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3章 意図せぬ負の遺産
第12話 心を寄せて
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祐ちゃんは手を合わせたものの、食べずに榊原さんご夫妻の様子を見つめている。その表情は強張っていた。お父さんの、「テリア」のレシピで作ったものを、守梨以外の人に食べてもらうのはきっと初めてだった。
ご常連にとって、作ったものがちゃんと「テリア」の味になっているのかどうか。その判定は祐ちゃんにとって緊張するものだろう。
毎週土曜日は「マルチニール」で賄いを作り、松村さんや従業員に食べてもらうのだが、使える材料はその日の余り物などだ。レシピも無いしお父さんもいない。
それでもお父さんの教えは祐ちゃんに染み込んでいるはずだ。だから松村さんもドミグラスソースの継承を許してくれるまでになっているのだと思う。
守梨は満足していた。守梨はお父さんの子どもではあるが、「テリア」のお料理を食べる機会は少なかった。それでもこの2品には、お父さんの真髄が込められている様な気がするのだ。
「……どうですか? おやっさんの、あ、シェフの料理と比べて、どうですか?」
祐ちゃんがらしく無く、おずおずと聞く。まるで思い詰めてしまっている様だ。なのでつい守梨も硬くなってしまう。
榊原さんご夫妻はきょとんとした顔を見合わせて、「うーん」と唸る。
「僕は美味しいもんは好きやけど、そんなグルメや無いし、味の細かい違いは分かりません。でもこれはどっちもめっちゃ美味しくて、「テリア」の料理に引けを取らんと思います」
「あたしもそう思うわ。特にこのティアン、めっちゃ嬉しい」
夏野菜のティアンは、杏沙子さんのリクエストだったのである。夏野菜が旬になる時季に出されるこのティアン、杏沙子さんは毎年の楽しみにしていたそうなのだ。だから杏沙子さんは榊原さんの分までぶん取る勢いでフォークを伸ばしていた。
「あたしらにしてみたら、もちろんシェフの味がまた食べられたら嬉しい。でもな、肝心なんは「ここ」や、「ここ」」
杏沙子さんはそう言って、自身の左胸をとんと叩く。
「心意気やなんて、そんな曖昧なもんて思われるかも知れんけど、再開した時にそん時のシェフがどんだけここを大事にしとるか、亡くならはったシェフをどんだけ敬ってるか、それまでのお客さんをどんだけ納得させるために研鑽してるか。作る人が変われば、レシピがあっても味は多少変わる。それは当たり前のことや。でもそれに開き直ったらあかん。それができひんかったら「テリア」を継ぐ資格は無い。あたしはそう思う」
「杏沙子さんは人情派やからなぁ」
笑顔だがきっぱりと言い張る杏沙子さんに、榊原さんはからからと笑う。
「でも、俺もそう思ってます。どんだけ前のシェフのご意志を汲み取るか。シェフが代替わりすれば、そりゃあその人に一任されるって面もあるんやと思います。でもね、「テリア」に来はるお客さんは、「テリア」の味を求めてはるんやと思うんです。「テリア」の店名のままいざ再開しました、来店しました、味がごろっと変わりました、なんてことになったら、そりゃあ残念やと思いますよ。でもね」
榊原さんは豚肉のシードル煮込みを取り分けた小皿を包み込む様にして、言った。
「この味やったら充分や無いかなって、僕は思います。「テリア」は人気店やったから、中にはえらいグルメな人もいてはって、厳密にこれはちゃうって言う人もおるかも知れません。でもそんな人を納得させるんも、結局は心なんや無いかなぁって思うんですよ」
榊原さんご夫妻の言葉は、その通りなのだと守梨も思う。お父さんもお母さんも、お客さまに心を寄せて商売をしていた。確かにお父さんの味はたくさんのお客さまに楽しんでいただけていたのだと思う。だがそれは、両親の真心が込められていたからなのだ。
「せやからあたしはこの味で、原口くんが今のままでいてくれるんやったら、再開したらまた通わしてもらうわ」
杏沙子さんにそう言われ、守梨は「あ」と声を上げる。多分勘違いをされている。守梨も祐ちゃんも、榊原さんも言っていないのだから当然だ。
「シェフはこれから探すことになるんです。祐ちゃんはドミグラスソースを守るために練習してくれとって」
「あ、そうなん? あらま、こんだけ作れんのにもったいない」
杏沙子さんが驚いて目を丸くすると、榊原さんも「僕もそう思った」と追随する。
「でも、お嬢さんにはお嬢さんの考えもあるやろし、原口くんの都合かてあるんやし」
「そりゃそっか」
榊原さんのせりふに、杏沙子さんはあっさりと納得した。想像した通り、さっぱりとした気質の人なのだ。
確かに祐ちゃんに調理人になってもらえたら嬉しいと守梨も思い始めている。だがきっと祐ちゃんには祐ちゃんのやりたいことがあって、お仕事だってある。それに将来大事な人ができた時、守梨が邪魔になってはいけない。
守梨と祐ちゃんは顔を見合わせて、苦笑するしか無かった。
ご常連にとって、作ったものがちゃんと「テリア」の味になっているのかどうか。その判定は祐ちゃんにとって緊張するものだろう。
毎週土曜日は「マルチニール」で賄いを作り、松村さんや従業員に食べてもらうのだが、使える材料はその日の余り物などだ。レシピも無いしお父さんもいない。
それでもお父さんの教えは祐ちゃんに染み込んでいるはずだ。だから松村さんもドミグラスソースの継承を許してくれるまでになっているのだと思う。
守梨は満足していた。守梨はお父さんの子どもではあるが、「テリア」のお料理を食べる機会は少なかった。それでもこの2品には、お父さんの真髄が込められている様な気がするのだ。
「……どうですか? おやっさんの、あ、シェフの料理と比べて、どうですか?」
祐ちゃんがらしく無く、おずおずと聞く。まるで思い詰めてしまっている様だ。なのでつい守梨も硬くなってしまう。
榊原さんご夫妻はきょとんとした顔を見合わせて、「うーん」と唸る。
「僕は美味しいもんは好きやけど、そんなグルメや無いし、味の細かい違いは分かりません。でもこれはどっちもめっちゃ美味しくて、「テリア」の料理に引けを取らんと思います」
「あたしもそう思うわ。特にこのティアン、めっちゃ嬉しい」
夏野菜のティアンは、杏沙子さんのリクエストだったのである。夏野菜が旬になる時季に出されるこのティアン、杏沙子さんは毎年の楽しみにしていたそうなのだ。だから杏沙子さんは榊原さんの分までぶん取る勢いでフォークを伸ばしていた。
「あたしらにしてみたら、もちろんシェフの味がまた食べられたら嬉しい。でもな、肝心なんは「ここ」や、「ここ」」
杏沙子さんはそう言って、自身の左胸をとんと叩く。
「心意気やなんて、そんな曖昧なもんて思われるかも知れんけど、再開した時にそん時のシェフがどんだけここを大事にしとるか、亡くならはったシェフをどんだけ敬ってるか、それまでのお客さんをどんだけ納得させるために研鑽してるか。作る人が変われば、レシピがあっても味は多少変わる。それは当たり前のことや。でもそれに開き直ったらあかん。それができひんかったら「テリア」を継ぐ資格は無い。あたしはそう思う」
「杏沙子さんは人情派やからなぁ」
笑顔だがきっぱりと言い張る杏沙子さんに、榊原さんはからからと笑う。
「でも、俺もそう思ってます。どんだけ前のシェフのご意志を汲み取るか。シェフが代替わりすれば、そりゃあその人に一任されるって面もあるんやと思います。でもね、「テリア」に来はるお客さんは、「テリア」の味を求めてはるんやと思うんです。「テリア」の店名のままいざ再開しました、来店しました、味がごろっと変わりました、なんてことになったら、そりゃあ残念やと思いますよ。でもね」
榊原さんは豚肉のシードル煮込みを取り分けた小皿を包み込む様にして、言った。
「この味やったら充分や無いかなって、僕は思います。「テリア」は人気店やったから、中にはえらいグルメな人もいてはって、厳密にこれはちゃうって言う人もおるかも知れません。でもそんな人を納得させるんも、結局は心なんや無いかなぁって思うんですよ」
榊原さんご夫妻の言葉は、その通りなのだと守梨も思う。お父さんもお母さんも、お客さまに心を寄せて商売をしていた。確かにお父さんの味はたくさんのお客さまに楽しんでいただけていたのだと思う。だがそれは、両親の真心が込められていたからなのだ。
「せやからあたしはこの味で、原口くんが今のままでいてくれるんやったら、再開したらまた通わしてもらうわ」
杏沙子さんにそう言われ、守梨は「あ」と声を上げる。多分勘違いをされている。守梨も祐ちゃんも、榊原さんも言っていないのだから当然だ。
「シェフはこれから探すことになるんです。祐ちゃんはドミグラスソースを守るために練習してくれとって」
「あ、そうなん? あらま、こんだけ作れんのにもったいない」
杏沙子さんが驚いて目を丸くすると、榊原さんも「僕もそう思った」と追随する。
「でも、お嬢さんにはお嬢さんの考えもあるやろし、原口くんの都合かてあるんやし」
「そりゃそっか」
榊原さんのせりふに、杏沙子さんはあっさりと納得した。想像した通り、さっぱりとした気質の人なのだ。
確かに祐ちゃんに調理人になってもらえたら嬉しいと守梨も思い始めている。だがきっと祐ちゃんには祐ちゃんのやりたいことがあって、お仕事だってある。それに将来大事な人ができた時、守梨が邪魔になってはいけない。
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