斯波歩TL短編集

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もう戻れない(現代)

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 …………やってしまった。

 昨日は忘年会だった。課も年も関係なく無礼講の忘年会。いつもなら羽目なんか外したりはしない。
 だが、昨日は違った。
 私の隣には片思いの相手がいて、私の名前を知っていてくれていたのだと知った。そして、年甲斐もなく浮かれて大量のお酒を頼んだ。
 初恋ってわけでもないのに何を話していいかもわからず、ただお酒を煽って飲み続けた。別にお酒に弱いわけではないし、自分の限界だって心得ている。だが、そんなことさえも忘れて飲み続けた結果がこれ。

 私は今片思いの相手に初めて見る天井の下、ベッドの中で抱きしめられている。
 これは私の夢なのではないか。そう思いもしたが、確かに感じる自分以外の温かさとばっちり残っている私の記憶がこれが夢ではないことを告げていた。悲しいことにあれだけのアルコールを飲んだ私の記憶はしっかりと残っていたのだ。
 自分の醜態と他人に迷惑をかけてしまったこと。そのすべてを鮮明に思い出すことが出来る。
 私が自己嫌悪に陥っている中、ぐっすりと気持ちよさそうに寝ている彼が布団の中でもぞもぞと動き出した。

 もうすぐ起きてしまうかもしれない。そう感じた私のそれからの行動は早かった。
 床に散乱している自分の服を急いで身につけ、ほっぽり投げてあるカバンを中身も確認せずに拾った。腰が重くズキズキと身体が痛むことなんて無視をしてここがどこかもわからないまま私はその場を立ち去った。

 それからどうやって帰ったのかは覚えていない。必死で帰って気付いたら自分の部屋にいたのだ。

 ああ、私はなんてことをしてしまったのだろう。
 彼は会社の製作グループのエースで、私なんかの手の届くような人ではない。
 なのに、なのになんで彼は私を抱いたのか。
 その答えはきっとたまたま私がそこにいたからだ。だって社内外のいろんな女性にもてる彼は女性なんか選びたい放題で、何の特徴もなくて家族にすら「あんたはよくて中の下ね」と言われるような見た目の私を選ぶ意味などどこにもない。
 彼はたまたま私を抱いた。彼にとってはきっといつものことなのだろう。昨日だって、私を抱く手つきは手慣れたものだった。私に男性との経験があるわけではないけれど、そんな私にもわかるほどに彼は上手だった。

「初めては痛いのよ」――友人が言った言葉。
 そんなのは嘘ではないだろうかと思ってしまったほどだったのだから。

「明日からどうしよう」
 今日は休日だが、明日からはまた仕事だ。彼にどんな顔を見せればいいのか、なんて思ったりもしたがきっと彼は覚えていないだろう。
 たまたま私だっただけ。
 今までたくさん抱いたうちの一人。
 だったら時期に忘れる。いや、私のことなど覚えてないかもしれない。私の記憶では彼は相当酔っていた。そうだ、彼は酔っていた。私に「愛してる」と言ってしまうほどに。
 まあ、その言葉を聞いたせいで拒めなかったっていうのもあるけど。

 きっと彼は覚えていない。
 そうだ、覚えていないに違いない。私さえ何も言わなければわかるはずもない。
 そもそもよく考えてみれば一般事務の私と製作グループに所属している彼が会うことなど約束でもしていない限りそうそうないものだ。
「なんだ、悩むことなんかないじゃない!」

 そう自分に言い聞かせながら、もうごまかすことはできない腰の痛みを和らげるため温かい湯につかるのだった。


 ** *
「白鷺さん」
「ひっ」
 ここは庶務課。製作課の2階上にある。
 そんなところに颯爽と現れ私の名前を呼んだのは、製作課の神崎だった。

 先日の出来事もあるが、何より女性人たちの目が怖い。
 久々に獲物を見つけたオオカミのように鋭い目つきだ。
 ライオンなんて言わない。彼女たちは皆、群れているようで獲物が来たら我先にと仲間ですら何食わぬ顔で蹴落としていくのだから。
 今の私の状況がそれだ。
 今まで私なんか敵でもないと思っていたのであろう、隣の席の同僚は今にも食い殺さんという目つきでこちらを睨んでくる。
「今日の夜、ちょっといいかな? 話、あるんだけど……」
 彼のその言葉でさらに彼女の目つきが鋭くなったのは言うまでもない。

「は、はい……」
 断れるはずもなく、そう返事をした私は朝礼からわずか1時間足らずで今日一日の就業時間全てを針の筵で過ごすこととなったのだった。


「それで話ってなんですか?」
 就業後、彼の後を無言で着いていくと辿り着いたのは駅から少し離れた、路地裏の居酒屋だった。
 月末の今日はどこの居酒屋も満席だろうが、ここはちらほらと空席が見える。知る人ぞ知る穴場といったところだろう。
 そんなところに連れ込むとはまさかこの前の醜態の口封じとか?
 悪い想像が一瞬で頭の隅から隅を駆け巡る。

「この前、返事聞く前に帰っちゃったからさ。聞かせてもらおうと思って」
「返事……とは?」
「俺、中途半端なのは嫌いなんだ。イエスかノーのどちらかで答えてほしい」
「いや、だから返事って何のことですか?」
「え? もしかして記憶……ない? 参ったな。だから逃げられちゃったのか……」
「神崎さん?」
「白鷺さん、愛しているので俺のお嫁さんになってください!」
「初耳ですけど!?」
 あの日の記憶はある。忘れたいことまではっきりと残っている。
 だが、その記憶にそんなプロポーズまがいのものはない。
 というか付き合って何年目かの彼氏ならともかく、ほぼ接点のない憧れの人兼片思いの相手からいきなりそんなこと言われたら、どんなに酔っぱらってようとそんなの忘れるわけないでしょ!

「忘れてるだけだって。で、答えは?」
 どうやら彼はそのまま突き通すつもりのようだ。
 私ももう20代後半。高校時代の友人も大学時代の友人も絶賛結婚ラッシュ中である。

 結婚は、したい。
 神崎さんのことを好きかと聞かれると、好きだ。
 だが今となってはそれは果たして憧れなのか恋なのかわからずにいる。

 純度100パーセントを装った笑顔で、結婚を迫ってくる彼を愛せるのか。

 答えはノーだ。

「ごめんなさい」
 結婚なんて一大イベントを決心するには私はまだ彼のことを知らなさすぎる。

「そっか……。ならイエスって言うまで頑張るだけだね」
「え?」
「お勘定、ここに置いておくね」
「はいよ」
 お財布から一万円札を一枚、机に置くと神崎さんは私の手を引いて店の外へと出ていく。

「いやぁ、この店にしておいて良かったよ。イエスでもノーでも家は近いほうがいいからね」
「え?」
 不穏な言葉を口にした彼は慣れた足取りで、先日テレビで特集していた高級高層マンションへと入り込む。
 真黒なカードをエレベーターの入り口にかざし、私の僅かな抵抗を無視してエレベーターは上昇していく。

「さぁてと、子作りしようか」
「な!?」
「子供ができたら真面目な白鷺さんは結婚してくれるって信じてるよ」
 そして彼はドアが開く直前、強引な息苦しくなるキスをした。
 酸素は奪い取られ、入り口がふさがれているせいでまともに入ってさえ来ない。
 角度を変えるたびに深まるキスに、彼の表情も楽しいものへと変わっていく。される私はたまったものではない。
 身体に力を入れることすらままならず、手近な彼へと手を放した瞬間、記憶は途絶えた。



「…………ん、ぁぁん」
 目が覚めるとすぐに最近になって初めて感じたあの感覚が身体を襲った。
 今までに感じたことのないような、我をも簡単に手放してしまう『快感』。

「ねぇ、気持ちいいでしょう?」
 私の下の口を好き勝手に貪る彼は大きなモノを突き刺しては抜きを繰り返しながら笑った。
 私が意識を手放してからもうどのくらいの時間がたったのかはわからない。
 けれど彼の額にうっすらと浮かび上がった汗と、見ずともわかる私に放たれた彼の精がもう戻れないことを告げていた。
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