殿下、その方は運命の人ではなく、私の叔母です

樋口紗夕

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殿下、その方は運命の人ではなく、私の叔母です

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「公爵令嬢オリビア・デーロス! 私の愛するアルテミシアに対する度重なる暴言の数々、もはや我慢ならん! 貴様は王太子である私アドルファス・ヒュペリオンの婚約者にふさわしくない! 今、この瞬間をもって婚約破棄させてもらう!」


 王立学園の卒業パーティーの最中。
 私、オリビア・デーロスが親戚と談笑していると、王太子アドルファスは突然大声で宣言した。

 私の親戚達も、王太子の側近達も、硬直していた。
 先ほどまで踊っていた人々も動きを止めてこちらを見ているし、楽団も演奏を忘れて縮こまっている。
 学生達も来賓達も、王太子の爆弾発言に驚いて、こちらを注目していた。

 私は──
 私は、頭が真っ白になっていた。
 どこからツッコめばいいのかわからない。


「えーと、暴言というのは?」

「しらばっくれるんじゃない! 先ほど貴様が確かに口にしたであろう! 貴様が真実の愛を得られないからと、若く美しいアルテミシアに対して、言うに事欠いて『おばさん』などと!」

「はあ……いえ、『叔母さま』とは申しましたが……」

「そんなもの、同じことだろう!? とうとう私の運命の人に対して、侮辱を認めたな、この下種女め!」


 いや、同じじゃないですよ。
 だって、アルテミシア・セレナクトスは私の叔母ですので。

 アルテミシア叔母さまには、ちゃんと夫がいます。
 彼女には息子が二人、娘が一人いて、子育てが一段落したから学園に復学したのです。
 一見、私と同い年に見えますが、二十歳年上なんですよ。

 え、似てない?
 私は金髪碧眼の派手めの顔立ちだけど、アルテミシアは黒髪黒目で清楚系じゃないか?
 そりゃあ、私と血のつながりがあるのは彼女の夫、アーサー・セレナクトス伯爵のほうなので。

 家名が違うじゃないか?
 アーサー叔父さまは、戦争で武勲をあげて一代で成り上がりましたので。
 血縁なのに家名が違うなんて、貴族にはよくあることですよ。
 というか、アーサー叔父さまは前大戦の英雄なんですが、歴史か軍学の授業でお聞きになりませんでした?

 ……というやり取りは、既に何度もやっていたはずだった。
 それこそ、私だけじゃなく、アルテミシア叔母さまも、失礼にならない程度にやんわりと何度も断りを入れていた。
 側近達も入れ替わり立ち代わり・繰り返し繰り返し説明していたのに。

 まさか、晴れの舞台でやらかすとは。
 関係者一同、顔面蒼白である。


「殿下、落ち着いて聞いてください」

「なんだ! 今さら言い訳か? ハッ、いいだろう! せいぜい見苦しく吠えてみるがいい!」

「その方は、殿下の運命の人ではありません」

「婚約者の地位と公爵家の権力を嵩に、よくも言えたものだな! だが、貴様はもう婚約者ではない! 大人しく修道院に入るなら、心優しいアルテミシアに免じて許してやろうかと思ったが、この際貴族籍も剥奪してやろうか!」

「アルテミシア・セレナクトスは私の叔母です」

「また年増年増と! 同学年なのに年齢差があるわけがなかろう! 自分より美しく、しかも私に愛されているアルテミシアに嫉妬しているな!?」

「叔母には既に夫がおり、三人の子供もおります。もしお疑いでしたら、貴族名鑑でも家系図でも何でもご用意いたしますので、ご確認ください」

「書類など、いくらでも偽造できるだろう! 話にならん!」


 だめだ。
 話にならないのはどっちだよ。
 完全に恋愛に目が眩んで、何も見えていないし、何も聞こえていない。


「まあ、殿下ったら、冗談がお上手ですわ。ほほほ。夫ある身のこんな年増女に懸想する若人がいるはずがないではないですか」


 アルテミシア叔母さまの渾身のフォロー。


「ああ、アルテミシア……やはりオリビアに脅されているんだね! 今助けてあげるよ!」


 しかしバカ王子には効果がなかった。

 叔母さまは疲れ果てたように項垂れる。
 復学するときは「オリビアと一緒に授業が受けられるなんて嬉しいわ」とか言って楽しそうにしてたのに。
 まさか、私の婚約者にここまでしつこく粘着されるとは思いもしなかっただろう。

 叔母さまの傍らにいたアーサー叔父さまは、最初こそ訝しんでいたが、一連のやりとりを聞いて完全に王太子の暴走を把握したらしい。
 アルテミシア叔母さまを守るように、一歩前に出て、腰の剣に手をかけた。

 王族の参加するパーティーなので、そこにあるのは模造剣だ。
 しかし、それを振るうのは、当代無双と謳われる剛剣の使い手だ。
 鎧を着ていない生身の人間が相手なら、一撃で真っ二つである。

 叔父が一歩踏み出すと、側近達の半数は白目を剥いて気絶し、半数は腰が抜けて座り込んだ。
 命の危険に気づいていないのは、その中心にいたアホ一人だけである。


「殿下、それ以上我が妻と我が姪を侮辱するのであれば、相応のお覚悟を──」

「叔父さま! 落ち着いてください! アドルファス様は冗談がド下手糞なだけなんです! どうか王家への反逆だけは!」

「そうよ、あなた! 三歳くらいの子供の言うことだと思って、一旦流してあげて! 後で王宮に抗議すればいいだけだから!」


 私と叔母さまは、叔父さまに必死ですがりつく。

 なんで私たちがバカ王子の命を守ってやらなきゃいけないのか。
 まったくもって理不尽である。


「まったく、落ち着きたまえ、アーサー。後先考えずに王家に弓引くものではないよ」

「兄者!」

「お父様!」

「お義兄様!」


 静観していた私の父、リキアン・デーロス公爵がアーサー叔父の肩を叩く。
 お父様は武人であるアーサー叔父と違って、ちゃんと損得勘定や腹芸のできる、スマートな大人だ。
 ここで王家と敵対するのはマズいと分かってくれたのだろう。


「王家と我々が争えば、国を割った戦争になってしまうじゃないか」

「くっ、しかし、兄者……王太子殿下は、我が妻だけでなく、オリビアのことも……」

「だからね、後先しっかり考えた上で、ちゃんと殲滅する覚悟で戦争を挑まなければいけないよ。ヒュペリオン王家を地上から抹消するつもりなら、先に私に相談したまえ」

「なるほど! 流石兄者!」

「向こうから売ってきた喧嘩だからね。。我が娘の名誉は、国よりも重いということを、思い知らせてあげるとしようじゃないか」


 めっちゃ悪い大人の顔してる。
 損得勘定や腹芸よりも、私への溺愛の方が上だったか。
 国内外に強い影響力を持つお父様がその気になれば、王家に反感を抱く外様領主や他国を巻きこんで、本気の殲滅戦が始まってしまう。


「なんだ? デーロス公爵家ごときが、至尊なる王家に刃向かうつもりか? いいだろう──」


 だめだ。
 国家の危機に気づかないアホが、致命的な一言を発しようとしている。

 誰か!
 この状況を何とかして!


「デーロス公爵およびその娘オリビアを反逆s」

「当て身!」

「……ぐはぁ!?」


 言葉の途中で、アドルファス殿下は肝臓の辺りを庇うように倒れた。
 背後から現れたのは、アドルファス殿下の二歳下の弟、第二王子のヴォルフレート殿下だ。
 彼はアドルファスの上にワインを二本分ぶちまけ、空瓶を両手に握らせる。


「兄上は泥酔して錯乱しておられたようだ! 早急に医師を呼び、王宮へ運べ!」


 いや、当て身って聞こえたんだけど。
 まあいいか。
 何とかしてくれたんだから、文句は言うまい。

 やっと動けるようになった側近たちが、一発KOされたバカ王子を担いで会場を出て行く。

 ヴォルフレート殿下は私たちに向き合うと、頭を下げる。


「酒のせいとは言え、僕の兄が失礼なことを口走ってしまいました。兄に代わって、謝罪いたします」

「いえいえ、いずれ主君となり、また、我が娘の夫となられるお方の言葉です。酔いに任せたお言葉とは言え、我々に非があるのであれば、謹んで受け入れるつもりです」


 お父様は真っ黒な笑みを浮かべて答えた。

 酔っぱらいの戯れ言でも、聞き流すつもりはないぞ。
 当然、私たちに非がないのは分かってるよな。
 あれが国王となり、娘の夫になるってことがどういうことか、分かってるんだろうな。
 そういう恫喝である。


「あれだけの酒を一気に飲み干しては、心身に障害が出るやもしれません。正式な判断は医師の診察を待ってからとなりますが、政務は絶望的でしょう。父母にも僕から兄上には静かな場所で療養に努めさせるように進言しておきます」

「聡明な王太子殿下がそのようなことになるとは、嘆かわしい限りです」

「ところで、兄上がお酒を召される前に、婚約について相談していらっしゃったようですね」

「おや、お聞きでしたか。ええ、ちょうどお酒を召される前、まだ意識がはっきりしていた時に円満に話がまとまりまして、後は書面にまとめるだけというところで、あのような痛ましい事故が起こってしまいました。そうだね、オリビア」

「はい。確かに、アドルファス殿下有責での婚約解消が円満にまとまったところでした」

「そうでしたか。それでは、その手続きに関しては、僕が兄に代わって引き継ぎましょう。どのような条件だったのかについては、デーロス公爵とご息女にしっかりとお聞きした上で取りまとめさせて頂きます」


 ヴォルフレート殿下は、アドルファス殿下の廃太子に向けて尽力することを約束してくれた。
 ついでに、婚約もデーロス公爵家に有利な条件で解消してくれるようだ。

 アドルファス殿下によると、ヴォルフレート殿下は私の顔が恐くて近寄りたくないはずなんだけど。
 堂々とこちらを見て話しているし、時折私を気遣うように見つめているし。
 あれはバカ王子殿下の勘違いだったのか。
 それとも、王国の一大事なので、個人的な好き嫌いは我慢してくれているのか。

 まあいいや。
 何にしても、サクサクと程よい落としどころを決めてくれるのは助かる。


「セレナクトス伯爵夫妻にも、多大なご迷惑をおかけしました。学園でも度々、笑えない冗談を躍起になって繰り返していたそうですね。兄が二度とセレナクトス伯爵夫人をネタに冗談を言わないよう言い含めるとともに、万が一にも冗談を真に受けた者が現れないよう、王家からしっかりと各家に説明させて頂きますので、この場はどうかご容赦を」

「いえいえ。二十も年下の子供の言うことですから。気にしてなどおりません」

「む……妻がそう言うのであれば、俺からは何も言うことはない。この件の説明については、ヴォルフレート殿下を信用し、お任せします」


 ようやく叔父さまが模造剣から手を離した。
 一同、ほっと一息である。


 騒ぎが一段落し、生徒や来賓たちは解散ムードになっていた。
 もう踊っている人たちも、談笑している人たちも、料理をつついている人たちもいない。
 ヴォルフレート王子はせわしなく走り回り、方々で謝罪したり、片付けの指示を行っている。

 やれやれ、せっかくの卒業パーティーが台無しだ。

 私もどっと疲れた。
 もうダンスとか料理って気分でもない。
 ようやくバカ王子との婚約が解消できるのはラッキーだけどね。


「義姉上……いえ、オリビア嬢」

「ヴォルフレート殿下?」


 呼び止められて、振り返る。
 ヴォルフレート殿下から声をかけてくるなんて珍しい。
 まだ何か用事があったのだろうか。


「あなたの名誉は、必ず回復してみせます。僕の命に代えても」


 殿下はそう言って胸に手を当て、片膝をついた。

 避けられていたせいか、彼のことはよく知らないけれど、きっと真面目な人なのだろう。
 何となく、彼なら信頼できる気がする。
 アドルファス殿下に、弟君の爪の垢を煎じて飲ませて差し上げたい。


「良い結果をお待ちしております」

「はい! お任せください!」


 私は愛想笑いを張り付けて返事する。
 ヴォルフレート殿下はなぜか耳まで真っ赤にして、今にも泣きそうな様子で頷いた。

 おっと、私は怖がられてるんだっけ。
 泣かれないうちに、退散しよう。

 そそくさとパーティー会場を出る私の背中に、何となく熱い視線を感じたのだけれど、きっと気のせいに違いない。



      ◆    ◆    ◆



 翌日、王宮からの早馬で、国王陛下が婚約解消を承諾したこと、アドルファス殿下が療養生活という名の幽閉状態にあること、そして国王陛下からの正式な謝罪を記した親書が届いた。

 ヒュペリオン王家にしては、異例と言っていいほど素早い対応だ。
 ヴォルフレート殿下はいい仕事をしたらしい。
 帰宅後、しつこく反逆計画を練っていたお父様も、親書を受け取ってようやく溜飲を下げ、ひとまず矛を収めることにしたようだ。


 その後も、ヴォルフレート殿下は迅速に動いてくれた。


 各貴族のみならず、平民の学生や教師まで回って誤解を解き。
 うちや叔父さまのところには、ほとんど毎週といったペースで謝罪に足を運び。
 複雑な廃太子の根回しや手続きを済ませ。
 婚約解消のために公爵家と王家の間をせわしなく行き来して、こちらに有利な条件で王家から最大限の譲歩を引き出してくれた。

 そんな多忙なスケジュールをこなしながら、私の元に三日に一回は近況報告と私が何か不自由していないかと心配する手紙が届く。
 マメな人だ。
 学業や、生徒会の仕事もあるだろうに。

 婚約者に手紙を書くどころか、執務を丸投げしてきやがったバカ王子も、少しは弟君の勤勉さを見習えばいい。
 まあ、一生何の仕事もせずに毎日食べて寝るだけの生活が送れるのだから、本人はきっと幸せだろう。
 廃嫡ではなく、廃太子で済んでよかったと思って欲しい。


 国王陛下と王妃殿下はすっかりアドルファス殿下に騙されていたらしい。
 私や側近たちがどれだけ殿下の無能について具申しても「有能なせいでハードルを上げられている」とか「嫉妬されるくらい有能」と解釈していたそうだ。
 そのせいで、殿下の語る妄想話が真実だと思い込まされていたのだとか。
 まあ、国一番の美形が、中身は国一番の愚者だなんて、普通は思いもしないよな。

 ヴォルフレート殿下は、そんな兄の学園での言動に不審を抱き、調査を行っていた。
 彼が入学後の数年間で集めた証拠と、今回の一件のおかげで、ようやく国王陛下たちも状況を把握したのだとか。
 今回の件の最大の功労者である。
 ヴォルフレート殿下がいなければ、このままアドルファス殿下と結婚し、国家の膨大な仕事を丸投げされていたと考えると、恐ろしさで鳥肌が立つ。

 私はぶるりと身を震わせた。

 ヴォルフレート殿下は、はっとして手元の書類から顔を上げ、椅子を引いて私から距離を取った。
 おっと、まだ怖がられてるのかな。

 卒業パーティーから半年。
 婚約解消の相談で、ほぼ毎週顔を合わせてきた。
 そろそろ慣れてくれたと思っていたんだけど。
 何がそんなに怖いのだろう。


「……と言うわけで、本日をもって、ようやくオリビア嬢と兄上の結婚は解消となりました。想定していたよりも長くかかってしまい、申し訳ありません」

「いえ、本来ならば私とアドルファス様で解決しなければならなかったところを、最後まで尽力していただき、ありがとうございます」


 私が笑みを作ってお礼を言うと、ヴォルフレート殿下は嬉しそうに頷いた。
 不遜な妄想だけれど、そうしていると、犬が尻尾をぶんぶん振っているのに似ているような気がしてくる。


「ヴォルフレート殿下も、ずっとお辛かったでしょう。明日から無理に私と会う必要もありませんから、ご安心ください」

「そうですね……もう、あまり顔を合わせることもないでしょうね……」


 なんだかしょんぼりした様子だ。
 殿下の頭に、しょげてぺたんと垂れた犬耳の幻影が見える気がする。
 今の会話に何か悲しむ要素があったっけ?


「あ、あの……オリビア嬢は、この後、どなたかと婚約の予定は……?」

「そうですね。すぐに他の方と婚約すると、また多くの人の耳目を集めてしまいそうですので、半年ほどほとぼりを冷ましてから、またお見合いから始めようかと」

「そうですか……」


 今さらお見合いというのも、不安だけどね。
 普通はもっと若い年齢で相手を決めてしまうので、今残っている同年代は何か問題を抱えた人ばかりだろう。
 かと言って、若すぎても老いすぎていてもキツいものがある。
 公爵家の娘である以上、どうあがいても政略結婚ってことで、ある程度諦めてはいるけれど。

 せいぜい二・三歳くらいまでの差で。
 好ましい性格で。
 私に負担をかけない程度には仕事ができれば申し分ない。

 怖がられていなければ、ヴォルフレート殿下とかちょうどいいんだけれど。
 確か、彼には婚約者がいないはずだし。


「あ、そう言えば」

「はい?」

「ヴォルフレート殿下は、どうして婚約していらっしゃらないんですか?」

「将来、後継者問題で王国を混乱させないためですね」

「そうでしたか。流石、殿下は聡明であらせられる。そうすると、これからは結婚相手をお捜しになるわけですね」

「ええ、まあ……」


 このまま何事もなければ、ヴォルフレート殿下が立太子されるだろう。
 そうなると、将来の王妃候補が必要になる。
 ヴォルフレート殿下の有能さは、今回の一件での仕事ぶりを見れば一目瞭然なので、引く手数多だろう。
 彼に選ばれる令嬢が、少し羨ましいぐらいだ。


「あなたという婚約者がありながら、あなたの叔母上に懸想した兄上の行いを、愚かなことだとは分かっているのですが、これから政略結婚をしなければならないと思うと、どうしても想い人のことが頭にちらついてしまいます……やはり、血は争えないのでしょうね……」

「いえ、想い人がおありなら、そう考えてしまうのも仕方のないことですわ」


 気持ちは分かる。
 それでも、普通は極力定められた婚約者で妥協するし、仮にどうしても無理だと思った場合でも、お互いの経歴が傷つかないように、穏便に婚約解消するものだ。
 珍しい事例だけれど、全くないことではない。
 流石に、アドルファス殿下のような強引な茶番は、そういう観点で見てもありえないけれど。


「というか、想い人がいらっしゃるなら、この際、思い切って王太子妃としてお迎えになってはどうでしょう?」

「それは……難しいですね……」

「あら、もしかして既に結婚か婚約をなされている方ですか?」

「……以前はそうでしたが、今のところは違いますね」


 歯切れの悪い言い方だ。
 さぞかし、特殊な立場の相手なのだろう。

 ヴォルフレート殿下は、しばし沈黙し、何かを考えているようだった。
 不意に彼は顔を上げ、思い詰めたような様子で口を開く。


「オリビア嬢、もしご不快でしたら、遠慮なく断って頂いて構いません。僕が王族であることは、この際無視してください。これは僕が自分の心にけじめをつけるために行うことですので」

「はい?」


 ヴォルフレート殿下は言葉を切ると、私の前に跪き、手を差し伸べた。
 いつにも増して真剣な表情だ。
 まだ幼さが残る顔立ちとのギャップに、思わずどきりとする。


「ずっと、あなたが兄と婚約する前からずっと、あなたをお慕いしておりました。道ならぬ恋だとは分かっていても、今まで想いを捨てきれませんでした。どうか僕と人生の苦楽を分かち合い、共に歩んで下さいませんか」

「えっ、想い人って、私ですか!?」

「オリビア嬢が、僕のことなんて顔も見たくないと思っていらっしゃるのは知っています。それでも、ただ一度でいいから、想いをお伝えしたかったのです」


 ヴォルフレート殿下は、私のことを怖がってたんじゃないの!?
 私が殿下のことを嫌ってたって!?

 話が食い違っている。
 どういうことなの。

 混乱する頭と裏腹に、体は自然に動いていた。
 殿下の差し出した手に、私は手を重ねる。


「僭越ながら、求婚をお受けいたします」

「えっ!? ほ、本当に僕でよろしいんですか!?」

「殿下こそ、私のことが怖いと聞いていたのに、よろしいんですか?」

「怖い? いったい誰がそんな嘘を!」


 誰が、って。
 あれ?


「それは、アドルファス殿下が……」

「ええ!? そう言えば、オリビア嬢が僕のことを嫌いだと言ったのも、兄上で……」

「あ……!」


 察した。
 あのバカ王子め。
 私たちに悪意があったのか、それとも想像以上に妄想癖が重篤だったのか。
 何にしても、迷惑な嘘を。


「よかった……嫌われてなかったんですね……」


 心底安心したように、ヴォルフレート殿下が微笑む。
 ああ、尻尾を振ってる幻覚が見える。
 男として意識したことこそなかったものの、こんな可愛い王子様を嫌うわけがないじゃない。


「とは言え、僕はあの兄上の弟です。いつあなたを不快にさせないとも限りません。その時は、どんな状況であっても、僕の有責という形でで婚約解消して構いません」

「それは、あまりにも私に都合が良すぎるのでは?」

「いえ、僕が無理を言って求婚したのです。これくらい当然です。しっかりとこれからの僕を見て頂いて、それから判断して頂ければ」

「でも、私、ヴォルフレート殿下のことは、どちらかと言うと好きですよ?」


 私がそう言うと、ヴォルフレート殿下の顔がリンゴのように真っ赤になった。
 可愛らしい反応だ。

 実際、本当に彼のことは好ましく思っている。
 実直さとか、誠実さとか、仕事ぶりとか。
 今のところは、臣下として、あるいはビジネスパートナーとして、という感じだけど。


「まだ実感がありませんが、良き妻としてヴォルフレート殿下を愛せるよう、精一杯努力いたしますね」

「いえ! 大丈夫です! 僕があなたを二人分愛しますので! ご無理をなさらなくても!」


 舞い上がっているのか、なんともおかしな返答だ。
 慌てる様子が可愛いらしい。

 政略結婚でも、この人が相手なら、私もいつか愛することができるかも。
 そんな期待に胸が膨らむ。
 アドルファス殿下と婚約していた頃は、こんな気持ちになるなんて思いもしなかった。


 こうして、誰かさんの真実の愛(笑)のおかげで、私は人並みの愛を手に入れたのだった。
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