漫画のつくりかた

右左山桃

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本編

18 【悟史視点】世界を共有する

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 俺は『黒翼士』のラストのネームを読み直していた。
 〆切まで1週間を切ろうとしている。
 胸にくすぶっている思いと、それを実行することのリスクに揺れていた。

 本棚のファイルボックスから、今まで描いてきた全ての原稿のコピーを取り出す。
 漫画のキャラクターは作者の分身で、多かれ少なかれ考えていることや性格、行動パターンが投影されるものだと、どこかの漫画家がテレビで言っていた。
 その時は「ふーん、そんなもんか」程度だったけど、今になって思う。

 自分のことだけを考えてあがき、プライドばかり守って人を傷つけ独りになって、目的を見失ったまま、かつての自分の栄光の地で滅んだ。

「ガシュレイは、きっとこの先の俺の未来なんだろうな」

 4話を手に取る。
 ただひとつの目的を、たくさんのものを犠牲にして、がむしゃらに達成してもクルークには何も残らない。
 自分でちゃんと答えを出していたじゃないか。
 俺は漫画家になりたかったんじゃない。
 漫画を描き続けて生きたいんだ。
 
 フェイのラストの死に顔が目に入った。
 下書きをしてペンを入れたのは俺、トーンを貼ったのはピヨ子だった。
 入稿した時には気にならなかったけど、今になってフェイの死に顔が気になった。
 フェイが笑っているように見えたからだ。
 俺は意識して描いていない。
 意識したとすれば、ピヨ子だ。
 トーンの影のつけ方で、なんとなくそう見えるのだ。

 フェイの最期は笑顔、か。
 最後まで笑顔で闘うこと。
 それはピヨ子の願いだったのかもしれない。

『フェイはきっと命なんて最初から惜しくは無かったよ』

 ピヨ子は笑ってそう言ったけど。
 違うよな、本当は。
 好きな人のために死ぬんじゃなくて、好きな人と生きていきたいよな。
 こんな所で立止まってなんていられない。
 ラストのネームをまた手に取って、気づいた時には橘さんに電話をかけていた。

『あ、水谷くん? 原稿の進捗はどう? そろそろ……』
「橘さん、ラストを変えたいです」
『はあ!?』
「今からでも、ラストを変えたいです」
『……え……ええ? ちょっ……何言い出すの!? そんなのできる訳ないでしょう!?』
「すみません。でも納得できなくて」
『……終わりが近づいてナイーブになってるのかもしれないけど、このまま進めて大丈夫よ。ふたりで何度も話し合って決めたラストじゃない。綺麗に終わってるわよ』
「…………」

 駄目か、やっぱり。
 橘さんには最終話のネームを何度も見てもらって描き直した。
 編集部の意向やら読者の願望もラストに組み込んで、クルークはハルカと幸せな人生を歩み始める。王道を上手く描くことが、今回の作品に課せられたテーマだった。

「でも……」と俺は絞り出すように言った。

「このラストじゃ何も伝わらない。自分で自分の作品に納得できなくなっているのに、読者の……誰かの感情に揺さぶりをかけるなんて絶対無理だ……!」

 無茶苦茶言って橘さんを困らせてる。
 新人のこんなのわがまま、絶対に通らない。
 呆れられて、ただ俺は何も考えずに黙って描くように言われるのが関の山だ。
 わかっているのに諦めきれない。
 ギリ、と奥歯を噛み締める。
 自分の無力さが悔しくて、気がつくのが遅すぎて反吐が出る。

『どうしたの? 何かあったの?』

 意外な言葉をかけられて、俺は固く閉じていたまぶたを開いた。

『あなたは私の言ったことを真摯な姿勢でいつも受け止めてきた。課したスケジュールはどんなにきつくても守ってくれた。期待に応えようと必死に描いてきたのを知っている。私はあなたを信頼していたのよ。こんな直前になってラストを変えたいなんて、何があったの? 何か理由があるんでしょう?』

 膝の上で握り続けていた拳を緩めた。
 気がつくと声に出していた。

「幼馴染の女の子がいるんです」

 あとは考えるより先に、言葉が零れていった。

「そいつをフェイのモデルにしたんです。そいつはどんなに傷ついても、俺の望むもの何にでもなってくれたんです。ただ、がむしゃらに描いてきたけど、この話を自分に置き換えたら、フェイがなぜクルークと戦っていたのか、やっと理解できて。どうしてクルークは今まで戦ってこられたんだろうって思った……」

 こんなんただの私情だ。
 仕事に持ち込むなんて馬鹿げてる。
 それでも。
 きっとこれが、俺の漫画の作り方なんだ。

「連載は終わっても、あの話は”綺麗に終わった話”じゃなくて、始まりにしたいんです」
『……わかった。ネーム作り直そう。今からそっちに行くから。ネーム固まったらそのまま原稿に入るわよ』
「え……」
『アシスタントは? 毎日来てくれるっていう幼馴染の……」
「……もう来ません」
『…………あぁ』

 橘さんは、俺の言葉で全てを察したようだった。

『わかった。じゃあこっちで入れる人を手配する』

 橘さんは電話を切ってからすぐに来てくれた。
 これからふたりで徹夜でネームを作り直して、俺は下書きに入る。
 明日から入ってくれるアシスタントの連絡先を教えてもらった。

「こんな無謀なことするからには、それなりの覚悟はできてるんでしょうね?」
「はい」

 覚悟、か。
 特別すごい才能がある訳でも無い、計画性の無い面倒くさい新人の末路なんて、ひとつしかないか。
 橘さんは管理能力のなさを上司から叱られたりするんだろうか。
 散々なこと言って俺を失意の底に落としたかと思えば、満面の笑みで「また見せに来てね」と言って名刺をくれた、俺を初めて認めてくれた人。

「本当にすみません……。今までありがとうございました」

 そんな言葉では足りないけど、心からそう言った。
 これっきりになったとしても、きっと最後まで感謝して信頼しているから。

「橘さん……」
「何よ」
「こんなことを言える立場でないことは重々承知しているんですが……。原稿が上がったらお願いしたいことがあるんです」




 それからは、とり憑かれたように原稿に向かった。
 
 何日も寝なかった。
 日付の境が段々わからなくなり、今が朝なのか夜なのかもわからない。
 不思議と空腹感は無く、いつ食事をしたのかも記憶が曖昧になる。
 とにかく〆切まで時間が無かった。
 それでもこれを描きあげなければならないと思った。
 急遽アシスタントに入ってくれた人たちには、本当に申し訳ないことをしたけど「もっとヤバイ修羅場もありましたよ」と笑って許してくれた。
 ひとりで描くって言ったのに、嘘になっちゃったな。ごめんな、ピヨ子。
 でも、ひとりでやれるなんて高をくくって、周りを無視して突っ走るのはもうやめる。
 助けを求めたっていいんだ。
 俺が思うほど、周りは敵だらけじゃなかったから。
 おまえが教えてくれたんだよな?
 何度かピヨ子に話しかけようとして、ここにいないことを思い出して苦笑した。
 ずっと一緒に描いているのが当たり前だったのに、それが遠い昔のことのような気もする。
 疲労でペンを持つ手が震えて、何度も左手で右手を押さえつけた。
 原稿を描いていた頃のピヨ子は、泣いたり笑ったり、線一本引くのにも感情が大忙しだったな。
 その気持ち、わかるよ。
 嬉しさも悲しさも、全てクルークと共有する不思議な感覚。

 そして原稿が落ちるか落ちないかの〆切瀬戸際の明け方、橘さんが描きあげた原稿を持ってアパートを飛び出していった。
 俺はその背中を見送ってから意識を失い、ひたすら眠り続けた。
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