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9.雨あがりの朝にもう一度
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あの日、わたしをアパートに送ってくれたあと、マンションに戻ってきた航のもとに雫さんが訪ねてきたそうだ。
突然の訪問に戸惑いながらも、航は彼女をマンションの外に連れ出し、近所のファミレスで話をすることに。職場で新人研修中の雫さんは、航に仕事のことで相談があるということだったらしく、航も断りきれなかったのかもしれない。
だけどそこで雫さんはコーヒーをこぼしてしまう。真っ白のワンピースを着ていた雫さんは、おそらく自分の服にわざとコーヒーをかけたのだろう。
「服を洗うために部屋にあげたんだね」
それで雫さんは航のロンTとスウェットパンツを着ていたんだ。
航はやさしいから、突き放すことができなかった。流されているとか、そんな単純なことじゃなくて。むしろあえて流されて、雫さんをなるべく傷つけないようにした。
「服を洗濯している間、雫に美織と結婚することを話したんだ。わかったって言ってたけど……」
だけど結局は傷つけてしまった。だってどれだけ誠意を尽くしたって、それは避けられないこと。
それでもわたしは航と結婚したい。誰かを傷つけても、航を誰にも渡したくない。
それは雫さんも同じ。どんなことをしても航を手に入れたかった。だからわたしにあんな嘘をついたんだ。
「あと、おそろいのマグカップ、壊してごめん。あのときびっくりして手が滑って……。今度の休みに、あれを買った店に新しいマグカップを買いにいこう」
「ううん、いいの。マグカップなら別なのがあるから」
「でもあれ、美織のお気に入りだっただろう」
「もちろん気に入ってたしショックだったけど。航がこうしてわたしと一緒にいてくれるなら、あのマグカップにこだわる必要はないから」
あのとき航に裏切られたと思い込んでいたから、思い出のものを壊されたことも許せないと思った。でも今はそうじゃない。怒りはもう消えていた。
「でもまた旅行にはいきたいな。航とあんまり行ったことないから」
「そうだな。ここ数年、旅行に行ってないもんな」
「航は出張であちこち飛びまわってるけどね」
すると航はなにかを思い出したように尋ねてきた。
「俺の鞄ってどこ?」
航は珍しく、大きめのショルダーバッグを持っていた。アパートの前で会ったとき、雨に濡れないよう妙に大事そうに抱えていた。
「なにか大事なものが入ってるの?」
ショルダーバッグを渡すと、航はなかから次々に台湾のお土産を取り出す。ドライフルーツ、マンゴープリン、ウーロン茶の高級茶葉。ほかにも、いろいろなお菓子がいくつも出てくる。
それらをわたしが床に並べた。
「こんなにたくさん……」
ほぼ絶縁状態だったのに。その間もわたしへのお土産を選んでくれていたのだと思ったら感激してしまって、全部ひとりで食べきろうと本気で思った。
「太っても責任取ってね」
「もちろん。美織の見た目が変わっても俺の気持ちは変わらないから」
そして航はわたしの左手を引っ張った。ベッドに、ということなのだろう。左手を取られたまま腰かけた。
「この先もずっと俺と一緒にいてほしい」
薬指にゆっくりと収まった指輪に、プロポーズされた日がよみがえる。あのときと同じ感動に包まれた。
「返事は? それとも考え直したいって思ってる?」
「違う、返事は決まってる。わたしの気持ちも変わらないから。航と結婚したい」
「ありがとう。一生、愛し続けるから」
愛し続ける──。
航が「愛」という言葉を口にすることはあまりない。だからこそ尊くて、頭のなかで何度も繰り返して、愛をかみしめる。
カーテンの隙間から、朝の光が部屋を照らしていた。二度目のプロポーズもやっぱり泣いてしまって、そんなわたしを航は笑った。
「笑うなんてひどい」
「笑ってないよ。うれしいなと思って。朝起きて美織がいてくれたからすごく安心したんだ。ここは美織の部屋だからいるのはあたり前なんだけど、ちょっと不安だったから」
「言ったでしょう。わたしはどこにも行かないよ」
「約束だからな」
「うん……」
見つめ合って、誓い合う。航の瞳のなかに欲情の光が宿り、お互いの顔がゆっくりと近づいた。
だけど、おでことおでこを突き合わせ、わたしが「やっぱり熱いね」と言うと、航は目を閉じてつぶやいた。
「もう限界」
わたしは思わずふき出した。
「寝ようか」
素直に従う航の頬を撫でる。航はそう時間を置かず、寝息を立てはじめた。
誰かを守りたいと今まで考えたことなんてなかった。人を愛するって、こういうことなのかもしれない。漠然とそんなことを考えながら、わたしはしばらくの間、航の寝顔を眺めていた。
突然の訪問に戸惑いながらも、航は彼女をマンションの外に連れ出し、近所のファミレスで話をすることに。職場で新人研修中の雫さんは、航に仕事のことで相談があるということだったらしく、航も断りきれなかったのかもしれない。
だけどそこで雫さんはコーヒーをこぼしてしまう。真っ白のワンピースを着ていた雫さんは、おそらく自分の服にわざとコーヒーをかけたのだろう。
「服を洗うために部屋にあげたんだね」
それで雫さんは航のロンTとスウェットパンツを着ていたんだ。
航はやさしいから、突き放すことができなかった。流されているとか、そんな単純なことじゃなくて。むしろあえて流されて、雫さんをなるべく傷つけないようにした。
「服を洗濯している間、雫に美織と結婚することを話したんだ。わかったって言ってたけど……」
だけど結局は傷つけてしまった。だってどれだけ誠意を尽くしたって、それは避けられないこと。
それでもわたしは航と結婚したい。誰かを傷つけても、航を誰にも渡したくない。
それは雫さんも同じ。どんなことをしても航を手に入れたかった。だからわたしにあんな嘘をついたんだ。
「あと、おそろいのマグカップ、壊してごめん。あのときびっくりして手が滑って……。今度の休みに、あれを買った店に新しいマグカップを買いにいこう」
「ううん、いいの。マグカップなら別なのがあるから」
「でもあれ、美織のお気に入りだっただろう」
「もちろん気に入ってたしショックだったけど。航がこうしてわたしと一緒にいてくれるなら、あのマグカップにこだわる必要はないから」
あのとき航に裏切られたと思い込んでいたから、思い出のものを壊されたことも許せないと思った。でも今はそうじゃない。怒りはもう消えていた。
「でもまた旅行にはいきたいな。航とあんまり行ったことないから」
「そうだな。ここ数年、旅行に行ってないもんな」
「航は出張であちこち飛びまわってるけどね」
すると航はなにかを思い出したように尋ねてきた。
「俺の鞄ってどこ?」
航は珍しく、大きめのショルダーバッグを持っていた。アパートの前で会ったとき、雨に濡れないよう妙に大事そうに抱えていた。
「なにか大事なものが入ってるの?」
ショルダーバッグを渡すと、航はなかから次々に台湾のお土産を取り出す。ドライフルーツ、マンゴープリン、ウーロン茶の高級茶葉。ほかにも、いろいろなお菓子がいくつも出てくる。
それらをわたしが床に並べた。
「こんなにたくさん……」
ほぼ絶縁状態だったのに。その間もわたしへのお土産を選んでくれていたのだと思ったら感激してしまって、全部ひとりで食べきろうと本気で思った。
「太っても責任取ってね」
「もちろん。美織の見た目が変わっても俺の気持ちは変わらないから」
そして航はわたしの左手を引っ張った。ベッドに、ということなのだろう。左手を取られたまま腰かけた。
「この先もずっと俺と一緒にいてほしい」
薬指にゆっくりと収まった指輪に、プロポーズされた日がよみがえる。あのときと同じ感動に包まれた。
「返事は? それとも考え直したいって思ってる?」
「違う、返事は決まってる。わたしの気持ちも変わらないから。航と結婚したい」
「ありがとう。一生、愛し続けるから」
愛し続ける──。
航が「愛」という言葉を口にすることはあまりない。だからこそ尊くて、頭のなかで何度も繰り返して、愛をかみしめる。
カーテンの隙間から、朝の光が部屋を照らしていた。二度目のプロポーズもやっぱり泣いてしまって、そんなわたしを航は笑った。
「笑うなんてひどい」
「笑ってないよ。うれしいなと思って。朝起きて美織がいてくれたからすごく安心したんだ。ここは美織の部屋だからいるのはあたり前なんだけど、ちょっと不安だったから」
「言ったでしょう。わたしはどこにも行かないよ」
「約束だからな」
「うん……」
見つめ合って、誓い合う。航の瞳のなかに欲情の光が宿り、お互いの顔がゆっくりと近づいた。
だけど、おでことおでこを突き合わせ、わたしが「やっぱり熱いね」と言うと、航は目を閉じてつぶやいた。
「もう限界」
わたしは思わずふき出した。
「寝ようか」
素直に従う航の頬を撫でる。航はそう時間を置かず、寝息を立てはじめた。
誰かを守りたいと今まで考えたことなんてなかった。人を愛するって、こういうことなのかもしれない。漠然とそんなことを考えながら、わたしはしばらくの間、航の寝顔を眺めていた。
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