花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

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青天の霹靂

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 あの日、祭殿さいでんを飛び出して以来、エリオットは聖青の絹織物と金の糸を手に、ひとり店先のテーブルに向かい続けていた。

 ユフィへの思いを終わらせるためだった。

 突然逃げるようにその場を辞したエリオットを、ユフィは奇妙に思っただろう。そして敏い彼のことだ、それまでのやり取りからエリオットの想いに気づいてしまっているはずだ。
 だから、もういっそのこときちんと告白することにした。少しでも長く傍に侍るために、自身の感情から目を背けるだなんてことはもうやめた。

 彼が結婚相手とともに遠くへ移住してしまうこと、あるいはシェリーズとの契約を打ち切ることは、エリオットの気持ちに関係なく訪れる未来なのだ。そして冷静になってみると、ユフィはけして薄情な人物ではない。エリオットの告白を受けて、不快感から関りを断ったりはしない。気づいてあげられなくてごめんね、と気を遣わせてしまうかもしれないけれど、次には「エリオットにも素晴らしい相手が見つかるよ」と笑いかけてくれるような人だ。

 臆病で意気地なしのエリオットが、何かと理由をつけて思いを告げることから逃れ続けていただけなのだ。
 そんなことを考えながらシェリーズへの帰路を辿るエリオットの目に、あの華やかな青と金色が飛び込んできた。

 ――そうだ、婚姻装束を作ろう。
 唐突に、そんなことをひらめいた。

 本来、花嫁や花婿と親しい者たちの手で仕立てられる代物だ、エリオットという他人では不十分かもしれない。けれど別に受け取ってもらわなくてもいい。エリオット自身が時間をかけて育んできた恋心と向き合う時間を得られれば、それでいいのだ。

 幸か不幸か、急遽、翌日からシェリーが店を空けることになっている。長い間、子どものできなかった遠方の娘夫婦に第一子が誕生したため、お祝いに向かうことになったのだ。想定から一月近く遅れたことを除けば、以前から決められていた予定だった。この間、エリオットは一人でシェリーズを切り盛りすることとなる。シェリーからは店を閉めても構わないと言われていたが、今後の勉強のためにもできる限り営業を続けることにした。

 とはいえ、一人では手が回りきらず縮小を余儀(よぎ)なくされる。祭殿への配達をジンの家に任せる口実を得られ、内心でひどくほっとしていた。
 くわえて、季節外れの長雨がアウレロイヤの街に逗留とうりゅうしていた。雨の日は客足が遠のく。裏手にある花畑の手入れと、簡単な掃除だけで終わる日もあるほどだ。エリオットはその空き時間を裁縫にあてることにした。

 手先は器用な方だった。視力が落ち始めたシェリーに代わって、破れたシャツの繕いやズボンの裾上げはエリオットがこなしている。花の刺繍は姪っ子や近所の子供たちにも好評だ。
 作るのは、上衣を飾る腰帯にした。頭巾と迷ったが、サイズを気にせず作れる方が都合が良いのだ。せっかくだから布地と濃淡の異なる青い糸を用いて、細やかな大判の花でも描いてみようかと構想している。

 日々の雑務の合間に、針仕事と向き合い始めて四日目。

 エリオットの心は、まだ晴れない。針を進めるにつれてずうんと深く落ち込んでは、ふとした拍子にもう仕方のないことなのだから、と前向きになる。心が、水を吸っては絞られてすかすかになる、スポンジになってしまったようだ。つまりはひどく情緒不安定だった。

 刺されているのは布地なのに、針を通せば通したぶんだけ胸が痛む瞬間が訪れる。直接、針で突き刺されたように、ちくちく、痛んだ。そこに縫糸で描かれるのは、きっとユフィを想うほどに大きくなるむごたらしい傷跡なのだろう。気を紛らわせようとそういう魔法がかけられた毒針なのかもしれないと、突拍子もないことを考えて失笑した。

 どれだけ苦痛をともなおうとも、手を止めることはしない。この作業から逃げてはいけないのだ。


 事件は、六日目の晩に起きた。

 シェリーズの店じまいをしたあと、ジン一家の誘いを受け隣家で夕食をご馳走になった。最初はエリオットを慰撫しようとするような空気があったが、空元気が功を奏して賑やかなものへと変わり、ほっと安堵した。事情は不明ながら、落ち込んだエリオットを放っておけず元気づけようとしてくれたのだろう。
これで、少なくとも表面上は立ち直ったと理解してくれたはずだ。優しい隣人たちに無用な心配をかけたくない。

 そうして自宅に戻り、寝自宅を整えつつ、ランプの明かりを頼りに少しでも作業を進めておこうか逡巡していたときのこと。

 ドンッ、ドンドンドンッ!

 静かな雨夜に、何者かが店の戸を激しくたたいた。
 エリオットは飛び上がった。反射的にカウンターの裏に身を隠す。

「こんな夜更けに、だれ……?」

 ドアの向こうで、男が何か言っているのが聞こえる。少なくともシェリーではない。
 そうだ、まさか出先のシェリーに何かあったのか。それとも、先ほどまで談笑していた隣人たちか。何も暴漢や不審者とは限らないのだ。

 エリオットは深呼吸すると、研ぎたての剪定用ハサミを手に戸口へ向かった。二つある鍵を解錠し、おそるおそるドアを開く。

「……、あなたは……」

 外套がいとうのフードを脱いだ訪問者に眼を丸くする。
 濡れねずみと化して佇んでいたのは、祭殿で見かける中年の使用人だった。この夜道に馬を飛ばして来たのだろうか、ぜえぜえと肩で息をする男の顔は殺伐さつばつと――否、悲壮とも、怯えともつかない感情に彩られている。

「……が」
「え?」
「ユフィ様が、突然、お倒れになられました……!」



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