草履とヒール

九条 いち

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「えっ、モデルでずっと馬に乗る仕事って……あ-あっ行っちゃった」
 颯爽と馬に乗って走っていく通政さん。
 最初は乗り気ではなかったけど、あの顔を見る限り、楽しんでもらえているみたい。
「お姉さんは乗らないんですか?」
 「私は大丈夫です。近くで見れただけで」
 厩舎の中にいる時はなんとかなると思っていたけど、実際に横を歩くと馬の大きさに圧倒された。
 落ちたら大怪我になるんじゃ……そう思うと乗れずにいた。思い出さなくていいのに、馬に蹴り殺された人のニュースを思い出してからは完全に怖気付いていた。
「大丈夫ですよー。うちの馬はみんな大人しいので。お手伝いしますよ」
「 いやほんとに大丈夫です」
「ほら、大丈夫ですよ! こんなに可愛い。ね!」
「……えっ、あ、いや……はい、お願いします」
 係員さんの圧に負けて、馬に乗る覚悟を決める。なんとかとび乗ることが出来たが、足から馬の身体の動きが伝わってくることに恐怖を感じた。

 この馬は今どんな気持ちなんだろう……。
 私なんかが乗ってていいのかな。
 わっ、今揺れた。
 ここ座られたら痛い、かな……。

「落ち着いてください。そうです。少し歩いてみましょう」
「えっ、ちょっと待ってくださっ、わっ揺れる、うわああっ」
 突然馬が前足を上げて暴れだして馬から落ちそうになる。
「綱を強く握って!」
「は、はい!」
 係員さんはうまく馬をなだめるように撫でてくれて、馬もなんとか落ち着いてくれた。
「はあー」
 重いため息が出る。思った通り、私には乗馬は無理なのかもしれない。
「すみません。びっくりしましたよね。いつもは大人しい子なんですが……。別の子に変えましょうか」
「うーん、どうしましょう。もう、いいかな」
「そう、ですよね……」
 今度こそ怪我に繋がりそうだし。
 さっきのことがあったからか、係のお兄さんもあまり強くは勧めないでくれた。
「椿」
「通政さん」
 走り終えた通政さんが戻ってきていた。 さっきの様子もバッチリ見ていたみたいだった。恥ずかしくて、彼を直視出来ず、横目で彼を見る。
「馬も不安になっている。きちんと命令してやれ」
「そんなっ、命令だなんて」
 私なんかが命令するなんて恐れ多い。この子も私に命令されたくないだろうし。
「命令まで行かなくてもいいから。椿の意思を伝えろ。馬が可哀想だ」
 意思って……。誰かの意思に従ったり答えたりすることはあったけど、自分の意思を一方的に伝えるなんてあまりしてこなかった。
 今までだってそれで『優しいね』って言われてきたし、いいことだと思ってきた。でも今はこの子を不安にさせてしまっているなんて……思いもしなかった。

 私の意思……。

(あなたと散歩がしたい。歩いて)

 そう心の中で話しかけながら、係員さんに教えてもらったように手綱を軽く引っ張る。
 馬はゆっくりと歩き出した。最初はぎこちなかったが次第に私にとってに心地よいリズムで歩いてくれる。
「やった!」
 通政さんの方を見ると、こちらを見ながら腕を組んで満足そうにしていた。
 横の係員さんが満面の笑みで私と通政さんをみていたので、恥ずかしくなってゆっくりと目を逸らした。

「通政さんのおかげで乗れました!」
 馬を返して、お別れを言った後、ブーツを返しにカウンターまで来ていた。
「俺はちょっと口を出しただけだ。あとは椿の器量だろう。最後なんて走ってたな」
「係員さんにも褒めてもらって調子に乗っちゃって」
「それはよかった」
 私も乗れて嬉しかったが、それ以上に通政さんも喜んでくれているのが嬉しかった。
 通政さんが私の手を取り、指を絡める。
 愛し合う恋人達がするそれに頬が赤みを帯びる。
「あの、通政さんさえよければなんですが、また来ませんか?」
「ああ。また来よう」
「よかった。あっ、ソフトクリーム売ってますよ! 食べません?」
「俺はいいかな」
「えー。あっ、特選宇治抹茶味ソフトクリームがありますよ」
 通政さんは私が指したポスターの写真を見て足を止めた。
 新緑色のソフトクリームの上に更に抹茶の粉がかかっていて、とてつもなく美味しそうだった。
「……食べる」
「やったあ」
 綺麗でかっこよくて、逞しい馬達を眺めながら通政さんと食べたソフトクリームは格別の美味しさだった。


****


「その馬は通政様の愛馬で確か『黒雲』という名前です」
 いつのまにか桜さんが隣に来ていた。桜さんは柔らかな笑みで私に微笑みかける。
 タレ目で見るからに優しそうな雰囲気はめぐさんと正反対な気がした。どちらも嫉妬心すら湧かないぐらいに可愛いんだけれど。
「どうりで……。じゃあ他の子にしないと」
「そうですか? この子も乗って欲しそうですよ。この子は通政様以外は乗せたがらないのですが、あなたは特別かも知れませんね」
 通政さんに似たその馬は静かに、まっすぐに私の方を見ていた。 静かに主張するところまで通政さんに似てる……。
 でも本当に彼に乗って良いのだろうか。
 ゆっくりと手を出して毛並みの美しい 彼の首元をゆっくりと撫でる。 甘えるように私の方に顔を擦り付ける彼に温かい気持ちでいっぱいになる。
「すっかり気にいられましたね」
「そうみたい……」
「やはり、通政様と椿様は繋がっているのでしょうね」
 桜さんの言葉は嬉しかったが、それと同時に不安になった。
「そんなこと言って、大丈夫ですか?」
 彼女はめぐさんの付き人だ。そのめぐさんと恋敵とも言える関係にある私のことをそう言っていると、めぐさんに何か言われないだろうか。
「めぐ様のことですか?」
「はい」
「大丈夫ですよ」
 彼女はゆっくり笑うと、自分の馬のほうに戻っていった。
 不思議な人……。優しくて物腰も柔らかくて、掴めそうなのにつかめない彼女のは桜そのものの様に感じた。
「行くわよ」
 めぐさんの声が厩舎の外から聞こえた。

 通政さんたちのところまで運ぶ食料を作るまでの間、私たちは馬に慣れるために城で練習をすることになっていた。
 時間は限られている。
 私は急いで黒雲に綱をかけて出口に向かった。
 三人がすでに待っている広場に黒雲を連れて小走りで行く。
「あんたそれ綱かかってないわよ」
「えっ、うそ」
 めぐさんに言われて黒雲を見た。
 でも黒雲はついてきている。
「引っ張ってみなさいよ」
 めぐさんに言われるままにゆっくりと綱を前に引っ張る。綱は頼りなく黒雲の首を伝い、外れた。
「あっ」
「ぷっ」
「くくくっ」
「ふははは」
 三人に笑われて黒雲を見ると、彼も目を逸らした。
「あんた馬に空気読んでもらってどうすんのよ」
「椿さんのっ、歩調に合わせてっ、一定の間隔で着いてくるなんてっ、くくくっ」
「いやあ椿は余程その馬に好かれてるんだなっ、くっ、ふふふ」
 笑いながら肩を叩く沙理。
「あ、あははー(棒)」 
 みんなが笑っていてなごやかな雰囲気になったことは嬉しかったが、失敗した手前、うまく笑えなかった。
「しょうがないわねえ」
 めぐさんが綱を黒雲にかけてくれた。
「ありがとうございます」
「まったく。だからあの時……」
 最中に色々と悪態をつかれたが、厨で散々言われてもう慣れてしまったので右から左に流した。
「ほらっ、できたわよ」
「ありがとうございます」
 荷物を持って黒雲の上に乗る。成人男性が運ぶ量の一・五倍の重みが肩にのし掛かる。肩が押し潰されそうだ。
 重いのは黒雲も同じなのに、平然としていた。この子は逞しくて頼りになるなあとお礼も込めて首筋を撫でる。
 めぐさんを見ると、荷物が重過ぎて馬に乗るのも苦戦していた。お城で大切に扱われてきたお姫様なのだ。私の比にならないぐらい辛いだろう。
 馬から降りてめぐさんを手伝おうとしたら手を振り払われた。
「いらないっ!」
「…………」
 断られたため、何も出来ずに彼女を見守る。
 めぐさんは登りきれずに馬の前で相変わらずピョンピョン跳んでいる。
「手伝いますって」
「いらないわよっ」
「さっきの手綱のお礼です。借りを返したいんです」
「……ならしょうがないわね……」
 なんとか手伝わせてくれるみたいでよかった。地面に左膝をつけて、右膝を立ててめぐさんに腿の上に乗ってもらう。
「せーのっ」
「やった」
 無事乗れためぐさんを確認して、腿と膝についた泥を払う。
 その様子を見ていためぐさんがポツリと呟いた。
「……ありがとう」
「はいっ!」
 めぐさんからの初めての感謝の言葉だ……。
 そう思うと思わず顔が綻んでしまう。
「ニヤニヤしすぎ。行くわよ」
「あっはい!」
 私は急いで黒雲の元に戻った。

 私を含めた四人が馬に乗り、一列に並んで山道を駆けて行く。先頭は桜さんでニ番目がめぐさん、三番目が私で1番後ろで警戒する役目を沙理がしていた。
 初めての景色に舗装されていない道ばかりだ。気を張りながらも黒雲の胴体を挟む両脚は力を入れすぎないように意識していた。
「今のところ異常はありませんね。あと半分です」
「よかった……」
 初めはぎこちなかった乗馬もだいぶ慣れて、荷物の背負い方もコツがつかめてきた。
「後はまっすぐ突き進むだけです」 
 私と沙理だけでは迷ってしまっていただろう。
 桜さんのスムーズな道案内とめぐさんの機転のおかげでここまで来れた。
 
(あと少し……)

 馬が土を蹴る音だけがする中、プスッという微かな音がした気がした。
 次の瞬間、馬の断末魔の叫びが上がる。
「ヒヒィーーーーーンッ」
「きゃあああぁああ!」
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