泡沫には消えないもの。永遠には残らないもの。

唯純 楽

文字の大きさ
51 / 76

波濤(はとう)

しおりを挟む
 カエルムの村を出たラザールは、散歩と称して船を南へ向けた。

 ラザールが乗って来たネーレウス号の乗組員は、もちろんリヴィエール出身の者たちばかりだったが、軍艦に乗り第一線に出るにはまだまだ若い見習いが多かった。
 彼らは、ラザールや引退間近だという航海長にしょっちゅう怒られていたが、怒られるのがむしろ嬉しそうだった。
 どうやら、勇猛で知られるラザールの船に乗っているというだけで、彼らにとっては無上の喜びらしい。

 体調は大丈夫なのかと心配するメルリーナをよそに、ラザールは船乗りは潮風に吹かれると生き返るのだと言って、甲板を歩き回り、夜はメルリーナとチェスをして、今まで寝込んでいたのが嘘のように元気だった。

 さすがに昔のように、一日中甲板に立っていることは無理だったが、朝昼晩と乗組員が交代するときには必ず労をねぎらい、注意を怠らないよう喝を入れるために甲板へ出て、陽光に輝く海を眺めて満足そうに笑っていた。

 不慣れではあるが船長のラザールの指示に忠実な乗組員たちは、ネーレウス号を支障なく操って、アンテメール海を横切り、ものの三日でウィスバーデンへと辿り着いた。

「あの有様で、よく沈まずに辿り着いたな」

 シーフブレムゼの沖合に停泊するヴァンガード号を見たラザールは、ブラッドフォードでなければとっくに沈んでいただろうと感心しながら無精髭を生やした顎を摩った。

「まぁ、修理にはだいぶかかるだろうがな……」

 ヴァンガード号の船首の斜檣は折れ、ボロボロになった帆があらかた取り外されたマストはまるで枯れ木のようだった。
 船尾に飾られていた像も欠け、何を象っていたのかわからない。
 一見して船体に大きな損傷はないように見えるが、砲門はいくつか駄目になっているし、甲板にも大きな穴が開いているとラザールは指摘した。
 みんな無事だろうかとメルリーナは不安になる。
 ここにいるということは、海賊たちとの戦いには勝利したのだろうけれど、全員が無事とは限らない。

「この状態じゃ、大人しく港に引っ込んでいるしかないだろう」

 ウィスバーデンも不穏な情勢にじっとしているだけでなく、陸ではリーフラントとの国境に軍を進め、そこからエナレスを狙っている。
 海軍は、リヴィエール以上にでしゃばるつもりはないらしく、申し訳程度にアンテメールの東側をウロウロしているのだが、まったくもってウィスバーデンの海軍はブラッドフォード以外は間抜け揃いだとラザールは酷評した。

「しかし……これが海賊だったら、どうする気なのだ」

 ラザールは、砲門を閉じているとはいえ、どこをどう見ても商船には見えない船が、あっさりシーフブレムゼに侵入を許されたことに呆れていた。

「で、でも、もしかしたらラザール様だってわかっていて……」

「それはないだろう。あの慌てぶりだ」

 ラザールは、慌ててこちらへ向かって来るボートを示した。
 そこには、見慣れた海兵隊員の制服を着た兵士たちがぎっしりと詰まっている。

「阿呆か、あいつらは。砲撃用意」
 
 無造作に命ずるラザールにメルリーナは仰天した。

「ら、ラザール様っ!?」

「なに、ちょっと脅してやるだけだ」

 にやりと笑うラザールに、メルリーナは慌てて首を振る。

「だ、駄目ですっ! も、もしかしたら、ヴァンガード号の人かもしれないし、も、もしかしたら……」

「ちょっと水飛沫を立てるだけ……」

「駄目ですっ!」
「……」

 メルリーナの強硬な反対意見に不服そうな顔をするラザールは、ディオンにそっくりだ。

「砲門を閉じなければ、撃つぞっ!」
「どこの船だっ! 旗を見せろっ!」

 わいわいとボートから喚く声が間近に聞こえ、ラザールは渋々リヴィエールの旗を揚げろと命じた。

「面白くないな……」
  
 ぼそっと呟くのを聞きつけたメルリーナが目を剥くと、ついでに白旗を振ってやれと言い添えた。

「ああ……間抜け面をさらしていたのも、ブラッドフォードがいるからか」

 ラザールの視線の先を追えば、停泊していたヴァンガード号の砲門が開き、こちらを狙っているのが見えた。

「動き回れないなら、おびき寄せる。それなりに頭は働くようだ」

 縄梯子を投げ、海兵隊の指揮官に上って来るように伝えさせたラザールは、メルリーナをじっと見つめ妙なことを尋ねる。

「メルリーナは、ディオンでいいんだな?」

「……?」

 一体何の話だと首を傾げれば、「うーん」と唸って天を仰いだ。

「マクシムの代わりとしては、メルリーナにはよりよい相手を選ばせてやりたいところだが、孫もカワイイ身としては、どうしてもなぁ……。あれは、ヒヨッコではあるが、まだまだ伸びしろはあるはずだし、そう悪い男にもならんだろうし、何よりメルリーナ以外目に入らないようだし……」

「あの、ラザール様?」

「別に、メルリーナを送り届けたのはそういうわけではないからな」

 どういうわけだと目を瞬いていると聞き慣れた声で呼ばれた。

「メルっ!」

 やっぱり乗っていたのかと、振り返ったメルリーナは予想通りに現れたゲイリーの姿を見つけて、微笑んだ。

「ゲイリーさん!」

 ゲイリーは、いつものようにきっちり軍服を着込んでいたが、珍しく無精髭も生やしっぱなし、髪も乱れている。
 いつもは優しい眼差しの緑の瞳はキラキラというよりギラギラと光り、王子様は王子様でも、海賊の王子様のようだ。
 こっちの方が似合っている気がすると思ったメルリーナは、強張った表情のまま大股であっという間に目の前までやって来たゲイリーに捕まった。

「……っ!」

 がっちりと両手で両腕を掴まれ、じっと見つめられる。
 緑の瞳に、苛立ちや怒りといったゲイリーが普段見せない感情が渦巻いているのを見て、メルリーナは真っ先に伝えなくてはと思っていたことを口にした。

「……あ、あの……い、言いつけを守らなくて……ごめん、なさい」  

「ああ、まったくだね」

 冷ややかな声で言われ、ビクリと身体を強張らせると腕を掴んだ手に一層力が込められる。
 とても怒っているようで、それはきっと心配してくれていたからで、全部自分が悪い。

「そ、その……し、心配、を……」

「メル。ちょっと黙っててくれるかな?」

 とにかく謝ろうとしたけれど、ゲイリーに黙れと言われ、震えそうになる唇を引き結んだ。
 
 じわり、と滲む涙が零れないよう瞬きしたとき、ゲイリーが大きく息を吐き、メルリーナの肩に額を乗せた。

「メル……もう、銃は手にしちゃ駄目だ」

「はい」

「海に落ちるのも、駄目だ」

「は……はい」

 落ちたくて落ちたわけではないけれど、と思いながらもメルリーナは頷いた。
 とにかく、ゲイリーには多大なる迷惑と心配をかけたのだから、その声から険しさが取れ、落ち着くまで逆らわないでおこうと思った。

「乗組員たちを助けるのに、危ない真似をするのも駄目だ。ヤツラは見捨てて構わない」

「は……い」

「ブラッドも含む」
「……は、はい……」
「エメリヒも」
「……はい」

「船室からは、極力出ないこと」

 それは無理だと思ったけれど、「はい」と小さく頷いた。
 ゲイリーは、メルリーナが逆らわないと気付いたのか、急にその声音を変えた。

「それから……ちょっと抱きしめてもいいかな?」

「は……っ!?」
 
 それは話が違う、と思ったときにはもう抱きしめられていた。
 ディオンよりも硬質で力強い腕にがっちりと抱えられ、一瞬硬直したけれど、頭上に落ちるゲイリーの吐息が震えていることに気が付いた。

「生きていてくれて……ありがとう」

 小さな呟きが聞こえた一瞬の後、ゲイリーはあっさりメルリーナを解放した。
 見上げたゲイリーは、柔らかな笑みを浮かべたいつものゲイリーだった。

「じゃあ、再会のキスを……」
「駄目です」

 にやりと笑ったゲイリーに即答すれば、軽く声を上げて笑った。

「冗談だよ。とてもじゃないが、リヴィエール前公爵の前でそんな真似をするほど、命知らずじゃないからね。しっかし、どうやってメルを見つけたんです?」

「日頃の行いがいいと、幸運が転がり込んで来るのだ。メルリーナの用を足して、海賊どもの相手をしているディオンの尻を叩きに行く。大人しく言うことを聞くというのなら、おまえたちを乗せてやらんこともないぞ。……ただし、モタモタしている奴は置いて行く。さっさとメルリーナを待っている人物のところへ案内しろ」

 ラザールの驚くべき提案にゲイリーは眉を引き上げるとにやりと笑い、敬礼した。

「了解! 船長」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

偽装夫婦

詩織
恋愛
付き合って5年になる彼は後輩に横取りされた。 会社も一緒だし行く気がない。 けど、横取りされたからって会社辞めるってアホすぎません?

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー

小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。 でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。 もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……? 表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。 全年齢作品です。 ベリーズカフェ公開日 2022/09/21 アルファポリス公開日 2025/06/19 作品の無断転載はご遠慮ください。

月夜に散る白百合は、君を想う

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢であるアメリアは、王太子殿下の護衛騎士を務める若き公爵、レオンハルトとの政略結婚により、幸せな結婚生活を送っていた。 彼は無口で家を空けることも多かったが、共に過ごす時間はアメリアにとってかけがえのないものだった。 しかし、ある日突然、夫に愛人がいるという噂が彼女の耳に入る。偶然街で目にした、夫と親しげに寄り添う女性の姿に、アメリアは絶望する。信じていた愛が偽りだったと思い込み、彼女は家を飛び出すことを決意する。 一方、レオンハルトには、アメリアに言えない秘密があった。彼の不自然な行動には、王国の未来を左右する重大な使命が関わっていたのだ。妻を守るため、愛する者を危険に晒さないため、彼は自らの心を偽り、冷徹な仮面を被り続けていた。 家出したアメリアは、身分を隠してとある街の孤児院で働き始める。そこでの新たな出会いと生活は、彼女の心を少しずつ癒していく。 しかし、運命は二人を再び引き合わせる。アメリアを探し、奔走するレオンハルト。誤解とすれ違いの中で、二人の愛の真実が試される。 偽りの愛人、王宮の陰謀、そして明かされる公爵の秘密。果たして二人は再び心を通わせ、真実の愛を取り戻すことができるのだろうか。

白詰草は一途に恋を秘め、朝露に濡れる

瀬月 ゆな
恋愛
ロゼリエッタは三歳年上の婚約者クロードに恋をしている。 だけど、その恋は決して叶わないものだと知っていた。 異性に対する愛情じゃないのだとしても、妹のような存在に対する感情なのだとしても、いつかは結婚して幸せな家庭を築ける。それだけを心の支えにしていたある日、クロードから一方的に婚約の解消を告げられてしまう。 失意に沈むロゼリエッタに、クロードが隣国で行方知れずになったと兄が告げる。 けれど賓客として訪れた隣国の王太子に付き従う仮面の騎士は過去も姿形も捨てて、別人として振る舞うクロードだった。 愛していると言えなかった騎士と、愛してくれているのか聞けなかった令嬢の、すれ違う初恋の物語。 他サイト様でも公開しております。 イラスト  灰梅 由雪(https://twitter.com/haiumeyoshiyuki)様

処理中です...