、琥人の亡骸ではなく黒い棺。
また避けられたと一瞬感じ、貫通した刃の感触に塗りつぶされる。中身は空っぽのがらんどう。安置されている筈の安全装置はどこにもなく、棺自体の素材も何てことはない、錆びにくいだけの合金製だ。
何で?
安全装置はどこにいった?
「あ~ぁ、ばれちゃった。じゃ、この辺にしとこっか。ちょっとおやすみ」
琥人の声が真横からして、振り向くと額に指が立てられた。
拙さを感じる間もなく、視界が白く染まる。
何の音も感触もない真っ白な世界に、私は自分の無力と敗北を実感させられた。
幾千幾万の感覚の窓。視覚、嗅覚、触覚、聴覚、味覚、直覚等々、様々な受動器官が受け取った情報が私の中に入ってくる。
膨大で膨大で膨大で、しかし、今の私にとっては走馬燈のような通り過ぎていく刹那だった。
半径数キロメートルの円形の大地を、上に乗る樹海もろとも呑み込んで間欠泉のように吹き上げる。
はるか上空まで上がった土は風に乗り、更に数十キロの範囲に広がって落ちた。落ちた土は血となって深く広く染み入り染め上げ、瞬きする間に窓の数が今の数千倍にまで膨れ上がる。
窓の一つが、嫌悪を拾った。
『あ~、君もこっち側なんだねぇ~』
音の源を数千の視覚が探り、すぐにローブ姿のハイエルフを見つけた。
直覚が生命の危険を告げるのを握りつぶし、わずかに残った知性で『琥人』の名を憎々しいハイエルフに紐づける。更に滅ぼすべき敵、仇と情報を付加し、足場となる大地を全て私の血液へと作り変える。
池というより、沼というより、湖というより、小さな血の海。
直径十数キロ、深さ一キロの地獄に落とされては、大抵の生物は岸に辿り着く前に溺れて死ぬ。
だが、琥人は笑っていた。
溺れることなく、沈むことなく、慌てることなく、当たり前のように水面の上で立ち続ける。更に私がどこにいるのかわかっているかのように、視覚の一つに向かって『バンッ!』と銃を撃つマネをした。
無性にイラつく。
私は血の海から触手の刃を生やした。
二、四、十六、二百五十六、六万五千五百三十六、四十二億九千四百九十六万七千二百九十六――――数えるのが面倒になった所で、片端から琥人に差し向ける。
リザの千翼を超える高密度斬撃。
避ける、防ぐ、捌く、斬り払う……如何なる防御も無意味に帰す圧倒的物量だ。これを前に無事でいられそうな奴は記憶の中に無く、向けられた小さな掌を悲哀で以って押し潰す。
『はい、残念』
掌が一回転して円を描くと、刃の全てはその円を通過できずに逸れてしまった。
一刃も琥人を裂く事が出来ず、私の心が憤る。
細かすぎて逸らしやすいなら、纏めて叩きつければ良い。今度は分けた刃を全て一本に束ねて纏め、都一つ掬える大きさの拳を作る。
影が樹海の端まで届く高さを頂点に、思い切り遠心力を乗せて弧を描かせ叩きつけた。
巨体が動く余波で大気がうねり、衝突の衝撃が血と樹の海を弾いて飛沫を上げる。
確かな手ごたえが感じられ、やったと心が歓喜に震える。
直後、警鐘を鳴らし続ける直覚が特大級の異常を知らせた。
『なかなかやるじゃん。新入りと思って加減しない方が良いかな?』
視覚の窓を集め、状況を確認する。
拳から見たら微生物サイズの人型が、指一本で拳を止めていた。周囲も足場も吹き飛ばされて跡形もないのに、打撃と衝撃のダメージは見られず、ローブにも破れはおろか解れすらない。
在り得ない。
一体何をどうすればそうなる?
魔術でも神術でも、この規模の攻撃は防ぎようがない。単純な超大質量による物理攻撃をどうこう出来る術など、世界の理の枠を超えている。
――――『理』?
『あ、気付いた? じゃ、今度はこっちから行くよぉ~』
琥人は止めていた指を離し、デコピンで拳の表面を軽く叩いた。
拳を構成する血が支配下から離れ、感覚の窓の三分の一が減る。残る視覚で確認すると、叩かれた巨腕は血同士の連結を解かれて、文字通り霧散していた。
『次はこっちかな?』
直下の血の海を指差され、走る怖気に同化した全てを引かせて集める。
体積が多いとただの的だ。
この手の相手には巨大で強大より、小型で収束の方が良い。私は急激な引き戻しで崩れる地形を気にせず構わず、再び人型へと形を変える。
広大な地と血が一か所に集まり、幻想的だった樹海は地肌が露出した崖と巨大なクレーターに変わり果てた。
その中心で、私は私に戻る。
形が纏まり、心が開き、知が集って精神が戻る。
冷えた理性は到底勝てないと答えを出した。
対して、沸騰した本能が、構いやしないと怒りを叫ぶ。
「どうでも、良いっ!」
感覚を研ぎ澄まし、集中を増し、一足で琥人のすぐ横に寄る。
楽しそうな目が私をしっかり追っていた。
握った拳を顔面に叩きこもうとして、唐突に視界の上下が逆転する。単に逆さまにされただけで、混乱も困惑も今は必要ない。
そこに的があるなら殴るだけだ。
「ぉおおおっつ!」
左の頬に拳が刺さる。
足の踏ん張りはないが、吸収した大質量と速度で十二分の威力はある。ゴキッともメキッとも音はせず、僅かな手応えを残して私の腕は振り抜かれた。
「まともに食らったら死ねそうだねぇ~」
「っ!?」
背中から抱きしめられ、全身の細胞が嘔吐感に震える。
私は怨嗟と拒絶を刃に変え、触れている肌という肌から隙間なく突き出した。
今度は刺した感覚がしっかり伝わる。やっとドルトマの無念が果たせたかと思い、背後の針鼠を振り返って確認――――?
「……は?」
そこに在ったのは、琥人の亡骸ではなく黒い棺。
また避けられたと一瞬感じ、貫通した刃の感触に塗りつぶされる。中身は空っぽのがらんどう。安置されている筈の安全装置はどこにもなく、棺自体の素材も何てことはない、錆びにくいだけの合金製だ。
何で?
安全装置はどこにいった?
「あ~ぁ、ばれちゃった。じゃ、この辺にしとこっか。ちょっとおやすみ」
琥人の声が真横からして、振り向くと額に指が立てられた。
拙さを感じる間もなく、視界が白く染まる。
何の音も感触もない真っ白な世界に、私は自分の無力と敗北を実感させられた。
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