7 / 59
3.仲直りはベッドの上で
007
しおりを挟む
化粧室は披露宴の会場から少し距離がある。このフロアにはほかにも披露宴の会場があるけれど、比較的静か。わたしはふかふかの絨毯の上を歩きながら、がんばって心を落ち着かせた。
だけど化粧室で鏡の前に立ち、思わず落胆の声がもれた。
「うわっ、これは……」
あまりにも無様な顔だ。わたしったら、こんなひどい顔をしていたのか。でもおめでたい席で暗い顔はしちゃだめだよね。
そう思い直し、メイクを整え、指で両方の口角をあげ、にっこりと笑顔を作る。
「うん、これでよし」
早く戻らなきゃ。きっと真野ちゃんが心配している。
ところが会場に戻ろうと化粧室を出たところに声が聞こえてきた。
「箱崎さん」
「えっ!? 志摩さん!?」
思わぬ人に呼びとめられた。
まさかこんなところで会うなんて。
驚きすぎて、その場でぼう然としてしまった。
「ごめん、箱崎さんが会場を出ていくのが見えたから気になって、思わず追いかけてきちゃったんだよ」
「志摩さん、あの会場にいたんですか?」
「蒼汰は高校のときの同級生なんだ」
「蒼汰くんと同級生!? すごい偶然……」
「友人代表のスピーチが箱崎さんだったから、びっくりしたよ」
「わたしも驚きました」
こんなことってあるんだ。世間って狭いな……って、いやいやそんなことより。
「あんなぐだぐだなスピーチを見られるなんて恥ずかしすぎます……」
同じ職場の人に知られるのはきついかも。
思わず顔を手で隠すように覆った。
「恥ずかしがることなんてないよ。友達のこと、本当に大切に思っているんだなというのが伝わってきて、すごくいいスピーチだったよ」
「……あ、ありがとうございます」
志摩さんは、この場を取り繕うわけではなく、素直に言葉にしているように思えた。
だけど逆に恥ずかしい。笑い飛ばしてくれたほうが、気が楽なのに。
「箱崎さんは蒼汰とも仲いいんだね」
「はい、大学時代に智花に紹介してもらったんです。みんなで飲みにいったり、ごはんを食べにいったりしてました。……蒼汰くんと同級生ということは、志摩さんはわたしより三つ上なんですね」
航と同い年なのか。
「そうだよ。僕は知ってたけど」
「誰から聞いたんですか?」
これまでお互いの年齢の話題になったことがないはず。
「國枝先生から。僕の歓迎会をやってもらったときに話す機会があって。そのときに元教え子だったってことも聞いたんだ」
随分とかわいがられているねえと、ほかの人が聞いたら誤解を招くような言い方をするので、「普通です!」と否定する。志摩さんは「ごめんごめん」と楽しそうに謝った。
「言い方が悪かったね。國枝先生に信頼されているんだね。秘書としても助手としても有能だって國枝先生がおっしゃっていたから」
「國枝先生ったら……」
その日の歓迎会にはわたしも参加していた。志摩さんと話すことはなかったので、そんな会話があったことも知らなかった。
そういうのはよそでは言わないでほしいよ。
わたしは特別優秀というわけではない。今の仕事が好きで、目の前のことを一生懸命やっているだけ。なにかを発見したり生み出したりする人や、数字で成績を残せる仕事をしている人と自分はやはり違うと思っている。
でも決して卑屈になっているわけではない。自分のやってきたことは、國枝先生の研究はもちろん社会全体の歯車になっていると自負している。
「教授と秘書として、いい関係を築けているよね。将来、僕がもし教授になれたら、箱崎さんみたいな人と一緒に仕事をしたいな」
「そんな、ほめすぎですから」
こういうのはどうも苦手だ。人にほめられるというのは慣れていなくて居心地が悪い。でも志摩さんはとてもいい人のように思う。自然体で計算とかずる賢いところもなさそうで好印象だった。
穏やかに微笑む顔を見ていると、だんだんとリラックスしてきた。
けれどそのときだった。和やかな空気をかき乱すように、少しきつめの声で「美織」と呼ばれた。
「航……」
本来だったらその顔を見るだけで安心できるのに、今はその逆。無表情の顔はとんでもなく怖くて、志摩さんのことでやきもちを焼いているのは明白だった。
「もしかして心配して様子を見にきてくれたの? ごめんね、ちょっと話し込んじゃって」
「誰? 知り合い?」
「志摩と申します」
わたしが紹介する前に、志摩さんが自ら名乗り、名刺を差し出した。それを航が無言のまま受け取っている。航は自分の名刺を志摩さんに渡すことすらしない。
うわぁ、完全に怒ってるよ。ちょっと立ち話をしていただけなのに。
こんなときに急に大人げなくなるのは、航の悪い癖。
大学時代に航の男友達も交えた飲み会やバーベキューに参加したことがあったのだけれど、みんなが気を使ってわたしに話しかけてきてくれるのに、航はそれが気に食わなかったらしい。蒼汰くん以外の男の子とふたりきりでしゃべるなと言って、行動を制限するほどだった。
「志摩さん、彼は日比谷航といって、わたしの婚約者なんです」
「婚約者……。あっ、そうなんだ」
なんとも微妙な空気に気まずくなる。少しの間があり、航がようやく声を発した。
「美織、戻るぞ」
「えっ、ちょっと! あ、あの、それじゃあ志摩さん、失礼します」
わたしのことなんておかまいなしに、航がさっさと歩き出すので、わたしは大慌て。それでも志摩さんはいつものように、「またね」と愛想よく言ってくれ、心からほっとした。
志摩さんにはあとでちゃんと謝ろう。そう思いながら、航のあとを追った。
だけど化粧室で鏡の前に立ち、思わず落胆の声がもれた。
「うわっ、これは……」
あまりにも無様な顔だ。わたしったら、こんなひどい顔をしていたのか。でもおめでたい席で暗い顔はしちゃだめだよね。
そう思い直し、メイクを整え、指で両方の口角をあげ、にっこりと笑顔を作る。
「うん、これでよし」
早く戻らなきゃ。きっと真野ちゃんが心配している。
ところが会場に戻ろうと化粧室を出たところに声が聞こえてきた。
「箱崎さん」
「えっ!? 志摩さん!?」
思わぬ人に呼びとめられた。
まさかこんなところで会うなんて。
驚きすぎて、その場でぼう然としてしまった。
「ごめん、箱崎さんが会場を出ていくのが見えたから気になって、思わず追いかけてきちゃったんだよ」
「志摩さん、あの会場にいたんですか?」
「蒼汰は高校のときの同級生なんだ」
「蒼汰くんと同級生!? すごい偶然……」
「友人代表のスピーチが箱崎さんだったから、びっくりしたよ」
「わたしも驚きました」
こんなことってあるんだ。世間って狭いな……って、いやいやそんなことより。
「あんなぐだぐだなスピーチを見られるなんて恥ずかしすぎます……」
同じ職場の人に知られるのはきついかも。
思わず顔を手で隠すように覆った。
「恥ずかしがることなんてないよ。友達のこと、本当に大切に思っているんだなというのが伝わってきて、すごくいいスピーチだったよ」
「……あ、ありがとうございます」
志摩さんは、この場を取り繕うわけではなく、素直に言葉にしているように思えた。
だけど逆に恥ずかしい。笑い飛ばしてくれたほうが、気が楽なのに。
「箱崎さんは蒼汰とも仲いいんだね」
「はい、大学時代に智花に紹介してもらったんです。みんなで飲みにいったり、ごはんを食べにいったりしてました。……蒼汰くんと同級生ということは、志摩さんはわたしより三つ上なんですね」
航と同い年なのか。
「そうだよ。僕は知ってたけど」
「誰から聞いたんですか?」
これまでお互いの年齢の話題になったことがないはず。
「國枝先生から。僕の歓迎会をやってもらったときに話す機会があって。そのときに元教え子だったってことも聞いたんだ」
随分とかわいがられているねえと、ほかの人が聞いたら誤解を招くような言い方をするので、「普通です!」と否定する。志摩さんは「ごめんごめん」と楽しそうに謝った。
「言い方が悪かったね。國枝先生に信頼されているんだね。秘書としても助手としても有能だって國枝先生がおっしゃっていたから」
「國枝先生ったら……」
その日の歓迎会にはわたしも参加していた。志摩さんと話すことはなかったので、そんな会話があったことも知らなかった。
そういうのはよそでは言わないでほしいよ。
わたしは特別優秀というわけではない。今の仕事が好きで、目の前のことを一生懸命やっているだけ。なにかを発見したり生み出したりする人や、数字で成績を残せる仕事をしている人と自分はやはり違うと思っている。
でも決して卑屈になっているわけではない。自分のやってきたことは、國枝先生の研究はもちろん社会全体の歯車になっていると自負している。
「教授と秘書として、いい関係を築けているよね。将来、僕がもし教授になれたら、箱崎さんみたいな人と一緒に仕事をしたいな」
「そんな、ほめすぎですから」
こういうのはどうも苦手だ。人にほめられるというのは慣れていなくて居心地が悪い。でも志摩さんはとてもいい人のように思う。自然体で計算とかずる賢いところもなさそうで好印象だった。
穏やかに微笑む顔を見ていると、だんだんとリラックスしてきた。
けれどそのときだった。和やかな空気をかき乱すように、少しきつめの声で「美織」と呼ばれた。
「航……」
本来だったらその顔を見るだけで安心できるのに、今はその逆。無表情の顔はとんでもなく怖くて、志摩さんのことでやきもちを焼いているのは明白だった。
「もしかして心配して様子を見にきてくれたの? ごめんね、ちょっと話し込んじゃって」
「誰? 知り合い?」
「志摩と申します」
わたしが紹介する前に、志摩さんが自ら名乗り、名刺を差し出した。それを航が無言のまま受け取っている。航は自分の名刺を志摩さんに渡すことすらしない。
うわぁ、完全に怒ってるよ。ちょっと立ち話をしていただけなのに。
こんなときに急に大人げなくなるのは、航の悪い癖。
大学時代に航の男友達も交えた飲み会やバーベキューに参加したことがあったのだけれど、みんなが気を使ってわたしに話しかけてきてくれるのに、航はそれが気に食わなかったらしい。蒼汰くん以外の男の子とふたりきりでしゃべるなと言って、行動を制限するほどだった。
「志摩さん、彼は日比谷航といって、わたしの婚約者なんです」
「婚約者……。あっ、そうなんだ」
なんとも微妙な空気に気まずくなる。少しの間があり、航がようやく声を発した。
「美織、戻るぞ」
「えっ、ちょっと! あ、あの、それじゃあ志摩さん、失礼します」
わたしのことなんておかまいなしに、航がさっさと歩き出すので、わたしは大慌て。それでも志摩さんはいつものように、「またね」と愛想よく言ってくれ、心からほっとした。
志摩さんにはあとでちゃんと謝ろう。そう思いながら、航のあとを追った。
0
あなたにおすすめの小説
身分差婚~あなたの妻になれないはずだった~
椿蛍
恋愛
「息子と別れていただけないかしら?」
私を脅して、別れを決断させた彼の両親。
彼は高級住宅地『都久山』で王子様と呼ばれる存在。
私とは住む世界が違った……
別れを命じられ、私の恋が終わった。
叶わない身分差の恋だったはずが――
※R-15くらいなので※マークはありません。
※視点切り替えあり。
※2日間は1日3回更新、3日目から1日2回更新となります。
結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。
絶対に離婚届に判なんて押さないからな」
既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。
まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。
紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転!
純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。
離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。
それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。
このままでは紘希の弱点になる。
わかっているけれど……。
瑞木純華
みずきすみか
28
イベントデザイン部係長
姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点
おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち
後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない
恋に関しては夢見がち
×
矢崎紘希
やざきひろき
28
営業部課長
一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長
サバサバした爽やかくん
実体は押しが強くて粘着質
秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?
美しき造船王は愛の海に彼女を誘う
花里 美佐
恋愛
★神崎 蓮 32歳 神崎造船副社長
『玲瓏皇子』の異名を持つ美しき御曹司。
ノースサイド出身のセレブリティ
×
☆清水 さくら 23歳 名取フラワーズ社員
名取フラワーズの社員だが、理由があって
伯父の花屋『ブラッサムフラワー』で今は働いている。
恋愛に不器用な仕事人間のセレブ男性が
花屋の女性の夢を応援し始めた。
最初は喧嘩をしながら、ふたりはお互いを認め合って惹かれていく。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない
如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」
(三度目はないからっ!)
──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない!
「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」
倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。
ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。
それで彼との関係は終わったと思っていたのに!?
エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。
客室乗務員(CA)倉木莉桜
×
五十里重工(取締役部長)五十里武尊
『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……
自信家CEOは花嫁を略奪する
朝陽ゆりね
恋愛
「あなたとは、一夜限りの関係です」
そのはずだったのに、
そう言ったはずなのに――
私には婚約者がいて、あなたと交際することはできない。
それにあなたは特定の女とはつきあわないのでしょ?
だったら、なぜ?
お願いだからもうかまわないで――
松坂和眞は特定の相手とは交際しないと宣言し、言い寄る女と一時を愉しむ男だ。
だが、経営者としての手腕は世間に広く知られている。
璃桜はそんな和眞に憧れて入社したが、親からもらった自由な時間は3年だった。
そしてその期間が来てしまった。
半年後、親が決めた相手と結婚する。
退職する前日、和眞を誘惑する決意をし、成功するが――
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる