あなたのファンになりたくて

こうりこ

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南條彰

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 西日が眩しい。そういえば学校から帰る時間帯は、西日に向かって歩かなければならなくて、馨と「まぶしー」と言い合っていたことを思い出す。
 洒落た石畳の坂道を曲がると、白亜の美しい建物が目に入った。かつて、俺が住んでいた家だ。今でも表札には「南條」と書かれている。
 南條家の窓に人影が見え、俺は足早に先を進んだ。
 隣の家に向かう。こちらも白塗りのヨーロピアンな外観だが、長い間空き家だったせいか、隣の家よりも寂れた印象を持った。
 門扉を開け、中へ入る。玄関には蜘蛛の巣が張っていた。
 インターホンを押してみるが、音がした様子はない。試しにドアを引いてみると、簡単に開いた。
「馨?」
 中は明るかった。大理石の玄関と、クラシックなチェストが目に入る。昔はそこに花瓶が置かれていたが、今はない。
「いらっしゃい」
 奥から馨が現れた。直前までラインでやり取りしていたのに、彼を見るまで不安だった。
「よかった、いた」
 ホッと安堵の息をつくと、彼は「そりゃいるよ」と微笑んだ。
 玄関脇には紙袋が置いてあり、馨はそこからスリッパを取り出すと、俺の前に「どうぞ」と置いた。
「お邪魔します……」
 殺人事件のあった家だ。緊張しながら、馨の後に続いてリビング兼仕事場へ向かう。
「わっ……」
 けれど殺人現場とされたそこに入ると、恐怖はたちまち懐かしさに変わった。
「すごい……昔のまんまじゃん」
 アシスタント用の大きな机、葉山リア用の大理石の机、革張りのソファセットが置かれたリビング、アイランドキッチン。
「懐かしいな……このソファ……やばい、なんか泣きそう」
 昔は巨大なソファだと思っていたが、今座ってみると普通サイズだ。なめらかな革の手触りが心地いい。
「掃除の途中だから埃っぽいかも」
「あ、ごめん……俺、何すればいい?」
「来たばっかりだし、少し休みなよ。僕も休憩する」
 馨はそう言ってアイランドキッチンへ向かった。冷蔵庫から果物を取り出し、手際よく切っていく。ミックスジュースを作ってくれるらしい。
 サラサラの髪に整った顔。常に品よく上がった唇は女の子のように愛らしい。中性的な容姿の馨は今でもよく女の子と間違えられる。
「アシスタントの応募、結構来た?」
「じゃんじゃん来るよ」
「目当ての人間からは?」
 馨はイタズラっぽい眼差しで俺を見た。
「彰のお母さんから、来たよ」
 不愉快な気分になった。馨は天使のような顔をしているが、中身は腹黒だ。
「……お母さんって言うなよ」
「だってお母さんでしょ」
「お前だって佐久間さんのこと母親なんて思ってないくせに」
「思ってるよ」
 俺はふんと鼻を鳴らした。
「いいよな、お前はかわいい方で」
 幼少期、俺と馨はこの家に出入りするアシスタントを名前ではなく、「かわいい人」「かわいくない人」「お姉ちゃん」と呼んでいた。
 馨はジューサーのスイッチを押した。果物が切り刻まれていく。
 ここで殺人事件が起こった後、俺の家でも衝撃的な出来事があった。
 この家に出入りしていたアシスタントが、隣人の子供を妊娠したのだ。
 隣人……俺の父親は母を家から追い出し、アシスタントと再婚した。
「俺は死んでも『お母さん』なんて呼ばない。あんな薄気味悪い女……」
「ははっ、辛辣~」
「しかもあいつ、ボーイズラブなんか描いてるんだ。腐ってんの。同じ空気も吸いたくないね」
「困るなあ。来週から来てもらうのに」
 馨はご機嫌でミックスジュースをグラスに注いだ。ストローと一緒に持ってきてくれる。
「本当に応募してきたんだ」
 連載中のボーイズラブ漫画はどうなるのだろう。それを中断してでも、あの女はアシスタントに応募した……あの事件について何か知っていて、明かされたくない秘密があるのだろうか。
「僕のお母さんと、金森さんもね」
 馨は向かいのソファに座り、ミックスジュースを吸い上げた。
「えっ……佐々木さんと金森さんも?」
 8年前、この家に出入りしていたアシスタントが全員応募してきたというわけだ。
「うん。お母さんからは直接電話が掛かってきたけど、無視していたら察してくれた。僕はあの漫画を描き切るまで、この家を出るつもりはない。僕と直接話ができるのは、アシスタントとして採用した人間だけ」
「……俺は?」
「彰と新堂さんは例外」
 新堂……葉山リアの編集者だった女だ。
「僕はここを一歩も出ない。だから彰には課題やレポートを持ってきてほしい。たまには売店のパンも食べたいし」
「……めっちゃパシリじゃん」
「いや?」
「全然。それくらいお安いご用」
「よかった」
 当然だろ、と心の中で呟いた。あの漫画がどう描かれていくか知りたいし、もし……余計なことを描くようなら、食い止めたい。
 果物を惜しげもなく使ったミックスジュースを飲みながら、俺は馨を盗み見た。
 馨、お前はどこまで知っているんだ。
 澄ました顔の男からは、なんの感情も読み取ることができなかった。
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