天色の遺言書

古海彰

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第一部 五

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「遥ー! 早く準備しなさーい! 今日は日和ちゃんと一緒に遊園地行く日でしょー?」

「今準備してるよー!」

 有馬は今日、待ちに待った遊園地の日だというのに寝坊をしていた。

 小学五年、時期的に受験が始まるので、実質的に小学生最後の遊べる夏だ。その夏に、有馬は日和と遊園地へ行く約束をしていた。

 日和の父親は大学で授業を教えなくてはならないので、保護者として有馬の母親である恭子が着いていくことになった。

「よし、じゃあ出るわよー」

 外に出ると蝉の騒々しい鳴き声が一斉に耳を襲った。

「あ、おばさーん。おはようございまーす」

「あら、もう来てたの? お家の中で待っててくれてよかったのに」

「いえいえ、私も準備終わっちゃって暇だったので」

「ごめんねー。遥の準備が遅くって。この子ったら今日寝坊しちゃったのよ」

「母さん! 余計なこと言うなよ!」  

 日和は有馬と恭子のやり取りが面白かったのか、ふふっと笑って見せた。

「じゃ、早くいこうか。遥、日和ちゃん!」

 遊園地は家から車で丁度一時間程度の場所にある。

 車はAIが全自動で運転してくれる。その為運転手は、事故が起こらないように時々周囲をチェックをしていればいいだけだ。

 夏だというのに車の中は快適だった。外の五月蝿い蝉の鳴き声も聞こえない。ただ、有馬が気になることといえば、日和が隣の席に座っていることだけであった。

「ねー遥ー。なんかしりとりとかしよーよ」

「あぁ? なんでそんな子供っぽいことしないといけないんだよ」

「あんたまだ小学生でしょ? まだまだ子供よー」

「母さんは黙ってて!」

「はいはい」 

「てかなんで母さんも来るんだよ!」

「はいはい」

 有馬は恭子に揶揄されたのを恥ずかしがり、日和とは反対の窓の方へそっぽを向いた。 

 有馬は最近になって女子というものを意識していた。女子と一緒に出掛けることが学校の皆に知られたら絶対にからかわれるに決まっている。しかも母親も一緒ならなおさらだ。

 思春期に突入しようとしている有馬にとっては、この二人と出掛けるのはあまり好ましく思っていなかった。

 ただ、それとは裏腹に楽しみにしていたのも事実である。

「遊園地着いたら何乗ろっかー。遥」

「んー? 何か水に突っ込むジェットコースター」

「なんだー! ちゃんと調べてきてんじゃん」

「う、うるせーなー。日和みたいにそんなウキウキじゃないし!」

「あら? 遥、昨日パンフレット見てこれ乗りたいー、とか言って楽しみにしてたじゃない」

「そーなの?」

 日和がそのいじわるそうな顔をニヤニヤさせて聞いてきた。

「そ、そんなわけねーし!」

「ほんとかなー?」

「う、うるさい!」

 有馬はまた窓の方へそっぽを向いた。窓ガラスに反射した恭子の顔もまた、日和と同じような顔をしていた。

「そろそろ着くわよー。降りる準備しときなさい」

「はーい!」

 日和は元気に返事をすると脱いでいたサンダルを履き、日焼け止めを塗り始めた。

 それから五分くらいで車は遊園地へと到着した。

 遊園地に着くと丁度、この遊園地の名物であるパレードが始まる時間だった。

「わあ! 丁度パレードが始まるよ! 観ようよ!」

 日和はそう言うと走って、パレードを間近で観れる前列のスペースを確保した。

 それに連れて有馬と恭子は日和のいる場所へ駆け寄った。

 パレードが始まると何をモチーフにしたのか分からない、動物ともなんとも言えない気味の悪い生物の着ぐるみが、愉快な音楽と共に行進を始めた。

「うわー! かわいいー!」

「え……。 あれかわいいか?」

「かわいいよー!」

 有馬には日和の感性を理解することができなかった。何が可愛いのかさっぱり分からない。

 日和は無我夢中で携帯のシャッターを切っていた。

 有馬も記念に一枚、写真を撮ることにした。

 写真には熊のような、ネズミのような生物が手に斧を持っているのが写っている。

「きゃー! かわいいよー!」

 有馬にはやはり、女子の考えることは分からない。 

 パレードは三〇分程度で終わった。

「日和ちゃん! 遥もお腹空いてるでしょ? お昼にしよっか」

 三人はハンバーガーの店を見つけると、その店に入っていった。

「どの店も混んでるわねー」

 スマホを見ると、時刻は十二時三〇分を示していた。

「お母さんが並んで買ってくるから、二人は席取っといてくれる?」

「分かった。日和行こーぜ」

「うん」

 二人は人の居ない角の席を見つけ、そこに腰を掛けた。

「ねーねー。ご飯食べ終わったら、わたしこのアトラクション乗りたい!」

 日和が指を指しているそのパンフレットには、日本一恐いジェットコースター、と書かれていた。

「お、おいおい~。日和大丈夫かよ~」

「何がー?」

「何がって……。日本一恐いって……」

「え? 楽しみじゃーん!」

「……」

「も・し・か・し・て、恐いの?」

「そ、そんなわけねーじゃん!や、やだなー」

「ほんとー?」

 日和は行きの車のときと同じ顔をしている。

「嘘じゃねーって! そ、そう言う日和こそ恐いんじゃねーの?」

「わたしは恐くないよー!」

「ほ、ほんとかよー」

「そういえば遥、ずっと前に遊園地行ったとき、小さいジェットコースターでも号泣してたよね」

「うっ……!」

「もう大丈夫なの?」

「……」

 有馬は何も答えることができず、俯いてしまった。すると後ろから恭子の笑い声が聞こえてきた。

「懐かしいねー! 遥、昔はジェットコースターとか無理だったわよねー」

「か、母さん!」

「はい! じゃあ食べましょっか!」

「……」

 有馬は乱暴にハンバーガーを鷲掴みにすると、それを一気に口に運んだ。

「うっ……ゴホッゴホッ!」

「こら遥、そんな風に食べない!」

 恭子が思わず注意をする。

 有馬が咽せ反っているのを横目に、日和は相変わらずニヤニヤしている。

 有馬は涙目になりながらもそのハンバーガーを完食した。二人ももう食べ終えているようだった。

「さて、夜の花火イベントまでまだ時間あるわね」

「わたし、この一番恐いの乗りたい!」

「お、おい。それはやめとこーぜ……」

「えー? なんでよー! あ、もしかしてまた恐くて泣いちゃうのが嫌だから?」

「んなわけあるか! いーよ、さっさと行こーぜ!」

 有馬はすぐに席を立ち、店を出ていった。二人もそれに着いてきた。

「これが日本一恐いジェットコースター……」

 有馬はゴクリと唾を飲み込んだ。

「嫌なら乗らなくてもいーんだよー?」

 日和が横から煽ってきた。

「あぁ? 全然恐くねーし!」

 ここまで来たら引き返すに返せない。有馬は覚悟を決めた。

「こちらのアトラクション、身長が一四〇㎝に届かないお客様は制限がありますので、乗れないのですが……」

 有馬はすぐに横の身長計で身長を測った。一四五㎝であった。

「俺は大丈夫だな」

 続いて日和が身長を測ると、身長計の針は一三九㎝を指していた。

「あれ、わたし乗れないや」

「え? もう一回測り直せよ」

 日和はもう一度測り直したが、数字は変わらなかった。

「残念だなー遥ー。わたしの分まで楽しんでね!」

「え?」

「日和ちゃん一人にするわけにもいかないから、遥一人で乗ってくれる?」

「ち、ちょっと待って! じゃあ俺も──」

「では、そこの男の子一名ですね。こちらへどうぞ」

 有馬はガイドの人の、半ば強引な案内に促されるままにジェットコースターの椅子に座った。ガイドの人が安全バーを下げる。 

「では、楽しい宇宙旅行に行ってらっしゃいませ!」

 満面の笑みを浮かべガイドの人は手を振っていた。

 ジェットコースターはゆっくりと動きだし、静かに有馬を地獄へと送り出した。

「あ! おかえりー!」

「……」

「大丈夫? 顔白いよ?」

「……」

「あ、遥が楽しんでいる間、次乗りたいの決めてたの! 次は遥が乗りたがってた水に突っ込むやつ!」

「……日和、花火始まるまであとどんくらい?」

「そーだなー、アトラクションだとあと五、六回は乗れるよ!」

「あぁ……」

「よーっし! 次いこ次ー!」

 有馬にはもう、日和を引き止める言葉を発することすらできなくなっていた。

 有馬はその後のアトラクション全てを、完全に生気のなくなった顔で乗った。

 花火が始まる時間になると、有馬は喋れるくらいには回復していた。

「もうすぐだねー! そろそろ広場に行こっかー!」

 有馬達が中央の広場に着く頃には、既に人だかりができていた。

「人多いな……」

「遥、お母さんちょっとトイレ行ってくるから、そこで待っててね」

「んー」

 有馬は周りを見渡した。カップルで来ている者、家族で来ている者や一人で来ている者もいる。

 友達にでも会って見られたらやだな。有馬がそう考えていると、クラスの男子が歩いているのが目に入った。

 日和と二人で居るところを見られたら、何を言われるか分からない。

「日和、俺もトイレ行ってくるからここで待ってろ」

「うん」

 有馬はすぐにトイレに駆け込んだ。幸い、あの男子には見られていないようだった。トイレの近くには別のフロアへ通じる道があった。

 五分くらい経ち、有馬はもといた場所へ戻った。しかし、そこには日和の姿が無かった。

「あれ? 日和ちゃんは?」

 丁度恭子もトイレから帰ってきた。

「い、居ないんだ」

「二人で待ってたんじゃなかったの?」

「いや、あのあと俺もトイレに行ったんだ。そしたらその間に……」

「ならすぐに探さないと! 遥、携帯の充電は?」

「まだある!」

「じゃあ、手分けして探すわよ! 何かあったらすぐに連絡すること。十五分後にもう一回ここに集合ね」

「わ、分かった!」 

 有馬はすぐに走り出した。

 遊園地内は広い。一周しようと思うと、軽く三十分はかかる。日和がいなくなってからまだ十分も経っていない。まだ近くに居るはずだ。

「日和ー! 居たら返事してくれー!」

 有馬は掃除をしているキャストを見つけると、日和を見なかったかどうかを聞いた。

 それらしい女の子は見ていないという。

「くっそ! どこ行ったんだ?」

 有馬はもう一度、もといた場所に戻ることにした。俺の下らないプライドのせいで日和がいなくなったと、有馬は自責の念に負われていた。

 中央の広場に戻ると、恭子も戻ってきていた。

「こっちは居なかった」

「こっちもダメね」

 有馬はさっきのトイレの付近にもうひとつ、道があったのを思い出した。

「母さん! トイレの近くって調べた?」

「いや、調べてないけど……」

「行ってくる! 母さんはそこで待ってて!」

「ちょっと、遥!」

 有馬はさっきのトイレめがけて走り出した。ごった返す人混みを避け、中央の広場を抜けるとトイレに到着した。

 さっき見つけた道を進むと、ベンチが並んでいた。その並ぶベンチの一番端っこに、一人の少女が座っていた。

 そのベンチに近づくと、少女のすすり泣く声が聞こえてきた。

「日和……。俺が来たから、もう大丈夫だから……」

「遥?」

「うん」

「遥ー!」

 日和は有馬が来て安心したのか、一気に泣き始めた。有馬は日和が泣き止むまで横に座ることにした。

 日和は十分くらいで泣き止んだ。

「なんであそこ離れたんだよ。待ってろって言ったろ?」

「だって、一人は寂しかったから……」

「だからってなー……。まあ、今回は俺も悪かったよ」

「なんで?」

「なんでもだ」

「ねえ、なんで?」

「ど、どうだっていーだろ」
「むー」

 日和は頬を膨らませて不機嫌そうにした。

「でも、助けてくれてありがとう……」

「あぁ」

 中央の広場の方を向くと、大きな花火が打ち上がっていた。人々の歓喜の声が聞こえてくる。

「わたし、遥が来てくれなかったら……」

「……?」

「遥はずっとわたしのこと、助けてくれる?」

「ん?」

「遥は、わたしが助けてほしいとき、絶対に駆けつけて来てくれる?」

 日和は小さな声で有馬に尋ねた。

「当たり前だろ……。俺ら幼馴染みだし、それに──」

 何かを言いかけたとき、有馬の胸が急に締め付けられるように痛み始めた。

「遥? 顔赤いよ?」

「と、とりあえず! 日和に何かあったら俺がぜってー助けてやるから、だから……だから日和は心配すんな!」

 有馬はそう言って日和の手を引っ張った。有馬がさっき言おうとしていた言葉。とっさに喋っていたせいか、すっかり忘れていた。そのときの胸の痛みの原因を有馬はまだ知らなかった。
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