あやかしの髪結い処 〜北鎌倉あやかし日誌〜

泥水すする

文字の大きさ
32 / 44
第六章 雨に濡れた髪

しおりを挟む


 俺は人で溢れた小町通りを逆行して、鎌倉駅へと戻っていた。そして人混みを掻き分け進むことしばらく、鎌倉駅のホームが見えてくる。駅前もまた旅行ツアー客やら髪色の激しい外国人たちで溢れかえっていた。

 と、その中に。

「今更なにそわそわしてんだか」

 めかし込んだ蘭子が、まわりをキョロキョロしながら落ち着かない様子で佇んでいた。気分はすっかりデート気分なのか、緊張具合が遠くにいる俺にすら伝わってくる。

「大吾、デートの場所は龍之介さまに言わないでね。あんたも絶対ついてきちゃダメだからね。いい? 約束よ!」と、今朝方そんなことを言ってきた蘭子の言葉を思い出す。だったら俺に言うなって、あいつは妙にバカ正直だ。

 俺は蘭子にバレないよう、小町通りを出てすぐのアーチ付近に隠れその様子を伺うことに。確かデートの約束は十三時。もうすぐ蘭子みたいな変わり者を好いた男が現れる頃合いだろう。

 こうしていることに、特に深い意味はなかった。ただ小さい頃から蘭子を見てきた身として、その成長ぶりくらい見届けてやろうかという老婆心から。あとはそうだ、ついで。賢一の野郎と話すのもこれで最後になるだろうから、そのお別れついでだ。

 賢一は、相変わらずの能天気野郎であった。ただそうだな、賢一とは昔からそういう奴だった。

一緒に歩いているのに一人だけ迷子になっていて、慌てて探し回れば駄菓子屋の婆さんと仲良く茶菓子を食っているような、とにかく掴み所のない男だった。

 涼子はそんなにも危なっかしい賢一のことを、いつも口うるさく注意していた。だが、それもそのうちなくなった。多分、賢一にはなにを言っても無駄だと悟ったのだろう。

 そしてある日、こんなことを言い出したのだ。

「もう、賢一には私がついてないとダメね」

 俺は大ちゃんで、あいつは賢一。その呼び方からしても、涼子があいつのことをどういう感情で見ているのか、子供ながらにも分かってしまっていた。

 昔は、賢一みたいな甲斐性もない奴のどこに惚れたんだって納得がいかなかったが、今ではそれもない。

 賢一は、とにかく優しい。邪気なんてものがまるでない、優しさの塊のような男だ。あいつは人だとかあやかしだとか、そういう差別を一切しない。そんな賢一の優しさに、涼子は次第に惹かれていったのだろう。

 しっかり者の涼子と、危なっかしい賢一。実にお似合いのカップル。そんなことは俺が一番理解している。だったらもういい。俺は幼馴染として、あいつらの結婚を祝福するだけ。

 問題は、蘭子だ。

 涼子の結婚で一番気に病んでいるのは、多分あいつだ。表情には出さないが、きっとその心は泣いているのだろう。昔から蘭子のことを見てきた俺だから、そのことは我が事がのように理解できた。なにより、あいつは涼子と賢一のことが大好きだったからな。

 今回のデートにしたってそうだ。あの蘭子が、単に相手の男が気になるからという理由だけでこんなことするわけない。

 あいつはきっと、二人に見せたかったのだろう。もう自分は大丈夫だって、二人がいなくてもちゃんとやっていけるからって。

 だから、俺たちを頼ってきたのだろう。

「ったく……世話が焼ける」

 この俺が誰かのためになにかしてやるなんて、マジであり得ない事態だ。これも全ては龍之介のせい。あいつが来てからというもの、俺の日常は180度がらりと変わってしまった。

 本当に、面倒だ。人のためになにかするってのは、これが結構骨が折れる。ただ、それで喜んでいる奴を見ているのは、存外悪い気もしなかった。そう意味では、賢一が言ったように俺は変わってしまったのかもしれない。

「(なあ桐枝、あんたが言いたかったのは、こういうことなのか?)」

 今では、その返事も聞けない。だが今度墓参りに行くときは、伝えてみようと思った。なんだったら今日あたりにも。デートへ向かう蘭子を見届けたあとにも、龍之介でも連れて行ってみようか。あいつは嫌がるかもしれないが、そこは店長命令というやつだ。

 それに、桐枝の忘れ形見を持っているのは龍之介だしな。その報告も兼ねて、連れて行ってやるのだ。そして、言ってやるのだ。

 いろいろと遠回りしちまったが、今では龍之介と二人、なんだかんだ上手くやってるぜって。
 そんな、報告を、この後にも──

「うわっ、あいつマジで来てるし」

 その声は、俺のすぐ真横から聞こえてきた。見ると、高校生くらいの数人の男女であった。そう言えば、高校はもう冬休みに入っているのか。どうりで今日はガキが多いわけだ。

 にしても、遅い。時間は既に13時を過ぎているのに、蘭子は相変わらず一人待ちぼうけ状態だ。デートの約束すら守れないとは、男の風上におけない。これが少女漫画だったら、別の男に掻っ攫われてもおかしくない場面だが。

「てか、あいつなんかいつもと違くね?」

「うわっ、マジだ。あれじゃん。あいつ、本気で武史とデートできるとか思ってたんじゃない?」

「うっわー武史、お前最低だな。いくら遊びだったにしてもやり過ぎだろー」

「あーあ、今回の賭けは武史の一人勝ちかー」

 ガキたちのよく分からない会話が、やけに耳障りであった。

「やっぱイケメンずるいわ、モテない女キラーかよ。武史、お前これで何人目なの?」

 そう言ったチャラチャラした男の一人が、半笑いで後ろに立つ男へ話しかける。どうやら、そいつがその武史というやつらしい。黒髪のマッシュルームカット頭の、いかにも好青年っぽい男であった。

「さあ、忘れた」

 武史というやつは、あっさりとそう言い捨てた。その瞬間、周りにいた男女たちがゲラゲラと下品な笑い声を上げる。

 そして、俺は聞いてしまう。

「で、武史どうすんのー? 蘭子のやつ、本気にしてるっぽいけどー。なんだったら、あたしがうまく誤魔化してこよっかー?」

 ?

「いや、いい。俺が行ってくるわ」

「うわっ、調子いいなお前! 昨日は散々『だりぃ』とか言ってたくせに」

「まさかあんた蘭子に惚れたとか。彼女いるくせに、ウケる」

 ???

「遊ぶくらいなら別にいいだろ。それにもう今の彼女は興味ないし。しばらくは蘭子で我慢するわ。じゃ、今夜にでも事後報告するわ」

 それだけを言い残し、武史という男が蘭子へ向かって歩き出していく。

 頭が、激しく倒錯する。

 蘭子って、誰だ? 少なくとも、俺の知る蘭子ではないだろう。俺は切にそれだけを願う。だが、そんなにも都合良く物事は進まない。その武史ってやつの足は、真っ直ぐと蘭子に向かっていた。

 だったら、まさか──

「(……蘭子は、騙されていた?)」

 ようやくその結論にたどり着いた時、ふと、蘭子の幼き頃の姿が脳裏をかけ過ぎっていた。

 それは、蘭子が生まれて間もない頃の記憶だ。蘭子をあやす涼子が、「そっと、優しくね」と微笑みながら蘭子の小さな体を渡してくる。当時まだ小学生だった俺は、その壊れそうなくらい柔らかい蘭子の体を、言われた通り優しく抱いてみた。その途端、蘭子がいきなり泣き出した。すると雨が降り出してきた。

「ふふ、大ちゃんの顔が怖いって」

 涼子がそう言って、泣き喚く蘭子のマシュマロのようなほっぺたを指でつついた。

「大丈夫よ、蘭ちゃん。顔の怖いお兄ちゃんだけど、本当はすごく優しいのよ。だから、泣かないで」

 そんなこと言っても分かるわけねえと思ったが、驚いたことに、蘭子はぴたっと泣き止んでいた。

 そして、そのビー玉のような丸い目で、俺を見つめてくる。

「だぁー、だぁー」

 必死に声を上げて、手を上げている。

「ほら、大ちゃん。仲直りの握手をしましょうって、蘭ちゃんが言ってるわよ」

 んなわけない。頭では分かっている。そんなことないって、当時の俺ですらちゃんと理解していた。でも、なにか、胸に愛おしいものが澄み渡っていく気がして、俺はその小さな手を握ってみたのだ。すると、蘭子がにこっと笑ってくれた。

「ふふふ。蘭ちゃんと仲良くしてね、大ちゃん」

 その瞬間だったかもしれない。俺は、生まれて初めて命というものを知った。そして命に、人もあやかしも、そんなものは関係ないのだと知った。だから優しくしようと思った。こいつが大きくなるまで、俺が見守ってあげようと思った。

 なにがあっても、ずっと俺が蘭子の兄であろうって。

 俺は、雨の上がった晴天の空に誓ったんだ──
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...