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業中は常に扉が開けっ放しだが、今日はすでに仕事は終わっているらしくいまは扉が閉じられていた。
もう片方の部屋は寝具の用意があって、休憩時間には昼寝もできるらしい。その部屋のまえを通り過ぎるとき、中から僅かな物音がした。
(篠山さん?)
玄関を見てもそこには春臣の靴しかない。自分の靴をしまった棚とはまた別の扉を開けたところにスタッフや来客用の靴の収納スペースがあるので、そこまで確認しないことには、いまこの家に誰がいるのかがわからないのだ。
そのまま春臣の背中について入ったリビングには、篠山の姿はなかった。
(いない。よかった)
だからといってこれですむわけではない。いまから篠山がこの部屋に戻ってくるまで、ずっとどきどきするはめになるのだ。
「さっきの部屋に篠山さん、いるんでしょうか? まだ仕事中?」
すでに時刻は十九時を過ぎているが、このところ篠山は遅い時間まで事務所に籠っていることが多い。
それとも彼はいないのだろうか。自分たちが寄り道をしてくるのを知って、篠山もたまには羽を伸ばしに出かけているかもしれない。それだったら助かる。
(だったらさっき部屋にいたのは、いったい誰なんだろう?)
「もしかして末広さん?」
仕事が詰まると、彼女はここに泊まって行くことさえあった。
「んー」
上着を脱いでキッチンのシンクで軽く手を洗った春臣が、冷蔵庫のなかからミネラルウォーターのペットボトルを取りしてキャップを開けた。やや神経質そうに口もとを歪めて云い渋る彼を見ていると、神野は落ち着かなくなる。
臑に傷をもつ身としては、春臣にいつもと違う態度を取られると、それだけではらはらしてしまう。春臣は煩わしそうに眉間を寄せていた。
(悪い質問しちゃったのかな?)
でなければ、春臣はきっとこんな顔をしないだろう。
「まぁ、俺たちがもっと遅くなると思っていたんじゃないかな?」
それは質問にたいしての直截な答えにはなっていなかったが、春臣か、もしくは篠山にとって、自分に知れるとまずいことなのだと充分に察することができた。
不安要素は残るが下手に触れてとんでもないことになるくらいならと、神野はあたり障りなく聞き流すことを選ぶ。
とりあえず、今日はもう篠山の顔を見る時間を極力減らしたいのだ。できることならば彼がここに現れるまでに、布団に入って寝てしまおう。
ところが、篠山と春臣がバトンタッチしないことには、春臣が帰れないことに気づいて、神野は困ってしまった。
今晩はもう食事も終え、彼はここにいてもすることがないのだ。用がないのならはやく帰らせてあげたいのだが、
「春臣くん、篠山さんいないし、もし家でやることあるならどうぞ帰ってください。私はひとりでも大丈夫ですから」
「それはダメ」
「……はい」
即座に却下されてしまった。自分はまだ信用されていないようだ。
それでは、帰れない彼には申し訳ないが、せめてさきに寝る準備だけでもさせてもらうことにする。
「あの。春臣くん、お風呂に入ってきてもいいですか?」
しかし、飲みかけのボトルをカウンターにトンと置いた春臣は、腰に手を当てて「はぁっ」と大げさな息を吐いてみせた。
「それも、ダメ」
「えっ⁉」
「祐樹にはまだひとりで行動させられない」
「えぇ……。どうしてですか? そりゃはじめはいっぱい心配かけましたけど、私はもう大丈夫ですよ?」
「鬱になってメソメソメソメソ三日三晩泣きつづけたのは、ついこの間のことなんですけど? 祐樹はもう忘れちゃった?」
「…………ごめんなさい」
余りもの過保護ぶりに眉を顰めたが、先日みんなに迷惑をかけたことを持ちだされると云い返す言葉がない。あの時は篠山に仕事を休ませただけでなく、春臣にも随分心配をかけている。
「……じゃあ、春臣くんもいっしょに入ってください。なら安心でしょ?」
じゃあと、断られるだろうと思いつつも食い下がってみると、彼は一瞬目を見開いて意外そうな顔をした。それでも
もう片方の部屋は寝具の用意があって、休憩時間には昼寝もできるらしい。その部屋のまえを通り過ぎるとき、中から僅かな物音がした。
(篠山さん?)
玄関を見てもそこには春臣の靴しかない。自分の靴をしまった棚とはまた別の扉を開けたところにスタッフや来客用の靴の収納スペースがあるので、そこまで確認しないことには、いまこの家に誰がいるのかがわからないのだ。
そのまま春臣の背中について入ったリビングには、篠山の姿はなかった。
(いない。よかった)
だからといってこれですむわけではない。いまから篠山がこの部屋に戻ってくるまで、ずっとどきどきするはめになるのだ。
「さっきの部屋に篠山さん、いるんでしょうか? まだ仕事中?」
すでに時刻は十九時を過ぎているが、このところ篠山は遅い時間まで事務所に籠っていることが多い。
それとも彼はいないのだろうか。自分たちが寄り道をしてくるのを知って、篠山もたまには羽を伸ばしに出かけているかもしれない。それだったら助かる。
(だったらさっき部屋にいたのは、いったい誰なんだろう?)
「もしかして末広さん?」
仕事が詰まると、彼女はここに泊まって行くことさえあった。
「んー」
上着を脱いでキッチンのシンクで軽く手を洗った春臣が、冷蔵庫のなかからミネラルウォーターのペットボトルを取りしてキャップを開けた。やや神経質そうに口もとを歪めて云い渋る彼を見ていると、神野は落ち着かなくなる。
臑に傷をもつ身としては、春臣にいつもと違う態度を取られると、それだけではらはらしてしまう。春臣は煩わしそうに眉間を寄せていた。
(悪い質問しちゃったのかな?)
でなければ、春臣はきっとこんな顔をしないだろう。
「まぁ、俺たちがもっと遅くなると思っていたんじゃないかな?」
それは質問にたいしての直截な答えにはなっていなかったが、春臣か、もしくは篠山にとって、自分に知れるとまずいことなのだと充分に察することができた。
不安要素は残るが下手に触れてとんでもないことになるくらいならと、神野はあたり障りなく聞き流すことを選ぶ。
とりあえず、今日はもう篠山の顔を見る時間を極力減らしたいのだ。できることならば彼がここに現れるまでに、布団に入って寝てしまおう。
ところが、篠山と春臣がバトンタッチしないことには、春臣が帰れないことに気づいて、神野は困ってしまった。
今晩はもう食事も終え、彼はここにいてもすることがないのだ。用がないのならはやく帰らせてあげたいのだが、
「春臣くん、篠山さんいないし、もし家でやることあるならどうぞ帰ってください。私はひとりでも大丈夫ですから」
「それはダメ」
「……はい」
即座に却下されてしまった。自分はまだ信用されていないようだ。
それでは、帰れない彼には申し訳ないが、せめてさきに寝る準備だけでもさせてもらうことにする。
「あの。春臣くん、お風呂に入ってきてもいいですか?」
しかし、飲みかけのボトルをカウンターにトンと置いた春臣は、腰に手を当てて「はぁっ」と大げさな息を吐いてみせた。
「それも、ダメ」
「えっ⁉」
「祐樹にはまだひとりで行動させられない」
「えぇ……。どうしてですか? そりゃはじめはいっぱい心配かけましたけど、私はもう大丈夫ですよ?」
「鬱になってメソメソメソメソ三日三晩泣きつづけたのは、ついこの間のことなんですけど? 祐樹はもう忘れちゃった?」
「…………ごめんなさい」
余りもの過保護ぶりに眉を顰めたが、先日みんなに迷惑をかけたことを持ちだされると云い返す言葉がない。あの時は篠山に仕事を休ませただけでなく、春臣にも随分心配をかけている。
「……じゃあ、春臣くんもいっしょに入ってください。なら安心でしょ?」
じゃあと、断られるだろうと思いつつも食い下がってみると、彼は一瞬目を見開いて意外そうな顔をした。それでも
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