病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します

ぱんだ

文字の大きさ
1 / 33

私の婚約者と幼馴染

しおりを挟む
婚約者の背中はいつも遠い。シャンデリアの光が降り注ぐ王宮の広間は、着飾った貴族たちの賑わいと、軽やかなワルツの音色で満たされていた。グラディウス子爵家の長女である私、セフィーナ・グラディウスは、壁際に置かれたシルクのソファに腰掛け、その光景をぼんやりと眺めていた。正確には、人々の輪の中心で、ひときわ目を引く一組の男女の背中を見ていた。

私の婚約者、アルディン・オルステリア伯爵令息。そして、彼の隣でしおらしく微笑む彼の幼馴染リーシャ・ランスロット男爵令嬢。今日もアルディンは、当然のようにリーシャをエスコートしている。十年という長い婚約期間で、とうに見慣れてしまった光景だった。

「リーシャ、少し顔色が悪いんじゃないか? 無理はするなよ」

アルディンが心配そうな声で、リーシャの肩にかかったショールを優しくかけ直す。その親密な仕草に、周囲の貴族たちが同情的と、あざけるような視線を私に向けるのを感じる。もう、ずっと前から、そんな無遠慮な視線は慣れている。私は澄ました顔でグラスに口をつけて喉の渇きを潤した。

アルディンは優しい。誰にでもではない。特に、病弱なリーシャには格別に。その優しさが、私にとっては鋭いガラスの破片となって、心を少しずつ削っていく。

ふと、遠い日の記憶が蘇る。まだ幼かった頃、庭園で転んで膝を擦りむいた私に、泥だらけの手を差し伸べてくれたのはアルディンだった。

『大丈夫か、セフィーナ。痛いだろう』

そう言って、ハンカチを取り出して私の涙を少し乱暴に拭ってくれた。あの頃、彼の隣は間違いなく私のものだったはずなのに。いつからだろう。彼の視線が、私を通り越してリーシャに向けられるようになった。

グラスの中で揺れる琥珀色の液体に、諦めきった自分の顔が映る。胸の奥で、小さな痛みが疼く。それはもう、慢性的な痛みになっていて、日常生活の一部に溶け込んでしまっていた。私はただ、その痛みに気づかないふりをして、今日も彼のために、理想的な婚約者を演じ続ける。

「彼にとって都合の良い女」
「利用されてる可哀想な人」
「いくら政略結婚だとしても、ねえ?」
「ここまで我慢しろと言われるのは私には無理ですわ」
「限界というものがありますわよね」

アルディンの背中を見つめる私を見て、周りは便利な存在と冷笑しているわけだ。

夜会からの帰り道。二人きりの馬車の中は息が詰まるような沈黙に満ちていた。規則正しく響く蹄の音だけが、気まずい空気をかき混ぜている。先に沈黙を破ったのは、やはりアルディンだった。

「リーシャの咳が酷くて心配だ。季節の変わり目はいつも体調を崩す」

彼の声には、隠しきれない憂いが滲んでいた。私のことなど、どうでもいいかのようだ。彼の世界は、いつだってリーシャを中心に回っている。

「……そう、ですわね」

私は喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。『私のことは、心配してくださいましたか?』なんて、愚かな問いを口にしなくて良かったと心底思う。彼の答えは分かりきっているのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

もう演じなくて結構です

梨丸
恋愛
侯爵令嬢セリーヌは最愛の婚約者が自分のことを愛していないことに気づく。 愛しの婚約者様、もう婚約者を演じなくて結構です。 11/5HOTランキング入りしました。ありがとうございます。   感想などいただけると、嬉しいです。 11/14 完結いたしました。 11/16 完結小説ランキング総合8位、恋愛部門4位ありがとうございます。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

婚約破棄された令嬢のささやかな幸福

香木陽灯
恋愛
 田舎の伯爵令嬢アリシア・ローデンには婚約者がいた。  しかし婚約者とアリシアの妹が不貞を働き、子を身ごもったのだという。 「結婚は家同士の繋がり。二人が結ばれるなら私は身を引きましょう。どうぞお幸せに」  婚約破棄されたアリシアは潔く身を引くことにした。  婚約破棄という烙印が押された以上、もう結婚は出来ない。  ならば一人で生きていくだけ。  アリシアは王都の外れにある小さな家を買い、そこで暮らし始める。 「あぁ、最高……ここなら一人で自由に暮らせるわ!」  初めての一人暮らしを満喫するアリシア。  趣味だった刺繍で生計が立てられるようになった頃……。 「アリシア、頼むから戻って来てくれ! 俺と結婚してくれ……!」  何故か元婚約者がやってきて頭を下げたのだ。  しかし丁重にお断りした翌日、 「お姉様、お願いだから戻ってきてください! あいつの相手はお姉様じゃなきゃ無理です……!」  妹までもがやってくる始末。  しかしアリシアは微笑んで首を横に振るばかり。 「私はもう結婚する気も家に戻る気もありませんの。どうぞお幸せに」  家族や婚約者は知らないことだったが、実はアリシアは幸せな生活を送っていたのだった。

殿下はご存じないのでしょうか?

7
恋愛
「お前との婚約を破棄する!」 学園の卒業パーティーに、突如婚約破棄を言い渡されてしまった公爵令嬢、イディア・ディエンバラ。 婚約破棄の理由を聞くと、他に愛する女性ができたという。 その女性がどなたか尋ねると、第二殿下はある女性に愛の告白をする。 殿下はご存じないのでしょうか? その方は――。

君を幸せにする、そんな言葉を信じた私が馬鹿だった

白羽天使
恋愛
学園生活も残りわずかとなったある日、アリスは婚約者のフロイドに中庭へと呼び出される。そこで彼が告げたのは、「君に愛はないんだ」という残酷な一言だった。幼いころから将来を約束されていた二人。家同士の結びつきの中で育まれたその関係は、アリスにとって大切な生きる希望だった。フロイドもまた、「君を幸せにする」と繰り返し口にしてくれていたはずだったのに――。

[完結]婚約破棄したいので愛など今更、結構です

シマ
恋愛
私はリリーナ・アインシュタインは、皇太子の婚約者ですが、皇太子アイザック様は他にもお好きな方がいるようです。 人前でキスするくらいお好きな様ですし、婚約破棄して頂けますか? え?勘違い?私の事を愛してる?そんなの今更、結構です。

処理中です...