斯波歩TL短編集

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駒(異世界西洋)

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 ドン――

 か弱いふりをしていても制服の下にはがっしりと鍛え抜かれた筋肉を隠し持っていることを私は知っている。
 フローラがよく身を包んでいる、ふわふわひらひらのフリルをふんだんに散らしたドレスは、学園内のご令嬢及びご子息たちを誘惑している。けれどそれは筋肉がつきすぎて太くなった二の腕や広めの肩幅を隠すためであって彼女が好き好んできているわけではない。
 むしろ彼女の服の趣味は非常にシンプルな装飾を一切取り払ったもので、庶民の男性が着ているような服を着てみたいのだと、農業や狩りに出る人たちの服には一切の無駄がないのだとキラキラした瞳で空を見上げて語っていた。

 いつかその服に身を包んで、猟銃を携えて森を駆け巡りたいのだと。

 そんなフローラにケガを負わせる方法などもうこれくらいしか残っていなかった。
 既に実行した、通り魔を装った犯行も、事故に装った全ては彼女の手によって台無しにされている。

 どうか、今度こそは……。
 最後の願いを込めた、汗のにじんでべとついた手は予定よりも力が入り、強く押しすぎたと気付いたのはフローラが落下し始めた時のことだった。

 いつもよりも時のながれを緩やかに感じながら、落ちていくフローラを階段の一番上から眺める。

 今は使われていない西棟の片隅の階段。
 こんなところに来る生徒なんて私と、私に呼び出されたフローラくらいしかいない。
 フローラの取り巻きも今頃、いつまで経ってもローズガーデンに帰ってくる様子がないことをいぶかしく思うことだろう。
 私が呼び出したと気付かれてしまうのも時間の問題だ。
 けれど彼らが気付いた頃にはフローラは大けがを負っていて、とてもではないが取り巻きの令嬢たちが望むような『奥様』になんかなれやしない。

 踊り場に落ちたフローラは必至で犯人を捉えようと目で追う。
 そして私と目が合ったその瞬間に彼女は安心したように優しい笑みを残し、意識を手放すようにゆっくりと瞼を閉じた。


 私、クロナ=ランドはランド公爵家の三女として産まれた。
 だが父も母も、兄や姉たちですら私に興味は示さなかった。
 私に寄せられるのは愛情ではなく、他の家からのご機嫌伺ばかり。
 それも歳を追うごとに私なんかにすり寄ったところで意味はないと悟ったのか、手短に終わらせられる。

 産まれた時から私に求められているのはランド家の駒として生きること――ただそれだけだった。
 私はキングでもクイーンでもない。ポーン。捨て駒だ。ビショップにすらなれはしない。

 兄は国有数の名家のご令嬢と6歳の時に婚約を結んだ。
 そして姉はそれぞれ公爵家長男と婚約を結んだ。

 私は……誰とも結ばなかった。
 私はポーン。いつか必要になったときに使うからその時まで取っておかれる。

『とっておきは最後に取っておく』という人もいるそうだけど、そんなことしたらランド家にとっての優良物件は他の家の人たちに取られてしまう。
 だから残るのはいざって時にすぐに手放すことができ、なおかつ売れ残っても問題のない、私のようにこれといった特徴のない子なのだ。

 私は兄や姉たちみたいに期待はされない。興味も持たれない。
 それでも期待された他の兄弟たちと同じ学校に通わせるのは一定の学力と学歴を身につけさせるため、そして私に恩を売るため。
 だからいざというときは自分を捨てろ――と。

 これはかすかにでも残った家族愛などではない。

 困ったときには従順な駒となるように、そのための投資なのだ。
 私はそれに逆らわない。
 産まれた時から決まっていたことで、何より私は他に生きる術を知らないのだから。


 だから、兄や姉たちが婚約を結んだ相手よりもさらに格上のスラッド家の次男が私との婚姻を望んでいるときは驚いて声をあげた。
 ふぇ……って。馬鹿みたいな声。
 実際に母は蛇みたいな目で私をにらんだ。

 とっさに声がこぼれた口を押えた私は冗談じゃないかと、夢じゃないかと疑った。
 次男とはいえ、スラッド家といえばランド家の手の届かない、王族を何度か迎え入れている由緒正しき家柄である。

 はっきりいってランド家とは格が違うのだ。

 兄は白けた顔で見ているのも、上の姉が蛇のように威嚇してくるのも、下の姉がギコギコと行儀悪く、恨みったらしく音を立てながらステーキにナイフを立てているのも仕方のないことだ。

 私はポーンで、この家にとっての捨て駒だ。
 とてもじゃないがそんな家とは関係を持つことはできない。

 だからこそゆっくりと手の間に隙間を作って弱弱しく声を上げる。

「お父様、私……」
「クローラ。この機会を無駄にはするな。何が何でものスラッドのご令息を手放さないように。わかったな?」
 けれどそれさえも、ほとんど私に目線すらくれることのない彼女の父に視線を向けられれば引っ込んでしまう。
 その目は他の四人なんて比べ物にならないほどに、背筋が凍るほど冷たい視線だった。

 弱音を吐くことはおろか、失敗など許されない――私は瞬時にそれを悟った。

 そして私は私なりに、ポーンなりに頑張った……なのに彼女は、フローラ=スプリングスは突如として私の前に現れた。

「フローラ=スプリングスです」

 名は体を表すというが、私は彼女ほどその名前がよく似合う人を、春のように明るく元気に笑う女性を見たことがなかった。
 そして私のような捨て駒に手を伸ばして、一人の『友人』として扱ってくれる人も。

 だから私はフローラに強く惹かれた。
 けれど彼女に惹かれるのは当然、私だけではなく、ドレスを翻すたびに、その笑みを向ける度に男女問わず、フローラの魅力に吸い寄せられた。

 そして私の婚約者であるザッグ=スラッド様もその一人であった。
 ザック様は家柄がいいのはもちろんのこと、頭も運動神経もこの学園の5本の指に収まるほどの実力を持っている、私の婚約者としては素晴らしいお方である。

 そんな彼は私の家族の誰よりも高慢で、女性を都合のいいおもちゃか何かにしか思っていないような男であると、この5年間で私は嫌というほど理解させられていた。
 彼の退屈しのぎに夜会に一人で参加させられたことも、彼の友人のご令嬢方の嫌がらせを受けたことも一度や二度ではない。

 だが私はザック様がどんな人間であろうとどうでも良かった。
 彼の婚約者でいられさえすれば、それで……。


 けれどある日、ザック様はいつものように大きなソファが一つだけの、人を応対することを一切視野に入れない部屋に私を呼び出して言ってみせた。
「フローラ=スプリングスを俺のおもちゃにしようと思う。そしたらお前は、用なしだな」――と。

 その時の私の頭によぎったのは、ザックに婚約破棄をされて家族全員にさげすまれるであろう恐怖よりもフローラのあの綺麗な笑みが歪むことへの恐れだった。


 こんな私ですらザック様のおもちゃとして5年間も隣に置かれ続けたのだ。

 だがフローラは?
 あの春のように美しいその少女はどうなってしまうのだろう?

 だから私はザック様がこの学園を卒業する2カ月の間だけ、フローラが彼の前に姿を現さないように怪我をさせて休学させようとした。

 ――それも失敗続きで、ついに昨日ザック様がフローラを空き教室へと連れて行こうとしていたところを目撃してしまって、気がせいてしまったのだろう。

「フローラ、ごめんなさい。私、あなたがザック様の婚約者になることが許せないの」

 重力に従って落下し、そのまま階段の踊り場に身体を叩きつけられ、動かなくなってしまった友人に自分勝手な涙を落として私はその場を立ち去った。

 早くフローラの取り巻きが彼女を見つけてくれることを願いながら。



 それからフローラ=スプリングスは学園から姿を消した。
 風に乗って流れてきた噂によると『何とか一命はとりとめたが、もう歩くことすらできない』ということだった。

 いつかフローラが望んだ『猟銃を携えて森を駆け巡りたい』という夢はもう二度と叶わなくなってしまったのだ――私の身勝手な行動で。


「フローラ、フローラ……ごめんなさい、ごめんなさい」

 ふんわりと翻るドレスを見るたびに、彼女と同じ金色の髪を目にするたびにフローラへの罪悪感がこみ上げて私を侵食する。
 目をふさぎ、罪悪感から逃れるようにその場にしゃがみ込んでしまう私が夜会になど出られるはずもなかった。

 そんな私にザック様が手を差し伸べた。
「替えのおもちゃを壊したのだからお前が今後も俺のおもちゃを務めろ」――と。

 それは救いなどではない。
 けれど私は自分の罪から目を逸らすためにその手を取った。


 ザック様が卒業すると同時に私は彼の妻となった。

「学園も茶会も夜会も出なくていい。お前はこの屋敷で俺の子を孕んでさえいればいいんだ」
「はい、ザック様……」

 ザック様は昼夜問わず私に触れ、耳元で何度も子を成せと繰り返しながら私の中に種を注いでいく。
 物好きなザック様以外こんな私を望むわけがないと知りながら、私が果てる直前、決まって彼は私の身体に所有の証のような痕を残して一人満足げに笑うのだ。



 ** *
 とある山中の小さな小屋で狩人のような服に身を包んだ女と、木を組んで作ったロッジには不釣り合いなほど高価な装飾品を身に着けた男が向き合っていた。

「クロナが私の子を孕んだ」
「どうせ仕事以外はずっと抱きつぶしているんでしょ?」
 わざわざ遠方まで足を運んだその男が自慢げに話すその言葉に女は呆れたように大きくため息を吐いた。

「ああ、もちろんだ」
「あの子も災難よね。こんな独占欲の塊みたいな男に目を付けられちゃって」
「なんとでも言うがいい。俺はクロナが俺だけを見てくれるように最善を尽くしただけだ」
「だからって普通、私みたいな暗殺者を雇って殺されるマネなんてさせる? 婚約者なんだから後少し待てば手に入ったんでしょ?」
「だがそれではいつまでもクロナは俺を見てはくれない」
「何それ?」
「俺は最初からチェスの駒なんかになるつもりはないってことだ……そろそろお暇することにしよう。屋敷で妻が待っているんでな」
「子どもが生まれたら写真くらい見せてよ。クロナは『フローラ』の唯一の友人なんだから」

 たった数カ月だけ『フローラ』という名前を名乗っていた元暗殺者の女は、息もつかせぬほど重い愛を妻に抱えさせる男を玄関まで見送ると、鉈を手に森の中へと足を進めた。

 数か月後に男が自慢げに持ってくるだろう、フローラの友人が産んだ赤子の写真を飾るための写真立てを作るために。
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