任せてもいいですかーあなたとモーニングキスがしたいー

也菜いくみ

文字の大きさ
16 / 109

16

しおりを挟む
 そう云って篠山は寝室を出ていった。春臣はそんな彼を見送りにでることはしないで、布団に包まった自分のかたわらで、「匡彦さん、いってらっしゃぁい」と手を振るだけで――。そして日中本当にずっと自分につきっきりでいた彼は、夕方になって帰宅した篠山を、これまた布団に包まったままの自分の隣で、「おかえりなさーい」と迎えたのだった。


                  *


 春臣はこの近所にある大学の経済学部に通う三年生で、学校のすぐ近くのアパートでひとり暮らしをしているそうだ。歳の離れた篠山とは身内でも同窓でもなく、行きつけの店で知りあった仲だという。
 神野は静岡から就職のために東京にでてきて五年になるが、まだ友だちもできていないし職場のひとともプライベートを共にしたことがない。そんな自分には店で出会ったくらいで、誰かと交友関係を築くことなんて絶対にできないだろう。
 人間関係が希薄なことについて、神野はそれを性格の問題ではなく、時間と気持ちの余裕のなさのせいにしているが、実のところはわからない。

 聞けば春臣とは年齢がおなじだった。学年でいうと自分のほうが一学年上になるが、おなじ流行を生きてきたせいもあって話題があい、親しみを感じることができた。それ以上に彼の朗らかさと邪気のなさに、安心して隣にいられたのだ。
 春臣は篠山に頼まれて空いた時間のほとんどを、自分とともに過ごしてくれていた。自分がまたなにかしでかすかもしれないと篠山は危惧しているが、神野自身それを否定することができないでいる。
 いまはただ篠山に云われたとおり目のまえのことだけを見て、感じて。――身内とお金の一切のことを考えないようにしていた。
 ふとそれらのことを考えてしまったときに発作的に自分がなにかをしでかして、ここにいるひとたちに迷惑をかけてしまわないかと不安だった。それに自分だってもう、あの絶望的な苦しみを思い返したくはない。

 仮病と連休のあと、長い休暇を終えた神野は職場に復帰した。嘘のインフルエンザの期間は有給扱いにされていて、なにごともなかったかのように職場に戻れた日、神野は安堵のあまり作業しながら思わず涙ぐんでしまった。
 毎日篠山のマンションから拝島はいじま駅近くの工場までを、春臣がバイクで送迎してくれている。職場に自分がストーカー被害にあっているんだとまことしやかに説明した春臣は、工場の敷地で日中の大半を過ごしながら自分の仕事が終わるのを待ってくれていた。彼が大学をサボっているのは明らかだったが、それもはじめのうちに篠山や春臣に気にするなと云い含められている。

 篠山はひとり暮らしにしては広いマンションの一部を、彼の経営する税理士事務所として使っていた。彼以外に遼太郎と末広すえひろという女性が従業員として通ってきていたが、篠山と末広は客先に出向いてばかりで、比較的マンションにいる時間が長いのは遼太郎だった。
 神野をマンションに送り届け、篠山か遼太郎のどちらかが神野を見られる状態なら、春臣はアパートへ帰っていく。数日まえまでは彼はこのあと拝島に戻って、神野のかわりに飲食店で四時間ほど働いてくれていたのだ。しかしそのバイトはもう辞めた。

 いつまでも自分のかわりに彼にバイトに行かせつづけるわけにいかない。なんども自分で働くと云ってみたのだが、春臣が「絶対に祐樹にはいかせない」と云って譲らなかったのだ。だったらいっそのことバイトを辞めたほうがいいと判断した。新しいバイトはまた折をみて探せばいい。
 辞めることを選べたのは、住んでいたアパートを引き払ったぶんだけ金銭に余裕ができたからだった。
 アパートを引き払うには一月まえに解約届をださなければならない。したがって九月半ばに届けをだした神野は、十月半ばまでの家賃をすでに払っている。住んでもいないアパートの家賃を払うのは気分のいいものではなかったが、それでも九月末にあった家賃の引き落としは、ちゃんと日割り計算されていて、いつもの半額ですんでいた。記帳したばかりの通帳で実際にその金額を見たとき、神野はひとつ肩の荷が下りた気がしたのだ。きっとこれでよかったんだと思った。

 出金が減ったことを確認できたこの夜も、ベッドの中で篠山の胸に背を預けたまま少し泣いてしまった。
 その翌日に、平日の夜にはいっていた飲食店に、バイトを辞めることを伝えたのだ。
 これも迅速に動いてくれた遼太郎のお陰だそうだ。もし解約するのに連休を跨いでしまっていたら処理がスムーズにはかどらなかったかもしれないと、篠山が云っていた。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鬼上司と秘密の同居

なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳 幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ… そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた… いったい?…どうして?…こうなった? 「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」 スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか… 性描写には※を付けております。

借金のカタに同居したら、毎日甘く溺愛されてます

なの
BL
父親の残した借金を背負い、掛け持ちバイトで食いつなぐ毎日。 そんな俺の前に現れたのは──御曹司の男。 「借金は俺が肩代わりする。その代わり、今日からお前は俺のものだ」 脅すように言ってきたくせに、実際はやたらと優しいし、甘すぎる……! 高級スイーツを買ってきたり、風邪をひけば看病してくれたり、これって本当に借金返済のはずだったよな!? 借金から始まる強制同居は、いつしか恋へと変わっていく──。 冷酷な御曹司 × 借金持ち庶民の同居生活は、溺愛だらけで逃げ場なし!? 短編小説です。サクッと読んでいただけると嬉しいです。

  【完結】 男達の性宴

蔵屋
BL
  僕が通う高校の学校医望月先生に  今夜8時に来るよう、青山のホテルに  誘われた。  ホテルに来れば会場に案内すると  言われ、会場案内図を渡された。  高三最後の夏休み。家業を継ぐ僕を  早くも社会人扱いする両親。  僕は嬉しくて夕食後、バイクに乗り、  東京へ飛ばして行った。

アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました

あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」 穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン 攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?   攻め:深海霧矢 受け:清水奏 前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。 ハピエンです。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。 自己判断で消しますので、悪しからず。

陰キャな俺、人気者の幼馴染に溺愛されてます。

陽七 葵
BL
 主人公である佐倉 晴翔(さくら はると)は、顔がコンプレックスで、何をやらせてもダメダメな高校二年生。前髪で顔を隠し、目立たず平穏な高校ライフを望んでいる。  しかし、そんな晴翔の平穏な生活を脅かすのはこの男。幼馴染の葉山 蓮(はやま れん)。  蓮は、イケメンな上に人当たりも良く、勉強、スポーツ何でも出来る学校一の人気者。蓮と一緒にいれば、自ずと目立つ。  だから、晴翔は学校では極力蓮に近付きたくないのだが、避けているはずの蓮が晴翔にベッタリ構ってくる。  そして、ひょんなことから『恋人のフリ』を始める二人。  そこから物語は始まるのだが——。  実はこの二人、最初から両想いだったのにそれを拗らせまくり。蓮に新たな恋敵も現れ、蓮の執着心は過剰なモノへと変わっていく。  素直になれない主人公と人気者な幼馴染の恋の物語。どうぞお楽しみ下さい♪

人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない

タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。 対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

処理中です...