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第二話 彼女は隣国へ嫁ぐ。
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「くそっ!」
パナヨティスは自身の執務室で机を叩いた。
学園の卒業パーティから半年が過ぎ去っている。
侯爵令嬢エウドクシアは隣国の王との婚礼に向けて隊列を組み旅路を辿っていた。あまりの早さに以前から話がまとまっていたのではないかと疑う声もあったが、そうではないことはパナヨティスが一番よく知っていた。
パナヨティスはエウドクシア有責で婚約を破棄するため、学園在学中は必死になって侯爵令嬢の周辺を調査させていたのだ。
エウドクシアに婚約者以外の男の影はなかった。
今回の縁談は隣国デュカキス王国から持ち込まれたもので、侯爵家が受け入れてすぐに婚礼という運びになったのは、獣人の住む隣国で最も大切とされる十年に一度の満月の大祭に間に合わせるためだ。満月の大祭で結ばれた男女は、生と死を司る月の女神に祝福されて永遠に仲睦まじく幸せに過ごせるのだという。
デュカキス王国が侯爵家に縁談を持ち込んできたのは、アントニュー王国との交流を閉ざさぬようにである。
両国の友好はもう少しで途絶えるところだった。
原因はアントニュー王国の男爵家──クレマラとその姉の実家だ。男爵家は数年前からデュカキス王国の獣人達を対象に麻薬を売りさばいていた。アントニュー王国でもデュカキス王国でも、いいや大陸全土において麻薬販売は犯罪だ。
ほとんどの住人が獣の特徴を持たないヒト族であるアントニュー王国の獣人への印象は良いものではない。野蛮で愚かな存在だと見下すものが多い。
デュカキス王国から麻薬捜査への協力要請が来ても、アントニュー王国は動こうとしなかった。申し訳程度に近衛騎士団を動かして、証拠が出なかったから問題はなかったと返して終わりだった。
隣国に協力していたのは両国の境にあり、麻薬販売の組織が自領を通っていくことに怒りを感じていた侯爵家だけだ。
学園の卒業パーティから一ヶ月ほどして、デュカキス王国と侯爵家の共同捜査で麻薬組織の後ろにいるのが男爵家であることが暴かれ、国王が愛妾、王太子が男爵令嬢に情報を流していたことで、これまで捜査が難航していた事実も明らかになった。
この時期に判明したのは、学園を卒業したことでパナヨティスと男爵令嬢クレマラの会う機会が減ったからだろう。パナヨティスは侯爵令嬢との婚約を破棄したが、だからといって後釜にクレマラを据えるというわけにはいかなかった。
そのおかげで捜査情報を秘匿することが出来たのだ。パナヨティスと侯爵令嬢エウドクシアが婚約破棄していたことで、侯爵家の情報も守り通せた。
アントニュー王国の国王と王太子が気づきもせずに女へと重要情報を流していたせいで、デュカキス王国の多くの獣人達が廃人となり、あるものは死に、あるものは家族を犠牲にしても麻薬を求めていたのだ。
これで怒りを感じない国などない。
麻薬組織の拡大と足並みを揃えて発展した違法奴隷市場の殲滅は、アントニュー王国とデュカキス王国のこれからの課題となる。周辺国のみならず大陸全土から厳しい視線が向けられていた。
「……」
父である国王は、もうすぐ退位する。
パナヨティスも王太子の座を退くことになっている。当然王にはならない。なれるはずがない。
その上で侯爵令嬢エウドクシアを隣国へ嫁がせることが、アントニュー王国とデュカキス王国が今後も付き合いを続けていくことの条件だった。
アントニュー王国には獣人の国と莫迦にされているものの、デュカキス王国は農業が盛んで豊かな国だ。
デュカキス王国から輸入する食糧が無ければ、かつて調子に乗って地下資源を掘り過ぎたせいで土地の痩せたアントニュー王国の民は生きてはいけない。
むしろデュカキス王国の助けがなければ生きていけないという劣等感から逃れるために、アントニュー王国の民は獣人を見下そうとしていたのかもしれない。
「……入れ」
扉を叩く音に気づき、パナヨティスは許可を出した。
机上には書類もなにもない。扉の向こうに護衛はいるが、室内に文官はいない。側近達も男爵令嬢に各家の重要情報を流していたことで廃嫡されていた。
もうパナヨティスには大切なことは任せてもらえない。男爵家が取り潰され、クレマラとその姉が処刑された今も、これからもずっと。
護衛が扉を開けてパナヨティスの弟王子が入室して来る。
パナヨティスの弟王子はまだ幼い。
思えば弟王子の誕生で、跡取りをふたり作って役目を果たしたとばかりに国王が愛妾を囲うようになったのだった。もちろんそれは弟王子の罪ではない。国王と王妃の関係は悪いものではなかった。年齢による身体の衰えを感じ始めていた国王が若い娘に迫られて舞い上がっただけのことだ。
「兄上、侯爵家のエウドクシア嬢が隣国へ向かう旅程をどなたかにお教えになりましたか?」
冷たい瞳で射られ、思いも寄らぬことを問われてパナヨティスは狼狽えた。
ここ数ヶ月の記憶を辿り、パナヨティスの顔から血の気が失せる。
パナヨティスは立ち上がると、すでに自分よりも王の風格を漂わせている弟王子に答えた。
「クレマラに……クレマラに教えた。しかし! もう投獄された後だ。その後すぐにクレマラは処刑されてしまった。情報が漏れるはずがない」
「……一つまみの麻薬でも大金になりますし、元男爵令嬢は自分の身体を餌にすることに抵抗を覚えない人間でした。それは兄上が一番よくご存じでしょう?」
「……」
パナヨティスは俯いた。
長年の婚約者よりもクレマラを選んだのは、たとえ婚約者であったとしても結婚前の男女がおこなうには相応しくない行為を男爵令嬢が許してくれたからだ。
悪いことだという自覚はあった。婚約者のエウドクシアを裏切っているし、クレマラのことだって弄んでいる。しかし、その罪悪感はいつしか甘美な毒となってパナヨティスを蝕んでいった。
「看守経由で外へ情報が漏れたのでしょうね。……わかりました。ありがとうございます、兄上」
「ま、待ってくれ! エウドクシアの婚礼の旅路でなにか起こったのか?」
パナヨティスは、礼だけ言って踵を返そうとする弟王子を呼び止めた。
一瞬だけ怒りを含んだ表情で振り向いて、弟王子は沈痛な面持ちで教えてくれた。
「エウドクシア嬢の婚礼の隊列は襲撃されました。男爵家を始めとする麻薬組織の幹部は捕縛しましたが、周辺国へ散った末端は残っています。奴らが違法奴隷市場に雇われたならず者達を動かしたのです。エウドクシア嬢を襲ったことでデュカキス王国へ脅しをかけているつもりなのかもしれません」
「……」
パナヨティスはその場に膝をついた。
パナヨティスは自身の執務室で机を叩いた。
学園の卒業パーティから半年が過ぎ去っている。
侯爵令嬢エウドクシアは隣国の王との婚礼に向けて隊列を組み旅路を辿っていた。あまりの早さに以前から話がまとまっていたのではないかと疑う声もあったが、そうではないことはパナヨティスが一番よく知っていた。
パナヨティスはエウドクシア有責で婚約を破棄するため、学園在学中は必死になって侯爵令嬢の周辺を調査させていたのだ。
エウドクシアに婚約者以外の男の影はなかった。
今回の縁談は隣国デュカキス王国から持ち込まれたもので、侯爵家が受け入れてすぐに婚礼という運びになったのは、獣人の住む隣国で最も大切とされる十年に一度の満月の大祭に間に合わせるためだ。満月の大祭で結ばれた男女は、生と死を司る月の女神に祝福されて永遠に仲睦まじく幸せに過ごせるのだという。
デュカキス王国が侯爵家に縁談を持ち込んできたのは、アントニュー王国との交流を閉ざさぬようにである。
両国の友好はもう少しで途絶えるところだった。
原因はアントニュー王国の男爵家──クレマラとその姉の実家だ。男爵家は数年前からデュカキス王国の獣人達を対象に麻薬を売りさばいていた。アントニュー王国でもデュカキス王国でも、いいや大陸全土において麻薬販売は犯罪だ。
ほとんどの住人が獣の特徴を持たないヒト族であるアントニュー王国の獣人への印象は良いものではない。野蛮で愚かな存在だと見下すものが多い。
デュカキス王国から麻薬捜査への協力要請が来ても、アントニュー王国は動こうとしなかった。申し訳程度に近衛騎士団を動かして、証拠が出なかったから問題はなかったと返して終わりだった。
隣国に協力していたのは両国の境にあり、麻薬販売の組織が自領を通っていくことに怒りを感じていた侯爵家だけだ。
学園の卒業パーティから一ヶ月ほどして、デュカキス王国と侯爵家の共同捜査で麻薬組織の後ろにいるのが男爵家であることが暴かれ、国王が愛妾、王太子が男爵令嬢に情報を流していたことで、これまで捜査が難航していた事実も明らかになった。
この時期に判明したのは、学園を卒業したことでパナヨティスと男爵令嬢クレマラの会う機会が減ったからだろう。パナヨティスは侯爵令嬢との婚約を破棄したが、だからといって後釜にクレマラを据えるというわけにはいかなかった。
そのおかげで捜査情報を秘匿することが出来たのだ。パナヨティスと侯爵令嬢エウドクシアが婚約破棄していたことで、侯爵家の情報も守り通せた。
アントニュー王国の国王と王太子が気づきもせずに女へと重要情報を流していたせいで、デュカキス王国の多くの獣人達が廃人となり、あるものは死に、あるものは家族を犠牲にしても麻薬を求めていたのだ。
これで怒りを感じない国などない。
麻薬組織の拡大と足並みを揃えて発展した違法奴隷市場の殲滅は、アントニュー王国とデュカキス王国のこれからの課題となる。周辺国のみならず大陸全土から厳しい視線が向けられていた。
「……」
父である国王は、もうすぐ退位する。
パナヨティスも王太子の座を退くことになっている。当然王にはならない。なれるはずがない。
その上で侯爵令嬢エウドクシアを隣国へ嫁がせることが、アントニュー王国とデュカキス王国が今後も付き合いを続けていくことの条件だった。
アントニュー王国には獣人の国と莫迦にされているものの、デュカキス王国は農業が盛んで豊かな国だ。
デュカキス王国から輸入する食糧が無ければ、かつて調子に乗って地下資源を掘り過ぎたせいで土地の痩せたアントニュー王国の民は生きてはいけない。
むしろデュカキス王国の助けがなければ生きていけないという劣等感から逃れるために、アントニュー王国の民は獣人を見下そうとしていたのかもしれない。
「……入れ」
扉を叩く音に気づき、パナヨティスは許可を出した。
机上には書類もなにもない。扉の向こうに護衛はいるが、室内に文官はいない。側近達も男爵令嬢に各家の重要情報を流していたことで廃嫡されていた。
もうパナヨティスには大切なことは任せてもらえない。男爵家が取り潰され、クレマラとその姉が処刑された今も、これからもずっと。
護衛が扉を開けてパナヨティスの弟王子が入室して来る。
パナヨティスの弟王子はまだ幼い。
思えば弟王子の誕生で、跡取りをふたり作って役目を果たしたとばかりに国王が愛妾を囲うようになったのだった。もちろんそれは弟王子の罪ではない。国王と王妃の関係は悪いものではなかった。年齢による身体の衰えを感じ始めていた国王が若い娘に迫られて舞い上がっただけのことだ。
「兄上、侯爵家のエウドクシア嬢が隣国へ向かう旅程をどなたかにお教えになりましたか?」
冷たい瞳で射られ、思いも寄らぬことを問われてパナヨティスは狼狽えた。
ここ数ヶ月の記憶を辿り、パナヨティスの顔から血の気が失せる。
パナヨティスは立ち上がると、すでに自分よりも王の風格を漂わせている弟王子に答えた。
「クレマラに……クレマラに教えた。しかし! もう投獄された後だ。その後すぐにクレマラは処刑されてしまった。情報が漏れるはずがない」
「……一つまみの麻薬でも大金になりますし、元男爵令嬢は自分の身体を餌にすることに抵抗を覚えない人間でした。それは兄上が一番よくご存じでしょう?」
「……」
パナヨティスは俯いた。
長年の婚約者よりもクレマラを選んだのは、たとえ婚約者であったとしても結婚前の男女がおこなうには相応しくない行為を男爵令嬢が許してくれたからだ。
悪いことだという自覚はあった。婚約者のエウドクシアを裏切っているし、クレマラのことだって弄んでいる。しかし、その罪悪感はいつしか甘美な毒となってパナヨティスを蝕んでいった。
「看守経由で外へ情報が漏れたのでしょうね。……わかりました。ありがとうございます、兄上」
「ま、待ってくれ! エウドクシアの婚礼の旅路でなにか起こったのか?」
パナヨティスは、礼だけ言って踵を返そうとする弟王子を呼び止めた。
一瞬だけ怒りを含んだ表情で振り向いて、弟王子は沈痛な面持ちで教えてくれた。
「エウドクシア嬢の婚礼の隊列は襲撃されました。男爵家を始めとする麻薬組織の幹部は捕縛しましたが、周辺国へ散った末端は残っています。奴らが違法奴隷市場に雇われたならず者達を動かしたのです。エウドクシア嬢を襲ったことでデュカキス王国へ脅しをかけているつもりなのかもしれません」
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