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アネモネの華
しおりを挟む-復讐なんて、自己満足でしかない-
彼女は紅く染まった大地に立ち、ただそう思った。
衣服も髪も身体も血に塗れ、血生臭い匂いが辺りを漂う。その血は彼女自身のものではなく、傍に横たわる巨大な肉片から溢れ出るものだ。それはクローリア王国を長年脅かしていたドラゴン、ミリトーラの亡骸。
その日その場所で、彼女はなるべきではなかった王国の英雄になってしまったのだった。
* * * *
ミリトーラの死を祝い、王都は盛大なる祭りを開かれた。くるりくるりと舞う踊り子は煌びやかな衣装をまとって妖艶に体を揺らし、奏でられる旋律は誰もを魅了する程の力強さを感じされる。この日を待ったていたと言わんばかりに振舞われる食事はどれも豪華なもので、その料理に見合った酒も普段では呑むことも出来ない代物だった。王は椀飯振舞で彼女を讃え、民は英雄とも勇者とも彼女を呼んだ。それだけのことを彼女は成し遂げたのだ。
クローリア王国。そこには緑豊かな大地と青く美しい海から授かる事が出来る豊富な恵があり、クローリアの民ははみな、この国より素晴らしい国はないと語る。飢える事も争う事も、獰猛な獣達に怯えて暮らす事も無い文句のつけようが無い暮らし。ただ一つ、ただ一つ問題があるとしたら北の地に住むミリトーラの存在だった。
焔を纏ったかのような真紅の躰、金色の瞳は美しさの中に残虐さを。大地を轟かす咆哮は幾多の生命を脅かしたのだ。
姿だけでさえ恐怖の対象であるミリトーラは10年に一度、国を護る代償として成人前の5人の生娘を捧げる事を義務付けた。もし仮に、その義務が果たされぬ事があるのなら多大な代償を払う覚悟をせよと。贄として捧げされた彼女らは、若さを無くし老婆のような遺体で北の地に棄てられる。そんな事実を知っていながらも力のなかった国王は、最初こそ泣く泣く義務を果たしていたが長年の国の発達を背景に義務を軽んじ始め、残酷を代償を支払うことなったのだ。
ある時には一つの村を焼き消し、またある時は幼子ばかりを攫って殺し、ミリトーラを討伐しようとした部隊は目を背けたくなるような死体の山となる。贄を渡せば平和に暮らせはしたが、誰が愛娘をすすんで贄にしよう。死ぬことしか赦されぬ贄を誰もが悲しみ、己の非力さを恨んだ。
そんな贄の歴史を繰り返す最中、彼女は前触れもなく現れた。
ワインレッドの髪ににレモン色の瞳、何処にでもいるような変哲のない少女。変わったところといえば年頃の娘としては不恰好すぎる服装だけ。
「お嬢さん、君は何をしに此処まで来たんだ?一人旅には危険すぎる」
王都とは違い賑わいを見せることのない小さな村の飲み屋でコンラッドは尋ねた。北の地に近いこの村はミリトーラのせいで商人すら訪れることが少なく、久々に人が来たと聞いて来てみればそこにいたのは平凡な少女のみ。コンラッドはため息をつきたいのをぐっとこらえ彼女に再度問いかけた。
「旅をするにはこの場所を避けろと言われなかったか?此処へ来るまでに騎士に止められなかったか?命知らずにもほどがある」
この土地に来るまでには幾つかの村を経由してこなければならないが、そこにはもちろんその土地それぞれの騎士の部隊がある。もちろんそれは村や街を守るために作られた組織であり、万が一の事があれば直ぐにでも対処するための組織だ。そして今年は何よりも人を寄せ付けなくする為の組織であった。それなのに何故少女は此処にいる?騎士に忠告をされても訪れに来たのならばただのバカに違いない。だがもし、少女が誰にも会わずに此処まで来てしまったのならば安全な場所まで送り逃がさなければならない。それがコンラッドの与えられた任務でもあるのだから。
少女はグラスの水を口に含むと、レモン色の瞳をコンラッドにむけ憎々しく呟いた。
「贄の子が1人、逃げたそうですね」
「事情を知っているのならば此処に来るのは間違いだ。明日にでも逃げろ」
10年に一度の贄の年、一人の贄が死を怖れ逃亡してしまった。いつかこんな日も来るだろうと覚悟は決めていたが、いざきてしまえば覚悟は揺らぐ。死にたくない。贄ですらない騎士である自分でさえ強大なるミリトーラに恐怖するのだ、逃げ出した少女の恐怖は耐えきれぬものだったのだろう。しかしながら少女は罪を犯してさしまったのだ。逃げたという事は代償を払わなければならない。少女以外の大勢の命という代償を。
「逃げる?何故?私はアレを殺しにきたのに」
「馬鹿なことを。殺す?ミリトーラを?お前みたいな小娘があの化物を殺せるわけないだろう」
「アレを殺せるのはきっと私だけですよ」
少女から放たれた言葉をコンラッドは嘲笑い、昔を思い出した。今までどれだけの騎士がミリトーラに挑み死んでいったかを。彼女はそんなコンラッドを見てか悲しい言葉を続けた。
「私の母はアレに食い殺されました。復讐なんて言えるものではありません。
アレを殺したところで復讐が終わるわけでもありませんし。でもまぁ、明日にでも歴史は変わりますし終ります」
どこか意味しげな言葉を残し彼女は店から闇の中へと消えていた。残されたコンラッドは彼女の言葉に頭を抱え、嘲笑う。
ミリトーラに殺された被害者が死にに来るなんてありえない。歴史が変わる?終わる?馬鹿なことを。あんな化物を殺せる人間などいやしないのに。いつも以上に酒を飲み酔いつぶれたコンラッドが彼女の言葉を理解できたのは、聞きたくもない咆哮が鼓膜を震わせた朝方だった。
朝焼けの空に似つかわしくない鉄の匂いと甲高い叫び声。
恐怖で震える脚を叩きつけ一歩外に出れば、見たくもない現実がそこにはあるはずだった。残虐な、目を背けたくなるような現実が、あるはずだった。
コンラッドを己の目を疑った。そこにあるのは騎士の死体でも泣き叫ぶ村人達の姿ではなく、昨日の少女が真っ赤衣服を見に纏いそこにいるだけだったのだから。
濃い血の匂いは辺りを漂っているが、人だったものの残骸はそこにはなく、あるとしたら得体の知らない肉片のみ。
まさか、まさか、ありえない!あり得るはずがない‼︎
今まで幾つの討伐部隊が死に逝った?なす術もなく幾つの村が滅んだ?何も出来なかった、王国の先鋭部隊でさえ何も出来なかったのに、なのに何故!
「……お前が、やったのか」
震える声でコンラッドは彼女に問うた。
「私しか殺せないと、昨日言ったでしょう」
レモン色の瞳に何も映さずに、壊れた笑みで彼女は答えた。
* * * *
ミリトーラが彼女によって倒されたという報告はすぐさま国全土に報じられた。これでもうこの国には恐れるものはなくなったのだと、美しい風景も、自然の恵みも今までより一層素晴らしく人々の目には映る。クローリアのに民は皆彼女を英雄と称え、彼女を一目見ようと王都に足を運ぶ民は絶たない。そんな中、城では王が毎日のように彼女に問うた。
「貴公の望みは全て叶えよう!」
国王は旅人であった彼女に永住権と地位を与え、国の勇者として迎え入れる事を決断したが彼女はそれら全てを断るのだ。
私の望みは全て叶えられました。これ以上何も望んでいませんと。
「望みではありませんが、もしも叶えて下さるのならば私がこの国を出る時に引き止めないでください」
深く王に頭を下げて彼女は言った。渋々彼女の願いを叶える形になった王は眉を下げながらも頷くしかできない。
彼女しか知らない結末がそこに在るのだと、今はまだクローリアの王も民も、世界さえも知る術はなかった。
「そういえば貴公の名前を聞いていなかったな。名は何と申す」
「……アネモネと」
彼女、アネモネはレモン色の瞳を伏せて悲しく笑った。
* * * *
コンラッドは馬車を操りながら隣で寝るアネモネに目を向けた。
ミリトーラがいなくなったクローリアではそれ程騎士は必要なくなったらしく、アネモネの旅に同行する事を選んだのだ。
アネモネに同行を申し出る元騎士は大勢いたが、彼女が選んだのはコンラッドだっただけなのだが。理由は簡単で、あの時いたのがコンラッドだったから。
そん時ばかりは自分があの時の配属で良かったと心底喜べた。
「……ただの子供に見えるのに、何でミリトーラを殺せたんだ」
いくら悩んでも理解できないアネモネの強さ。そしてあの時のアネモネが終わると言った歴史。それがどうしても引っかかっている。
贄の歴史何終わる、本当にそれだけなのか?
聞いたところでアネモネは答えないだろうし、コンラッドでさえ何故そんな言葉を気にしてるのかわかりもしなかった。
そんなコンラッドを気にする素振りを見せず寝たふりをするアネモネは昔の事を思い出していた。まだ母が生きていた時のこと、父を憎み世界を恨んだあの日の事を。
母、アリシナは旅商人の子供だった。様々な国々をめぐり、人より多くの世界を見てきた。もしアリシナが商人の子ではなかったのならばアネモネの父に見初められる事もなかっただろう。そしてアリシナの為に多くの犠牲が出る事もなかっただろう。
「アネモネ、私はこの国が嫌い。だって私を生かし続けているんだもの。そしてその為に少女を殺し続けるあの方も嫌い。でもね、私が生きていないとこの国はあの方の恩恵も受けられないの。でもあなたがいれば平気よね」
幼いアネモネにはその言葉に隠されていた言葉がわからなかった。
「アリシナは愛していたがお前は愛していない。アリシナが産みたいと言ったから産まれたただの肉塊だ」
父だったソレはアネモネに言った。
アリシナはアネモネを自分の代わりにしようとして父に食い殺され、必死に代わりになろうとしたアネモネは父に見放された。
私なんて産まれてこなきゃよかったのだ。だって誰にも見放されてしまったのだから。
その時からアネモネは母の喰らった父を憎み、母を縛りつけたクローリアを恨んだ。
逆恨みだとわかっていたのだ、自分でも。でも誰か、何かを怨まずに生きていけるほど私は強く無いのだ。
守護するドラゴンが死んだ地は数年で廃れる。そして元の廃れた地に戻ればクローリアの人間が何を犠牲にしてきたか、本当の意味で知るだろう。
「……ただの自己満足だ」
こんな私はやっぱり父、ミリトーラの娘なのだ。自分勝手に国を一つ滅ぼすなど、父より非道なのかもしれない。
「アネモネ」
「ん?」
「俺は泣くなとは言わん。だから泣け」
コンラッドの意味のわからない言葉にアネモネは金色の瞳から涙を流した。
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