泡沫には消えないもの。永遠には残らないもの。

唯純 楽

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激突

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「リヴィエールの船だな」

 メルリーナが呼びに行くより先に船室から出て来たラザールは、船首から前方の煙の先を遠眼鏡で覗き、断言した。

「全速で向かい、援護する。相手は海賊だが、数が多い。リヴィエールの船は、一隻は助けるがもう一隻は沈められないようにするだけでいい。ディオンが乗るアクイーラ号が着く前に、たっぷり暴れられるぞ」

 簡潔な指示を下して、ブラッドフォードへにやりと笑ってみせる。

「ふざけんなよ、ジジイ。相手は十隻以上はいるんだぞ。滅多打ちにされないようにするだけで精一杯だろうが」

「船の扱い方もわかっていない海賊どもが相手だ。十隻いようが二十隻いようが、楽勝だろう」

「んなわけねぇだろうが」

 練度や装備の問題ではなく、数の問題だと言うブラッドフォードに、ラザールは太い眉を引き上げた。

「海賊を前にして、毛布に包まって船室の隅に引っ込みたいと言うような臆病者は、ケツを蹴り上げて即刻海へ突き落とすぞ」

 ブラッドフォードは目を見開き、信じられないと言う表情になったが、ぎりぎりと歯ぎしりした後、甲板を手持無沙汰の様子でウロウロしていた乗組員たちに怒鳴った。

「…………てめぇらっ、砲撃準備だっ! くっそ、覚えてろよ! クソジジイ」

 捨て台詞を遺して最上後甲板へ向かうその背にラザールが言い返す。

「何か言ったか? 最近耳も遠くなった上に、物忘れがひどくてな。とても覚えていられそうにない」
 
「……っ! 総員戦闘態勢っ!」

 がなり立てるブラッドフォードにその後の指示を任せたラザールは、遠眼鏡を手に、メルリーナにこれから起こることを解説してくれた。

「海賊どもが、リーフラントのサヴァスを直接狙う気になったということは、エナレス皇帝が死んだか、その地位を追われたために、報酬を受け取れなくなると思ったからだろう。サヴァスにはリーフラント海軍の船もいるが、まさか海から大っぴらに攻撃されるとは思っていないはずだ。いくら小物でも、港へ入られては面倒なことになる。幸い、ネーレウス号は小回りが利くし船足も速い。海賊どもを向こうに回して互角に渡り合うのは無理だとしても、先回りして牽制するくらいは出来るだろう」

 海賊船よりも優れた武器と合理的な操船を可能にする技術を装備したネーレウス号なら、海賊船の一隻や二隻、沈められると言うラザールは、相手の船の数はこちらより遥かに多いのに大丈夫なのかと問うメルリーナに微笑んだ。

「なに、心配はいらん。ディオンが間に合う」

「でも……」

 ディオンが乗っていると言うアクイーラ号の船影はまだ見えないし、連絡のしようもないだろう。
 一体どうしてそんな風に自信たっぷりに言い切れるのだと不思議に思って見つめれば、ラザールは快活な笑い声を上げ、メルリーナの肩を優しく抱いた。

「ネーレウス号にはメルリーナが乗っているんだ。一目散に駆けつけるに決まっている」

「でも、ディーにはまだ知らせていないのに?」

 ディオンに自分が無事だったこと、こうしてラザールと一緒に船に乗っていることが伝わっているとも思えない。

「ネーレウス号がここにいる意味がわからないようでは、あまりにも不甲斐ない。それに……海賊相手に思う存分暴れられる絶好の機会をみすみす見逃すようでは、リヴィエールの男とは言えんだろう」

 船乗りには海と空の変化を敏感に察知する能力が必要なように、リヴィエール公爵には断片的に起きていることをひとつの首飾りとしてつなぎ合わせる能力が必要だ。
 ひとつの出来事は別の出来事へと繋がり、すべてが繋がった先に最初の出来事があるのだとわからないようでは、各国の欲望が渦巻くアンテメール海を渡ってはいけない。
 
 陸にいるディオンはヒヨッコかもしれないが、海に出れば力強く羽ばたくのに十分な羽の生えそろった若鳥のはずだと言うラザールは、その成長を疑ってはいないようだった。

「なんといっても、このジジイの孫だからな」

 ディオンは、息子のアランよりも自分に似ているのだと請け合うラザールは嬉しそうだ。
 メルリーナも、ディオンはアランよりラザールに似ているとは思うけれど、もう少しだけお行儀がよい気がする。
 ブラッドフォードやゲイリーに殴りかかったりはするかもしれないが、ケツを蹴り上げて海に突き落としたりはしないだろう。

 メルリーナは、ディオンがラザールの年齢に到達したときにどんな風になっているのか、どんな風にそこまで辿り着くのか、近くで見ていたいと思った。
 もしかしたら、意外な方向へ行くかもしれないし、もしかしたら、ラザールそのものになるかもしれない。
 ディオンがこれから向かうであろう数ある旅の中のひとつとして、その行く先はとても面白そうだと思う。

「メルリーナ。ディオンとの旅は楽なものではないが、きっと退屈しないだろう。それに……莫大なお宝を発見できるかもしれない。あれは、生まれつき海に愛されるという幸運に恵まれているからな。今はまだ、頼りなく思えるかもしれんが、とにかくあれの船に……」

「乗ってみればわかる?」

 メルリーナがその先を続ければ、ラザールは潮風に乗ってアンテメール海に響き渡りそうなほど、豪快に笑った。

「ああ、そのとおりだとも!」

  
◇◆
 

「砲門開け!」
「先にけしかけるぞ!」
「右舷に突っ込め!」
「挟み撃ちにするんだ」

 数えてみれば十二隻からなる海賊船団を迎え撃つリヴィエールの軍艦は、たったの二隻だった。
 二隻でもなんとか踏み止まっていられたのは、船の性能に大きな開きがある上、操船技術にも差がある海賊船はきっちりと戦列を組めないからだ。
 砲撃の連携も上手くいっているとは言えず、無駄に撃った弾が海のそこかしこで飛沫を上げている。

 どうにか間に合ったとほっとしたのも束の間、メインマストが折れ、帆も燃え尽きて失い、煙を上げているリヴィエールの軍艦の一隻が最後の力を振り絞って、海賊船に体当たりする。
 援護するべく、ブラッドフォードはネーレウス号を海賊船の右舷から攻撃し、砲門を潰すとそのまま挟み込むようにして接舷した。

「ゲイリー! 海賊共を蹴散らして、ヤツラをこっちの船へ渡らせろ!」

「了、解っ!」

 海兵隊員たちと共に嬉々として斬り込むゲイリーの背を見送ったメルリーナは、操舵輪を挟んで反対側に立つブラッドフォードに睨まれ、首を竦めた。

「メル。大人しくしていろと言っただろうが」

「で、でもっ……その、じ、銃も撃っていないし、大砲にも触っていない……」

 傍らで、舵を預かるジャックに対して航海長と共にいくつか助言をしていたラザールの陰に隠れるようにして、一応の反論を試みる。

 少しの焦りも動揺も見せないラザールは勝利を確信しているようだが、メルリーナはとても船室で呑気に勝利の報告を待っていられる気がしなかった。
 何より、激しく揺れる甲板で、ふらつきもせずにいるとは言え、ラザールの身体が心配だった。
 船室にじっとしている間に、ラザールに何かあったらと思うと、とても引っ込んではいられない。
 邪魔に思われているというよりは、心配されているのだとわかっているけれど、今回ばかりは頷けない。
 船長命令に逆らってはいけないとラザールにも言われたが、ネーレウス号の船長はラザールで、ブラッドフォードは見習いのようなものだ。
 その言葉に絶対服従しなくともいいはずだと都合よく解釈していた。

「何もしていなくても、危ねぇんだっ!」

 ブラッドフォードは目を剥いて怒鳴り、無造作にその腰から抜いた短銃でこちらの船へ乗り込もうとしていた海賊を撃ち落とす。

「ジジイと一緒に引っ込んでろ」

 引っ込んでろと言われたラザールは、その眉を引き上げてブラッドフォードを睨んだ。

「ブラッドフォード。おまえが危なくないようにすればいいだけだ」

「無茶言うなっ!……ちっ!」

 接舷している間に、今度はネーレウス号の右舷を狙う別の船が接近して来るのを見て、ブラッドフォードは砲撃手に迎え撃つよう命ずる。

「ゲイリーっ! 戻れっ!」

 海賊たちを蹴散らし、引き揚げて来る海兵隊員たちと船を失いながら幸運にも生き残ったリヴィエールの乗組員たちが飛び移るギリギリまで粘った後、向かって来る海賊船の右舷側から砲撃を加えたが、その後ろにはまだ無傷の海賊船がいる。

 このまま船尾に回り込みたいところだが、先に行かれてうっかりサヴァスの港に入り込まれるわけにはいかない。
 もう一隻のリヴィエールの軍艦も、かろうじて動いているといった有様で、囲まれて集中砲火を食らえばひとたまりもない。
 自ら船を沈めるようなものだと毒づくブラッドフォードに、ラザールは無造作に命じた。

「船の間を突っ切れ」

「はぁっ!?」

「頭の二隻を押さえている間に、ディオンが来る。縦に突っ切って、砲撃しろ」

 まさか、という表情になったブラッドフォードが見上げれば、激しい砲撃を高い檣楼の上で耐え忍んでいた見張りが満面の笑みで北を指さす。

「来ましたっ!」

 遠眼鏡でその先を確かめたブラッドフォードは、悔しそうな表情でラザールを振り返った。

「あっちの方が、数倍頑丈だ。遠慮なく盾にして構わん」

 ラザールの許可を得て、ブラッドフォードは帆の向きを調整し、左右の砲門に一斉射撃の準備をするよう命じた。

「撃ち負けたらお陀仏だっ! 気合入れろっ!」

 一隻で二隻を相手にするなんて、蜂の巣にされるのではと青ざめるメルリーナに、ラザールは心配いらないと鷹揚に笑う。

「海賊どもが一発撃つ間に、こちらは三発は……ああ、見習いだから三発は無理でも二発は撃てる。単純計算して、倍の砲火となる」

 弾を込め、発射するまでの速さは訓練された者とそうでないものの間では雲泥の差があるのだと言うラザールに、海兵隊員たちにも援護射撃をさせるべく胸壁に配置させていたゲイリーが長銃も一緒だと言う。

「まぁ、こっちの場合、普通は一発撃ったあとは突っ込むだけなんだけど」

 最後は持っているものが何であれ、それを使って戦うしなかいと肩を竦めたゲイリーは、ラザールに向き合うと柔らかな笑みを浮かべた。

「感動の再会まで、メルが船室から出ないよう見張っていてくれませんか。メルにウロウロされると、危なっかしくて乗組員たちの意識がそっちに向いてしまうので」

 ウロウロしないし、邪魔はしないと反論しようとしたメルリーナに、ゲイリーは一瞬意味深な眼差しを向けた。
 ハッとして口を閉ざせば、いつもの腹黒い笑みを浮かべる。

「メルに傷一つでもついたらと思うと、僕もオチオチ海賊どもを叩きのめしていられない。第一、これ以上、あのクソガキにほんの少しの借りも作りたくないからね」

「船尾の船室が一番危険とわかっていて言っているんだろうな?」

 何も出来ない場所で、いきなり砲弾を食らって死ぬつもりはないとラザールが言えば、ゲイリーは緑の瞳をギラギラと光らせた。

「僕らが、海賊ごときに後ろを取られるとでも?」

「……ラザール様」

 ゲイリーが意図したところを読み取ったメルリーナがそっと節くれだった大きな手に触れると、ラザールは苛立ちを吐き出すように息を吐いた。

「無様な戦いっぷりを目撃されたくないというのなら、目を瞑っていてやろう。のんびりチェスでもして、ディオンが迎えに来るのを待とうか。メルリーナ」 

「はい」

 差し出された腕に腕を絡めて寄り添えば、ラザールはゲイリーに得意げな笑みを向けた。

「羨ましいか? 狂犬」

「ええ、羨ましいですね。とっても」

 にやりと笑うゲイリーに、ラザールもにやりと笑った。

「だが、やらんぞ。これは、リヴィエールのものだからな」
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