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2巻
2-2
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かなり変わった方だと言わざるを得ない。一方、教師達の席にいたシリウスは、セレスティナの挨拶を邪魔されて腹を立てたようだ。おもむろに懐中時計型指令機を取り出して操作し始める。と、映像がザザッと乱れ始めた。さらに映像からドン! ドン! という着弾音がする。
『ぬおおお! なんだ、なんだ? 攻撃? 攻撃をくらった? ああ! 配線があちこちショート! ぬおおおおおお! 待て待て待て、まだ台詞を全部言ってな……』
どうやら映像を映していた魔道機器が壊れたようである。ぶつっと、ドラン辺境伯の映像が消える直前、セレスティナは彼の背後に紅蓮の炎を見た気がした。
爆発していたようだけれど、大丈夫かしら?
周囲がざわめき、セレスティナは気もそぞろだ。
「あああ! 父上! どこの誰だぁ! 悪の結社か! 悪徳貴族の仕業かぁ!」
怒り心頭で立ち上がったのは、黒い巻き毛の少年だ。濃い顔とでもいうのだろうか、目鼻立ちがやけにくっきりしている。まるで化粧をしているかのよう。
お父様にそっくりね。
「た、大変失礼しました。オルモード公爵令嬢、続きをお願いします」
騒ぎ立てる少年――ドラン辺境伯令息を宥めすかし、進行役の教師が式の続行を促す。無事入学式が再開され、セレスティナが挨拶を終えて席に戻ると、シャーロットとアンジェラがベタ褒めしてくれた。
「すっごいよかったわよ、ティナ!」
「ええ、とっても素敵だったわ、セレスティナ様」
「ああ、流石、俺のティナだ! いてっ!」
イザークが額に走った痛みに顔をしかめ、次いで宙に向かって怒鳴った。
「ああ、もう! 父上、勘弁してくれ! 俺達家族なんだからさ! ティナはティナだから! この先も呼び方を変える気なんてねーし!」
「……お兄様、違うわよ。『俺の』って言ったからだと思う」
イザークが、ぽかんと口を開けた。
「名前呼びは容認しても、多分、それ、アウト。今後も続けるなら、報復がひどくなるから、覚悟した方がいいわよ?」
「これっくらいで? ほんっと、心せま……って! 嘘嘘嘘! もう言いません!」
バチンバチンと、顔に何かが当たっているようで、イザークが降参した。
当たっているのって、あ、豆? 本当、子供みたい。
セレスティナは足下に落ちている豆を拾い、くすくす笑ってしまう。
「ね、シャルお姉様。さっきの映像なんだけど……」
セレスティナが耳打ちすると、シャーロットは肩をすくめた。
「ドラン辺境伯のこと? パパから魔砲弾をくらったみたいだけれど、気にしなくていいわ」
あ、やっぱり、シリウス様の仕業なのね。
イザークもうんうんと頷いた。
「そうそう、気にしなくていい。辺境伯は父上の同級生で、同じ魔工学科の生徒だったせいか、ああやって何かと父上と張り合うんだよ」
張り合うって、若い嫁さんをもらったうんぬんってあれ? あの女の子、大丈夫かしら?
セレスティナが心配すると、シャーロットがけろりと言った。
「平気よ。だって、あの子、辺境伯の姪御さんだもの」
セレスティナは目を見開く。
「え! 辺境伯様は姪と結婚する気なの?」
「じゃなくて、ティナより年の若い子を用意したってだけよ。それで勝ったとか、思考が残念すぎるわ。そもそもドラン辺境伯は既婚者なんだから、これから結婚なんてできるわけないじゃない」
辺境伯が既婚者と聞いて、セレスティナはほっと胸を撫で下ろす。
「辺境伯の息子も彼にそっくりで、何かと俺に突っかかってくるんだよなぁ」
イザークがため息まじりに言う。
「イザークお兄様は、ドラン辺境伯令息と親しいの?」
「親しいっつうか……」
セレスティナが尋ねると、イザークが言い淀む。代わりにシャーロットが説明した。
「ジャン・ドラン辺境伯令息はね、ヒーロー願望が強い子で、お兄様に活躍の場を横取りされて以来、お兄様をライバル視しているの。イザーク、勝負だぁ! って何かと絡むのよ」
「そうそう、ほんっといい迷惑だ」
イザークが顔をしかめる。
「同い年だからジャンも今年入学……あ、それで辺境伯が入学式に出しゃばったのかしら?」
「……まさかとは思うがあの映像、本当は息子を激励するつもりだったんじゃねーだろーな」
まさかねーとシャーロットとイザークは笑い合ったが、次の瞬間、二人揃ってぴたりと口をつぐむ。どうやらありえると思ってしまったようである。セレスティナも苦笑いだ。
ドラン辺境伯様は親子揃って変わった方なのね。
「イザーク様、シャーロット様、ご機嫌よう。一緒のクラスになれて嬉しいわ」
そう教室で声をかけてきたのは、きつい顔立ちの女生徒だった。チリチリのキャラメルブラウンの巻き毛に真っ赤なリボンをしている。唇に赤い紅を引いているので、かなり大人びて見える。
「ああ、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、ロゼッタ嬢」
顔見知りなのか、イザークに続いて、シャーロットも社交用の挨拶を返す。
「ご機嫌よう、ロゼッタ様」
続いて挨拶をしたのはアンジェラ・フォス伯爵令嬢だ。笑う顔はやはりおっとりと柔らかい。だが、ロゼッタ・クラウルは嫌そうに顔をしかめた。
「あなたねぇ……どういうつもり? たかが伯爵令嬢のくせに図々しいったら。イザーク様は公爵令息なのよ? 馴れ馴れしく彼に近付かないでちょうだい」
ロゼッタの文句に、セレスティナは目を白黒させる。
彼女はイザークお兄様が好きなのかしら?
「あの、待って。彼女は私の友人なの」
セレスティナが割って入ると、今にも噛み付きそうだったロゼッタの表情が、ふっと和らいだ。
「あら、あなた……首席合格者の、いえ、オルモード公爵閣下の婚約者のセレスティナ・オルモード公爵令嬢ね? ええ、父から話を聞いているわ」
ロゼッタの不躾な眼差しに晒されて、セレスティナは身を縮めた。こういった視線は苦手である。
――おい、彼女がオルモード公爵閣下の婚約者らしいぞ。
そんなひそひそ声が聞こえ、セレスティナはさらに萎縮する。婚約披露宴を兼ねたお誕生日会を開いたので、高位貴族達の間で、セレスティナの存在は知れ渡っている。が、写真は出回っていないので、招待客以外はセレスティナの顔を知らないのだ。
ひそひそ声が聞こえた方にちらりと目を向けると、眼鏡をかけたハンサムな少年と目が合った。こちらも面識はないが、貴族名簿のお陰で、セレスティナには彼が誰だか分かった。レイ・グラシアン侯爵令息である。彼にふんっと鼻で笑われた気がして、さらに落ち着かない。
ロゼッタが制服のスカートをつまみ、淑女の礼をした。
「はじめまして、セレスティナ様。わたくしはクラウル侯爵家の娘、ロゼッタ・クラウルですわ。どうぞよろしく」
流石侯爵家の娘なだけあって綺麗な淑女の礼である。
「こちらこそ、どうぞよろしく」
セレスティナはそう挨拶を返したが――
元伯爵令嬢ごときが、オルモード公爵閣下に一体どうやって取り入ったのよ?
ロゼッタにそう囁かれ、セレスティナは身を強張らせる。驚いて声も出ない。
「ちょっと!」
声を荒らげたのはシャーロットだ。シャーロットは半竜なので耳がいい。なので、彼女がたった今口にした悪口も当然のように聞こえている。けれどロゼッタは嫌みったらしく笑う。
「ああら、ほんの冗談よ。本気にしないで。イザーク様、お昼は是非わたくしとご一緒に……」
やはりロゼッタはイザークに気があるようで、猫撫で声で彼にすり寄ろうとする。が、次の瞬間、バッシャンと上から水が降ってきて、ロゼッタはずぶ濡れになった。
これ……もしかして、シリウス様の仕業?
セレスティナは傍にいるマジックドールのハロルドにちらりと目を向けたが、ハロルドは赤い目をピカピカさせて、素知らぬ顔だ。実際、彼が何かしたわけではなく、ハロルドを通じて、こちらの状況がシリウスに筒抜け、というだけであろう。ロゼッタは怒り心頭で怒鳴った。
「な、だ、誰よ! こんな真似をしたのは!」
「さあねぇ、天罰じゃない?」
シャーロットはほほほと笑い、素知らぬ顔だ。
「さあさ、席についてちょうだい。ホームルームを始めるわ」
その時、さっそうと教室に現れた若い女性教師が、パンパンと手を叩いた。Aクラスの担任教師のエバ・マシュートである。濃い茶色の髪をきっちり結い上げ、黒縁眼鏡をかけた彼女は、ヒールをカツカツと鳴らしキビキビと歩く。生徒全員が席に着くと、壇上のエバ・マシュートがにっこりと笑った。
「知っている者はもう知っていると思うけれど! ここ王立魔道学院では、あなた達がのびのびと学べるよう、身分の枠をあえて外しているわ! 王立魔道学院の生徒である限り、身分差は存在しないと思ってちょうだい。学院から一歩外へ出ればもちろん違うけれど、ここは特別区域に設定されているの。身分を越えて存分に友情を育んでね」
わあっと歓声が上がる。歓声を上げたのは、身分の低い者達ばかりだったが、セレスティナもこれには賛成だった。身分を越えて友情を育めるなんて、とっても素敵だと思う。
「……特別区域だってよ」
「嫌になるよなぁ」
「そうそう、平民が付け上がるだけだ」
そう文句を口にしたのは、伯爵家以上の高位貴族達だ。とはいえ、この制度のお陰で多くの突出した人材を輩出できたというのだから、これは今後も変わらないに違いない。
ホームルームが終わると、担任教師に先導され、学院内の食堂へ案内される。食堂は広くて、奥に向かってたくさんの料理が並んでいた。好きなものを手に取っていいらしい。デザートまである。
「駄目ねぇ。太るって分かっているのにやめられないの」
アンジェラは真っ白なふくふくとした手で、クリームたっぷりのケーキの皿を手に取った。セレスティナはアンジェラと一緒に席へ移動しつつ、つい周囲を見回してしまう。侯爵令嬢のロゼッタが先程、お昼をご一緒にと言っていたから、てっきり突撃してくるかと思いきや姿が見当たらない。どうしたのかしら? とセレスティナは思うが、一方でほっとしている自分もいる。
「ティナ、どうしたの?」
「あ、その……」
シャーロットに顔を覗き込まれ、ロゼッタの話をすると、彼女はああというような顔をする。
「ほら、服がびしょ濡れになったでしょう? 身支度を調えるのに時間がかかっているんじゃないかしら。ロゼッタ嬢はお兄様に気があるから、念入りに調えているはずよ。でも、大丈夫。彼女が来ても追い払うわ」
シャーロットが憤然とそう言い切った。どうやら彼女が嫌いらしい。
全員が席を確保すると、今度は金髪碧眼の美少女が声をかけてきた。
「隣、よろしいかしら?」
微笑みかけられ、セレスティナは驚いた。そこにいたのは、王太子アルフレッドの娘、エリーゼ・ラー・アルカディア。本当なら、セレスティナの婚約のお披露目会で会うはずだった子だ。
「は、はじめまして、エリーゼ王女殿下」
セレスティナが慌てて淑女の礼をすると、エリーゼは屈託なく笑う。
「あら、かしこまらないで? 身分差はなし、そう言われたでしょう?」
ふわりと笑う姿は華やかで、色鮮やかな大輪の花のよう。
「セレスティナ嬢、あなたと仲良くしなさいって、父に厳命されているの。ふふ、どうやら父は、オルモード公爵に胡麻をすりたいみたいね」
「胡麻をする?」
セレスティナが不思議がると、エリーゼがうふふと笑って説明をした。
「父がね、オルモード公爵を側近にすることをまだ諦めていないみたい。あなたがわたくしを気に入ってくれればっていう打算があるのよね、これ。でも、とっても可愛らしい方で安心したわ。よければ仲良くしてちょうだい?」
可愛らしい……正面切って褒められると、やっぱり恥ずかしい。
エリーゼに手を差し出されて、セレスティナがおずおずとそれを取ると、きゅっと握り返される。白魚のような手だ。席に座ると、エリーゼがさっそく話を切り出した。
「それにしても……オルモード公爵は、随分とあなた方を自由にさせているのね?」
エリーゼの視線が、シャーロットとイザークの間を行き来する。
「オルモード公爵家のご子息ご令嬢なんて、引く手あまたでしょうに、いまだに誰とも婚約していないのは何故? 気に入る方がいなかったのかしら?」
シャーロットは肩をすくめ、あっけらかんと言う。
「そういった話は嫡男の兄に振ってちょうだい。わたくしは結婚を急ぐ必要なんてないもの。婚約なんて社交界デビューしてからでも十分よ。父にもそう言われているわ。ああ、エリーゼ王女殿下はもう婚約しているのよね? お相手はベルガ帝国の皇太子様だったかしら」
「エリーゼでいいわ。ええ、そう、親が決めた婚約者よ。あ~あ、シャーロット嬢が羨ましい。わたくしも親に自由にしなさいって言われてみたいわ。恋愛結婚がしたかったもの」
「皇太子様はタイプじゃないの?」
「そうねぇ……とっても優しくていい方よ? でも、恋はしていないの。わたくしの初恋はイザーク様だったわね」
ぶうっとイザークが口にした飲み物を噴いた。セレスティナが急ぎハンカチを取り出し、イザークに差し出す。エリーゼがため息をつき、思い出を語った。
「ちっちゃい頃の話よ。イザーク様はお父様に連れられて王妃様のお茶会に来たでしょう? きりっとして格好よくて、一目で恋に落ちたわ。でも、イザーク様はお茶会なんかそっちのけで、跳んでいる虫を追っかけたり、銃騎士の武器に興味津々だったりで、てんでこちらに注意を払ってくださらないの。そうこうしているうちにお茶会はお開きになって、それっきり。何度お誘いしても、なしのつぶて。相当つまらなかったのかしら?」
「お兄様……」
シャーロットが呆れたように言う。
「あー、そういや、そんなこともあったような、なかったような?」
イザークが宙を見上げ、そう言った。
この調子だと、イザークお兄様は、自分に恋した女の子を意図せず袖にしていそうね。
とその時、ざわりと周囲が揺れた。ふっと視界に入った姿に、セレスティナの気分が高揚する。
シリウス様だわ!
ガタンと立ち上がりかけて、慌ててセレスティナは座り直す。はしたない、そう思ったのだ。シリウスは護衛である銃騎士のダグラスを連れていた。学院内は安全と言われているけれど、高位貴族は護衛を連れ歩くことを認められている。
「やあ、お嬢様、さっそく友達ができたようで何よりです」
銃騎士のダグラスが気さくに笑う。
「オルモード公爵、ご機嫌よう」
エリーゼがそう挨拶すると、シリウスも笑った。貼り付けたような笑みだ。
「ご機嫌よう、王女殿下」
「あら、エリーゼでよろしいのに」
「ご冗談を」
そう言ってシリウスは取り合わない。アンジェラが慌てて立ち上がり、淑女の礼をとる。
「オルモード公爵閣下、あの、私はフォス伯爵家の長女アンジェラ・フォスと申します。セレスティナ様とこうして親しくさせていただけて、とても光栄です」
「そうか。君を歓迎しよう。座るといい」
「あ、は、はい!」
椅子に腰かけたアンジェラに、「冷や汗が出そう」と囁かれ、セレスティナは笑ってしまった。
シリウス様は貫禄があるから、どうしても他を威圧してしまうのよね。
「大丈夫よ。シリウス様はとっても優しいの」
「そうよね、セレスティナ様のいい人だものね」
アンジェラがほっとしたように笑う。満席だったので、ハロルドが椅子を持ってきて、シリウスはそこに腰かけた。ひそひそ囁く女生徒達の視線が熱い。
やっぱりシリウス様は目立つわ……。体が大きいからだけじゃない、彼には人を惹きつける魅力があるんだわ。だからどうしても、目が行ってしまう。
「教師専用の食堂がありますわ」
エリーゼがそう指摘する。実際、シリウス以外の教師の姿はこの場にはない。
「……ご迷惑ですか?」
シリウスがピッピッと懐中時計型指令機を操りながら尋ね、エリーゼが笑った。
「いいえ、あなたと同席できるのはとってもありがたいわ。父の狙いはオルモード公爵ですもの。是非側近にとあなたを望んでいるようですわ」
「諦めた方がいいと思いますよ?」
シリウスはやはり指令機から目を離さない。
「わたくしもそう思いますわ。あら、気が合いますわね」
そう言ってエリーゼがコロコロと笑った。
「シリウス様?」
何をしているのか気になってセレスティナが声をかけると、ようやくシリウスが顔を上げた。
「ん? ああ、アルゴンが泣いて泣いてしょうがないので、スチュワートがなんとかしてくれと訴えてきた。もう一度、冷凍弾で固めた方がいいかもしれん」
スチュワートはシリウスの執事で、金色のマジックドールだ。シリウスの代理人でもあり、なんでもこなせる万能マジックドールである。
「え? 泣いている、の? アルゴン様が?」
心配になってセレスティナが問い返すと、シリウスがげんなりしながら言う。
「孫の入学式いぃっと言って、むせび泣いているそうだ。ああ、まったく、世話の焼ける……。せめて前日までに来ればいいものを」
「シャルお姉様とイザークお兄様の晴れ姿を見たかったってこと?」
「そうなんだろうな。ツンツンしているくせに、孫にはデレデレで、本当、厄介だ」
シリウスがため息まじりにそう言った。
◇ ◇ ◇
「ちょっと、あなた、顔を貸しなさいよ」
ララ・ソーンが振り向くと、三人の女の子が自分を睨みつけていた。先頭に立っているのは、ロゼッタ・クラウル侯爵令嬢である。ララは教室を出ていく生徒達にちらりと視線を向けた。その中に栗色の髪の少女セレスティナがいる。それを目にしたララの気持ちがズシンと沈む。
セレスティナは、はにかむように笑う少女だ。身にまとう空気が清涼で柔らかい。話しかけやすそうな子なのに、とうとう声をかけられなかった。だって、自分だったら許さない。自分だったら、きっとこき下ろす。自分だったら、自分だったら……そんなことを考えているうちに、ホームルームが終わっていた。
「何? お昼を食べ損なうわ?」
ララが不満を漏らすと、ロゼッタがふんっと小馬鹿にしたように言う。
「今日はもう、お昼を食べたら解散でしょう? それじゃあ、困るのよ。いいから、来なさいよ。あなたに話があるんだから」
そう言われ、ララは渋々ついていく。
「生意気なのよ、あなた」
人気のない裏庭で、ロゼッタがそう詰め寄った。どうやら入学式で、イザークの隣に座ったことが気に食わなかったようだ。
「彼はね、公爵令息なのよ? 分かってるの?」
「そうそう、あなたみたいな平民が口をきいていい相手じゃないの」
「今後一切彼に近付かないで、いいわね!」
かっとなったララは、私は王女よ! と心の内で叫ぶ。
そうよ、私は誰よりも尊い血を継いでいるんだから! あんた達なんかとは格が違うわ!
ララは目の前の女性達を睨みつけ、思いっきり叫んだ。
「煩い、煩い、煩ーい! ここでは身分なんか関係ないわ! 身分差なんか存在しないもの! ちゃらちゃらした頭の軽いあんた達の言うことなんか、誰が聞くもんですか! 悔しかったらね、頭脳で勝ってみなさいよ、頭脳で!」
「なんですってぇ!」
「本当、あんたってば、生意気!」
女同士で髪を引っ張り合い、くんずほぐれつの乱闘になりかけるも、そこに割って入った者がいた。
「うははははははは! その喧嘩、ちょおっと待ったぁ!」
そこにいたのは、黒髪の巻き毛の少年だ。そう、辺境伯令息ジャン・ドランである。
「な、何よ、あんた……」
「貴様らに名乗る名前はない! と、そう言いたいところだが!」
黒髪の少年ジャンは、キザったらしく前髪をふぁさっとかき上げる。かなり芝居がかった動作だ。
「泣いて喜べ! 今回は特別に名乗ってやろう! 俺様の名前は、ドラン辺境伯の息子、ジャン・ドラン様だああああああ! さあ、ひれ伏せ、愚民どもおおおおおお!」
ロゼッタが目を剥いた。
「何を言っているのよ! 私はクラウル侯爵令嬢よ! 高位貴族だわ! あなたに愚民呼ばわりされるいわれはないわよ!」
「おつむの具合が愚民!」
ジャンにびしいっと指差され、ロゼッタがいきり立つ。
「あなたにだけは言われたくないわ!」
「とにかく、これ以上、多勢に無勢の乱暴狼藉を働くようなら、スーパーヒーローなこの俺様が相手になろう! 成敗してくれる! ていっ!」
手にした木刀で、ジャンが勢いよくロゼッタのスカートを捲る。ロゼッタの可愛らしいドロワーズが丸見えだ。その場にいた女子全員が目を剥く。
「うははははははは! どうだぁ! まいったか! 必殺スカートめく……ひぶぅ」
「何すんのよ、このどすけべえ!」
ロゼッタの強烈な平手打ちが飛ぶ。顔が羞恥で真っ赤だ。
「変態!」
「色情魔!」
「このこのこの!」
各々そう言い放ち、女の子達は倒れたジャンを踏んだ。踏みまくった。ゲシゲシゲシと。
ようやく怒りが収まったのか、肩を怒らせた女子三人が立ち去ると、足跡を頬に付けたまま、黒い巻き毛の少年ジャンは、すっくと起き上がった。
「ふっ! 俺様に恐れをなして逃げ出すとはな! どうだ、見たか、この俺様の実力!」
そう言い放ち、ふんぞり返る。ララはぽかんと突っ立っていた。どこから突っ込んでいいのか、もはや分からない。とにかく、強くはない、そう思った。でも助けてくれたのは確かだ。
「あの、ありがとう」
ララが一応礼を口にすると、ジャンは再びキザなポーズでふぁさっと髪をかき上げた。
「ふ、いい心がけだ、愚民。海より深く、山より高く感謝しろ」
「では、これで……」
「待てぇ!」
ララはジャンにがっしりと肩を掴まれた。
「お前、イザーク・オルモードが気に入らないんだな? そう、入学式のあの場面! 見たぞ見たぞ見たぞぉおおお! あいつを嫌いと言ったな? だったら、この俺様と手を組め! 俺様もあいつが気に食わない。スーパーヒーローなはずのこの俺様が! 何故かまったく勝てない! 何度勝負を挑んでも、けっちょんけっちょんに……いや、とにかく、打倒イザーク! ぶちのめせオルモードへぐぅ! 何故叩くんだ!」
顔に新しい赤いビンタの痕を付けたジャンが涙目で言い放ち、ララがもそもそ答える。
「その……ぶちのめせ、オルモードなんて言うから、つい……」
オルモード公爵様は憧れの人だ。悪く言って欲しくない。
ジャンは気を取り直したように前髪をキザったらしく手でかき上げた。
『ぬおおお! なんだ、なんだ? 攻撃? 攻撃をくらった? ああ! 配線があちこちショート! ぬおおおおおお! 待て待て待て、まだ台詞を全部言ってな……』
どうやら映像を映していた魔道機器が壊れたようである。ぶつっと、ドラン辺境伯の映像が消える直前、セレスティナは彼の背後に紅蓮の炎を見た気がした。
爆発していたようだけれど、大丈夫かしら?
周囲がざわめき、セレスティナは気もそぞろだ。
「あああ! 父上! どこの誰だぁ! 悪の結社か! 悪徳貴族の仕業かぁ!」
怒り心頭で立ち上がったのは、黒い巻き毛の少年だ。濃い顔とでもいうのだろうか、目鼻立ちがやけにくっきりしている。まるで化粧をしているかのよう。
お父様にそっくりね。
「た、大変失礼しました。オルモード公爵令嬢、続きをお願いします」
騒ぎ立てる少年――ドラン辺境伯令息を宥めすかし、進行役の教師が式の続行を促す。無事入学式が再開され、セレスティナが挨拶を終えて席に戻ると、シャーロットとアンジェラがベタ褒めしてくれた。
「すっごいよかったわよ、ティナ!」
「ええ、とっても素敵だったわ、セレスティナ様」
「ああ、流石、俺のティナだ! いてっ!」
イザークが額に走った痛みに顔をしかめ、次いで宙に向かって怒鳴った。
「ああ、もう! 父上、勘弁してくれ! 俺達家族なんだからさ! ティナはティナだから! この先も呼び方を変える気なんてねーし!」
「……お兄様、違うわよ。『俺の』って言ったからだと思う」
イザークが、ぽかんと口を開けた。
「名前呼びは容認しても、多分、それ、アウト。今後も続けるなら、報復がひどくなるから、覚悟した方がいいわよ?」
「これっくらいで? ほんっと、心せま……って! 嘘嘘嘘! もう言いません!」
バチンバチンと、顔に何かが当たっているようで、イザークが降参した。
当たっているのって、あ、豆? 本当、子供みたい。
セレスティナは足下に落ちている豆を拾い、くすくす笑ってしまう。
「ね、シャルお姉様。さっきの映像なんだけど……」
セレスティナが耳打ちすると、シャーロットは肩をすくめた。
「ドラン辺境伯のこと? パパから魔砲弾をくらったみたいだけれど、気にしなくていいわ」
あ、やっぱり、シリウス様の仕業なのね。
イザークもうんうんと頷いた。
「そうそう、気にしなくていい。辺境伯は父上の同級生で、同じ魔工学科の生徒だったせいか、ああやって何かと父上と張り合うんだよ」
張り合うって、若い嫁さんをもらったうんぬんってあれ? あの女の子、大丈夫かしら?
セレスティナが心配すると、シャーロットがけろりと言った。
「平気よ。だって、あの子、辺境伯の姪御さんだもの」
セレスティナは目を見開く。
「え! 辺境伯様は姪と結婚する気なの?」
「じゃなくて、ティナより年の若い子を用意したってだけよ。それで勝ったとか、思考が残念すぎるわ。そもそもドラン辺境伯は既婚者なんだから、これから結婚なんてできるわけないじゃない」
辺境伯が既婚者と聞いて、セレスティナはほっと胸を撫で下ろす。
「辺境伯の息子も彼にそっくりで、何かと俺に突っかかってくるんだよなぁ」
イザークがため息まじりに言う。
「イザークお兄様は、ドラン辺境伯令息と親しいの?」
「親しいっつうか……」
セレスティナが尋ねると、イザークが言い淀む。代わりにシャーロットが説明した。
「ジャン・ドラン辺境伯令息はね、ヒーロー願望が強い子で、お兄様に活躍の場を横取りされて以来、お兄様をライバル視しているの。イザーク、勝負だぁ! って何かと絡むのよ」
「そうそう、ほんっといい迷惑だ」
イザークが顔をしかめる。
「同い年だからジャンも今年入学……あ、それで辺境伯が入学式に出しゃばったのかしら?」
「……まさかとは思うがあの映像、本当は息子を激励するつもりだったんじゃねーだろーな」
まさかねーとシャーロットとイザークは笑い合ったが、次の瞬間、二人揃ってぴたりと口をつぐむ。どうやらありえると思ってしまったようである。セレスティナも苦笑いだ。
ドラン辺境伯様は親子揃って変わった方なのね。
「イザーク様、シャーロット様、ご機嫌よう。一緒のクラスになれて嬉しいわ」
そう教室で声をかけてきたのは、きつい顔立ちの女生徒だった。チリチリのキャラメルブラウンの巻き毛に真っ赤なリボンをしている。唇に赤い紅を引いているので、かなり大人びて見える。
「ああ、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、ロゼッタ嬢」
顔見知りなのか、イザークに続いて、シャーロットも社交用の挨拶を返す。
「ご機嫌よう、ロゼッタ様」
続いて挨拶をしたのはアンジェラ・フォス伯爵令嬢だ。笑う顔はやはりおっとりと柔らかい。だが、ロゼッタ・クラウルは嫌そうに顔をしかめた。
「あなたねぇ……どういうつもり? たかが伯爵令嬢のくせに図々しいったら。イザーク様は公爵令息なのよ? 馴れ馴れしく彼に近付かないでちょうだい」
ロゼッタの文句に、セレスティナは目を白黒させる。
彼女はイザークお兄様が好きなのかしら?
「あの、待って。彼女は私の友人なの」
セレスティナが割って入ると、今にも噛み付きそうだったロゼッタの表情が、ふっと和らいだ。
「あら、あなた……首席合格者の、いえ、オルモード公爵閣下の婚約者のセレスティナ・オルモード公爵令嬢ね? ええ、父から話を聞いているわ」
ロゼッタの不躾な眼差しに晒されて、セレスティナは身を縮めた。こういった視線は苦手である。
――おい、彼女がオルモード公爵閣下の婚約者らしいぞ。
そんなひそひそ声が聞こえ、セレスティナはさらに萎縮する。婚約披露宴を兼ねたお誕生日会を開いたので、高位貴族達の間で、セレスティナの存在は知れ渡っている。が、写真は出回っていないので、招待客以外はセレスティナの顔を知らないのだ。
ひそひそ声が聞こえた方にちらりと目を向けると、眼鏡をかけたハンサムな少年と目が合った。こちらも面識はないが、貴族名簿のお陰で、セレスティナには彼が誰だか分かった。レイ・グラシアン侯爵令息である。彼にふんっと鼻で笑われた気がして、さらに落ち着かない。
ロゼッタが制服のスカートをつまみ、淑女の礼をした。
「はじめまして、セレスティナ様。わたくしはクラウル侯爵家の娘、ロゼッタ・クラウルですわ。どうぞよろしく」
流石侯爵家の娘なだけあって綺麗な淑女の礼である。
「こちらこそ、どうぞよろしく」
セレスティナはそう挨拶を返したが――
元伯爵令嬢ごときが、オルモード公爵閣下に一体どうやって取り入ったのよ?
ロゼッタにそう囁かれ、セレスティナは身を強張らせる。驚いて声も出ない。
「ちょっと!」
声を荒らげたのはシャーロットだ。シャーロットは半竜なので耳がいい。なので、彼女がたった今口にした悪口も当然のように聞こえている。けれどロゼッタは嫌みったらしく笑う。
「ああら、ほんの冗談よ。本気にしないで。イザーク様、お昼は是非わたくしとご一緒に……」
やはりロゼッタはイザークに気があるようで、猫撫で声で彼にすり寄ろうとする。が、次の瞬間、バッシャンと上から水が降ってきて、ロゼッタはずぶ濡れになった。
これ……もしかして、シリウス様の仕業?
セレスティナは傍にいるマジックドールのハロルドにちらりと目を向けたが、ハロルドは赤い目をピカピカさせて、素知らぬ顔だ。実際、彼が何かしたわけではなく、ハロルドを通じて、こちらの状況がシリウスに筒抜け、というだけであろう。ロゼッタは怒り心頭で怒鳴った。
「な、だ、誰よ! こんな真似をしたのは!」
「さあねぇ、天罰じゃない?」
シャーロットはほほほと笑い、素知らぬ顔だ。
「さあさ、席についてちょうだい。ホームルームを始めるわ」
その時、さっそうと教室に現れた若い女性教師が、パンパンと手を叩いた。Aクラスの担任教師のエバ・マシュートである。濃い茶色の髪をきっちり結い上げ、黒縁眼鏡をかけた彼女は、ヒールをカツカツと鳴らしキビキビと歩く。生徒全員が席に着くと、壇上のエバ・マシュートがにっこりと笑った。
「知っている者はもう知っていると思うけれど! ここ王立魔道学院では、あなた達がのびのびと学べるよう、身分の枠をあえて外しているわ! 王立魔道学院の生徒である限り、身分差は存在しないと思ってちょうだい。学院から一歩外へ出ればもちろん違うけれど、ここは特別区域に設定されているの。身分を越えて存分に友情を育んでね」
わあっと歓声が上がる。歓声を上げたのは、身分の低い者達ばかりだったが、セレスティナもこれには賛成だった。身分を越えて友情を育めるなんて、とっても素敵だと思う。
「……特別区域だってよ」
「嫌になるよなぁ」
「そうそう、平民が付け上がるだけだ」
そう文句を口にしたのは、伯爵家以上の高位貴族達だ。とはいえ、この制度のお陰で多くの突出した人材を輩出できたというのだから、これは今後も変わらないに違いない。
ホームルームが終わると、担任教師に先導され、学院内の食堂へ案内される。食堂は広くて、奥に向かってたくさんの料理が並んでいた。好きなものを手に取っていいらしい。デザートまである。
「駄目ねぇ。太るって分かっているのにやめられないの」
アンジェラは真っ白なふくふくとした手で、クリームたっぷりのケーキの皿を手に取った。セレスティナはアンジェラと一緒に席へ移動しつつ、つい周囲を見回してしまう。侯爵令嬢のロゼッタが先程、お昼をご一緒にと言っていたから、てっきり突撃してくるかと思いきや姿が見当たらない。どうしたのかしら? とセレスティナは思うが、一方でほっとしている自分もいる。
「ティナ、どうしたの?」
「あ、その……」
シャーロットに顔を覗き込まれ、ロゼッタの話をすると、彼女はああというような顔をする。
「ほら、服がびしょ濡れになったでしょう? 身支度を調えるのに時間がかかっているんじゃないかしら。ロゼッタ嬢はお兄様に気があるから、念入りに調えているはずよ。でも、大丈夫。彼女が来ても追い払うわ」
シャーロットが憤然とそう言い切った。どうやら彼女が嫌いらしい。
全員が席を確保すると、今度は金髪碧眼の美少女が声をかけてきた。
「隣、よろしいかしら?」
微笑みかけられ、セレスティナは驚いた。そこにいたのは、王太子アルフレッドの娘、エリーゼ・ラー・アルカディア。本当なら、セレスティナの婚約のお披露目会で会うはずだった子だ。
「は、はじめまして、エリーゼ王女殿下」
セレスティナが慌てて淑女の礼をすると、エリーゼは屈託なく笑う。
「あら、かしこまらないで? 身分差はなし、そう言われたでしょう?」
ふわりと笑う姿は華やかで、色鮮やかな大輪の花のよう。
「セレスティナ嬢、あなたと仲良くしなさいって、父に厳命されているの。ふふ、どうやら父は、オルモード公爵に胡麻をすりたいみたいね」
「胡麻をする?」
セレスティナが不思議がると、エリーゼがうふふと笑って説明をした。
「父がね、オルモード公爵を側近にすることをまだ諦めていないみたい。あなたがわたくしを気に入ってくれればっていう打算があるのよね、これ。でも、とっても可愛らしい方で安心したわ。よければ仲良くしてちょうだい?」
可愛らしい……正面切って褒められると、やっぱり恥ずかしい。
エリーゼに手を差し出されて、セレスティナがおずおずとそれを取ると、きゅっと握り返される。白魚のような手だ。席に座ると、エリーゼがさっそく話を切り出した。
「それにしても……オルモード公爵は、随分とあなた方を自由にさせているのね?」
エリーゼの視線が、シャーロットとイザークの間を行き来する。
「オルモード公爵家のご子息ご令嬢なんて、引く手あまたでしょうに、いまだに誰とも婚約していないのは何故? 気に入る方がいなかったのかしら?」
シャーロットは肩をすくめ、あっけらかんと言う。
「そういった話は嫡男の兄に振ってちょうだい。わたくしは結婚を急ぐ必要なんてないもの。婚約なんて社交界デビューしてからでも十分よ。父にもそう言われているわ。ああ、エリーゼ王女殿下はもう婚約しているのよね? お相手はベルガ帝国の皇太子様だったかしら」
「エリーゼでいいわ。ええ、そう、親が決めた婚約者よ。あ~あ、シャーロット嬢が羨ましい。わたくしも親に自由にしなさいって言われてみたいわ。恋愛結婚がしたかったもの」
「皇太子様はタイプじゃないの?」
「そうねぇ……とっても優しくていい方よ? でも、恋はしていないの。わたくしの初恋はイザーク様だったわね」
ぶうっとイザークが口にした飲み物を噴いた。セレスティナが急ぎハンカチを取り出し、イザークに差し出す。エリーゼがため息をつき、思い出を語った。
「ちっちゃい頃の話よ。イザーク様はお父様に連れられて王妃様のお茶会に来たでしょう? きりっとして格好よくて、一目で恋に落ちたわ。でも、イザーク様はお茶会なんかそっちのけで、跳んでいる虫を追っかけたり、銃騎士の武器に興味津々だったりで、てんでこちらに注意を払ってくださらないの。そうこうしているうちにお茶会はお開きになって、それっきり。何度お誘いしても、なしのつぶて。相当つまらなかったのかしら?」
「お兄様……」
シャーロットが呆れたように言う。
「あー、そういや、そんなこともあったような、なかったような?」
イザークが宙を見上げ、そう言った。
この調子だと、イザークお兄様は、自分に恋した女の子を意図せず袖にしていそうね。
とその時、ざわりと周囲が揺れた。ふっと視界に入った姿に、セレスティナの気分が高揚する。
シリウス様だわ!
ガタンと立ち上がりかけて、慌ててセレスティナは座り直す。はしたない、そう思ったのだ。シリウスは護衛である銃騎士のダグラスを連れていた。学院内は安全と言われているけれど、高位貴族は護衛を連れ歩くことを認められている。
「やあ、お嬢様、さっそく友達ができたようで何よりです」
銃騎士のダグラスが気さくに笑う。
「オルモード公爵、ご機嫌よう」
エリーゼがそう挨拶すると、シリウスも笑った。貼り付けたような笑みだ。
「ご機嫌よう、王女殿下」
「あら、エリーゼでよろしいのに」
「ご冗談を」
そう言ってシリウスは取り合わない。アンジェラが慌てて立ち上がり、淑女の礼をとる。
「オルモード公爵閣下、あの、私はフォス伯爵家の長女アンジェラ・フォスと申します。セレスティナ様とこうして親しくさせていただけて、とても光栄です」
「そうか。君を歓迎しよう。座るといい」
「あ、は、はい!」
椅子に腰かけたアンジェラに、「冷や汗が出そう」と囁かれ、セレスティナは笑ってしまった。
シリウス様は貫禄があるから、どうしても他を威圧してしまうのよね。
「大丈夫よ。シリウス様はとっても優しいの」
「そうよね、セレスティナ様のいい人だものね」
アンジェラがほっとしたように笑う。満席だったので、ハロルドが椅子を持ってきて、シリウスはそこに腰かけた。ひそひそ囁く女生徒達の視線が熱い。
やっぱりシリウス様は目立つわ……。体が大きいからだけじゃない、彼には人を惹きつける魅力があるんだわ。だからどうしても、目が行ってしまう。
「教師専用の食堂がありますわ」
エリーゼがそう指摘する。実際、シリウス以外の教師の姿はこの場にはない。
「……ご迷惑ですか?」
シリウスがピッピッと懐中時計型指令機を操りながら尋ね、エリーゼが笑った。
「いいえ、あなたと同席できるのはとってもありがたいわ。父の狙いはオルモード公爵ですもの。是非側近にとあなたを望んでいるようですわ」
「諦めた方がいいと思いますよ?」
シリウスはやはり指令機から目を離さない。
「わたくしもそう思いますわ。あら、気が合いますわね」
そう言ってエリーゼがコロコロと笑った。
「シリウス様?」
何をしているのか気になってセレスティナが声をかけると、ようやくシリウスが顔を上げた。
「ん? ああ、アルゴンが泣いて泣いてしょうがないので、スチュワートがなんとかしてくれと訴えてきた。もう一度、冷凍弾で固めた方がいいかもしれん」
スチュワートはシリウスの執事で、金色のマジックドールだ。シリウスの代理人でもあり、なんでもこなせる万能マジックドールである。
「え? 泣いている、の? アルゴン様が?」
心配になってセレスティナが問い返すと、シリウスがげんなりしながら言う。
「孫の入学式いぃっと言って、むせび泣いているそうだ。ああ、まったく、世話の焼ける……。せめて前日までに来ればいいものを」
「シャルお姉様とイザークお兄様の晴れ姿を見たかったってこと?」
「そうなんだろうな。ツンツンしているくせに、孫にはデレデレで、本当、厄介だ」
シリウスがため息まじりにそう言った。
◇ ◇ ◇
「ちょっと、あなた、顔を貸しなさいよ」
ララ・ソーンが振り向くと、三人の女の子が自分を睨みつけていた。先頭に立っているのは、ロゼッタ・クラウル侯爵令嬢である。ララは教室を出ていく生徒達にちらりと視線を向けた。その中に栗色の髪の少女セレスティナがいる。それを目にしたララの気持ちがズシンと沈む。
セレスティナは、はにかむように笑う少女だ。身にまとう空気が清涼で柔らかい。話しかけやすそうな子なのに、とうとう声をかけられなかった。だって、自分だったら許さない。自分だったら、きっとこき下ろす。自分だったら、自分だったら……そんなことを考えているうちに、ホームルームが終わっていた。
「何? お昼を食べ損なうわ?」
ララが不満を漏らすと、ロゼッタがふんっと小馬鹿にしたように言う。
「今日はもう、お昼を食べたら解散でしょう? それじゃあ、困るのよ。いいから、来なさいよ。あなたに話があるんだから」
そう言われ、ララは渋々ついていく。
「生意気なのよ、あなた」
人気のない裏庭で、ロゼッタがそう詰め寄った。どうやら入学式で、イザークの隣に座ったことが気に食わなかったようだ。
「彼はね、公爵令息なのよ? 分かってるの?」
「そうそう、あなたみたいな平民が口をきいていい相手じゃないの」
「今後一切彼に近付かないで、いいわね!」
かっとなったララは、私は王女よ! と心の内で叫ぶ。
そうよ、私は誰よりも尊い血を継いでいるんだから! あんた達なんかとは格が違うわ!
ララは目の前の女性達を睨みつけ、思いっきり叫んだ。
「煩い、煩い、煩ーい! ここでは身分なんか関係ないわ! 身分差なんか存在しないもの! ちゃらちゃらした頭の軽いあんた達の言うことなんか、誰が聞くもんですか! 悔しかったらね、頭脳で勝ってみなさいよ、頭脳で!」
「なんですってぇ!」
「本当、あんたってば、生意気!」
女同士で髪を引っ張り合い、くんずほぐれつの乱闘になりかけるも、そこに割って入った者がいた。
「うははははははは! その喧嘩、ちょおっと待ったぁ!」
そこにいたのは、黒髪の巻き毛の少年だ。そう、辺境伯令息ジャン・ドランである。
「な、何よ、あんた……」
「貴様らに名乗る名前はない! と、そう言いたいところだが!」
黒髪の少年ジャンは、キザったらしく前髪をふぁさっとかき上げる。かなり芝居がかった動作だ。
「泣いて喜べ! 今回は特別に名乗ってやろう! 俺様の名前は、ドラン辺境伯の息子、ジャン・ドラン様だああああああ! さあ、ひれ伏せ、愚民どもおおおおおお!」
ロゼッタが目を剥いた。
「何を言っているのよ! 私はクラウル侯爵令嬢よ! 高位貴族だわ! あなたに愚民呼ばわりされるいわれはないわよ!」
「おつむの具合が愚民!」
ジャンにびしいっと指差され、ロゼッタがいきり立つ。
「あなたにだけは言われたくないわ!」
「とにかく、これ以上、多勢に無勢の乱暴狼藉を働くようなら、スーパーヒーローなこの俺様が相手になろう! 成敗してくれる! ていっ!」
手にした木刀で、ジャンが勢いよくロゼッタのスカートを捲る。ロゼッタの可愛らしいドロワーズが丸見えだ。その場にいた女子全員が目を剥く。
「うははははははは! どうだぁ! まいったか! 必殺スカートめく……ひぶぅ」
「何すんのよ、このどすけべえ!」
ロゼッタの強烈な平手打ちが飛ぶ。顔が羞恥で真っ赤だ。
「変態!」
「色情魔!」
「このこのこの!」
各々そう言い放ち、女の子達は倒れたジャンを踏んだ。踏みまくった。ゲシゲシゲシと。
ようやく怒りが収まったのか、肩を怒らせた女子三人が立ち去ると、足跡を頬に付けたまま、黒い巻き毛の少年ジャンは、すっくと起き上がった。
「ふっ! 俺様に恐れをなして逃げ出すとはな! どうだ、見たか、この俺様の実力!」
そう言い放ち、ふんぞり返る。ララはぽかんと突っ立っていた。どこから突っ込んでいいのか、もはや分からない。とにかく、強くはない、そう思った。でも助けてくれたのは確かだ。
「あの、ありがとう」
ララが一応礼を口にすると、ジャンは再びキザなポーズでふぁさっと髪をかき上げた。
「ふ、いい心がけだ、愚民。海より深く、山より高く感謝しろ」
「では、これで……」
「待てぇ!」
ララはジャンにがっしりと肩を掴まれた。
「お前、イザーク・オルモードが気に入らないんだな? そう、入学式のあの場面! 見たぞ見たぞ見たぞぉおおお! あいつを嫌いと言ったな? だったら、この俺様と手を組め! 俺様もあいつが気に食わない。スーパーヒーローなはずのこの俺様が! 何故かまったく勝てない! 何度勝負を挑んでも、けっちょんけっちょんに……いや、とにかく、打倒イザーク! ぶちのめせオルモードへぐぅ! 何故叩くんだ!」
顔に新しい赤いビンタの痕を付けたジャンが涙目で言い放ち、ララがもそもそ答える。
「その……ぶちのめせ、オルモードなんて言うから、つい……」
オルモード公爵様は憧れの人だ。悪く言って欲しくない。
ジャンは気を取り直したように前髪をキザったらしく手でかき上げた。
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