花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

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王弟の苦慮

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 アウレロイヤ城内には、普段通りの長閑のどかで静謐な空気が漂っていた。連日、夜を徹してのお祭り騒ぎも、街を見下ろす小高い丘の上に建造された敷地までは届かない。日頃より招待客や貴賓の出入りが増える程度である。

 その庭の隅、眼にも鮮やかな花々に囲まれた庭園の一角。柱と屋根部分にまで花を彫り込んだ、意匠を凝らしたガセボの下で、その麗人はささやかなティータイムを愉しんでいた。
 通りがかった者が居たならば、思わず足を止めただろう。あるいは自身の死に思いを馳せたかもしれない。

 これが天の国か、己は死んだのか、と。
 もしそれがこのアウレロイヤの人間であったなら、すぐ違和感に気づけるだろう。
 咲き誇る花々が、全て青――神ではなく精霊を象徴するその色一色であるという点に。

「…………ふふ」

 麗人――ユフィは、手で弄んでいた真青な花を陽光にかざすように持ち上げると、そっとその花弁に口づけた。この庭園のどこにも咲いていない青薔薇。昨晩、彼が手ずから捧げてくれた、どの花よりも神秘的で深い蒼だ。

 ベルベットのような繊細で重厚で柔らかなその感触に、胸が高鳴る。
 これが、エリオットの、愛。

 ――祭りの夜なら、いけると思ったんだけどな。

 口元に冷たい微笑をたたえたまま、ユフィは背凭せもたれに体重を預けた。

 ――どうしてうまく行かないんだろう、エリオットが私に好意を寄せていることは確かなのに。

 自惚れなどではないはず、なのだ。自分を見上げた時の熱っぽく潤んだ眼差しも、控えめな微笑も、時折上擦る声も、どれも恋情と恥じらいから生じるものだ。身分を尊び、丁寧に接しようとした結果のそれとは異なる。他者の心の機微にさとおのれがそれを取り違えるはずはない。

 そもそもユフィ・クロル・アウレロイヤという男は、自身がいかに天性の麗質を誇るかを幼少期から心得ていた。この美貌かおは、この声音てのーるは、他者を魅了してやまないのだと。そこに例外は存在しなかった。

 そんな自分が、十年以上に渡り彼の気を惹こうとアプローチを仕掛け続けてきたのだ。惚れてくれなければおかしい。この容貌はエリオットのおめがねにかなうために存在する。そしてエリオットと結ばれるために誕生したのだ。自分の存在意義や生まれてきた意味を疑わねばならなくなってしまう。

 柔らかな風が吹き抜け、その腰下まで伸ばされた髪がそよいだ。日向へ晒された白金の毛先が、日差しを受けて青みを帯びた輝きを放っている。

 この髪の色が、ユフィは疎ましかった。それでも伸ばし続けているのは、エリオットが気に入ってくれたからだ。「きれいだね! 青いお花を飾ったらもっときれい!」そう言って花ひらくような笑みを向けてくれた時から、ユフィはもう決して短髪には戻すまいと心に決めた。手中に存在するものは何でも利用してやろうと思った。

 ――懐かしいな……あの子と初めて出逢ったのが、ちょうど此処ここだった。

 そう、あれはまだ、ユフィがユフィ・セシルド・ロ・ジェスリンであった――王家に名を連ねていた頃の話だ。

 ユフィはアウレロイヤ家の末子などではない。その正体は、先王が急逝した三か月後に誕生した末の王子。つまり現国王の腹違いの弟なのである。

 父王は最初の王妃との間に四人の子を設けたが、不慮の事故で第二王子が成人した年に命を落としていた。王妃を深愛していた王であったが、国の安定に国母は不可欠であると家臣らが反駁はんばくし、親子ほど年の離れた小国の姫君を娶る。互いの利益のため結ばれた二人が、数年の時をかけて情を通わせた結果、ユフィは生まれた。

 長子であった現在の国王との年の差は、二十三歳。誕生の一月前には現在の国王への王位継承の儀式が完了しており、宮城きゅうじょうの誰もが頭を抱えた。ユフィとこれから生まれる王子たちの年齢が近すぎる。ユフィは誰がどう見ても不遇の子だ、兄や宮城に対して不満を募らせかねない。王位を巡り、王子らと骨肉の争いを繰り広げる可能性がある。

 何の後ろ盾もない王弟などおそるるに足らず。そう静観していた者たちも、ユフィが五つになる頃にはそのカリスマ性に危機感を抱くようになる。ぞっとするほど美しい顔立ちと、幼児とは思えぬ聡明さ。心酔する貴族や学者が現れ始めると、彼が民草の心を掴むのもそう遠い未来の話ではないだろうと誰もが噂した。どれだけ不満を募らせ陰口を叩こうとも、本人を前にすると圧倒され嫌味のひとつも口に出せなくなる――その神聖さに、誰もが魅了されたのだ。

 争いの芽は摘んでおくべき、と暗殺を目論む一派の魔の手から逃れるため、ユフィは有力貴族の屋敷を転々とする羽目になった。母方の血統は頼れなかった。ユフィが大国ジェスリンの王位につけば、自国に有利に働きかけることができるに違いない。そんな欲に駆られたらしく、帰郷を許してはくれなかったのだ。

 ゆく先々で、ユフィは腫物のように、否、崇拝されてきた。王の片腕と敵対する家門、再興を目論む没落貴族と様々であったが、皆、口をそろえて「王になられませ。そして当家を取り立ててくださいますよう」と謳った。

 自身と目先の利益だけを追求する大人の身勝手さ、狡猾さを目にするうちに、ユフィは固く心を閉ざすようになった。どうすればいいのか分からなくなった、という方が正しいだろうか。世話になった家の者たちの気持ちは理解できる。報いたいとも思う。けれど自身が王になるべきだとは思えない。兄王は賢く良い人だ。ユフィに敵意が無いことはもちろん、距離感を掴みかねつつ色々と気遣ってくれている。己を利用しようとする周囲の者たちのために、兄を裏切るような真似はしたくない。

 ではどうすればいいのだろう。王位に就かぬ王族は何のために生まれてくるのだろう。きっと己にしか成し得ぬことがあるはずだ。

 天啓を受けるその日まで、ユフィは気ままに生きることにした。
 そこで気づいた。己には欲も望みも、好ましいと思うものも何一つ存在しないということに。

 学業も剣術も馬術も、望まれたからこなしただけだった。読書は知識を得るために、神に祈りを捧げるのもそれが貴族らしい日課であるからというだけで、信仰しているわけではない。美食も饗されるがゆえに口にするだけで、何を着ても様になるために流行りの服にも興味はない。

 そんな当時、滞在していたのがこのアウレロイヤ家だった。アウレロイヤ家はユフィを招き入れた家門の中でも例外的な存在で、この王弟に何も強要しなかった。ユフィの苦悩を見抜き同情してくれていたのだろうか。少しでも子供らしく、そして有意義に過ごせるように心を砕いてくれたが、当家門を優遇してくれなどとは一度も言わなかった。

 温室のプールをただぼんやり漂うような、空虚で、けれど得難い日々を過ごした。気晴らし程度に時折読書をしたり、庭園を散歩したりと時間を無駄にしつつ、自身がこの身を捧げるべき〝何か〟を探していた。

 そんなある日のことだった。
 庭園での読書を終えて邸内へ戻る途中、灌木の下に座り込む小さな人影を見つけた。見たことのない子供だった。アウレロイヤ家の子供は皆ユフィより年上であり、客人が来るとも、家族が帰省するとも聞いていなかった。

 不審に思い、誰何すいかしようと歩み寄ったその時、その子供がくるりとこちらを振り向いた。

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