四季怪々 僕らと黒い噂達

島倉大大主

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Final Chapter

2:異変

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 風が更に強くなってきましたが、幸い追い風で、傘を後ろに傾ければ体が軽くなりました。足元の雪は深く、長靴に被せたジーンズの裾はすでにびしょびしょでしたけど、その中は厚手の靴下と黒タイツの組み合わせで実に暖かい。時折、後からの風で小さな地吹雪が起こり、視界が霞みます。
 うーん、成程、雪山で遭難する仕組みが判ったような気がします。歩きなれた道でも雪が降ってしまえば、もう全然違う風景です。
 しかも、ここらは電柱が無い上に、道の端がやや傾斜しているものですから、なんか雪山の稜線を歩いているような気分になってきます。いや、実際の雪山に登った事は無いのだけれども――ともかく交通標識もただの細長い雪のオブジェとあっては、もはや日本であると認識させるものすらありません。
 ただ、ごうごうとダウンジャケットのフード越しに唸る風と雪。そして真っ白な空と大地のみが目に映る全てなのです、なんてカメラに向かって喋りつつ、ダウンを着ている所為でそうなるんですが、大袈裟な動きで振り返ってみますが、やはり白以外は何もない。

 太平洋ひとりぼっちならぬ、僕の町でひとりぼっちです。

 まあ、秋に船に乗ってひとりぼっちの町に行きましたけどね。

 と、その時でした。後からばさっと音がしたのです。
 ん? と振り返ってみますが、時折吹きつける地吹雪が顔に冷たいだけです。
 空耳? 
 辺りを見渡します。橋の手前二百メートルといった場所です。たしか道路と並行するように細い脇道があって、そこに木が何本か植えてあって、きっとそこから雪が――

 ばさっばさっ。

 今のは間違いなく前から。
 しかも二回。
 さっきのも前から? 
 いや、それはない。さっきは間違いなく後ろからだった。

 瞬きをして、僕はじっと正面を見ました。少し先の左脇に白塗りの鉄柵が見えました。上に上手い具合にうず高く積もった雪が、風で崩れて、ばさりと下に落ちます。鉄柵の下にはこんもりとした小さな雪塊が幾つもあります。

 ああ、この音か……と、僕はお茶を啜ってスマホで時間を確認します。家から出てすでに三十分経っていました。ばさっと前方でまた音がします。
 僕は重くなった傘の雪を振り落し、ついでダウンの袖をはらい、手を振って軍手から雪を振り落します。

 よしよし、極地探検の時は、大袈裟なくらいが丁度いい。体温低下の原因は極力排除せねば、とカメラに向かって喋っていたと思います。もう完全に探検隊スペシャル、もしくは台風報道な気分です。
 鉄柵が終わりますと、橋の欄干が前方にボンヤリと見え始めました。風は、まあ、要するに吹雪です。スマホを取り出し時間を確認すると出発してから四十分。

「うーん、ここらが限界ですかね! では、皆さん、今から帰宅します!」

 そう言ってから、僕はスマホが圏外になっているのに気がつきました。雪で電波が届かなくなるってことはあるんでしょうか? いや、もしかしたら震災の時のように大規模な停電が起き始めているのでしょうか? いや、でも確か基地局には停電対策のバッテリーとかがあったはずで――
 その時、僕は妙な物を見つけました。

 今、歩道脇から吹く風に対し背を向けていて、目の前にはふかふかと雪で満たされた車道が拡がっていて、タイヤの跡はない。
 でも、何かの跡があるんです。
 僕はゆっくりとしゃがみました。一際大きく風が強く吹きつけ、傘が唸り、腋の下から粉雪が吹き出します。

 幅二メートルぐらい、大人が寝転がったくらいの雪が抉れ、乱れているんです。複雑な文様……に見えなくもないです。

 誰かが靴でつけた?

「いや、それはない」
 僕はそう言うと、立ち上がって前方に目を凝らしました。足跡は無いように見えます。振り返ってみても、やはり自分の足跡以外は無いように思えます。もしかしてこれをやった人の足跡は吹雪で消えてしまった、とか? 
 でも、前方の雪は誰も踏み荒らしていない雪独特の、ふかっとした感じに見えるし、今まで通ってきた道もそうでした。
 では、これはどういう事なんだろうか? 風? それとも――動物? 犬がここで転げまわった、とか?
「いや、まさか」
 思わず声に出る。こんな吹雪の日じゃ飼い犬は勿論、野良犬や迷い犬だってうろつかないだろう。僕は頭を振り、カメラを前方に向けました。青黒く幅広い欄干の上には雪が降り積もり、そこから落ちたと思われる雪塊がうず高くもたれかかっています。

 あれ?

 僕はぎょむぎょむと進みますと、靴底の感触が僅かに変わった気がします。橋の継ぎ目でしょうか? そのまま進むと先程見つけたものが足元に来ました。
 小さな鳥の足跡です。
 それがそこかしこにある。目を上げると欄干の上の雪にも幾つもついている。ということは所々雪が崩れているのは鳥が落としたのかもしれないわけだ。
 僕は長く息を吐きました。自分以外の動物のちゃんとした痕跡を久しぶりに見て安心しました。秋以来、おかしな現象は影を潜めつつある。だからさっきのあの跡だって、きっと雪が強くなる前に犬が来て――

 少し先の欄干の下の雪塊。その雪塊から何かが飛び出していました。

 僕は深く重く纏わりつく雪から足をもぎ取るようにして進みました。ふっと風が弱まり、細かく吐いた息が綿毛のようにふらふらと漂って消えていきます。さっきよりも大粒になっていた雪がぽそぽそと音を立てて傘に積もっていきます。
 足元の雪塊から飛び出しているのは、間違いなく黒い鳥の羽でした。
 ゆっくりと長靴の先を近づけ、軽く突いてみますと、上の部分の雪がぱさぱさと崩れ、薄いピンク色のささくれ立った小枝のような物が二つ現われました。カメラを向けてズームします。
 どう見たって鳥の足、でした。
 息が荒くなります。更にゆっくりと突くと、雪塊全体がざらりと崩れ、大きな烏が転がり出てきました。目は閉じられ、見ようによっては幸せそうに眠っているようにも見えますが、顔は後を向き、背中の真ん中に嘴を突っ込んでいます。周りを囲んでいた雪はうっすらと赤色に染まっていました。

 ばさっと後ろから音がしました。

 さっと振り返りますが、勿論、自分の足跡以外何も見えません。
 僕はゆっくりと向き直ると、烏の死骸を見下ろしました。
 自然死? 
 いや、まさか! 
 だけど、他の動物が、例えば猫や犬が殺した烏を雪に埋めたというのは? そういう行為をする動物は野良犬か……熊?
 まさかまさかだ。ここから一番近い山まで車で三十分。大体、足跡が無い。欄干から身を乗り出して下を見ますが、勿論熊はいなく、真っ白になった公園と、真っ黒い川。あの鯉たちは見えません。少しだけ暖かい、草むらとか排水溝の近くに行って――

 はっと体が硬直しました。
 僕は――なんで今の今まで、忘れていたのでしょうか。

 外来種――『ゆきのうしろをあゆむもの』――

 そいつが来ている? 
 いや、待て待て。何かの所為で欄干にぶつかって首が折れた、とかは? それで雪が積もった? そういえばいつの事だったか、窓に鳩がぶつかって死んだことがあって、吃驚したけど、そういうことも時々あるんだろうとぼんやり考えて――
 だったら、と委員長の声が聞こえた気がしました。

『あの少し先に、同じようにある雪塊から、同じように見えている鳥の羽みたいな物は一体何だろうねえ?』
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