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拝啓、主様
しおりを挟む少年の傍らに、年老いた一匹の大きな犬が手首を交叉させて伏せている。
カーテンは閉まっていたが、窓はたなびく秋風に叩かれガタガタと音をたてた。
机で語学を勉強している、主の背中を
じっと見守るように眺めながら、犬は静かに決意した。
〈私はこの秋、死なせて頂くことにしましょう〉
寒さ厳しい冬がやって来ると、この老体には堪えるから…
主様と過ごした暖かい思い出があるから
旅立ちも怖くはないのです。
思い出します。
主様と出会ったばかりの頃、私は生まれて初めて叱られました。
あの時の主様の顔ときたら
まるで赤く膨らんだ風船のようで、
いつ割れるかとヒヤヒヤしたものです。
でもそれは、私を心配して下さっていたからだと
直ぐに気が付くことが出来ました。
だって、主様は
今度はしぼんだ風船のように張り付いてきて
おいおい声を出して泣くのですもの。
私は感情の起伏が少しばかり激しい主様のことが心配になり
よくそのお顔をぺロペロと舐めたものですね。
そんな時、主様はいつも決まってショッパイ味がしました。
でも、お返しに撫でて下さる小さな手には、なんだかくすぐったくも
甘い味が染み込んでいたように思えます。
1日に1度の主様との散歩
私には最高に特別な時間でした。
主様が、私を連れ出してくれるのを待っている間は
とてつもなく長い時間に感じ、何だか切なく思うこともありました。
わかってますとも
そんな時は、涼しい木陰に寝そべって
寝てしまえばいいのです。
主様は、私の夢の中に必ず現れて
美味しいご飯を一緒に食べたり
暖かい布団に潜ったり
広い草原の中で追っかけっこをして
遊んでくれるのですから。
でも目が覚めたとき
私はつい、主様大声で呼んでしまいます。
だって、あの優しい小さな手の感触だけは
夢の中では、感じることが出来なくて…
私はたまらなくなってしまうのです。
「 …… 」
暫く机に向かっていた主は、黙ってこちらを見つめているいる犬の様子に気づいた。
読みかけの本を閉じ、横に座って犬の名前を呼びながら頭を撫でる。
『 …お前も年をとったんだね。
あんなに沢山ごはんを食べていた君が
今ではすっかり食が細くなって寝てばかり』
犬は黙って撫でられていましたが、主は続けました。
『…ありがとう。
おまえと過ごせて
僕はずっと幸せだったよ
僕はいつまでも
君のことが大好きだ』
重い瞼を持ち上げて見上げると、
主様は微笑みながら、瞳に沢山の涙をためて
まるであの時の赤い風船のように
私を見ていらっしゃいました。
ああ、あの時の主様の小さな手は
いつの間にか、こんなに大きくご成長されて…
主様のお顔をお舐めしたいけど、
もう、どうにも体が言うことをきかないのです。
犬は、最後の力を振り絞って吠えました。
〈ワン!〉
伝わったでしょうか?
届いたでしょうか、
私の想い
さようなら
大好きな 主様
ああ…
深い眠りに落ちる、私の力無き身体を
優しく撫でる主様の手の感触…
とても気持ちがいい
わかります
私は一人じゃないのですね
では行きます
とっても素敵な夢が
私を待っていると分かるから
ご家族の皆様とも
また、海に行って下さいね
また、山に行って下さいね
きっとまた お会いできる
その日まで…
おやすみなさい
主は静かに立ち上がり
斜陽の漏れるカーテンと窓を静かに開け放つ。
風はいつしかピタリと止んでいた。
上空からゆっくりと
主に向かって何か舞い降りてくる。
「ゆき…雪だ」
その年、少し早く降ってきた初雪は
主の赤くなった頬を撫でるように滑り落ち
やがて溶けていった。
Fin
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みんなの感想(2件)
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主様と愛犬の心のつながりがとても暖かく、ゆっくりたっぷりと築かれた愛情を感じました。
私自身も長年一緒に暮らしたインコがいて、その時の別れを思い出し泣けてしまいました…
素敵な作品を拝読させていただき、ありがとうございました!
私もたくさんの別れをしてきたからぐっと来ちゃいましたね。逝く前日に私に見せた悲しそうな顔が思い出されます。何かいいたかったんだなって。
okameinkoさん
きっと別れを惜しんでいたのでしょうね…
ご感想、誠にありがとうございました。