あなたのファンになりたくて

こうりこ

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新堂玲子

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 神田出版。ビジネス書や旅行雑誌をメインに手掛ける老舗出版会社。あまり知られていないが、少女漫画や教材漫画も手掛けている。
 定時になり、私は帰り支度を始めた。一応、遅くなってもいいように、二十四時間託児所に娘を預けているが、十八時前には迎えに行きたい。娘の愛は七歳で、母親の恋しい年頃だ。
 荷物を持って立ち上がると、「新堂さんっ!」と新人編集が飛んできた。
「新堂さんっ! これっ! これっ、見てくださいっ!」
 と、スマホ画面を差し出されても、アラフィフ老眼気味の私はピントを合わせるのも一苦労だ。「パソコンに転送して」と伝える。
「あ、えっと、じゃあ『葉山リアの息子』ってXで検索してくださいっ」
「え?」
 葉山リアとは、「恋に堕ちたら黒く染まる手」という、累計発行部数五千万部超えの超人気作家……だが、8年前に亡くなっている。
 彼女の名前を聞くと、胸に刺すような痛みが走る。
 それに、『葉山リアの息子』って……
 名門私立中学の、グレーの学ランを着た少年の姿が頭に浮かんだ。
 サラサラの黒髪に、整った顔立ち。父親似の切長の目はやや下がっていて、母親似の唇はぽってりと愛嬌がある。彼は学校指定のスクールバッグではなく、テニスラケットが収納できる、有名ブランドのボストンバッグで通学していた。なんてオシャレな中学生だろうと感心したものだ。
「新堂さんっ」
 新人編集に急かされ、私は検索窓に「葉山リアの息子」と打ち込んだ。
 果たして表示されたのは、「漫画が読めるハッシュタグ」とついた投稿。
 サッと血の気が引いた。
 もしかして、「葉山リアの息子」を名乗るアカウントは、あの漫画を投稿したのではないか……
 葉山リアが、死ぬ直前に私に託した読み切り漫画……あの漫画が表に出れば、バズるどころの騒ぎでは済まない。要らぬ誤解を招く。
「これ……ララ先生に確認とった方がいいですよね?」
「ちょっと黙って」
 ついぞんざいな口調になった。私は瞳を素早く動かし、漫画を読み上げていく。
『僕の母は葉山リアという漫画家です。八年前、何者かに殺されました。空き巣犯に殺されたとされていますが、僕はそれが事実ではないと知っています』
 ドッと胸が跳ね、吐き気が込み上げた。
 絵柄は葉山リアの漫画とそっくりだ。そして「僕」は、グレーの学ランを着た少年。見る人が見れば、それが名門私立のものだと一目でわかる。
『あの家には三人のアシスタントと、一人の編集者が出入りしていました。アシスタントは泊まっていくこともありました。あの家は、アシスタントと編集者なら、コンセントの位置や扉の幅まで把握することができたのです。リビングで母を殺害し、一旦母の部屋に身を潜め、トイレの窓から逃げるなど、ただの空き巣犯の犯行とは思えない』
 どっ、どっ、と、心臓の鼓動が鼓膜を揺らした。
『僕は真実を明らかにしたい。八年前、何があったのか。なぜ母は殺されたのか』
 葉山リアが殺害されたリビング、犯人が身を潜めていたとされる寝室、トイレが、正確に描かれていて、これが紛れもなく、葉山リアの息子……葉山翔平が描いたものだとわかる。
 一万リツイート。二十万いいね。
 その投稿についた数字に、胃がきゅっと締め付けられた。
「中村さんは?」
 パソコンから顔を上げ、葉山ララの担当編集を探すが、姿はない。
「今日はまだ来ていません。……ララ先生のところでしょうか」
 葉山ララとは、葉山リアの元アシスタントだ。葉山リアの死後、葉山ララと改名し、ソメコイの続きを描き切った。
 ソメコイを完結させた後は、リターンズ、という形で、新しいソメコイを不定期で発表している。
「イタズラ……ですよね?」
 新人編集の問いかけを無視して、私はスマホを取り出し、葉山ララに発信した。
『もしもし』
 葉山ララの声ではなかった。中村の強張った声が言う。
『中村です。今、ララ先生の自宅に来ています。今朝投稿された漫画の件が気になって……』
「そう。ありがとう、安心した。ララ先生の様子はどう?」
『自分が疑われているのではと、心配しておられます』
「翔平くんは?」
 するりと葉山リアの息子の名前が口から出た。
 葉山リアの死後、葉山リアの夫はアシスタントと再婚した。
 そのアシスタントが、葉山ララだ。
 つまり、葉山リアの息子、翔平は、現在は葉山ララの息子ということになる。
 当時14歳の彼は、現在22歳。家を離れている可能性もあるが、親子なのだから、連絡くらい取れるはずだ。
 電話口の向こうで、ボソボソと声が聞こえた。
『翔平くんとは、もう何年も口を聞いていないそうです。仕送りの催促メールが来るくらいで、ララ先生から連絡しても、全てスルーで……』
「一緒に暮らしていないのね?」
『はい。六年前に都内のマンションを買い与えて、翔平くんは一人で暮らしているそうです。……暴力的でキレやすく、一緒に暮らしていくことはできなかったそうです』
 驚いた。あの美しい少年が、そんなことになってたとは。
 けれどすぐさまそれもそうかと思い直した。多感な時期にあんな目に遭い、母親を失ったのだ。そして父親はアシスタントと再婚……不信感を抱き、凶暴化するのは当然かもしれない。
 当時の担当編集として、家族のケアもするべきだったかもしれない。けれど私にも生活があった。苦労して授かった命を一人で育てなければならなくて、葉山リアの家族にまで気が回らなかった。
「翔平くんの住んでるマンション、教えてくれる?」
『えっ……翔平くんのマンション、ですか?』
 電話口の向こうで、中村が葉山ララに視線を送るのが目に浮かんだ。
『あっ、わかりました。東池袋……』
 中村が口にした番地を、私はネットで検索する。よくある十五階建てのマンションだ。エントランス前にちょっとした広場がある。
 電話口の向こうから、ボソボソと声が聞こえた。中村の「えっ」と驚く声に、私は「どうしたの?」と問いかける。
『あの投稿、最後にアシスタント募集って書いてあるんです。ララ先生、それに応募するとおっしゃって……』
 パソコン画面をSNSに切り替える。確かに投稿の最後には、『この作品を描き切るために、アシスタントを募集します。興味のある方は、プロフィールをご記入の上、DMにてご連絡下さい』と書いてある。
 ゾッとした。容疑者を誘き出しているのだ。
 描かれたくなかったら、僕に会いに来い。宣戦布告めいたものを、短い言葉から感じ取った。
 マンションに行っても、門前払いを食らうかもしれない。それでも、ジッとしていることはできなかった。
「わかった。これから翔平くんに会いにいくから、中村さんはそのままララ先生のそばにいて。旦那さんは?」
 そこまで言って、葉山リアにはもう一人、息子がいたことを思い出した。口数の少ない大人しい子……確か名前は……
『健太郎さんは買い付けで海外出張です』
 もう少しで名前が出てきそうな時に、中村が答えた。
「ああ、そう……じゃあしばらく帰ってこないのね」
『はい』
「わかった。じゃあ、翔平くんのマンションに行ったら、また連絡する」
『はい。よろしくお願いします』
 真面目な中村が深々と頭を下げる光景が目に浮かんだ。

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