花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

文字の大きさ
14 / 29

運命の出会い

しおりを挟む
『だあれ……?』

 水底を思わせる深蒼の瞳と視線がぶつかった瞬間、背筋を何かが駆け上がり、心臓が鷲掴みにされたようにどくんと跳ねた。
 僅かに癖のあるほわほわした黒髪。大きく瞠られた眼は垂れ目がちで、頼りなげな愛らしさがある。桃果のようなふっくらした頬にはほわりと赤みが差し、本当の果実であったなら食べごろに違いない。
 ユフィは戸惑った。年相応に愛らしい――のだが、当然、神の悪戯とまで囁かれた己の麗容には到底及ばない。それなのに、眼を逸らせない。こんなことは初めてだった。普段なら会話の主導権を握るのはユフィの方なのに、言葉が出てこないのだ。

『……もしかして、御使い様?』
『……いいや。私はユフィ。この屋敷の居候だよ。君は?』
『……エリオット』

 そんな会話を終えてやっと、ユフィは冷静さを取り戻した。
 聞けば、エリオットは屋敷で仕事がある母親とともにやってきたのだという。母が仕事をする間、メイドと遊んでいるよう指示されたが、メイドがいなくなってしまったため一人で花を摘んでいたそうだ。
 話を聞いてやりながら、ユフィは不信感を募らせた。どう見ても平民の子だ。屋敷をうろつかせるなどいくら楽天的なアウレロイヤ家でもあり得ないし、そこにわざわざメイドをつけるというのはさらに奇妙なことだ。その待遇は貴賓の子女に対するものに相当する。

 その時は、暇つぶしに持っていた本を読んでやった。既にジェスリンに組み込まれた小国の歴史書で子供には何の面白みもない代物だったが、エリオットは『難しい本が、字が読めるユフィさまがすごい』と喜んだ。

 迎えに来た使用人と、母というには少々、年の行き過ぎた女性とともに屋敷を去る際、エリオットは、何度も名残惜しそうにこちらを振り返っていた。また相手をしてやってもいいな、と思った。
 エリオットを放置して馬小屋で怠けていたメイドは、解雇された。馬に蹴られて働けなくなったのだった。

 それから、エリオットは定期的にアウレロイヤ家を訪れるようになった。ユフィは必ず彼の遊び相手をした。薔薇を摘み、庭木でかくれんぼをして、馬にも乗せてやった。最初は興味本位で近づいただけだったけれど、その他愛もないひとときに安らぎを覚えるようになるのに、そう時間はかからなかった。

 エリオットはユフィに何も求めない。裏表がない。仲良くしたいとは思っているだろうけれど、取り入ろうだなんて考えない。そして、弱くて脆い。これまで過剰なまでに庇護されてきたユフィも、エリオットの前では保護者側に回らなくてはならなくなる。これがまた楽しかった。屈託のない信頼を向けられ、それに答える――ユフィはこの時ようやく、他人と心を通わせる喜びを知ったのだった。

 決定的なあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。
 あれはユフィの誕生日から数日が経過した日のこと。
 ユフィが木陰で寝ころびながら読書をしていると、突如、エリオットがひょこりと覗き込んできたのだ。その彼の、何かを企んだような微笑。ユフィはそれに気づかないふりをして起き上がり、よく来たねと歓待した。

 そんなユフィの頭に、エリオットが花冠を載せてふわりと笑う。

『お誕生日おめでとうございます。やっぱり、ユフィさまはきれい。青がとっても似合うね』

 ブルーローズに、キキョウ、アイリス、そして名も知らぬような青の花々で飾り立てられた花冠をそっと手に取り、ユフィはまじまじと見つめた。

 青という色が、あまり好きではなかった。

 青い髪が、精霊に誓いを立てた王家に連なる者の証だからだ。白銀に近い自身の頭髪は、光に透かすと青みがかって見える。青みの強い兄弟とは異なり目を凝らさなければ気づかないような色味の変化ではあるが、ユフィにとっては自身の血統を証明し、時には枷となりうる鬱陶しい色だ。
 それなのに、今この手の内にある花は、なんと清々しく心洗われるような色をしているのだろう。
 糸を手繰り寄せるように連想したのは、先日の誕生日パーティーに参加してくれた、濃紺に淡青色の髪を持つ兄弟の姿。

 ――嬉しかったけれど、あそこにいるのがエリオットだったらよかったのに……ご馳走もあるし、きっと喜んでくれた。

 どうして居てくれなかったのだろう。いや、責めるべきはアウレロイヤ家でもエリオットでもない、招待客さえろくに選べない自分の立場だ。

 ――あれ、私は王弟だよな。しかも利発で人望がある。叶わないことなど、何一つないはずじゃないか。

『……ユフィさま。ごめんなさい』
『えっ、なあに、どうしたの』
『あの、そんなものしか用意、できなかったから。ユフィさま、たくさん素敵なものをもらってるはずだってこと、わすれてました。つくることにいっしょうけんめいで……おいわい、したくて』
『⁉ ま、待って、違うよ! ありがとう、ありがとうエリオット。ごめんね、寝ぼけてぼうっとしていただけなんだ……っ』

 エリオットがべそをかきながら花冠を取り上げてしまい、ユフィは慌ててそれを奪い返した。鋭い葉に皮膚を切り裂かれた気配があったが、これ以上エリオットを悲しませるわけにはいかない。エリオット自身に怪我はないようだし問題ない。これまで幾度となく他者を魅了してきたあの微笑を取り繕い、花冠を頭に乗せ直す。

『うちには無い花ばかりで嬉しいな。どう? 似合うかな』
『……うん! えへへ、よかったあ……』

 エリオットは赤くなった目元を擦りながら、照れたように笑う。

 ――欲しい。

 そんな感情が胸に湧いたかと思うと、空いていた窪みにすとんとおさまってしまった。

 エリオットが、欲しい。どんな形でもいい。傍に置いておきたい。こみ上げた小さな望みがめきめきといやな音を立てて渇望へと膨張していくのを感じた。

 すぐにアウレロイヤ領主へ掛け合った。あの子が欲しい。いずれは庭師か下男か馬番か、どんな形でもいいからこの家で召し抱えてほしい。

 温厚で楽観的な領主が、ヒキガエルのような声とともに顔を青黒くしたことを覚えている。

『……それは、陛下に伺いませんと』

 なるほど、まだ成人を迎えていない己の後見こうけんはあの兄が引き受けてくれているのだった。雇用期間内の賃金の支払いだとか、許可を得るべき事柄は多いのだろう。そう納得して手紙を出すと、なんと宮城に呼び出されていた。

 そういえばしばらく城を訪れてはいなかった、この件を口実に母や甥と親交を深めよとでも言うのだろうと、これも何の疑念もなく参じた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

黒髪黒目が希少な異世界で神使になって、四人の王様から求愛されました。

篠崎笙
BL
突然異世界に召喚された普通の高校生、中条麗人。そこでは黒目黒髪は神の使いとされ、大事にされる。自分が召喚された理由もわからないまま、異世界のもめごとを何とかしようと四つの国を巡り、行く先々でフラグを立てまくり、四人の王から求愛され、最後はどこかの王とくっつく話。  ※東の王と南の王ENDのみ。「選択のとき/誰と帰る?」から分岐。

攻略対象に転生した俺が何故か溺愛されています

東院さち
BL
サイラスが前世を思い出したのは義姉となったプリメリアと出会った時だった。この世界は妹が前世遊んでいた乙女ゲームの世界で、自分が攻略対象だと気付いたサイラスは、プリメリアが悪役令嬢として悲惨な結末を迎えることを思い出す。プリメリアを助けるために、サイラスは行動を起こす。 一人目の攻略対象者は王太子アルフォンス。彼と婚約するとプリメリアは断罪されてしまう。プリメリアの代わりにアルフォンスを守り、傷を負ったサイラスは何とか回避できたと思っていた。 ところが、サイラスと乙女ゲームのヒロインが入学する直前になってプリメリアを婚約者にとアルフォンスの父である国王から話が持ち上がる。 サイラスはゲームの強制力からプリメリアを救い出すために、アルフォンスの婚約者となる。 そして、学園が始まる。ゲームの結末は、断罪か、追放か、それとも解放か。サイラスの戦いが始まる。と、思いきやアルフォンスの様子がおかしい。ヒロインはどこにいるかわからないし、アルフォンスは何かとサイラスの側によってくる。他の攻略対象者も巻き込んだ学園生活が始まった。

白金の花嫁は将軍の希望の花

葉咲透織
BL
義妹の身代わりでボルカノ王国に嫁ぐことになったレイナール。女好きのボルカノ王は、男である彼を受け入れず、そのまま若き将軍・ジョシュアに下げ渡す。彼の屋敷で過ごすうちに、ジョシュアに惹かれていくレイナールには、ある秘密があった。 ※個人ブログにも投稿済みです。

異世界にやってきたら氷の宰相様が毎日お手製の弁当を持たせてくれる

七瀬京
BL
異世界に召喚された大学生ルイは、この世界を救う「巫覡」として、力を失った宝珠を癒やす役目を与えられる。 だが、異界の食べ物を受けつけない身体に苦しみ、倒れてしまう。 そんな彼を救ったのは、“氷の宰相”と呼ばれる美貌の男・ルースア。 唯一ルイが食べられるのは、彼の手で作られた料理だけ――。 優しさに触れるたび、ルイの胸に芽生える感情は“感謝”か、それとも“恋”か。 穏やかな日々の中で、ふたりの距離は静かに溶け合っていく。 ――心と身体を癒やす、年の差主従ファンタジーBL。

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

冤罪で追放された王子は最果ての地で美貌の公爵に愛し尽くされる 凍てついた薔薇は恋に溶かされる

尾高志咲/しさ
BL
旧題:凍てついた薔薇は恋に溶かされる 🌟2025年11月アンダルシュノベルズより刊行🌟 ロサーナ王国の病弱な第二王子アルベルトは、突然、無実の罪状を突きつけられて北の果ての離宮に追放された。王子を裏切ったのは幼い頃から大切に想う宮中伯筆頭ヴァンテル公爵だった。兄の王太子が亡くなり、世継ぎの身となってからは日々努力を重ねてきたのに。信頼していたものを全て失くし向かった先で待っていたのは……。 ――どうしてそんなに優しく名を呼ぶのだろう。 お前に裏切られ廃嫡されて最北の離宮に閉じ込められた。 目に映るものは雪と氷と絶望だけ。もう二度と、誰も信じないと誓ったのに。 ただ一人、お前だけが私の心を凍らせ溶かしていく。 執着攻め×不憫受け 美形公爵×病弱王子 不憫展開からの溺愛ハピエン物語。 ◎書籍掲載は、本編と本編後の四季の番外編:春『春の来訪者』です。 四季の番外編:夏以降及び小話は本サイトでお読みいただけます。 なお、※表示のある回はR18描写を含みます。 🌟第10回BL小説大賞にて奨励賞を頂戴しました。応援ありがとうございました。 🌟本作は旧Twitterの「フォロワーをイメージして同人誌のタイトルつける」タグで貴宮あすかさんがくださったタイトル『凍てついた薔薇は恋に溶かされる』から思いついて書いた物語です。ありがとうございました。

処理中です...