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しおりを挟む『今度作家繋がりで飯会すっから、お前も来い』
作業中の相互見張りとして繋ぎっぱなしだったボイスチャットで急に話しかけられ、一旦ペンを置いて重い瞼を擦った。
「すいません、そういうのはあまり興味なくて」
『言うと思った。けど強制参加』
「えぇ……」
不満あらわに唸るが、通話の向こうの由紀さんは聞こえていないみたいに「16日の13時な。コースで予約してるみてぇだからバックレんなよ」なんて飄々としている。
次いで、スマホから通知音が鳴った。
見れば、共有しているカレンダーアプリの更新を知らせるものだ。
今言われた日付に、店の場所のURLと共に予定が追加されていた。
「他に予定があったらどうするつもりですか」
『俺とデートなのに他の予定が消えないことあんの?』
「どんな予定でも消し飛びますよ……」
『だろ』
カラカラと笑う由紀さんに頭痛を覚え、「集中切れたんでコーヒー淹れてきます」と立ち上がった。
『俺の分もー』
「はいはい、取りに来るなら淹れますよー」
『配達してくれよ』
「それはサトウさんのお仕事でしょう?」
『お客さんもう半年は頼んでないじゃないですか』
「馴染みの配達員さんが忙しいみたいで。あの人じゃないと頼みたくないんですよねー」
『そりゃ残念』
軽口の応酬も慣れたものだ。
マイクミュートすることもなく、台所へ行って緑茶を飲んでいたコップを軽く洗い、ドリップコーヒーをセットする。
冷房を入れていない台所は蒸し暑く、すぐにじわりと肌に汗が浮かんだ。
大晦日に由紀さんと互いの著作を交換することになったあの後、彼はすぐにそれをSNSに書いたらしい。
らしい、というのは、俺は当初それを知らなかったから。
SNSは新刊告知用としか使っていなくて、だからフォロワーの熱心な嗜虐家読者たちから『和姦描くって本当ですか!?』という非難のメッセージを貰ったことにも気付かず数日放置してやっと確認したくらいだった。
彼らから引用で送られてきた由紀さん──ペンネーム『お砂糖唯一アイスマン』の書き込みはシンプルだった。
『苗シエロの和姦本♡楽しみ』
ジャンルが違うからか反応している人はまばらで、そもそも苗を知らない人が多いようだった。
驚くことにその時点での由紀さんのフォロワー数は俺の半分にも満たなかった。おそらく──まあ確実に──乳首のせいだろう。
勿体無いな、と少し悩んでから俺も書き込んだ。
『俺もお砂糖さんの短乳首フルカラー画集楽しみです』
……これがバズった。盛大にバズった。
作風で敬遠されがちなうえ日常の呟きをしない俺がわざわざ話題に上げたのは誰なのかと調べてみたら画力に驚いた勢が半分、それからおそらくもう半分は『乳首さえ普通なら』と思っていた潜在的由紀さんファンだろう。
瞬く間に拡散され、『いつどこのイベントで売るんですか?』『電子はありますか?』というメッセージの嵐が数日止まなかった。
由紀さんが『個人的に交換するだけの予定です』と書いたら一旦は静けさを取り戻したが、半月後くらいに出たイベントで「お金は出すので私にも売って欲しい」という人が相次いだとかで──中には「印刷代を出資しますので満足いくものを作って下さい」と札束を置いていこうとした人もいたとか──、「売ってもいいか」と由紀さんから俺に打診がきた。
もちろんオーケーし、俺も由紀さんファンと一緒にわくわくと画集発売を心待ちにしていた。
……なんて、他人事の顔をしていたら、俺へも飛び火した。
『和姦本を売れ。さもないと⚪︎す』だの『シエロさんの和姦本を読めるのがお砂糖さんだけだなんて羨ましすぎてちょっとお砂糖さんをメッてしちゃいそうです。おともだちをメッされたくなければ紙で売れ』だの……どうして俺にはこういう読者が多いんだろう。
とにかく俺も由紀さんに渡す分以上に刷ることになり、それを由紀さんに言ったらもういっそ隣接スペースで売ろうと提案された。
そしてそのイベント当日、話を聞きつけてきたよく俺に仕事をくれる編集さんがスペースに来て2冊とも買っていき、そしてその夜には由紀さんに読み切りの打診がいっていたらしい。
乳首を以前比20%ほどにおさめられるようになった由紀さんは何回か短い読み切りをエロ漫画雑誌に載せ、────今は成年向けではなく原作付き全年齢漫画を月刊連載している。
あれよあれよ。もしくは、とんとん拍子。
正に、そんな表現がぴったりの躍進劇だった。
収まるところに収まった、という感じで、後輩に昇進を抜かれた先輩のような気分には今のところなっていない。
ただ、……そう、ただ、少し残念だった。
俺にとって由紀さんは週に1度のお楽しみ配達員だったのに、多忙になってしまった彼は当然配達員を辞めてしまった。
元同僚とは今でも話すのか、俺が配達を頼んでいないことを知っていてたまに揶揄われるのだけど。
個人情報とは……。
ぼうっとしていたら、仕事部屋の方から『このちゃーん? まだ帰ってこねーのー?』と呼ぶ声がした。
慌ててコーヒーを淹れ、部屋に戻った。
「戻りました」
『おかえり。遅かったじゃん。浮気?』
「そうですね。そろそろトイレットペーパーが無くなりそうだった気がしますし」
デスクチェアに腰を降ろし、コーヒーを一口含んだ。
……苦い。砂糖を入れ忘れた。
スマホを取り、さっき流し見で済ませたカレンダーの予定に目を通す。
9月16日水曜日、13時から。
URLを押し、店の場所を確認すると最寄りから電車で4駅乗らないといけないらしかった。
車も原付も自転車すら持っていないから、遠くへ行こうとすると公共交通機関が主体になる。
タクシーは楽だけれど気軽に使えるほど金銭感覚が緩いわけでもない。
運動した方がいいのは分かっているが、夏場は外に出ると考えるだけで億劫になる。
平日昼間開催なのは混雑回避の為だろうが、まだまだ暑い日が続く中だと主催者を恨みたくなった。
後頭部で団子にしてある髪をもしゃもしゃと握り、切った方がいいかなあ、とため息を吐く。
そろそろ切ろう切ろうと思いながら、結局なんとなく延期し続けてしまっている。
由紀さんの知り合いに会うなら少しは見た目を整えておいた方がいいだろうか。
「由紀さん、さっき言ってたご飯会に来る方たちって、人の外見を気にするタイプですか?」
腰を超え尻まで届いた超ロングは団子にしていてもかなりボリュームがあって重いし、かといって三つ編み1本で下ろしても臍くらいまであるから初見の人には高確率でギョッとされる。
女装していればジロジロ見られはしても警戒はされないが、俺にとって女装はコスプレで、イベント前後以外ではする気が起きない。化粧は楽しいが面倒だ。
いっそ切らなきゃいけない理由になってくれないかと思いながら由紀さんに問いかけたが、いつまで経っても返事がない。
マウスを掴みボイスチャットのアプリを表に出すと、いつの間にか通話が切れていた。
吐きそうになったため息を飲み込み、スマホを裏返しに置いてペンを持った。
夏コミが終わった今、抱えている仕事は来月納品の読み切りが1本だけ。
秋口に出るイベント用に2冊ほど描く予定だが、まだまだ日程には余裕がある。
本当ならしばらくゆっくり休んでもいいのだけど、……「ちゃんと原稿してられるように監視してて」なんて由紀さんが言うから、俺も付き合って急ぎでもない原稿を進めている。
大反響大出世の由紀さんと真逆に、俺の和姦本は大不評だった。
感想はどれも『凡庸』を言い換えたものばかり。
由紀さんが大喜びしてくれたから描いた甲斐はあったが、自発的に和姦を描くことはもう無いだろう。
マイナスな感想もそれほど響かないタイプの俺だが、電書サイトに書かれた『50円セールの時でも買う価値ない』は正直結構、キた。
好意的な感想も少しはあったが、それも『たまにはこういうのも良い』というような、おそらくは俺に気を遣ってくれただろう優しい読者たちのものだ。
口の悪いネットの一部では『成り上がりたいお砂糖が苗にすり寄って踏み台にした』なんて囁かれているようだが、あの超画力の由紀さんの踏み台になれたなら光栄なことだろう。
だから春頃から連載を始めて忙しくなった由紀さんと縁が切れても、別に仕方ないと思っていたのだけど。
カフェインでも抗い難い眠気に目を擦り、カレンダーアプリのピンク色の帯を脳裏に描いた。
おそらくは家族やカップルがそれぞれの予定を把握しておく為のアプリは、由紀さんにスマホに入れるように指示されたものだ。
曰く、「遊びに行った日に大一くんが居ると気まずいから」。
親しく遊びに来られるような間柄ではないけれど、何か用があって来て鉢合わせするのすら嫌なんだろう、と了承した。
事実、大晦日以降に家に由紀さんが配達以外で来訪した回数はゼロだ。
が、作業通話の相手が欲しいのかボイスチャットはしょっちゅう掛かってくる。
それは良いのだけど、由紀さんの個人的な予定をカレンダーに書き込むのはやめて欲しいと思っている。
そう、その、わざわざ俺に伝えるようなものでもない──デートの予定とかを。
今月は4日に『ゆかちゃんとデート』。
先月の28日には『さくちゃんとデート』、先々月は『たかちゃんとデート』。
お盛んと囃すほど頻繁ではなく、毎月1回くらい、けれど毎回別の名前とデートの予定が入ってくる。
しかも大体が予定日の数日前で、それが入るとそれまで入っていた別の予定が消される。
……由紀さんが、誰かとデートする為に他の予定を蹴っている。
3回目のデートの予定帯を見てそう気付いた時、俺の心に浮かんだのは胸焼けするようなべたついた嫉妬だった。
馬鹿か、とすぐに打ち消した。
デートに誘われるどころか会うことすら提案されない、気遣いなく使い捨て出来そうな通話相手としか思われていない俺が、どんな立ち位置から嫉妬なんかしようというのか。
俺が由紀さんを週イチお楽しみ人間だと思っていたように、由紀さんも俺を勝手にジャンル分けして、そして最終的に性行為を絡ませない場所に置いたのだ。
彼にとって俺はデートの相手に値しない。
現実を見ればそれだけの話で、だから気にするだけ無駄なのだ。
俺が望んでも由紀さんが欲しがってくれないのなら、そこには座れないのだから。
ペン先がミシ、と音を立ててハッとし、強く握り過ぎたと謝るようにペンを撫でた。
恋愛なんか、今更もうする気はない。
けれどこと由紀さんのことを考えるとおかしな考えばかりが浮かんでくる。最近抜いていないせいだろう。
刺激的な遊びが無くなってしまった今、どう発散しようかと悩んでいた。
ペンを置き、伸びをする。
由紀さんが落ちてしまったのだ、俺だけが作業する意味ももう無いとやっと気付いて立ち上がった。
少し寝よう、と冷房を消しスマホを持って隣の寝室へ移動しようとドアを開けると、玄関チャイムが鳴った。
配達も来客の予定もないから勧誘か何かだろう。
横目でインターホンを見ながら無視しようとしたのだけど、聞こえてきた声に立ち止まった。
『どーもー、ご注文のお荷物でーす』
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