23 / 29
四章 雨溶
雨溶.4
しおりを挟む
時刻はすでに夕方の五時ごろ。雲の隙間から差し込む光も朱色を帯び始めた頃合いに達していたが、訪れた夜重の家に彼女の姿はなかった。
『夜重なら、まだ帰ってきてないわよ』と夜重のお母さんが怪訝な顔でそう言ったから、私はすぐに家を出て、夜重がどこに行ったのかを考えた。
(夜重、学校を出てからそのままどっかに行ったんだ。私の家――なわけない。夜重はこういうとき、絶対に一人になろうとする。本当は独りになんてなりたくないくせに、誰もいない場所を探す)
夜重の行く先。その答えは、夜重との小学校時代の思い出が教えてくれた。
私は町のほうでもなく、学校のほうでもない、青々とした山が連なるほうへと早足で歩き出していた。
目指すは山の麓にある、小さなお寺。大きな杉の木と苔生した階段、人気のない社、いくつか連続で並び立つ鳥居がある、思い出の場所へと向かう。
小学生の頃に夜重と喧嘩したときは、だいたい帰り道にここを探した。そうすれば、先に学校から黙って出て行った夜重と会うことができたのだ。
杉の根の間に蹲っているか、社の賽銭箱の前に座っている幼い夜重の残像が脳裏に浮かぶ。幼馴染の特権だ。きっと今この世に、夜重を見つけ出せる人間は私しかいない。
住宅街を抜けて、農道に出る。田んぼ道の両脇に生えた背の高い草は、風に揺れて美しい音色を響かせている。
暗雲が辺りの空を覆っていた。莉音が言っていたとおり、雨が降るのだろう。耳を澄ませば遠雷の音が聞こえたし、どこからかアスファルトが濡れる匂いもする気がした。
なんだか、嫌な予兆みたいな曇り空だったけど、だからどうした、と私は不安を払いのける。深く考えずに邁進できるのは、私の強みなんだ。
山の麓に到着したときには、ぽつぽつと雨が降り始めていた。段々と暗くなっていく周囲の様子に臆病の虫が顔を覗かせたが、やはり、気力でぶっ飛ばして山際を進む。
雨脚はあっという間に強くなっていく。私が寺の一番下の鳥居をくぐった頃には、すでに夏の制服が体にじっとりと張り付くほど濡れてしまっていた。
(夜重、折り畳み傘持ってたかな…濡れてない、かな)
風邪でも引いたら大変だ、と階段を上り終えるも、社の境内には誰の姿もない。もしかしたら、あてが外れただろうかと不安になったが、得も言われぬ直感に導かれて大きな杉の木をぐるりと半周すると、木の根の間にずぶ濡れの夜重が蹲っていた。
「夜重…」
私のか細い声は、寺の土を打ち付ける雨音にかき消されているのだろう。夜重は一切の反応を見せなかった。
艶が天使の輪となって現れる夜重の長い黒髪も、雨水の重さに輝きを失いつつあるような感じがしたし、宝石と比べても見劣りしない瞳も伏せられているせいで、何の光も反射していない。
なんだか、ボロボロだ。
見た目だけじゃなくて、その、心の感じも。
蒼井夜重。綺麗で、孤高を地で行く女の子。そんな存在をこんなふうに追い詰めて、みすぼらしく貶めたやつは罰せられるべきだ…なんて、それ、私なんだけどね。
「夜重」
今度は彼女に届くよう、もっと大きな声を出す。すると、今まで眠っていたみたいにゆっくりと顔を上げた夜重は、私の顔を見て、亡霊でも目の当たりにしたかのように眉をひそめた。
「祈里…?」
黒曜の瞳は、たしかに私を映した。
ドクン、と鼓動が一つ強く鳴り、息が苦しくなる。
雨で濡れた髪も、雫をつたわせる白い頬も、少しだけ血色が悪くなった唇も…。
立てた膝の間に見える官能的な太ももも、透けて見える水色の下着も、熱を帯びる吐息も。
何もかもが私の琴線に触れ、心と体を熱くさせた。
蒼井夜重――私の好きな女の子。
みすぼらしくなった、なんて馬鹿なことをほざいたのは誰だ。
雨と失望に濡れたって、私の幼馴染は誰にも負けないくらい綺麗でかわいいんだから。
『夜重なら、まだ帰ってきてないわよ』と夜重のお母さんが怪訝な顔でそう言ったから、私はすぐに家を出て、夜重がどこに行ったのかを考えた。
(夜重、学校を出てからそのままどっかに行ったんだ。私の家――なわけない。夜重はこういうとき、絶対に一人になろうとする。本当は独りになんてなりたくないくせに、誰もいない場所を探す)
夜重の行く先。その答えは、夜重との小学校時代の思い出が教えてくれた。
私は町のほうでもなく、学校のほうでもない、青々とした山が連なるほうへと早足で歩き出していた。
目指すは山の麓にある、小さなお寺。大きな杉の木と苔生した階段、人気のない社、いくつか連続で並び立つ鳥居がある、思い出の場所へと向かう。
小学生の頃に夜重と喧嘩したときは、だいたい帰り道にここを探した。そうすれば、先に学校から黙って出て行った夜重と会うことができたのだ。
杉の根の間に蹲っているか、社の賽銭箱の前に座っている幼い夜重の残像が脳裏に浮かぶ。幼馴染の特権だ。きっと今この世に、夜重を見つけ出せる人間は私しかいない。
住宅街を抜けて、農道に出る。田んぼ道の両脇に生えた背の高い草は、風に揺れて美しい音色を響かせている。
暗雲が辺りの空を覆っていた。莉音が言っていたとおり、雨が降るのだろう。耳を澄ませば遠雷の音が聞こえたし、どこからかアスファルトが濡れる匂いもする気がした。
なんだか、嫌な予兆みたいな曇り空だったけど、だからどうした、と私は不安を払いのける。深く考えずに邁進できるのは、私の強みなんだ。
山の麓に到着したときには、ぽつぽつと雨が降り始めていた。段々と暗くなっていく周囲の様子に臆病の虫が顔を覗かせたが、やはり、気力でぶっ飛ばして山際を進む。
雨脚はあっという間に強くなっていく。私が寺の一番下の鳥居をくぐった頃には、すでに夏の制服が体にじっとりと張り付くほど濡れてしまっていた。
(夜重、折り畳み傘持ってたかな…濡れてない、かな)
風邪でも引いたら大変だ、と階段を上り終えるも、社の境内には誰の姿もない。もしかしたら、あてが外れただろうかと不安になったが、得も言われぬ直感に導かれて大きな杉の木をぐるりと半周すると、木の根の間にずぶ濡れの夜重が蹲っていた。
「夜重…」
私のか細い声は、寺の土を打ち付ける雨音にかき消されているのだろう。夜重は一切の反応を見せなかった。
艶が天使の輪となって現れる夜重の長い黒髪も、雨水の重さに輝きを失いつつあるような感じがしたし、宝石と比べても見劣りしない瞳も伏せられているせいで、何の光も反射していない。
なんだか、ボロボロだ。
見た目だけじゃなくて、その、心の感じも。
蒼井夜重。綺麗で、孤高を地で行く女の子。そんな存在をこんなふうに追い詰めて、みすぼらしく貶めたやつは罰せられるべきだ…なんて、それ、私なんだけどね。
「夜重」
今度は彼女に届くよう、もっと大きな声を出す。すると、今まで眠っていたみたいにゆっくりと顔を上げた夜重は、私の顔を見て、亡霊でも目の当たりにしたかのように眉をひそめた。
「祈里…?」
黒曜の瞳は、たしかに私を映した。
ドクン、と鼓動が一つ強く鳴り、息が苦しくなる。
雨で濡れた髪も、雫をつたわせる白い頬も、少しだけ血色が悪くなった唇も…。
立てた膝の間に見える官能的な太ももも、透けて見える水色の下着も、熱を帯びる吐息も。
何もかもが私の琴線に触れ、心と体を熱くさせた。
蒼井夜重――私の好きな女の子。
みすぼらしくなった、なんて馬鹿なことをほざいたのは誰だ。
雨と失望に濡れたって、私の幼馴染は誰にも負けないくらい綺麗でかわいいんだから。
1
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
小さくなって寝ている先輩にキスをしようとしたら、バレて逆にキスをされてしまった話
穂鈴 えい
恋愛
ある日の放課後、部室に入ったわたしは、普段しっかりとした先輩が無防備な姿で眠っているのに気がついた。ひっそりと片思いを抱いている先輩にキスがしたくて縮小薬を飲んで100分の1サイズで近づくのだが、途中で気づかれてしまったわたしは、逆に先輩に弄ばれてしまい……。
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
秋の陽気(ようき)
転生新語
恋愛
元夫(もとおっと)が先月、亡くなった。四十九日法要が終わって、私は妹の娘と再会する……
カクヨム、小説家になろうに投稿しています。
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/822139836259441399
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n1892ld/
学園の美人三姉妹に告白して断られたけど、わたしが義妹になったら溺愛してくるようになった
白藍まこと
恋愛
主人公の花野明莉は、学園のアイドル 月森三姉妹を崇拝していた。
クールな長女の月森千夜、おっとり系な二女の月森日和、ポジティブ三女の月森華凛。
明莉は遠くからその姿を見守ることが出来れば満足だった。
しかし、その情熱を恋愛感情と捉えられたクラスメイトによって、明莉は月森三姉妹に告白を強いられてしまう。結果フラれて、クラスの居場所すらも失うことに。
そんな絶望に拍車をかけるように、親の再婚により明莉は月森三姉妹と一つ屋根の下で暮らす事になってしまう。義妹としてスタートした新生活は最悪な展開になると思われたが、徐々に明莉は三姉妹との距離を縮めていく。
三姉妹に溺愛されていく共同生活が始まろうとしていた。
※他サイトでも掲載中です。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
久しぶりに帰省したら私のことが大好きな従妹と姫はじめしちゃった件
楠富 つかさ
恋愛
久しぶりに帰省したら私のことが大好きな従妹と姫はじめしちゃうし、なんなら恋人にもなるし、果てには彼女のために職場まで変える。まぁ、愛の力って偉大だよね。
※この物語はフィクションであり実在の地名は登場しますが、人物・団体とは関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる