4 / 22
南條彰
しおりを挟む
西日が眩しい。そういえば学校から帰る時間帯は、西日に向かって歩かなければならなくて、馨と「まぶしー」と言い合っていたことを思い出す。
洒落た石畳の坂道を曲がると、白亜の美しい建物が目に入った。かつて、俺が住んでいた家だ。今でも表札には「南條」と書かれている。
南條家の窓に人影が見え、俺は足早に先を進んだ。
隣の家に向かう。こちらも白塗りのヨーロピアンな外観だが、長い間空き家だったせいか、隣の家よりも寂れた印象を持った。
門扉を開け、中へ入る。玄関には蜘蛛の巣が張っていた。
インターホンを押してみるが、音がした様子はない。試しにドアを引いてみると、簡単に開いた。
「馨?」
中は明るかった。大理石の玄関と、クラシックなチェストが目に入る。昔はそこに花瓶が置かれていたが、今はない。
「いらっしゃい」
奥から馨が現れた。直前までラインでやり取りしていたのに、彼を見るまで不安だった。
「よかった、いた」
ホッと安堵の息をつくと、彼は「そりゃいるよ」と微笑んだ。
玄関脇には紙袋が置いてあり、馨はそこからスリッパを取り出すと、俺の前に「どうぞ」と置いた。
「お邪魔します……」
殺人事件のあった家だ。緊張しながら、馨の後に続いてリビング兼仕事場へ向かう。
「わっ……」
けれど殺人現場とされたそこに入ると、恐怖はたちまち懐かしさに変わった。
「すごい……昔のまんまじゃん」
アシスタント用の大きな机、葉山リア用の大理石の机、革張りのソファセットが置かれたリビング、アイランドキッチン。
「懐かしいな……このソファ……やばい、なんか泣きそう」
昔は巨大なソファだと思っていたが、今座ってみると普通サイズだ。なめらかな革の手触りが心地いい。
「掃除の途中だから埃っぽいかも」
「あ、ごめん……俺、何すればいい?」
「来たばっかりだし、少し休みなよ。僕も休憩する」
馨はそう言ってアイランドキッチンへ向かった。冷蔵庫から果物を取り出し、手際よく切っていく。ミックスジュースを作ってくれるらしい。
サラサラの髪に整った顔。常に品よく上がった唇は女の子のように愛らしい。中性的な容姿の馨は今でもよく女の子と間違えられる。
「アシスタントの応募、結構来た?」
「じゃんじゃん来るよ」
「目当ての人間からは?」
馨はイタズラっぽい眼差しで俺を見た。
「彰のお母さんから、来たよ」
不愉快な気分になった。馨は天使のような顔をしているが、中身は腹黒だ。
「……お母さんって言うなよ」
「だってお母さんでしょ」
「お前だって佐久間さんのこと母親なんて思ってないくせに」
「思ってるよ」
俺はふんと鼻を鳴らした。
「いいよな、お前はかわいい方で」
幼少期、俺と馨はこの家に出入りするアシスタントを名前ではなく、「かわいい人」「かわいくない人」「お姉ちゃん」と呼んでいた。
馨はジューサーのスイッチを押した。果物が切り刻まれていく。
ここで殺人事件が起こった後、俺の家でも衝撃的な出来事があった。
この家に出入りしていたアシスタントが、隣人の子供を妊娠したのだ。
隣人……俺の父親は母を家から追い出し、アシスタントと再婚した。
「俺は死んでも『お母さん』なんて呼ばない。あんな薄気味悪い女……」
「ははっ、辛辣~」
「しかもあいつ、ボーイズラブなんか描いてるんだ。腐ってんの。同じ空気も吸いたくないね」
「困るなあ。来週から来てもらうのに」
馨はご機嫌でミックスジュースをグラスに注いだ。ストローと一緒に持ってきてくれる。
「本当に応募してきたんだ」
連載中のボーイズラブ漫画はどうなるのだろう。それを中断してでも、あの女はアシスタントに応募した……あの事件について何か知っていて、明かされたくない秘密があるのだろうか。
「僕のお母さんと、金森さんもね」
馨は向かいのソファに座り、ミックスジュースを吸い上げた。
「えっ……佐々木さんと金森さんも?」
8年前、この家に出入りしていたアシスタントが全員応募してきたというわけだ。
「うん。お母さんからは直接電話が掛かってきたけど、無視していたら察してくれた。僕はあの漫画を描き切るまで、この家を出るつもりはない。僕と直接話ができるのは、アシスタントとして採用した人間だけ」
「……俺は?」
「彰と新堂さんは例外」
新堂……葉山リアの編集者だった女だ。
「僕はここを一歩も出ない。だから彰には課題やレポートを持ってきてほしい。たまには売店のパンも食べたいし」
「……めっちゃパシリじゃん」
「いや?」
「全然。それくらいお安いご用」
「よかった」
当然だろ、と心の中で呟いた。あの漫画がどう描かれていくか知りたいし、もし……余計なことを描くようなら、食い止めたい。
果物を惜しげもなく使ったミックスジュースを飲みながら、俺は馨を盗み見た。
馨、お前はどこまで知っているんだ。
澄ました顔の男からは、なんの感情も読み取ることができなかった。
洒落た石畳の坂道を曲がると、白亜の美しい建物が目に入った。かつて、俺が住んでいた家だ。今でも表札には「南條」と書かれている。
南條家の窓に人影が見え、俺は足早に先を進んだ。
隣の家に向かう。こちらも白塗りのヨーロピアンな外観だが、長い間空き家だったせいか、隣の家よりも寂れた印象を持った。
門扉を開け、中へ入る。玄関には蜘蛛の巣が張っていた。
インターホンを押してみるが、音がした様子はない。試しにドアを引いてみると、簡単に開いた。
「馨?」
中は明るかった。大理石の玄関と、クラシックなチェストが目に入る。昔はそこに花瓶が置かれていたが、今はない。
「いらっしゃい」
奥から馨が現れた。直前までラインでやり取りしていたのに、彼を見るまで不安だった。
「よかった、いた」
ホッと安堵の息をつくと、彼は「そりゃいるよ」と微笑んだ。
玄関脇には紙袋が置いてあり、馨はそこからスリッパを取り出すと、俺の前に「どうぞ」と置いた。
「お邪魔します……」
殺人事件のあった家だ。緊張しながら、馨の後に続いてリビング兼仕事場へ向かう。
「わっ……」
けれど殺人現場とされたそこに入ると、恐怖はたちまち懐かしさに変わった。
「すごい……昔のまんまじゃん」
アシスタント用の大きな机、葉山リア用の大理石の机、革張りのソファセットが置かれたリビング、アイランドキッチン。
「懐かしいな……このソファ……やばい、なんか泣きそう」
昔は巨大なソファだと思っていたが、今座ってみると普通サイズだ。なめらかな革の手触りが心地いい。
「掃除の途中だから埃っぽいかも」
「あ、ごめん……俺、何すればいい?」
「来たばっかりだし、少し休みなよ。僕も休憩する」
馨はそう言ってアイランドキッチンへ向かった。冷蔵庫から果物を取り出し、手際よく切っていく。ミックスジュースを作ってくれるらしい。
サラサラの髪に整った顔。常に品よく上がった唇は女の子のように愛らしい。中性的な容姿の馨は今でもよく女の子と間違えられる。
「アシスタントの応募、結構来た?」
「じゃんじゃん来るよ」
「目当ての人間からは?」
馨はイタズラっぽい眼差しで俺を見た。
「彰のお母さんから、来たよ」
不愉快な気分になった。馨は天使のような顔をしているが、中身は腹黒だ。
「……お母さんって言うなよ」
「だってお母さんでしょ」
「お前だって佐久間さんのこと母親なんて思ってないくせに」
「思ってるよ」
俺はふんと鼻を鳴らした。
「いいよな、お前はかわいい方で」
幼少期、俺と馨はこの家に出入りするアシスタントを名前ではなく、「かわいい人」「かわいくない人」「お姉ちゃん」と呼んでいた。
馨はジューサーのスイッチを押した。果物が切り刻まれていく。
ここで殺人事件が起こった後、俺の家でも衝撃的な出来事があった。
この家に出入りしていたアシスタントが、隣人の子供を妊娠したのだ。
隣人……俺の父親は母を家から追い出し、アシスタントと再婚した。
「俺は死んでも『お母さん』なんて呼ばない。あんな薄気味悪い女……」
「ははっ、辛辣~」
「しかもあいつ、ボーイズラブなんか描いてるんだ。腐ってんの。同じ空気も吸いたくないね」
「困るなあ。来週から来てもらうのに」
馨はご機嫌でミックスジュースをグラスに注いだ。ストローと一緒に持ってきてくれる。
「本当に応募してきたんだ」
連載中のボーイズラブ漫画はどうなるのだろう。それを中断してでも、あの女はアシスタントに応募した……あの事件について何か知っていて、明かされたくない秘密があるのだろうか。
「僕のお母さんと、金森さんもね」
馨は向かいのソファに座り、ミックスジュースを吸い上げた。
「えっ……佐々木さんと金森さんも?」
8年前、この家に出入りしていたアシスタントが全員応募してきたというわけだ。
「うん。お母さんからは直接電話が掛かってきたけど、無視していたら察してくれた。僕はあの漫画を描き切るまで、この家を出るつもりはない。僕と直接話ができるのは、アシスタントとして採用した人間だけ」
「……俺は?」
「彰と新堂さんは例外」
新堂……葉山リアの編集者だった女だ。
「僕はここを一歩も出ない。だから彰には課題やレポートを持ってきてほしい。たまには売店のパンも食べたいし」
「……めっちゃパシリじゃん」
「いや?」
「全然。それくらいお安いご用」
「よかった」
当然だろ、と心の中で呟いた。あの漫画がどう描かれていくか知りたいし、もし……余計なことを描くようなら、食い止めたい。
果物を惜しげもなく使ったミックスジュースを飲みながら、俺は馨を盗み見た。
馨、お前はどこまで知っているんだ。
澄ました顔の男からは、なんの感情も読み取ることができなかった。
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない
文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。
使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。
優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。
婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。
「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。
優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。
父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。
嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの?
優月は父親をも信頼できなくなる。
婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。
包帯妻の素顔は。
サイコちゃん
恋愛
顔を包帯でぐるぐる巻きにした妻アデラインは夫ベイジルから離縁を突きつける手紙を受け取る。手柄を立てた夫は戦地で出会った聖女見習いのミアと結婚したいらしく、妻の悪評をでっち上げて離縁を突きつけたのだ。一方、アデラインは離縁を受け入れて、包帯を取って見せた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる