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第一話 悪夢
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私は窓から離れました。
二階の執務室の机に向かって椅子に座ります。
俯いて溜息をこぼし、思いました。この悪夢はいつまで続くのだろう、と。
この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園を卒業すれば、すべてが終わると考えていました。
お爺様は父に見切りをつけて、学園入学以前に私を跡取りとして届け出ています。
だから学園を卒業して成人と認められれば、この伯爵家の当主として父とあの子を追い出して、幸せになれるのだと信じていたのです。
父は私よりもひとつ年下のあの子──父が亡くなった歌姫に産ませたのだという、私の異母妹と称するフォリーが学園を卒業するまでは伯爵家の本邸にふたりを住まわせて欲しいと言いましたが、もちろん私は拒否しました。
同じ王都にある伯爵邸の別邸を与えただけで充分でしょう。
あちらのほうが学園にも近いのです。
新しい溜息を飲み込んで、私は唇を噛みました。
私はまだ学園を卒業していません。
卒業は半年後で、それから一ヶ月ほどで子どものころからの婚約者と結婚する予定になっています。
さっき窓から見下ろした光景が脳裏に渦巻きます。
執務室の窓からは裏庭の東屋が見えるのです。
私の婚約者、侯爵家の次男アルテュール様がフォリーに手を引かれて東屋に入っていきました。東屋には壁がないけれど、屋根と柱があるのですからすべてを見通すことは出来ません。
でもわかりました。
ふたりは睦み合っているのです。
……私は信じたのに。あの子と別れて私ひとりを愛するから、婚約解消は撤回して欲しいと言ったアルテュール様の言葉を。フォリーとの不貞を告白して私に謝罪し、一度は自分から婚約解消を望んだ誠実なアルテュール様を信じていたのに。
「どうぞ、お入りなさい」
執務室の扉を叩く音がしたので、私は目もとを拭って入室を許可しました。
侍女がお茶と焼き菓子を運んできてくれたのです。
この家の血筋は父で、母は伯爵家を運営させるためだけに娶られた人間、私はその母が産んだ父に愛されていない娘に過ぎませんが、伯爵家に仕える人々は母と私を尊重してくれています。
父は母との結婚前からフォリーの母親の歌姫に夢中で、挙句自分に任された事業の資金を流用して劇場を造り、彼女に捧げました。
王都に建てられたマルール劇場がそれです。
マルールというのは歌姫の名前で、劇場は彼女の名前を冠しているのです。
当然任されていた事業のほうは資金不足で瓦解して、伯爵家の財政を傾けた父は自家に忠実な家臣や使用人達に見切りをつけられました。
お爺様のただひとりの息子でなければ、とっくに追い出されていたことでしょう。
身内の情に流されたお爺様を責めるつもりはありません。
私だって幼いころは、ただ肉親だというだけで父の愛を求めていたのですもの。
歌姫の虜だった父と伯爵家の運営で多忙な母とお爺様の代わりに、私に家族の温もりを与えてくれたのは、母の親友である侯爵夫人とそのご家族でした。
お爺様のことは好きですが、身内や肉親というよりも教師と生徒という関係に近い気がします。私が父に似ていたら、お爺様がだれよりも愛していたという夭折した祖母に似ていたら、もっと違ったのかもしれません。
どうして人は得られないものを求めてしまうのでしょうか。
私に向かって婚約解消の撤回を口にしているときでさえ、アルテュール様は部屋の外であの子の甲高い声がすると瞳を動かしていたのに。
侯爵家の人々が実の家族のように優しくしてくださるからといって、それとアルテュール様に愛されるかどうかはべつのことだったのに。
母は、父の代わりに伯爵家を運営することを期待して選ばれた優秀な子爵令嬢でした。
実家があまり裕福でない没落貴族家だったため、買われるようにして嫁いで来たのだと聞いています。
お爺様が母の葬儀の後で、息子可愛さに残酷な真似をしてしまったと、私と亡き母に謝ってくださったときに教えていただいたのです。
二階の執務室の机に向かって椅子に座ります。
俯いて溜息をこぼし、思いました。この悪夢はいつまで続くのだろう、と。
この王国の貴族子女と裕福な平民の通う学園を卒業すれば、すべてが終わると考えていました。
お爺様は父に見切りをつけて、学園入学以前に私を跡取りとして届け出ています。
だから学園を卒業して成人と認められれば、この伯爵家の当主として父とあの子を追い出して、幸せになれるのだと信じていたのです。
父は私よりもひとつ年下のあの子──父が亡くなった歌姫に産ませたのだという、私の異母妹と称するフォリーが学園を卒業するまでは伯爵家の本邸にふたりを住まわせて欲しいと言いましたが、もちろん私は拒否しました。
同じ王都にある伯爵邸の別邸を与えただけで充分でしょう。
あちらのほうが学園にも近いのです。
新しい溜息を飲み込んで、私は唇を噛みました。
私はまだ学園を卒業していません。
卒業は半年後で、それから一ヶ月ほどで子どものころからの婚約者と結婚する予定になっています。
さっき窓から見下ろした光景が脳裏に渦巻きます。
執務室の窓からは裏庭の東屋が見えるのです。
私の婚約者、侯爵家の次男アルテュール様がフォリーに手を引かれて東屋に入っていきました。東屋には壁がないけれど、屋根と柱があるのですからすべてを見通すことは出来ません。
でもわかりました。
ふたりは睦み合っているのです。
……私は信じたのに。あの子と別れて私ひとりを愛するから、婚約解消は撤回して欲しいと言ったアルテュール様の言葉を。フォリーとの不貞を告白して私に謝罪し、一度は自分から婚約解消を望んだ誠実なアルテュール様を信じていたのに。
「どうぞ、お入りなさい」
執務室の扉を叩く音がしたので、私は目もとを拭って入室を許可しました。
侍女がお茶と焼き菓子を運んできてくれたのです。
この家の血筋は父で、母は伯爵家を運営させるためだけに娶られた人間、私はその母が産んだ父に愛されていない娘に過ぎませんが、伯爵家に仕える人々は母と私を尊重してくれています。
父は母との結婚前からフォリーの母親の歌姫に夢中で、挙句自分に任された事業の資金を流用して劇場を造り、彼女に捧げました。
王都に建てられたマルール劇場がそれです。
マルールというのは歌姫の名前で、劇場は彼女の名前を冠しているのです。
当然任されていた事業のほうは資金不足で瓦解して、伯爵家の財政を傾けた父は自家に忠実な家臣や使用人達に見切りをつけられました。
お爺様のただひとりの息子でなければ、とっくに追い出されていたことでしょう。
身内の情に流されたお爺様を責めるつもりはありません。
私だって幼いころは、ただ肉親だというだけで父の愛を求めていたのですもの。
歌姫の虜だった父と伯爵家の運営で多忙な母とお爺様の代わりに、私に家族の温もりを与えてくれたのは、母の親友である侯爵夫人とそのご家族でした。
お爺様のことは好きですが、身内や肉親というよりも教師と生徒という関係に近い気がします。私が父に似ていたら、お爺様がだれよりも愛していたという夭折した祖母に似ていたら、もっと違ったのかもしれません。
どうして人は得られないものを求めてしまうのでしょうか。
私に向かって婚約解消の撤回を口にしているときでさえ、アルテュール様は部屋の外であの子の甲高い声がすると瞳を動かしていたのに。
侯爵家の人々が実の家族のように優しくしてくださるからといって、それとアルテュール様に愛されるかどうかはべつのことだったのに。
母は、父の代わりに伯爵家を運営することを期待して選ばれた優秀な子爵令嬢でした。
実家があまり裕福でない没落貴族家だったため、買われるようにして嫁いで来たのだと聞いています。
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