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1章 再生の時
第13話 あと少しだけ
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守梨の涙が落ち着いたころ、祐ちゃんは守梨の頭をぽんぽんと撫でてくれる。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんやで。もう大丈夫」
守梨は弱々しいながらも微笑を浮かべる。祐ちゃんは安心してくれた様に頬を緩めた。
「最近、祐ちゃんにはあかんとこばっかり見してるなぁ」
「そうか?」
祐ちゃんはこともなげにそう言ってくれる。いくら心が弱っているとは言え、祐ちゃんを頼り過ぎている自覚はある。この状態は一体いつまで続くのか。いつになったら守梨は立ち直ることができるのか。
……肉親を喪ったのは初めてでは無い。かつてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんを4人も見送った。それは確かにとても悲しいことではあったのだが、頻繁に会うことの無かった祖父母の逝去は、ここまで守梨を打ちのめさなかった。
祖父母たちは揃って病死で、覚悟はできないまでも予期されていたことで、幸いあまり引きずること無く復調することができた。
だが両親は違う。急な別れだったのだ。幽霊となって側にいてくれることで救いになってはいるが、生き返ったわけでは無い。だから傷付いた心はなかなか癒えてくれない。
すぐ側にいるのに、姿すら見えないことももどかしい。声だって聞くことができなかった。
守梨には霊感が無いから。だがこればかりはきっと体質なのだろう。諦めるしか無いのだ。
それよりも、祐ちゃんが両親と自由に会話ができることになったことを幸いに思おう。
「祐ちゃん、さっきお父さんたちと何の話してたん? 何やお礼言うてたね」
「ああ、それはな、守梨の許しがいるんやけど」
「何?」
「平日、月曜日から金曜日、俺の仕事が終わってから2時間ぐらい、ここの厨房貸してもらわれへんやろか」
祐ちゃんは眦を下げ、心苦しそうに言う。
「おやっさんが大事にしとった厨房やて分かってるけど、掃除もちゃんとするから」
「そんなん、祐ちゃんやったらもちろん構わへんけど、でも何で?」
守梨がきょとんとすると、祐ちゃんは緊張した様にごくりと喉を鳴らし、表情を引き締めた。
「おやっさんのドミグラスソースを引き継ぐために、おやっさんに料理を習いたいんや」
「ドミグラスソースの継ぎ足し方を教えてもらうってこと?」
「いや、今は現物が無いし、俺に技術が無いから松村さんに譲ってもらう理由が付けられへん。料理を母さんに教えてもらうにも、母さんは言うても普通の主婦やから限界がある。せやからおやっさんにプロの技を鍛えてもらうんや」
祐ちゃん、ドミグラスソースのためにそこまで。守梨は驚きで目を見開いた。どうしてそこまで。一体何のために。
「俺、昔、ほんの少しやけど、おやっさんに手ほどきを受けたことがあるんや。この店、火曜日が休みやったやろ」
「あ、うん」
「そん時にな。おやっさん、お世辞やとは思うけど、俺に見込みがある言うて褒めてくれてな」
祐ちゃんは懐かしげに目を細める。守梨が知らないところでそんなことがあったのか。何て羨ましい。
家庭科の授業が始まる小学5年の時、守梨がお料理に興味を持てば、教えてくれるつもりにしていたそうだ。実際はお料理下手が判明してしまったわけだが。
守梨がその体たらくだったから、お父さんはもしかして、祐ちゃんに教えることで、かつての希望を満たしていたのかも知れない。
決して守梨の代わりだなんて思ってはいなかったはずだが、お料理に関心がある人、この場合は祐ちゃんに教えるのは楽しかっただろう。
「……ええなぁ」
ぽろりと、心の底から羨望の言葉が漏れて出た。守梨にお料理の才能が少しでもあったなら。両親の幽霊を見ることが、声を聞くことができたなら。
たった今守梨が欲しいものを、祐ちゃんは持っていた。せめてお料理を諦めるべきでは無かっただろうか。包丁はかろうじて使えるが、1から10までレシピ頼りで、それでも簡単なものしか作れない守梨は、もっと努力をすべきだったのか。
祐ちゃんは切なげに目を伏せた。
「そうやんな。ほんまは守梨が教えて欲しいやんな。当たり前やんな。けど俺、守梨の分まで頑張るから。せやから俺にここの厨房を使わせて欲しい。俺に、俺におやっさんの味を継がせて欲しい」
祐ちゃんは言って、守梨に深く頭を下げた。守梨は驚いて目を見張る。
「そんな、止めて祐ちゃん、頭上げて」
それでも祐ちゃんは微動だにしない。守梨はますます慌ててしまう。
「祐ちゃん、お願いやから頭上げて」
守梨がとっさに祐ちゃんの二の腕に手を伸ばすと、祐ちゃんはゆっくりと頭を上げた。
「守梨があの厨房、つか店を大事にしてんの知ってる。おやっさんとお袋さんの形見みたいなもんやもんな。せやから毎日掃除してんねんやろ。せやから大事に使う。せやから」
「祐ちゃん」
祐ちゃんが言い終わる前に、守梨は声を上げる。できるだけ優しい声色にしたつもりだったが、成功しただろうか。
「祐ちゃんやからええねん。ぜひ使うて。祐ちゃんがお父さんの味を受け継いでくれたら嬉しいわ」
そう言った時、守梨の顔には自然な微笑が浮かんだ。そう、誰でも無い祐ちゃんがそうしてくれたら、こんなに喜ばしいことは無い。
祐ちゃんは誠心誠意で守梨に申し出てくれたのだ。なら絶対に厨房も大事に使ってくれる。確信できる。
祐ちゃんはほっとした様に表情を綻ばした。
「ありがとう。包丁とかお玉とか、そういうんは自分で揃えるから」
「揃えたら多分結構掛かるで。祐ちゃんさえ良ければ、ここの使って。その方がお父さんらも嬉しいと思う。まだまだ使えるもんばっかりやもん。私じゃ扱われへんし」
「そうやろか」
祐ちゃんの目線がお父さんたちがいるはずのところに向く。そして「はい」と小さく頷いた。
「おやっさんもそう言うてくれてはる。ほな、使わせてもらうな」
「うん。祐ちゃん、羨ましくて、……妬みみたいになってしもうてごめん」
「いや、全然」
祐ちゃんがそう言ってくれて、守梨はほっと胸を撫で下ろした。こうして祐ちゃんが全てを受け止めてくれるから、守梨は祐ちゃんに甘えてしまうのだ。
でもまだあと少し、守梨がもう少し立ち直ることができるまで、このままでいて欲しいなんて思ってしまうのだった。
「大丈夫か?」
「うん、ごめんやで。もう大丈夫」
守梨は弱々しいながらも微笑を浮かべる。祐ちゃんは安心してくれた様に頬を緩めた。
「最近、祐ちゃんにはあかんとこばっかり見してるなぁ」
「そうか?」
祐ちゃんはこともなげにそう言ってくれる。いくら心が弱っているとは言え、祐ちゃんを頼り過ぎている自覚はある。この状態は一体いつまで続くのか。いつになったら守梨は立ち直ることができるのか。
……肉親を喪ったのは初めてでは無い。かつてお祖父ちゃんとお祖母ちゃんを4人も見送った。それは確かにとても悲しいことではあったのだが、頻繁に会うことの無かった祖父母の逝去は、ここまで守梨を打ちのめさなかった。
祖父母たちは揃って病死で、覚悟はできないまでも予期されていたことで、幸いあまり引きずること無く復調することができた。
だが両親は違う。急な別れだったのだ。幽霊となって側にいてくれることで救いになってはいるが、生き返ったわけでは無い。だから傷付いた心はなかなか癒えてくれない。
すぐ側にいるのに、姿すら見えないことももどかしい。声だって聞くことができなかった。
守梨には霊感が無いから。だがこればかりはきっと体質なのだろう。諦めるしか無いのだ。
それよりも、祐ちゃんが両親と自由に会話ができることになったことを幸いに思おう。
「祐ちゃん、さっきお父さんたちと何の話してたん? 何やお礼言うてたね」
「ああ、それはな、守梨の許しがいるんやけど」
「何?」
「平日、月曜日から金曜日、俺の仕事が終わってから2時間ぐらい、ここの厨房貸してもらわれへんやろか」
祐ちゃんは眦を下げ、心苦しそうに言う。
「おやっさんが大事にしとった厨房やて分かってるけど、掃除もちゃんとするから」
「そんなん、祐ちゃんやったらもちろん構わへんけど、でも何で?」
守梨がきょとんとすると、祐ちゃんは緊張した様にごくりと喉を鳴らし、表情を引き締めた。
「おやっさんのドミグラスソースを引き継ぐために、おやっさんに料理を習いたいんや」
「ドミグラスソースの継ぎ足し方を教えてもらうってこと?」
「いや、今は現物が無いし、俺に技術が無いから松村さんに譲ってもらう理由が付けられへん。料理を母さんに教えてもらうにも、母さんは言うても普通の主婦やから限界がある。せやからおやっさんにプロの技を鍛えてもらうんや」
祐ちゃん、ドミグラスソースのためにそこまで。守梨は驚きで目を見開いた。どうしてそこまで。一体何のために。
「俺、昔、ほんの少しやけど、おやっさんに手ほどきを受けたことがあるんや。この店、火曜日が休みやったやろ」
「あ、うん」
「そん時にな。おやっさん、お世辞やとは思うけど、俺に見込みがある言うて褒めてくれてな」
祐ちゃんは懐かしげに目を細める。守梨が知らないところでそんなことがあったのか。何て羨ましい。
家庭科の授業が始まる小学5年の時、守梨がお料理に興味を持てば、教えてくれるつもりにしていたそうだ。実際はお料理下手が判明してしまったわけだが。
守梨がその体たらくだったから、お父さんはもしかして、祐ちゃんに教えることで、かつての希望を満たしていたのかも知れない。
決して守梨の代わりだなんて思ってはいなかったはずだが、お料理に関心がある人、この場合は祐ちゃんに教えるのは楽しかっただろう。
「……ええなぁ」
ぽろりと、心の底から羨望の言葉が漏れて出た。守梨にお料理の才能が少しでもあったなら。両親の幽霊を見ることが、声を聞くことができたなら。
たった今守梨が欲しいものを、祐ちゃんは持っていた。せめてお料理を諦めるべきでは無かっただろうか。包丁はかろうじて使えるが、1から10までレシピ頼りで、それでも簡単なものしか作れない守梨は、もっと努力をすべきだったのか。
祐ちゃんは切なげに目を伏せた。
「そうやんな。ほんまは守梨が教えて欲しいやんな。当たり前やんな。けど俺、守梨の分まで頑張るから。せやから俺にここの厨房を使わせて欲しい。俺に、俺におやっさんの味を継がせて欲しい」
祐ちゃんは言って、守梨に深く頭を下げた。守梨は驚いて目を見張る。
「そんな、止めて祐ちゃん、頭上げて」
それでも祐ちゃんは微動だにしない。守梨はますます慌ててしまう。
「祐ちゃん、お願いやから頭上げて」
守梨がとっさに祐ちゃんの二の腕に手を伸ばすと、祐ちゃんはゆっくりと頭を上げた。
「守梨があの厨房、つか店を大事にしてんの知ってる。おやっさんとお袋さんの形見みたいなもんやもんな。せやから毎日掃除してんねんやろ。せやから大事に使う。せやから」
「祐ちゃん」
祐ちゃんが言い終わる前に、守梨は声を上げる。できるだけ優しい声色にしたつもりだったが、成功しただろうか。
「祐ちゃんやからええねん。ぜひ使うて。祐ちゃんがお父さんの味を受け継いでくれたら嬉しいわ」
そう言った時、守梨の顔には自然な微笑が浮かんだ。そう、誰でも無い祐ちゃんがそうしてくれたら、こんなに喜ばしいことは無い。
祐ちゃんは誠心誠意で守梨に申し出てくれたのだ。なら絶対に厨房も大事に使ってくれる。確信できる。
祐ちゃんはほっとした様に表情を綻ばした。
「ありがとう。包丁とかお玉とか、そういうんは自分で揃えるから」
「揃えたら多分結構掛かるで。祐ちゃんさえ良ければ、ここの使って。その方がお父さんらも嬉しいと思う。まだまだ使えるもんばっかりやもん。私じゃ扱われへんし」
「そうやろか」
祐ちゃんの目線がお父さんたちがいるはずのところに向く。そして「はい」と小さく頷いた。
「おやっさんもそう言うてくれてはる。ほな、使わせてもらうな」
「うん。祐ちゃん、羨ましくて、……妬みみたいになってしもうてごめん」
「いや、全然」
祐ちゃんがそう言ってくれて、守梨はほっと胸を撫で下ろした。こうして祐ちゃんが全てを受け止めてくれるから、守梨は祐ちゃんに甘えてしまうのだ。
でもまだあと少し、守梨がもう少し立ち直ることができるまで、このままでいて欲しいなんて思ってしまうのだった。
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